表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷雪記  作者: ゐく
第一部
14/101

第七章 帰郷 弐

 灯りを頼りに抜け道のところまで来た時。そこで足を止めた雪姫に、白峰が少々困惑した様子で尋ねた。


「ええと……その友達の家っていうのは、ここ……なのかい?」


 白峰が灯りを掲げると、背の高い板塀が照らされた。その光が彼の動揺にも似て、ゆらゆらと微かに揺れている。


 白峰はこちら側には来たことがないらしく、また辺りが暗いことも手伝っているせいか、この塀が御所の物だということにはまったく気付いていないようであった。こちらとしては、たいへん好都合である。


「そうよ」


 雪姫がけろりと答える。その返事に対して、白峰がさらに困惑した様子で尋ねた。


「い、入口は……?」


「ここよ」


 雪姫が慣れた手付きで塀の板をずらして見せる。ぎょっとする父をよそに、娘の方は膝をついて隙間へ潜り込んだ。


「お父さんはここで待っていて? 私、すぐに行って戻ってくるから」


「ちょっ、ちょっと待ちなさい雪姫! これって不法侵入なんじゃあ……」


 慌てた白峰が我が子を引き止めようと、続いて隙間へ頭を突っ込む。が、しかし。肩幅が広いため、それ以上中に入ることができない。


「ああもう……!」


 白峰は焦れた声をあげながらも、観念した。

 普段ならば聞き分けのよい雪姫も、極稀(ごくまれ)にだが頑として譲らなくなることがあった。そうなった時には、もう梃子(てこ)でも動かせないということを白峰は知っていた。


「はぁ……わかったよ。父さんはここで待っているから、早く行ってきなさい」


 白峰は溜め息をつくと、塀の向こう側にいる雪姫に彼女の分の灯りを渡してやり、板を直すのを手伝ってやった。


(それにしても、こんなに大きなお屋敷に住んでいる雪姫の友達って、いったい……)


 それも、入口はこの(わず)かな隙間。謎はますます深まるばかりである。

 頭を抱えて考えていても、答えなど出てくるはずもない。白峰は、とりあえず月を見ながら娘の帰りを待つことにした。


 見上げた群青の星空には、くっきりと白い半月が浮かんでいた。




 月明かりの下。塀の内側では、雪姫が真っ暗な林の中を進んでいた。遠くには緋色に揺らめく炎が見えている。幸い、建物の周りには(かがり)がいくつも置かれており、方向を見失わずに済んでいた。


 しばらく進むと、炎で明るく照らされた疾風の姿が見えてきた。柱に寄りかかって座り、空を見上げている。どうやら縁側に出て月を眺めていたらしい。

 まだ起きていてくれて助かったと雪姫はほっとし、足下に注意を払いながら小走りでそちらに寄っていった。


「──やて、疾風!」


 夜の林から突然現れた友人に、名前を呼ばれた本人は目を丸くした。疾風は驚きながらも急いで草鞋(わらじ)を履き、雪姫のもとへ駆け寄る。

 二人は、野原の中ほどで対面した。


「どうしたの、雪姫? こんな時間に……」


「あのね、お父さんの用事が早く済んでしまったから、明日の朝に若草を出ることになってしまって……それで私、お別れを言いにきたの」


「そうか……」


 それを聞いた疾風は淋しそうに微笑み、呟いた。

 彼は目を閉じて押し寄せてきた感情を飲み込むと、改めていつもの穏やかな眼差しと笑みを雪姫に向ける。


「雪姫、毎日来てくれて本当にありがとう。すごく嬉しかったし、楽しかった。君と過ごした日々のこと、絶対に忘れないよ」


「ありがとう、疾風。私も毎日楽しかったわ。あなたと友達になれて、本当によかった。それから、これをわたしておきたくて……」


 雪姫は灯りを地面に置き、風呂敷の包みを解いて中身をわたした。


「これは?」


「護身刀というらしいの。私からのお守り」


 雪姫は凛とした(たたず)まいで疾風を見つめた。


「あのね、疾風。もし万が一何かあった時は……どうか、この刀で身を護って。私は、あなたのために何もしてあげられない。だけど、嫌なの」


 込み上がってくる感情が喉の奥を塞いで、声が震えだす。


「私、疾風が殺されてしまうだなんて、絶対に嫌。だから、生きて。お願い。そしていつか、風見ヶ丘に……私に会いに、来て。絶対よ。絶対に、約束よ?」


 少女は少年の手に自らの手を重ね、上から小刀を握らせた。最後に一粒、(まばた)きした際に雪姫の目から涙がこぼれ落ちた。

 どうしても堪えることができなかった。笑顔でお別れをしようと思っていたのに。


「──ありがとう、雪姫。わかった、約束する。絶対に生きて、風見ヶ丘まで……必ず君に会いに行くよ」


 疾風は雪姫の手の中で、黒漆の小刀を強く握った。


「ええ。じゃあ、もう行くわね」


 雪姫が涙を拭い、帰ろうとしたその時であった。疾風が何かに気付いて猛然と振り返る。否や、こちらに向かって叫んだ。


「伏せろ、雪姫っ!」


 次の瞬間にはもう、雪姫は大きな衝撃と共に地面に倒れ()していた。疾風が雪姫を抱き込むようにして覆い被さっており、近くの地面には何本もの矢が突き刺さっている。

 いったい、何が起きたというのだろうか。遠くの方も、何やら騒がしい。


「疾風様!」


 突如現れた藤太が二人の前に立ちはだかり、その後も飛んでくる矢を素早く短刀で振り落としながら叫んだ。


「疾風様、夜盗です! お気を付けください。数も多いうえに手練(てだ)れのようですから、もしかすると……」


 そこで言葉は切られた。疾風は雪姫を助け起こす傍らで、察する。


「わかった。藤太、ここはお前に任せる。僕は雪姫を連れて林へ。雪姫、走って!」


 疾風は灯りを拾うと、少女の手を強引に掴んで走りだした。




 雪姫は疾風に手を引かれながら、暗い林の中を進んだ。

 木の根が足場を悪くしているため、二人は途中で何度も転びかける。それでも、どうにか塀のところまでたどり着くことができた。


「雪姫、こっちだ!」


 息を上げながら、疾風が目印の(くぬぎ)の木を見つけて振り向いた。その時になって、雪姫は初めて彼の着物の左腕部分が真っ黒に染まっていることに気が付いた。着物は裂けており、そこから染みが大きく広がっている。


「待って、疾風。その腕まさか……」


 雪姫は青ざめ、灯りを奪って彼の腕を照らすと、やはり血であった。それも、酷い出血である。

 思わず息を呑み、身体を強張らせた。おそらく、先ほど自分を庇った際に負った傷に違いない。


「いいから雪姫、君は早くここから出るんだ!」


 疾風は痛みに歯を食いしばりながらも、雪姫を外に避難させようと必死になっている。


「でもっ!」


 雪姫は、いやいやと首を振って拒絶した。ひどく傷ついたままの彼を置いて逃げるわけにはいかなかった。それも、自分を庇ったせいで怪我をしたのだ。罪悪感で胸が(きし)む。少女は震える手を何とか動かし、懐の手拭きを探った。


「……雪姫? そこにいるのかい?」


 すると、塀越しに会話が聞こえたらしい。白峰が呼びかけてきた。


「お父さん、待って! 疾風が……!」


 止血にあたりながら答える雪姫であったが、手だけでなく声も震え、今にも泣きだしそうな顔をしていた。大量の血を目の当たりにし、興奮状態に陥ってしまっているようである。

 林の方まで何やら騒がしくなりはじめている。疾風は意を決し、手当する少女の手を振り解くと塀をずらして声を荒らげた。


「いいから逃げろ、雪姫! 君がここにいる方がまずい。とにかく塀の外へ。僕にかまうな! 早くっ!」


「ちょっと、いやっ! だ、め……! 疾風っ!」


 抵抗も虚しく、雪姫は無理やり力で押し出されてしまった。それを白峰が受け止める。


「君が雪姫の友達の……」


「夜盗が入ってきたんです。ここは危険なので、早く雪姫を連れて安全なところへ!」


 疾風は白峰の言葉を切って口早に伝えると、最後、「お守り、大切にするよ」と雪姫に向かってそう言い残し、塀の隙間をぴたりと閉ざした。


 塀により隔てられた向こう側は、人の声や地面を踏み鳴らす音でさらに騒がしさを増してゆく。ついには金属と金属のぶつかり合う音まで聞こえはじめたので、白峰は慌てた。


「行こう、雪姫」


 白峰は疾風に言われたとおり、娘の腕を引っ張って急いでその場を離れる。


 雪姫は走りながら、何度も何度も後ろを振り返った。


(疾風……どうか、どうか無事でいて……!)


 彼の血で赤黒く湿った手拭きを握りしめ、雪姫は祈った。

 祈ることしか、できなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ