第七章 帰郷 壱
傾いだ夕日が都に長い影を落とし、辺りを朱色に照らしながら燃えていた。
通りの賑わいは徐々に薄れ、町のあちこちでも店仕舞いがはじまる。
日が出ていた頃とは打って変わり、静かになった通りを俯きながら歩く少女がいた。彼女の瞳は虚ろで、足取りも重い。後ろから来る家路を急ぐ者達に、次々と抜かれてゆく。
彼女の頭の中は、先ほど聞かされた言葉によって支配されていた。
何度も何度も、甦っては消えてゆく言葉。
『いつ消されるか分からない、そういう立場なんだ』
『覚えていてほしいんだ、君に』
『そう、暗殺だよ』
この少女こそ、雪姫であった。
疾風のいる前ではなるべく平静を装っていたのだが、こうして一人になると、やはり落ち込んでしまう。
先ほどの疾風は、皇子の顔をしていた。普段の無邪気な少年の顔ではなく、もうどうすることもできないと知っていて、すでに覚悟を決めている顔であった。
その時はその時だ、と。
雪姫が何気なく顔を上げると、虚ろなその目に露店が映った。
背と腰の曲がった老婆が店仕舞いをしている。まだ片付けはじめたばかりなのか、台の上には沢山の品物が並んでいた。どうやら刀を扱う店であったらしい。
そのまま横を通り過ぎようとしたのだが、大小様々ある中で、ふと一振りの小刀が雪姫の目に留まった。
見るも鮮やかな黒。鞘に施された漆が、つやつやと夕日を浴びながら光っていた。
何となく興味を引かれ、足が自然とそちらに寄ってゆく。
「すみません。少しだけ見せてください」
店の老婆に声をかけ、小刀を見せてもらうことにした。
長さは、拳五つ分といったところだろうか。しかし、手に取ってみると想像していたよりもずっと重たかったので、驚いた。ずしりと伝わってくる重みが、小さくとも金属の塊であり、刃物であるということを主張していた。
静かに鞘を引き抜けば、中から優美な曲線を描いた鏡のような刃が現れる。
(綺麗……)
雪姫は息を呑んだ。その美しさに見蕩れていると、
「その護身刀が気に入ったのかい?」
老婆が声をかけてきた。
どうやらこの小刀は、護身刀というらしい。なるほど。その名のとおり、身を護るための刀であるのかと感心した。我に返って、雪姫が慌てて「はい」と返事すると、老婆も穏やかに微笑んだ。
「これは、まだ名前の売れていない若い鍛冶屋が作ったものだからねぇ。価格が低いのさ。でも、質的にはとてもよい品だから、かなりのお買い得だよ」
その言葉を受け、雪姫は思いきって価格を尋ねてみることにした。この護身刀ならば、もしや本当に疾風のことを護ってくれるかもしれないと、なんとなくだがそう思えたのである。
「あの、この刀はおいくらですか?」
「そうだねぇ。ちょうど店仕舞いをしていたところだし、荷物が少しでも軽くなるのはこちらとしても助かるから、特別におまけしてあげようかねぇ」
そう言って、老婆は幾分か割引した価格を雪姫に伝えた。
村の皆に土産を買うため、雪姫は自分の全財産を持ってきていた。それを注ぎ込めば、なんとか間に合う。決して安い買い物ではないが、
「買います!」
即答であった。
村の皆には申し訳ないが、後悔はなかった。
(もしこれが本当に疾風の命を護ってくれるというのなら、安いものだわ)
雪姫は老婆から刀を受け取り、よくお礼を言うと、大事にそれを抱えながら宿を目指して歩きだした。
先ほどまでは鉛を取りつけたかのように重たかった足取りも、気付けば羽のように軽いものへと変わっていた。
「お帰りなさい」
その夜、雪姫が寝床の準備をはじめたところに白峰が帰ってきた。
父は「ただいま」と応え、部屋の隅に避けておいた夕食の膳の前に座りながら朗らかに告げる。
「実は、仕事が思っていたよりも早く終わってね。明日の朝に風見ヶ丘へ帰れることになったんだ。だから雪姫も、すぐに荷物をまとめなさい」
「──えっ?」
布団を敷いていた雪姫の手が止まる。疾風には明後日の朝に帰ると言ってあるのだ。何も言わずに風見ヶ丘へ帰るのは、あまりにも悲しすぎる。先ほど買った護身刀をわたすのも、さよならと別れを伝えるのも、明日と思っていた。急にそのようなことを言われても、困る。
「ま、待って、お父さん!」
雪姫は布団をほっぽりだし、白峰に駆け寄って座り込むと説得を試みた。何が何でも、許しを得るつもりであった。
「なら、これから友達にお別れ言いに行ってはだめ? 明後日の朝に帰ると言ってあるの。今ならまだ起きているはずだし、お願い!」
ぎゅっと目を瞑り、少女は顔の前で手を握り合わせて懇願する。
対する白峰は、食事に取りかかっていたので食べながら答えた。
「ああ、そうか。そうだね。じゃあ早く支度をしなさい」
夜も遅いので反対されるかと身構えていたが、意外なことにあっさりと承諾を得ることができた。ただし、時間が時間ということもあり、白峰も同伴するという条件付きである。
塀の抜け道のことは誰にも言わないといという約束だったが、背に腹は替えられなかった。父にはあとで上手く誤魔化しておくことにしようと、雪姫は白峰に対する言い訳を考えながら素早く寝巻きから着物へと着替えはじめた。
準備を整えた雪姫と白峰は、女将に事情を話して灯りを二つ借り、宿を出た。