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(二)

「いやぁ、ねぇ? 植物体の色を変える薬が出回っていたからね。オオカミ君が王様の気まぐれに困っているようだし、手助けしようと思って持ってきたんだよ」


「帰れ。子供騙しに付き合うほど、俺は暇ではない」


 ネズミは細い鎖を引きずりながら、皿の上に乗ったチーズに手を伸ばす。

 が、牙を剥き出しにした花に一喝され、逃げるように扉の隙間から出て行った。


「兄貴っ! 大丈夫か、兄貴!」


 青白い顔で投げ出された腕一杯の集真藍に指を沈め、声をかけるが返事はない。

 恐る恐る、薄く開いた口元に手のひらを近づける。

 ――息はある。


 ネズミの焦り具合からして、兄の意識が戻らないのは薬を飲んだことが原因なのだろう。


 例の小瓶が蓋の空いた状態で床に転がっていたことを思い出し、花に回収を頼んだ。

 兄の白い集真藍に今のところ変化は見当たらないが、おれは気が気でなかった。


 そのとき、鎖骨の上の一朶がかすかに動く。


 かすかなうめき声ののち、空気を一気に吸った反動で兄は激しく咳き込んだ。

 慌ててその背中をさすると、兄は涙目になりながら瞬きを数回繰り返す。


「兄貴、よかった。心配かけるなよ」



「きみは誰……?」



 ネズミの園芸師に勧められるまま、怪しげな小瓶の中身を飲み干し、兄は記憶を失った。





 ――植物の国には十三人の王がおり、それぞれ固有の植物体を管理していると、おれは花から教わった。


 その中でも、集真藍の王は気まぐれな性格で有名だった。


 植物の色素を変化させる薬が広まるようになったのも、集真藍の王が国中の集真藍を同一色に染めるよう、園芸師たちに通達したからだ。


 植物の国で育つ集真藍の色は、総てを内包する王の(むらさき)

 植物の再生力と繁殖力が強い青。

 人間の知性と高い身体能力を持つ赤。


 そして、兄の(ゆかり)だけが持つ特別な白。


 この前代未聞の命令に、園芸師たちは頭を抱えている。



 *


 ()れたての珈琲(コーヒー)を二つ、サイドテーブルに置く。

 樹皮を焦がしたような香りがリビングに広がる。


 ひとまず状況を整理するため、おれは兄の紫にいくつか質問を投げかけたが、首をかしげるばかりで。


 そもそも記憶を失った状態の相手に、何から説明すればいいのか。


 思案に暮れていると、紫の視線が三人掛けのソファーを占領した花に注がれていることに気づく。


「花のことは覚えてるのか?」

「ううん。可愛い犬だなと思って」

「犬ではない、オオカミだ」

「わあ! 花ちゃんは、おしゃべりもできるの?」


 紫は記憶喪失とは思えないほど、声に明るさを(にじ)ませ、おれは更に戸惑った。

 花がくつろいでいるソファーの前まで近づいて膝を折り、黒い鼻頭をくすぐる。

 オオカミは表情筋の動きが乏しく、一緒に暮らしていても、花の感情は掴みにくいのだが、この時の花の気持ちはなんとなく察するものがあった。


「兄貴……じゃなくて、紫。珈琲は飲める?」


 湯気が上がるマグカップを渡すと、いつもの兄と変わらない笑顔を見せ、ありがとうと言って両手で受け取った。

 おれも一旦心を落ち着かせるために、自分用のカップに口をつける。


「ずっと気になっていたんだけど、きみ、足を怪我してるよ」

「足?」


 踏みつけられて、しおれた集真藍のことかと思ったが、(かかと)に小さな切り傷や複数の擦り傷ができていた。

 履物が買えず、裸足のまま街中を歩いていたから、どこかで擦れたのだろう。


「おい。下駄は買わなかったのか?」


 売ってくれなかったんだと説明すると、花は黙り込んだ後、明日俺が買ってくると言い出した。

 さすがに申し訳なくて断ったが、


「それなら紫を連れて、もう一度店に行ってみたらどうだ? 街並みを見て回れば、紫も何か思い出すかも知れない」


 花の提案に、「おれは紫の気持ちを優先したい」と紫に判断を委ねる。

 オオカミの可愛さに気を取られていた紫は、鳩が豆鉄砲を食ったような表情をみせた。

 こちらの空気を読んでか、勢いのまま頷く。


「二人が出かけている間、俺は薬の中身と入手経路を調べておこう」


 花に例の小瓶を袋に詰めるよう指示され、買ってきた柑橘類をダイニングテーブルに出して、その袋に入れ替えて渡した。


 薬の入手先なら、アザミの植物体に接触できれば、何かわかるかもしれない。

 そう考えたおれは、花に手伝いを申し出たが、危険だという理由できっぱり断られた。


 ホーホー、とアオバズクの鳴き声が耳に届き、夜を知らせる。

 これが合図となり、紫の欠伸が出始めて、おれにも伝染する。植物体の就寝時間だ。


 花はさっさとソファーから降りて、今日は休めと言い放ち、兄弟ともども二階へ追いやられた。



 二階は兄弟の寝室と洗面所がある。


 紫を連れて寝室に入ると、出窓にかかった透かし生地のカーテンから月の微光が漏れていた。


 二つの植木鉢を棚から下ろし、カーテンを開いて解錠する。

 気持ちのいい夜風が入ってきて、外は過ごしやすい気温だ。


 植物体は土のベッドで眠る。

 そのことを伝えると、紫は目を丸くした。


 土のベッドとはいえ、フレーム部分は虎斑(とらふ)の木目がある重厚な外観で、清潔なシーツとやわらかい薄手の布団が掛けられている。


 集真藍を身体に宿すおれたちは、体内の水分量と就寝時の土の質が何よりも重要であることを説明する。

 紫はピンとこないようで、とにかく、この快適性は実際に使ってみるほかない。

 おれは自分の体重で集真藍を潰さぬよう、横向きになって寝台に寝転がった。

 それを見た紫は、(いぶか)しげな表情のままベッドに腰かけて、おずおずと横になる。


「土の上なのに背中が痛くない。ふかふかしてる」

「花が砂利を取り除いた土を選んでくれてるからな。ほら、下のほうは硬い土なんだ」


 (しわ)ひとつない真っ白なシーツの端をめくり、土を掘ってみせた。

 中から色とりどりの豊かな土が出てきて、紫は地層みたいだと興味深そうに身を乗り出す。


 おれは好奇心旺盛な紫の態度に気分を良くして、園芸師が植物体(おれたち)のためにしてくれていることを教えた。

「園芸師って凄いんだね」と花が褒められるたび、誇らしい気持ちになった。

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