(一)
植物を人体に宿す植物体は、衣服に困ることが多い。
左肩から腰にかけて無数の枝が伸び、鋸歯の葉と手毬状の萼が半身を覆うおれ自身も例外ではない。
最近になって、左足の甲に赤い集真藍が綻び始め、とうとう靴下も履けなくなったので、街の靴屋をたずねて下駄を買い求めた。
「え、買えない?」
「ああ。悪いんだが……」
手の中の硬貨が行き場を失くす。
おれが戸惑っていると、白髪の店主は蔦が這う窓の外をちらりと見やった。
原因は分かっている。さっきから、ニヤつきながらこちらを眺めている植物体の固まり。
「植物の国も物騒になったものだ」
昔はもっと暮らしやすかったのに、長生きするものじゃないね。
バラ色の回顧を繰り広げる店主の小言を、背中に受ける羽目になり、おれはなにも購入せず渋々靴屋を後にする。
これ以上、店に迷惑をかけまいとその場を足早に離れようとしたが、例の集団は馴れ馴れしい態度でおれを引き止めた。
「だから、秘薬だって言ってるだろ」
向かって顔の右半分、赤紫色の頭花に棘がついた苞をもつ植物体が胸ポケットから小瓶をちらつかせた。
横から別の雑草が「安くしてやるからさ」と耳打ちする。
「集真藍の色を変える秘薬? 園芸師でもない奴の話なんて誰が信じるんだ」
馬鹿馬鹿しいと鼻で笑う。
そうした態度が癇に障ったらしく、群れの一人がおれのむき出しの足を狙って、派手な厚底靴で押し潰すように力いっぱい踏みつけてきた。
蕾が開きかけていた集真藍の一部が、ぐしゃりと潰れる。
おれの顔が引きつったのが愉快だったのか、相手はますます調子に乗り、
「王の命令に逆らうつもりか!」と大声で騒ぎ立てた。
その声に、通りかかった動物たちが一斉に振り返る。
「おまえの兄貴、集真藍の変異色なんだって? 集真藍の王が嫌がるのもわかるぜ」
「なんだと」
「綺麗な植え込みに毒の華が刺さってるようなもんだ。誰だって排除したくなる」
思わず拳が出た。
右手にアザミの棘が刺さる。
――ああ、そうだ。アザミの花だ。
こんなときに植物の名前を思い出す己の冷静さに、笑いが込み上げてきた。
「てめぇ! 左腕の集真藍も潰されてぇのか!」
「兄貴の名誉のためなら、集真藍の一朶くらい惜しくねぇよ」
「何をしている」
腹に響きわたるような重低音の一声に、全員の思考が奪われる。
「花、遅かったな。果物は買えたか?」
黒い毛が密集した太い首に、銀色の鎖を巻いたオオカミ。名前は花。
彼はおれの問いかけに、片耳だけを向けて「もちろんだ」と短く答えた。
細長く筋肉質な四肢のそばに置かれた紙袋を拾い上げ、中身を確認する。ほとんどが柑橘類だ。
頭に血が上っていた連中は、猛獣の鋭い眼光にたじろぎ、花が威嚇の仕草をみせる前に猛スピードで逃げていった。
「俺は園芸師の中でも喧嘩は強いほうだが、おまえたち兄弟の用心棒になった覚えはないぞ。陽」
「わかってるって。花は頼もしいオオカミで、おれたちの大切な園芸師だからな」
本心を伝えたつもりが、花は不満そうに「こんなに手がかかる植物体は初めてだ」などと本人の前でぼやき出す。
「花がいなかったら危なかった」とおだてたら、今度は遠吠えとは違った甲高い声で鼻を鳴らすのだった。
――植物の国で暮らす動物たちは、園芸師という職業に就いており、植物体の生育環境を整えるのが彼らの仕事である。
オオカミの花も毎日、集真藍の兄弟に適切な食事や清潔な寝床を用意してくれる。今では家族のような間柄だ。
「買い出しに時間がかかったな。紫が心配しているかもしれない。早く帰ろう」
おれの背後に回りこみ、ふくらはぎ辺りを長いマズルでぐいぐいと押してくる。
よろめきながら石で舗装されていないわき道に入って、草が生い茂る原っぱを小走りで進むと、柔らかい毛玉とぶつかった。
「おわっ!」
「少年、おどきなさい」
ぴょこぴょこ跳ねる、小動物の群衆。ウサギの園芸師たちだ。
多種多様な毛色と個性あふれる模様の丸い背中に芽切鋏を乗せ、足の間を器用にすり抜けていく。
毛玉の大群は集真藍の王宮がある方角へ。
背丈の高い多年草の中に消えてゆき、そのまま遠くの青々しい草が忙しなく揺れるのを見届けた。
「陽、見たか? ウサギ特有のプライムライン」
おれには理解し難い話だったが、花が言うには背中から腰にかけて伸びる毛並みのラインが特に痺れるらしい。
ウサギのこととなれば饒舌になる園芸師のモフモフとした頭を、赤い集真藍が咲いた手で撫でる。
オオカミにとって、ちょうど夏毛に生え変わる換毛期なので、抜け毛がふわふわと空に舞った。
「追いかけ回さなくてえらい」
「馬鹿にするな」
花が頭を振るたび、首の鎖に太陽の光が反射して、おれは目を細めた。
園芸師の大半は王の隷属の証である鎖が首に巻かれており、優秀な植物体を育てれば晴れて自由の身になれる……らしい。
花もいつか自由を手にすることを夢見て、兄弟を育ててくれているのだと思うと、アザミの棘が刺さったかのように胸がチクリと痛んだ。
*
レンガ造りの民家が建ち並ぶ一角に、おれたちの家はある。
豪邸と呼べるほどではないが、植物体の兄弟とオオカミ一頭で暮らすには十分すぎる広さだ。
レリーフの入った木製の玄関扉を開けると、薄暗い部屋に外の光が差し込む。
板張りの床に敷いた異国の刺繍が入った絨毯の上に、白いリボンがついた小瓶が落ちていた。
どこかで見たような小瓶だ。
靴屋で絡まれたときに、アザミの植物体が持っていた秘薬の入れ物と似ている。
しかし、アイツらとは初対面だったし、家の場所まで知るはずもない。
謎の小瓶の存在を疑問に思いながら、中央の太い柱をよけてダイニングルームに目をやると、兄の紫がうつ伏せで倒れていた。
「兄貴!」
すぐに駆け寄ろうしたが、目の前を一直線の尻尾が阻む。
花は黒い被毛を逆立て、日差しが届かない奥まった場所に向かって唸り出す。
誰かいるのか?︎︎目を凝らすが、人の視野には限界があって視認できない。
ダイニングテーブルの上に置かれてある籐で編まれた果物籠の後ろで、何かがキラッと光る。
それは糸のように長く連なる鎖に見えた。
「園芸師か?」
花の声に反応し、小さなネズミが顔を出した。




