わたしの帰る場所
【 第一章 春の声 】
春の匂いは、少し甘い。
ベランダに揺れる洗濯物の向こうで、父がくしゃみをする。
母は台所で味噌汁を温め、兄たちはテレビのリモコンを奪い合っている。
どこにでもある、普通の朝。
――でも、わたしには“声”が聞こえる。
(今日も仕事かぁ……でも、みおの笑顔見たら頑張れるな)
父の心。
(最近ちょっと元気ない?学校で何かあったのかしら)
母の心。
(妹にプリン取られたらマジ泣く)
次男の心。
わたしは、人の心が読める。
音じゃない。
言葉でもない。
感情が、直接流れ込んでくる。
だからわたしは、空気を読むのが得意だった。
怒る前に謝れるし、悲しむ前に寄り添える。
でも――
この力は、誰にも言えない秘密。
家族にも。
だって、もし怖がられたら?
もし“普通じゃない”って言われたら?
わたしは、ここにいられなくなる気がして。
◇
わたしが拾われた子だと知ったのは、七歳のときだった。
押し入れの奥にあった古い封筒。
そこには、病院の書類と、小さな赤い布切れが入っていた。
金糸で刺繍された、不思議な紋章。
母は、泣きそうな顔で話してくれた。
「あなたはね、公園に置かれていたの」
十年前の春。
まだ赤ちゃんだったわたしは、人気のない公園のベンチに置き去りにされていたらしい。
「でもね、運命だと思ったの」
父が言った。
「抱き上げた瞬間、ああ、娘だって思った」
わたしは泣かなかった。
心が読めたから。
(この子を守る)
(絶対に幸せにする)
その決意が、胸いっぱいに響いていたから。
それ以来、わたしは「拾われた子」ではなく、
「選ばれた子」だと思うようにした。
◇◇◇
【 第二章 十年目の夜 】
十歳の誕生日。
ケーキのロウソクを吹き消した瞬間、
胸の奥がざわりと揺れた。
知らない“心”が、近づいてくる。
(見つけた)
(皇女殿下)
皇女?
その言葉が、雷のように落ちた。
玄関のドアが壊される音。
黒服の男たち。
わたしは連れ去られた。
車の中で、男の一人が思っていた。
(十年前に消したはずだった)
(王はまだ諦めていない)
王?
消した?
わたしの頭に、知らない記憶がかすめた。
広い庭園。
白いドレス。
優しい女性の腕。
そして――
暗闇。
◇
連れていかれたのは、古い屋敷だった。
わたしは知った。
自分が、この国の皇女であること。
十年前、権力争いの中で誘拐され、殺されたと思われていたこと。
そして、心を読む能力。
それは王家に稀に生まれる“真心の力”と呼ばれるものだった。
(この子が生きている限り、脅威だ)
(王に渡すわけにはいかない)
怖い。
でも、わたしは目を閉じた。
遠くで、強い想いが近づいてくる。
(必ず見つける)
(今度こそ守る)
その心は、澄んでいた。
ドアが破られた。
そこに立っていたのは、王と王妃。
目が合った瞬間、涙があふれた。
「……生きていてくれて、ありがとう」
王妃の心は、十年間の後悔と愛で満ちていた。
でも、わたしの胸に浮かんだのは――
母の笑顔。
父の大きな手。
兄たちのうるさい声。
「わたし、帰りたい場所があるの」
王は静かにうなずいた。
「ならば、その場所も守ろう」
◇◇◇
【 第三章 二つの家族 】
すべてが明らかになった。
誘拐の黒幕は捕まり、
王家は正式にわたしを皇女として迎え入れると発表した。
でも。
「みおは、うちの娘です」
父は震えながらも言い切った。
王はしばらく黙っていたが、やがて微笑んだ。
「では、共に育てましょう」
前代未聞の決断だった。
わたしは王宮と家を行き来しながら生活することになった。
昼は王宮で歴史や政治を学び、
夜は家で母の作るハンバーグを食べる。
兄は言った。
「妹が皇女とか、漫画かよ」
でも心は違った。
(すげえ誇らしい)
母はわたしを抱きしめた。
「力があってもなくても、あなたはあなたよ」
わたしは初めて、自分の能力を全部話した。
みんな、驚いた。
でも――
「便利じゃん。俺のテストの答え読める?」
と長男が笑い、
家の空気はいつも通りだった。
◇◇◇
【 最終章 わたしの選ぶ未来 】
数年後。
わたしは正式に皇女として国民の前に立った。
でもスピーチの前、深呼吸をして思った。
聞こえてくる、たくさんの心。
(応援している)
(幸せになってほしい)
わたしは微笑んだ。
「わたしには、二つの家族があります」
ざわめき。
「血のつながった家族。
そして、わたしを選んでくれた家族」
父と母が客席に並んで座っている。
王と王妃も、その隣で。
「どちらも、わたしの帰る場所です」
拍手が広がった。
わたしの力は、もう怖くない。
人の心を読む力。
それは、疑うためじゃない。
守るためのもの。
十年前、闇に消えたはずの命。
でも今、わたしはここに立っている。
皇女で。
娘で。
妹で。
愛されていると知っている。
そしてわたしも、愛している。
春の風が、またやさしく吹いた。
わたしの名前は、美桜。
二つの家族に守られながら、
これからは、わたしが世界を守る。
――ここが、わたしの帰る場所。




