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第九話 鏡の迷宮


四魔将の一人イレーナが退却した後、ヒロシたちはリンドの街で二日間ほど滞在していた。魔将イレーナの『魅了』(テンプテーション)の力によって同士討ちとなってしまった調査隊を弔い、彼らの遺品を回収した後は休養とし、港町ならではの魚料理や交易品を楽しんだ。そして三日目の早朝、王都ストームサングへ向けて帰路の馬車に乗り込んだ。

 半日ほど馬車に揺られて王都へ戻ると、なにやら街の雰囲気がざわついており、兵士たちが慌ただしく行き交っている。不思議に思い、ヒロシは近くを通り過ぎようとした兵士を呼び止めた。


「なにかあったんですか?」

「ああっ、あんたら帰って来てたのか! 戻って早々ですまないが、今すぐ王様の所へ行ってくれ!」


 そう言い残し、兵士はガチャガチャと鎧の音を立てながら走り去ってしまう。ただ事ではないと察したヒロシたちは、そのまま真っ直ぐ城へと向かった。謁見の間でも重臣たちの落ち着きが無く、ざわざわと話し声がする。ヒロシたちがダレル王の前までやってくると、王はサッと右手を挙げ、それと同時にざわつく話し声はぴたりと止む。


「無事に戻ったかお前たち。して、首尾はどうであった?」

「港町リンドは無事です。一人の魔物によって支配されていましたが、そいつは俺たちが追い払いました。ただ、先に送られた調査隊は残念ながら……」


 ヒロシが遺品の入った箱を見せると、ダレル王は目を伏せ静かに息を吐く。


「そうか……遺品だけでも持ち帰ってくれた事、兵の家族に代わって礼を言おう。して、たった一体でリンドを支配したという魔物とは、一体どんな輩であったのだ?」

「それが……四魔将の一人イレーナと名乗っていました」

「なんだと!? 四魔将がリンドに直接出向いて来たと言うのか!」


 ダレル王は思わず身を乗り出し、その名を聞いて謁見の間が一瞬にしてざわつき始めた。


「街の男全員を一度に操る、恐ろしい術を使っていました。それにあの冷たさと威圧感……たぶん本物だと思います」

「ぬう、なんということだ……では此度の出来事もあるいは……」


 普段あまり表情が変わらないダレル王が、珍しく焦りの表情を浮かべている。さっきの兵士の慌てぶりといい、なにか大事があったのだろうとヒロシも察して尋ねた。


「あのう、なにか事件でもあったんですか? 兵隊たちも慌ただしくしていたし」

「うむ……リィナが……娘の姿がどこにも見当たらんのだ」

「リィナ姫が?」

「今朝方のことだが、リィナがいつまで経っても起きて来ないというので侍女が部屋に入ってみると、娘の姿がどこにも見当たらなかったというのだ」

「ええと、こっそり抜け出したとかではなく?」

「リィナは無断で部屋や城を抜け出すような真似はせん。まして夜遊びなど……しかし、どうやって部屋から出て行ったのか、どこへ行ったのか誰にも分からんのだ」


 兵士が慌てていたのはこれが理由だったのか、とヒロシが納得している所へ、にわかに入口の方が慌ただしくなった。振り返ってみると、兵士に連れられて見覚えのある侍女が謁見の間に入って来た。彼女はいつもリィナ姫の傍に控えていて、姫が興奮するとその脇を抱えて引きずっていた娘である。年齢もまだ若く二十歳くらいで、特徴といえば赤毛であるくらいの、ごく普通の女性だった。彼女は泣き腫らした赤い目をしており、兵士と一緒にヒロシたちの隣まで歩み寄って来た。


「王様、火急お知らせしたいことがあって参りました。ご無礼をお許しください」

「構わん、なにがあったのだ。そちらの娘はリィナ付きの、マーガレットという侍女であったな」


 ダレル王に呼ばれ、泣き腫らした目の侍女は顔を上げる。


「知らせたい事とはなんだ、申してみよ」


 ダレル王の問いに、まずは兵士がしっかりとした口調で答える。


「はっ。実は先程、普段使われていない離れの物置でこの娘が見つかりまして。戸には外からつっかえ棒がされており、内側から開けられないようになっておりました」

「誰かがこの娘を閉じ込めたのか」

「それが……この娘が言うには、それがリィナ姫であったと……」

「なにっ、それは本当なのか? 一体何があったのか、詳しく申せ」


 ダレル王に言われ、侍女のマーガレットは怯えた様子で口を開く。


「はい……昨夜、姫様がお休みになられた後、私も仕事の片付けを終えて控室へ戻ろうとしていたのですが、廊下で姫様と出会ったのです。お休みになったばかりなのに、いつの間にか着替えておられて、変だとは思ったのですけれど……」

「それは本当にリィナだったのか?」

「は、はい。暗くて少しわかりにくかったでですが、姫様に間違いありませんでした。顔も声も全く同じでしたし、背丈も体形も姫様そのものでした」

「ふむ……いつもリィナの傍にいるお前が言うのだから、確かなのであろうな。それで?」

「姫様はこっそり運び出したい荷物があるから手伝って欲しいとおっしゃって……じきに戻って来られるヒロシ様へのプレゼントだと、そうおっしゃっていました。私は姫様に言われるまま、大きくて重い袋を姫様と一緒に城の外まで運びました。すると姫様は私をあの物置に連れて行って、中に閉じ込めてしまったんです。その後は兵隊さんに助けて頂くまで、ずっとあの場所にいました」

「ううむ……どうも分からん。なぜリィナはそんな事を……」


 ダレル王が怪訝そうにしていると、マーガレットのエプロンから小さな封筒がこぼれ落ちた。兵士がそれを拾い上げると、急いでダレル王に手渡した。封筒の表には『ダレル王へ』とだけ文字が書かれている。ダレル王が封筒を開けて中の手紙に目を通すと、急に目を見開き立ち上がった。


「な、なんだと!?」


 場の視線が集まる中、ダレル王はわなわなと震え、顔には怒りを滲ませていた。


「あのー、手紙にはなんと書いてあったんです?」


 ヒロシが尋ねると、ダレル王は興奮した自らを諫めるようにして深呼吸をし、ゆっくりと口を開く。


「リィナ姫は預かった。無事に取り返したくば国を明け渡すか、鏡の迷宮まで奪い返しに来るがよい、と」


 王の言葉に再び場は騒然となった。どよめきが続く中、ダレル王は続けた。


「なんたることだ、リィナが誘拐されるとは……しかも国を明け渡せなどど、ふざけたことを……!」


 娘の命と国を天秤にかけられては、ダレル王や家臣たちの動揺は無理もない事である。ただ一点だけ聞き慣れない言葉に、ヒロシはもう一度尋ねる。


「王様、手紙にあった鏡の迷宮とはなんです?」

「うむ……王都より北東に位置する巨大な迷宮だ。学者によれば古代の遺跡であり、貴重な古代の遺物がここから多く発見されたということだが、それ以上の詳しいことはほとんど分かっておらん。だが、この迷宮は厄介な場所でな」

「厄介?」

「鏡の迷宮は別の名を人食いの迷宮とも言う。奥深くまで足を踏み入れた者は、ほとんどが帰らんからだ。先代が三十人ほどの小隊を探索に向かわせたことがあったが、その時も誰一人として帰ってこなかった。以来、あの地は出入り禁止となっておる」

「ひ、人食いの迷宮……」

「よもやリィナがそこへ連れ去られようとは……うぬぬ」


 ダレル王は拳を握り締め、怒りを必死にこらえようとしている。普段は理不尽な要求を押し付けてくる人物だが、こういう時に周囲に当たり散らさず自制しようと努める姿は、さすがに人の上に立つ人物であるとヒロシは思った。その場の誰もがどうすればいいものかと意見を飛ばし合う中、じっと話を聞いていたヤクモが口を開いた。


「王様。鏡の迷宮の探索、我らにお任せ願えますか」


 その言葉に家臣たちの視線が集中するが、ヤクモはまるで動じずに堂々としている。


「そなたは北の砦の戦いで策を用いた薬屋であったな。なにか良い考えがあるのか?」

「いくつかお話しすることはございますが、先に要点を述べましょう。今回の事件、おそらくは我々パーティへの挑戦状であると思われます」

「ほう、根拠はあるのか?」

「敵の目的が王都侵略であるなら、単に国を明け渡せとだけ要求すれば良いはずでず。しかしこの手紙には、あえて鏡の迷宮へ来いと書かれている。つまり敵は何らかの理由、あるいは勝算があって我々を迷宮へ来させたいのです」

「言われてみれば確かにそうであるな……」

「迷宮という場所は大規模な軍勢で攻めるには不向きです。北の砦のオーク兵と同様、一度に進める人数は少ない。まして過去に小隊が全滅したほどの迷宮であれば、多数の犠牲を覚悟しなければなりません。たとえ姫様の救出のためとはいえ、そのような選択は可能な限り避けるべきです。となれば当然、まず向かわせる候補となるのは……」

「そうだな、お前たちに頼む他にあるまい」

「その通りでございます。そしてもう一点、とても重要な……気になることがあるのです」

「うむ、申せ」

「リィナ姫様を誘拐した犯人と、その方法について。犯人は魔王軍の手の者と見るのが妥当ですが、侍女が見たというリィナ姫に大きな疑問があります。それが姫様の偽物だとして、日頃から行動を共にしている侍女でさえ見抜けないほどの変装となると、変身魔法の使い手であっても至難の業のはずです。そしてここが一番重要な点なのですが」


 ヤクモは短く言葉を区切り、一拍置いてから真剣な目つきで言う。


「それが魔物であった場合、どうやって王都へ出入りできたのかということです」


 その言葉にハッとしたように、ダレル王は目を見開く。周りの家臣たちも思い当たることがあるようで、みな動揺を隠せない様子である。


「そうであった……! 王都には魔物が入れぬよう結界が施してある。例え結界を通過できたとしても、魔の手の者がそれをこじ開けたり通過すれば、ただちに警報が発せられる仕組みになっていたはずだ」

「おっしゃる通りでございます。しかし昨晩、その警報は発せられることは無く、一人の侍女を除き姫様が連れ去られたのを誰も目撃しなかった。となれば考えられることは絞られます」

「むうっ……!」

「城の中に協力者がいたこと、そして姫様を誘拐した犯人は警備兵がいる城へ平然と潜り込み、誰にも怪しまれずに姫様を誘拐せしめた『人間』だった、ということになります。ですが、仮に犯人が姫様と寸分違わず同じ姿、同じ声だったとして、侍女以外の誰にも目撃されていないのは極めて不自然です。このようなことが出来るのは、『普通の人間』ではありえない。ならば……」

「ま、まさか……そんなことが……!?」

「推測ではありますが……姫様を誘拐したのは『転生者』である可能性が高い、と申し上げます」

「馬鹿な! 転生者が魔王軍に与するなど、絶対にあってはならんことだ!」


 珍しくダレル王は語気を強め声を張り上げる。だがヤクモは眉ひとつ動かすことなく、じっと王を見つめている。


「犯人が転生者であり、その『能力』によって事件を起こしたのだとしたら、大方の辻褄が合います。協力者もいたでしょうが、それは金で雇われただけの使い走りに過ぎないはず。きっと今頃は始末され、口を封じられていると考えるのが妥当です」

「うぐぐ、馬鹿な……転生者は我らの希望であったはず……そうでなくてはならんのだ……!」

「そして犯人は鏡の迷宮の構造や仕組みについて理解があり、だからこそ迷宮へ来いと誘ったのです。これは絶対の自信が無ければ出来ないことです。つまり――」


 ダレル王は怒りを通り越して気分が悪くなったのか、ヤクモの声を遮って玉座に座り込む。


「も、もうよい……鏡の迷宮の探索はヒロシらに任せる。リィナのこと、くれぐれも頼んだぞ」


 ダレル王は青ざめた顔を隠すように手のひらで覆い、天井を見上げるようにして深いため息をつく。


「リィナ姫の奪還、全力を尽くします」


 ヤクモが丁寧に頭を下げ、謁見の間での会話は打ち切られた。同席していた家臣たちのどよめきは、ヒロシたちが退室した後もずっと消えることが無かった。




 ヒロシたちは自宅に戻り、顔を突き合わせてテーブルを囲んでいた。しばしの沈黙の後、最初に口を開いたのはヒロシだった。


「ヤクモ先生凄いですね。名探偵かなにかですか?」


 緊張感に欠ける発言ではあったが、言わんとしていることはその場の全員に伝わってはいるようである。


「ふふ、そんなに難しい事ではありませんよ。情報を整理して不可能なことを排除していくと、やがて真実へ辿り着くものです。それがどんなに奇妙であっても」

「な、なるほど……でもヤクモ先生の頭の回転の速さは真似できそうもないや」

「そうでもありませんよ。この程度の思考なら、ヒロシどのにも十分に出来るはずです」

「いやいやそんな……」

「大事なのは知恵を磨くことです。似た言葉に知識がありますが、知識とは情報の蓄積であり、知恵とは物事を筋道立てて考えていく能力のことです。情報の蓄積が少なくとも、物事を順序立てて考えられる能力があれば、後から必要な情報を補うだけで答えへ辿り着けます。日頃から物事の表面だけでなく、出来事の始まりと終わり、その結果によって誰が得をし、誰が損をするのか。そういった事を意識すると良いでしょう」

「な、なるほど……」

「戦う力が弱くとも、知恵が窮地を脱する助けとなる事は少なくありません。目が覚めている間はいつでも思考のトレーニングはできますから、お勧めですよ」

「肝に銘じておきます先生」


 ヒロシがキリっと返事をすると、ヤクモは穏やかな笑みを浮かべる。その会話を見ていたヒナタが、椅子の背もたれをギシギシ揺らしながら言った。


「これが麗しい師弟愛ってヤツかニャ? オメーらアツアツなのニャ?」

「いやどうだろう……ていうかアツアツってなんだ」


 ヒロシが呆れていると、ヒナタはケラケラと笑ってからヤクモを見る。


「ところでヤクモ、さっき王様と話してて言いかけたことがあったニャ。なにを言おうとしてたんニャ?」

「そうですね、私の考えを皆には伝えておいた方がいいでしょう」


 その場の視線がヤクモに集中すると、彼は真剣な顔つきで言った。


「四魔将とはすなわち転生者である、ということです」


 その言葉に、凍り付いたように誰もが言葉を失っていた。


「そ、それって本当なんですか?」


 ヒロシの問いかけに、ヤクモはこくりと頷く。


「四魔将イレーナとの戦いで、彼女は気になる発言を残していました。それが私の魅了の『能力』だ、と。間違いありませんね、メリアどの」


 話を振られて少し慌てながらも、メリアはこくりと頷く。


「はい、確かにそう聞きました。どんな男でも、何人でも虜にして意のままに操れると……実際、その通りだったと思います」


 メリアの言葉に、今度はヤクモがゆっくりと頷く。


「魅了の魔法自体は、それを扱う魔物や魔法使いも存在します。ですが普通は向かい合った個人が対象で、効果範囲もそれほど広くはない。しかしイレーナの術はそうした制約を遥かに超えた異能の力です。これは魔法というより、転生者の持つ『能力』であると考えた方が自然でしょう。ならばイレーナが言った『能力』という言葉は、そのままの意味だったと捉えられます」


 しばしの沈黙の後、今度はツキヨが口を開いた。


「ということは、ヤクモどのはリィナ姫を誘拐したのも転生者……おそらくは四魔将の一人だと?」

「ええ、私はその可能性が高いと見ています。理由や手段は不明ですが、魔王は転生者を味方に取り込む事に成功したようですね」

「ならば四魔将の一人が、わざわざ手の込んだ誘拐までして私たちを迷宮へ呼んだのは、確実に始末するためですね。ヤクモどのには勝算はあるのですか」


 ツキヨの質問にしばし沈黙した後、ヤクモは穏やかな笑顔で答えた。


「いえ、全然」


 しれっと彼の口から出た言葉に、長い沈黙が横たわる。


「……えっ?」


 ようやく絞り出したヒロシの声は上擦っていた。


「敵の正体の目星は付きましたが、対策まではさすがに思いつきませんね。まして鏡の迷宮にはどんな罠が仕掛けられているか、その全てを把握するのは無理があります」

「いや無責任なコト言ってんじゃねーのニャ。ノコノコ出向いて全滅しましたじゃシャレにならんのニャ。どーすんだオメー」


 ヒナタはぎろりと両目を光らせ、指の爪を尖らせてヤクモを睨み付ける。だが一方のヤクモはと言えば、まるで意に介した様子も見せずに微笑んだままである。


「私は少しばかり観察と考えることが好きなだけで、未来が読めるわけでもなければ、全ての出来事を思い通りにできるわけでもありません。それが私という人間の限界でもあります。ならばどうするか……ヒロシ殿はすでにご存じのはず」


 突然話を振られ、ヒロシは思わず変な声を出してしまう。


「うぇっ!? お、俺?」


 仲間の視線を一身に浴びてしまい、ヒロシはつい緊張してしまう。


「い、いや急にそんなこと言われてもな……俺は一人じゃなにも出来ないし、みんなを信じるしか……」


 その答えを聞くと、ヤクモは手を叩き嬉しそうな顔をする。


「さすがヒロシ殿。良い答えです」


 ヘラヘラと笑う男二人に、ヒナタは両目と尻尾を吊り上げて叫ぶ。


「フシャーッ! ダメだニャうちの男ども! 完全にアタシらアテにしてるだけニャ! 腹立つー!」


 両手の爪で引っ掻こうとするヒナタの襟首を捕まえ、ツキヨも呆れた顔で続く。


「お二人の信頼を得ていることは嬉しく思いますが、皆の命がかかっている以上、楽観的にはいられません。それとも前衛の我々の命など、取るに足らないとお考えなのですか?」


 じっとこちらを見つめるツキヨとヒナタに、ヒロシは思わずぎょっとする。隣に座っているメリアも、ただじっとヒロシを見つめたまま次の言葉を待っていた。


「そ、そんなわけないだろ。俺はみんなに死んでほしくないと思ってるし、みんなが強いのも知ってる。ヒナタもツキヨも、そう簡単にやられるつもりなんてないはずだし、メリアの魔法もうんと上達してる。それにヤクモ先生の知恵とゴーレムもある。だから、なんていうかその……これまでもピンチは切り抜けてこれたんだし、今度の相手が手強いヤツだったとしても、きっと上手く行くさ」


 最後は少し恥ずかしそうに言うヒロシの言葉に、女性たちは仕方ないといった顔で微笑む。


「ヒロシー、おめー実は結構なタラシだニャ? しょーがないから今回はこの辺で許しといてやるニャよ」

「ふっ……私たちは最善を尽くすのみ、か。分かりやすくていい」


 機嫌を直して笑みを浮かべるヒナタとツキヨと共に、メリアも嬉しそうな表情を浮かべている。


「私も同じ気持ちです。みんなで力を合わせれば、四魔将が相手でも負けないって信じていますから」


 女性たちの笑顔に、ヒロシはずいぶんと救われた気分だった。どんな罠が待ち構えていようと、仲間と協力すれば跳ね返せるはず。そう信じて鏡の迷宮に挑むのみと、決意を新たにするのだった。




「な、仲間とはぐれた……おーいみんな、どこへ行ったんだぁ!」


 鏡の迷宮で一人、ヒロシは叫んでいた。王都の北東に位置する鏡の迷宮は、地下に広がる広大な迷路である。迷宮の中は鏡のように磨かれたつるつるの素材で出来ており、上下左右に人の姿を映すことからそう名付けられたという。敵のどんな仕掛けがあるか分からず、皆で用心しながら慎重に進もうと言い合ったものの、前へ進むたびに一人、また一人と仲間の姿が音もなく消えていき、気付けばヒロシは孤立してしまっていた。否応なく巨体が目立つゴーレムでさえ、音も立てずに消えたのは異常というより他にないことだった。ヒロシが仲間を呼ぶ声は空しく反響し、やがて静寂に飲み込まれて消えていく。言いようのない不安に焦りを感じながらも、ヒロシは落ち着けと自分に言い聞かせる。


(こ、こういう時こそ冷静に、周囲の状況を確かめないと)


 何度か深呼吸をしてから、ヒロシは周囲を見渡す。今のところモンスターなどには遭遇せず、それらが歩き回っている気配もない。迷宮の壁は薄緑色の大理石に似た質感で、表面は顔が映り込むくらいに磨かれ輝いている。天井には照明用の光る石が埋め込まれて迷宮の中を静かに照らしており、自分以外に動くものがあるとすれば、この壁に映り込む自分の姿くらいだ。


(鏡の迷宮か……)


 単純だが納得できる理由ではある。常に自分の姿が映り込んでいるというのは、ずっと見張られているようであまり気分の良いものでもない。ひとまずじっと立っていても仕方が無いと思い、ヒロシは慎重に迷宮の中を歩き出した。時折、壁に照明とは別の赤く光るランプのようなものがあり、おおよそ等間隔で目にすることが出来る。それがなにを意味するかは分からなかったが、同じように等間隔で天井にも壁とは違う素材で出来た、コインほどの小さな円形のものが埋め込まれているのが見える。こちらは鈍い銀色で、色合いからして金属のようである。ヒロシは足を止め、それをじっと見上げて考え込む。


(うーん、壁の赤いランプといいい、見覚えがある気がするんだよな)


 気になったものの、それらが仲間を見つける手掛かりになるとも思えずヒロシは先に進む。硬い床を踏みしめる音だけが響く中を歩いていくと、長い直線の道に辿り着く。そこをしばらく進むと先の方に曲がり角が見えたが、そこに誰かが立っている。それはこちらに背を向けたメリアであった。彼女はその姿勢のままじっと動かず、振り返る様子が無い。


「メリア! よかった無事だったんだな」


 ヒロシが名を呼んで駆け寄ろうとすると、メリアはヒロシを一瞥することもなく走り出し、曲がり角の向こうへ去っていく。ヒロシが急いで追いかけると、メリアは先の角を曲がってまた姿が見えなくなってしまう。


「おーい、待ってくれ! 俺だよメリア、聞こえないのか!?」


 なぜか遠ざかっていくメリアを追い、ヒロシも走り出した。しかしどれだけ走ってもなぜか距離は縮まらず、メリアはどんどん迷宮の奥へ奥へと進んでいく。


「はぁ、はぁ、どうなってるんだ……? どうも様子がおかしいし、色々と変だ。これが迷宮の罠ってやつなのか?」


 違和感を感じて足を止め、ヒロシは改めて周囲を見る。いつの間にかそこは開けた空間となっており、今までの通路よりずいぶん広々とした印象を受ける場所である。ただし広いだけで特別な物があるわけではなく、相変わらずの無機質な印象は変わらない。ヒロシは慎重に前へ進んでいくが、急に粘っこい水音のようなものが聞こえて足を止めた。


「な、なんだ……?」


 前方にはなにも無い。左右の壁も特に変わらず、足元も磨かれた床に映り込んだ自分の顔が見えるだけである。だが、自分の顔の横でなにかが蠢くのを見て、ヒロシはすぐさま天井を見上げた。するとそこには、黒くて形の定まらない、例えるなら巨大な餅のようなものが貼り付いていた。その表面はじゅるじゅると音を立てながらうねり、なんらかの生命活動を行っているように見える。


「うわっ、なんだこりゃ! ス、スライムってやつなのか?」


 スライムはゲームやファンタジーの世界では定番といえるモンスターだが、実際に存在したとすればかなり危険であるという話はヒロシも聞いたことがあった。これがいきなり頭の上に降ってこなくて良かったと思いつつ、ヒロシは後ろに下がって距離を取る。天井に張り付く黒い物体はじゅるりと音を立て、水滴のように床へと落ちてきた。その動きは緩慢で、近付かなければ簡単に逃げられそうである。


「今はこんなのに構ってる場合じゃないし、メリアを――」


 そう言いかけた時、黒い塊はズブズブと奇妙な音と共に縦長に伸びると、姿形が人間のそれへと変わっていく。そして見覚えのある体格になったかと思うと身体の表面が色付き、ヒロシとそっくりな姿へと変身してしまった。


「こいつ、俺そっくりに……!?」


 黒い塊が変身したヒロシ――偽ヒロシは生気のない目をしており、無言のまま近付いてくる。そして間合いに入った途端、腰に下げた剣を抜いて斬りかかってきた。


「うわっ!?」


 なんとか一撃を避けたものの、偽ヒロシは再びゆらりと顔を向け、ヒロシの方へと向かってくる。偽ヒロシは無言のまま、二度、三度と剣を振り下ろしてくる。さすがにヒロシも抵抗しなければまずいと、腰の剣を抜いて身構える。


(素振りならずっとやってたけど、いきなり実戦なんて……やれるのか、俺っ!)


 ヒロシは祈るような気持ちで剣の柄を両手で握り締め、剣を振りかざして反撃を試みる。偽ヒロシは片手で剣をかざして防御を行い、辺りには硬質な金属音が何度も響き渡る。やがて片手では限界があったのか、ヒロシが渾身の力を込めた上段からの斬りを繰り出し、偽ヒロシがそれを剣で受けた瞬間、偽ヒロシの体勢が大きく崩れた。


「今だッ!!」


 ヒロシはすかさずもう一撃、袈裟斬りを繰り出すと偽ヒロシはそれを避けられず、肩口から胸にかけてざっくりと切り裂かれた。その手応えは奇妙なもので、粘土を斬ったような重たい感触だった。深手を受けた偽ヒロシはその場に膝を付き、そのまま前のめりになって倒れ込む。そして人の姿から元の黒い塊のような姿に戻ると、シューシューと音を立てて消滅していった。


「や、やった……やっつけだぞ! やった!」


 額に汗を浮かべつつも、ヒロシは喜ぶ。ヤクモに教えられた特訓の成果は確かにあり、初めて自分だけで魔物を退治した達成感は格別なものがあった。しかし余韻に浸る間もなく、ヒロシは偽物がいた場所に目をやったまま呟く。


「それにしても、気持ち悪いくらいにそっくりだったな。強さも似てたのは助かったけど……そうか、だから鏡の迷宮……!」


 自分と鏡写しの魔物が現れる。それが名の由来であるとしたら、恐ろしいことになるのではとヒロシはすぐに思った。バラバラになった仲間たちも自分と同じように偽物に襲われているのではないか、と。もしこの偽物が強さまで同じようにコピーしていたとしたら、それだけでも厳しい戦いとなるのは簡単に想像できる。かつてこの迷宮で全滅したという三十人の小隊も、見分けがつかないこの魔物にやられたのだとヒロシは理解した。


「まずいぞ、早くみんなを見つけないと……! メリア……!」


 ヒロシは剣を鞘に納め、再び迷宮の奥へと走り出す。さっきまで見ていたメリアが偽物だったとしたら、本物の彼女の身になにかが起きたかもしれない。他の仲間の安否も含め、ヒロシは一刻も早く仲間と合流したかった。長い通路の先にあった扉らしき場所をくぐると、ヒロシは今までより更に開けた円形の部屋に出た。部屋の中心には大きな円柱の柱があり、内側から不思議な青い光を放っている。一方の部屋の外周には、通路とは違う縦長の楕円形をした出っ張りが等間隔で並び、部屋を一周するように配置されている。


「ここは……今までと様子が違うし、なんの部屋だ?」


 ヒロシは思いっきり腰が引けつつも、恐る恐る部屋の中を見て回る。


「出るなよ、なにも出るなよ……」


 そう呟きつつ部屋の中心にある柱の反対側へ回ると、こちらに背を向けて立つメリアの姿を見つけた。やはり彼女はじっと立ったまま動かず、振り返る素振りもない。ヒロシは彼女に駆け寄ろうかと思ったが、ふと思い止まる。


(もしも……目の前のメリアが偽物だったらどうする? どうやって見分ければいいんだ……?)


 ヒロシには何ひとつ確証が無かった。さっきと同じように魔物が本物そっくりに化けていたら、見た目ではどうやっても判別が付かない。残る可能性は話し方や声といった部分だが、仮にそれで偽物だと判断できたとしても大きな問題がある。


(もし偽物だとしても、俺はメリアの姿をした相手をやれるのか……)


 さっきの魔物は姿が自分自身であったからこそ、躊躇せず攻撃することが出来た。だが万一偽物と断じた者が、ただ操られている本人だったとしたら。もし自分の手で仲間の命を奪うことになったとしたら。そう思うとヒロシは嫌な汗を滲ませたまま、そこから一歩も動けなくなってしまっていた。


「……ヒロシ様」


 葛藤するヒロシに、ふいに目の前のメリアが背を向けたまま話しかけてきた。その声色も口調も、ヒロシがよく知っているメリアそのものである。


「私を追いかけて、ここまで来てくれたのですね。嬉しいです」


 そう言ってゆっくりと振り返る彼女の顔は、やはりヒロシがよく知るメリアそのものだ。言葉遣いや言葉の発音、小さな所作の癖に至るまで、どこにも違和感は感じられない。


「メリア、この部屋は? どうして俺をここへ連れてきたんだ?」


 メリアは微笑みを浮かべたまま、ヒロシをじっと見つめている。目の前の彼女が本物かどうか、この部屋へ辿り着くまでの行動を思えば不自然さがあるが、目の前のメリアは気味が悪いくらいに本人そのままなのである。


「さあ、ヒロシ様……こっちへ来てください」


 そう言ってメリアは手招きするが、ヒロシはその場から動かない。


「君は……本物のメリアか? すまないが、今の俺には君が本物かどうか自信が持てないんだ」


 ヒロシの問いにも表情を動かすことなく、正面に立つメリアは微笑みを崩さない。


「そうですよね。不安になる気持ち、分かります。でもヒロシ様……この前、私のスカートの中を覗きましたよね? すごく恥ずかしかったんですから……」

「ぶほうっ!?」


 思いもよらない返事にヒロシは仰け反りそうになるが、同時に頭が混乱しそうだった。


(こ、この話は本人たちしか知らないはずだ……やっぱり本物なのか……?)


 見えるものが、その声が、記憶が、その全てが彼女であると示している。それでもヒロシは目の前のメリアが本物であると確信することが出来ないでいた。


「どうして来てくれないのですか?」

「分からないんだ……俺は君を疑いたくない、でも……」

「分かりました。じゃあ私からそっちに行きますね」


 メリアはそう言うと、ゆっくりとした歩みでヒロシに近付く。そしてヒロシの目の前までやってくると、やはりヒロシがよく知る笑顔を見せた。


「ほら……大丈夫ですから」


 そう言ってメリアはヒロシの頬に手を当ててくる。その手は温かく、柔らかい。彼女の指がゆっくりとヒロシの頬をなぞり、顎の先まで滑ったその瞬間――


「うっ……!?」


 ヒロシの腹に鋭い痛みが走る。視線を落とすと、メリアの手に握られたナイフの刃が、ヒロシの腹部に突き立てられていた。


「ぐっ……ううっ……!」


 メリアは笑顔を崩さぬままナイフから手を離し、じっとヒロシを見ている。ヒロシは数歩後ずさり、腹に刺さったナイフを引き抜いて投げ捨てた。傷口からは血が滲み、服の布地がじわじわと赤く染まっていく。


「性悪女のイレーナを追い返したというから、どんなすごい奴かと思っていたのに。まるで普通の人間じゃないか」


 相変わらず声はメリアそのものだが、すでに向こうが隠す気を無くしたのか、彼女から感じるのは完全に別人の気配である。


「ちょっと期待外れだな……ま、俺の変身は完璧だから仕方がないか」


 平然とそう言い放つメリアの姿をした誰かを、ヒロシはぐっと睨み付ける。


「お、おい……あんたが誰だか知らないが、その姿でこれ以上喋るなよ……」

「へえ、思ったより元気じゃないか。でも、結構痛そうだぜソレ」

「うぐっ……はあっ、はあっ……」


 傷口を押さえるヒロシの手は、出血で真っ赤に染まっている。顔も痛みで苦悶の表情を浮かべ、呼吸も荒い。


「み、みんなはどこだ……無事なんだろうな……うっ……」

「さあね。知ってても教えると思うのか?」

「……」

「あーあ、こんなことなら手の込んだ芝居を打つ必要もなかったな。あの姫様もピーピーうるさいし、連れてくるんじゃなかった」

「リ、リィナ姫は無事か、よかった……」

「俺は他の連中と違って、無意味な殺しだのは趣味じゃないんだよ。それよりもっと面白いものがあるからな」


 そう言ったメリアの姿をした何者かは、苦痛に歪むヒロシの顔を眺めながら目を細める。


「騙され、裏切られて破滅していく人間の顔といったら……こんなに笑えるものはないよなあ?」


 表情は微笑んだまま変わらないのに、その瞳から感じる悪辣さは、思わず傷の痛みを忘れてしまいそうな程にぞっとするものだった。


「や、やっぱりお前は、四魔将の一人なんだな……!」

「そうさ。俺は四魔将の一人、(あざむき)の魔将ルーク。今日はちょっとした見物のつもりだったんだけど、もう終わっちまいそうだな」

「ううっ……!」

「でもさ、せっかく色々と用意しておいたんだ。せっかくだし最後まで楽しんでいってくれよ」


 メリアの姿をした魔将ルークが部屋の中心にある柱に向かって手をかざすと、柱の光がにわかに強くなり、部屋全体が小刻みに揺れ始める。すると壁沿いにある楕円形の部分が開き、中から見覚えのある黒い塊が数匹ほど這い出してきた。


「この遺跡はこいつら……シェイプシフターを使った人間の複製工場なのさ。兵隊をコピーし、それで軍勢を作って戦わせる。昔の人間もなかなかエグいこと考えるよなあ」


 シェイプシフターとは、様々な姿に変身する能力を持つ魔物の事である。そしてこの遺跡はシェイプシフターの性質を利用し、人間のコピーを量産するための工場だったというのだ。そうであれば、人の姿が映り込むような迷宮の壁なども、それを意識したものだったと想像が付く。


「で、それをこうすると……」


 魔将ルークがもう一度手をかざすと、柱の表面にどこか別の画像が浮かび上がる。そこにはどこかの部屋に閉じ込められたヒナタやツキヨ、ヤクモ、ゴーレム、そしてメリアの姿も映っている。それらの画面が光を発した瞬間、周囲を取り囲む無数の蠢く黒い塊――シェイプシフターは縦長に伸び、ヒナタやツキヨ、ヤクモ、そしてゴーレムといった仲間たちの姿へと変身してしまった。


「どうだい、面白い趣向だろ? お前はこれから大事な仲間に切り刻まれて、哀れな最期を迎えるんだ」


 ルークの言葉と共に、仲間の姿をしたシェイプシフターはにじり寄ってくる。ただでさえ実力の差は歴然なのに、数の上でも完全に不利な状況であり、ヒロシは腹部を刺されて満足に逃げることも出来ない。


(も、もうダメだ……こんなのどうやっても助かるはずが……!)


 もはや立ち向かう気力もなく、ヒロシはただ後ずさり、部屋の壁の方向へと逃げるしかなかった。だが、すぐ壁際に追い込まれてしまい、ヒロシを囲むように偽物たちはゆっくり近付いてくる。ヒロシは壁を背にへたり込むが、その時頭上に赤いランプが光っているのに気が付いた。


(これは……こんな場所にも?)


 ふと天井を見上げると、通路でも見た銀色のコインのようなものが等間隔で埋め込まれている。ヒロシはその配置を見て、あることを思い出した。


(ま、まさかこれは……いや、でも想像が当たっていたら)


 自分の予想が正しければ可能性はあるかもしれない。だがその選択には大きな危険と、それを受け入れる覚悟が必要であった。


(余計に苦しい思いをするだけかもしれないんだぞ。それでも……やれるのか、俺に……? いや、どうせこのままでも……!)


 緊迫した状況は悩む猶予さえ与えてはくれない。ヒロシは徐々に強まる痛みと、ぼんやりしていく意識を必死に耐えて押し留めると、服のボタンに指をかけて外していく。そして上着の全面がはだけると、そう見えないように手で掴み止めたまま言った。


「た、頼む助けてくれ……こんな所で死ぬなんて嫌だぁ」


 ヒロシの情けない声を聞いて感情が刺激されたのか、メリアの姿のまま魔将ルークは満足げに笑い出す。


「そう、それだ! いいぞ、もっと命乞いとかしてみろよ! 場合によっちゃ、望む死に方をさせてやってもいい」


 ニヤ付いた笑みを浮かべるルークと、無表情のまま迫る仲間の偽物たち。ヒロシは脂汗を浮かべ、震える声で言った。


「た、頼む、せめて楽に死なせてくれよぉ……苦しんで死ぬのは嫌だ……火で焼かれるとか、それだけは勘弁してくれえ」


 それを聞いたルークは口の端を持ち上げ、心折れた様子のヒロシを楽しげに眺めて言った。


「たった今、始末の方法が決まったぜ。せっかくだ、俺が直々にトドメを刺してやるよ」


 魔将ルークは偽物たちの間を割って前に出ると、ヒロシに向かって杖を構えて呪文を唱える。


「ふふふ、せいぜい面白い声で鳴いてくれよなあ。それじゃあ、燃えちまいな!」


 杖の先から帯状の炎が放たれ、ヒロシは炎に包まれる。瞬時にして身を焼く高熱に、ヒロシは絶叫した。


「ぐわああああああっ! うわあああああっ!」


 地面を転がりのたうち回るその様をルークは愉悦の表情で眺め、愉快そうに笑い声を上げた。


「ははは、いいぞいいぞ! もっとその声を聞かせてくれよ! さあさあ、もっと苦しそうにさ!」


 だが、いつの間にかヒロシの腕に炎が塊になっている事に気付き、ルークの笑い声は止まる。ヒロシは身体が燃えた直後、急いで上着を脱いで丸めていたのである。そして炎の塊となったそれを、天井にある銀のコインのようなものに向けて投げつけた。そしてこれは全くの偶然だったが、燃えた上着は天井と銀色のコインのようなものの間にあるわずかな隙間に引っかかってぶら下がり、燃え盛る炎はじりじりと周囲を炙って加熱していく。


 ――ジリリリリリリリリ!


 直後、けたたましいベルの音が迷宮全体に鳴り響いた。同時に、銀のコインが弾け飛び、そこから大量の水が広がって雨のように降り注いだ。水を浴びたことでヒロシの火は消し止められ、焦熱の苦痛を和らげていく。


「ぐうっ……」


 だが、全身に火傷を負ったヒロシはもう身動きが取れなかった。その場にうずくまったままのヒロシに、ずぶ濡れになったルークが忌々しげに口を開いた。


「おいおい……なにしてくれちゃってんだよお前さあ。色々と台無しじゃんよ。こんな非常ベルだかなんだか鳴らしたところで助かると思ってたのか? てか、なんでこんなもんがあるんだよ」


 とても不機嫌な様子でルークは吐き捨てるが、ヒロシが出来るのはここまでだった。火傷の痛みと水の冷たさで意識が朦朧としながら、ヒロシの視線は目の前の相手ではなく、部屋の中央の柱に向けられていた。


(みんな……どうか……無事で……)


 ルークは気付いていなかったが、柱に映った映像には変化があった。それぞれ部屋に閉じ込められていた仲間たちの姿が、画面から消えていたのだ。ヒロシが上着の炎で起動したのはこの遺跡の警報装置であり、通常の警報装置であればスプリンクラーの放水と非常ベルの起動、そして扉の自動ロック装置が解除され、全ての扉が解放されるという仕組みが連動している。この仕組みがヒロシの予想通りに動くかは賭けだったが、ヒロシは辛くもその賭けに勝った。おかげで部屋に閉じ込められていた仲間たちは外へと脱出していたのだ。


「しょうがねえなぁ、せめて指でも切り落として……ん?」


 その時、部屋の外から振動が起こった。次の瞬間、壁の一部が爆発したように砕け、その向こう側からゴーレムの巨体と、メリア、ヒナタ、ツキヨ、そしてヤクモが部屋に飛び込んできた。


「ヒロシ様!」


 そう叫んだのはメリアだった。彼女は慌てた様子で部屋を見回し、そして自分そっくりの姿をした魔将ルークと、その向こうで黒焦げになってうずくまるヒロシの姿を見つけて戦慄した。


「私の偽物……!? ヒロシ様から離れなさい!」


 メリアは間髪入れずに魔法の杖をかざし、一瞬で魔将ルークの両腕を凍り付かせてしまう。降り注ぐ水を浴びて両腕の氷はみるみる大きくなり、魔将ルークはその重みで腕をだらりと下げてしまう。


「なんか知らんけど、いきなり変な部屋に閉じ込められて、今度は急に部屋のドアが開いたから出て来てみたら……とっとと散れニャおめーら!」

「ヒナタ、押し通るぞ!」


 ヒナタとツキヨは息の合ったタイミングで飛び出すと、稲妻のような素早さで自分たちの偽物に斬りかかった。シェイプシフターたちは水を浴びたせいか、身体の表面がドロドロに溶け出しており、動きが鈍った所に直撃を受けて倒れ消滅していく。続けてヒナタがヤクモの偽物を切り裂いて倒すと、ゴーレムが魔将ルークめがけて大きな拳を振り下ろす。


「うおっ、危ないなあ」


 サッと飛び退いてゴーレムのパンチを避けたルークは、ヒロシを守るようにして立つ一行を眺めてうんざりした表情を浮かべる。


「あーあ、やだやだ。どうしてこうなるかねぇ……悪いけど、俺ぁ正面切ってやり合うのは嫌いなんだよ。人数も不利になっちゃったし、今日はもう帰るかな」


 平然と言い放つルークに、ヒナタは日頃見せない激しい怒りの表情を露わにしていた。


「ナメたこと抜かしてんじゃねーのニャ。よくもヒロシをこんな目に遭わせたニャてめー。覚悟は出来てんだろうニャ!」


 言うや否や、ヒナタはルークめがけて飛び掛かり、かぎ爪の一撃を見舞う。だが、それを両手を固めている氷で受け止めて氷を破壊すると、ルークはふわりと後方に飛び退く。


「ひゅー、おっかねえ。まあいいや、今日はこの辺にしといてやる。じゃあなお前ら、また会ったら遊んでやるぜ」


 そう言い残すと、魔将ルークはかき消すようにして居なくなってしまった。間一髪で危機を脱したヒロシたちだったが、その代償は軽くは無かった。


「ヒロシ様、しっかりしてください! お願い間に合って……!」


 メリアは頭からずぶ濡れになりながらも、必死に治癒魔法をヒロシにかけ続ける。だが黒焦げになったヒロシはもう返事をせず、彼女の頬には流れ落ちる水の筋が幾重にも走り、その瞳は悲痛な色に塗り潰されていた。


「もう、なんなのよ一体! 急に部屋が開いたと思ったら水がいっぱい降ってくるし! わけの分からない場所に連れてこられて本当にサイテーよ!」


 そう言いながら部屋に入ってきたのはリィナ姫だった。彼女は見覚えのあるパーティの姿を見て喜んだが、床に横たわるヒロシの惨状を見て言葉を失っていた。そして出来る限りの応急処置を施したヒロシを連れ、パーティは鏡の迷宮を脱出するのだった。

 

 


 第9話 鏡の迷宮 おわり

今回は二話同時投稿です

次の更新は1月16日金曜19:00の予定です

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