第八話 魅の魔将
北の砦での戦いから三ヶ月が過ぎた。実力底上げのために特訓を続けていたヒロシたちの元に、ダレル王からの呼び出しが入った。来たるべき時が来たと思いながら、ヒロシは城へと足を運んだ。謁見の間へ通されたヒロシは、北の砦襲撃時と同じような重苦しい雰囲気に思わず身構えてしまう。
「来たかヒロシよ。早速だがわしの頼みを聞いてもらいたい」
さすがに幾度も顔を合わせたこともあってか、ダレル王は前置きもせず本題を語り始める。
「王都より東に進んだ先に、我が国最大の貿易港リンドがある。そこへ魔物が襲来したとの報せが入り、調査隊を派遣したのだが……彼らからの連絡が途絶えてしまった。そなたには貿易港で起きた出来事の調査と、魔物の討伐を依頼したいのだ」
「……ちなみに、これって断れたりしませんよね?」
「分かっているなら聞くでない。兵が戻らぬ以上、今やお前たち以外に適任はおらん」
「で、ですよねー」
「魔獣を討伐し、五千のオーク兵を退けられる人材が別にいるなら、そちらに頼んでも良いのだがな」
「ははは……」
さすがの正論にヒロシはぐうの音も出ない気分であった。これまでの出来事は成り行きだったことも否めないが、それでもヒロシたちの実績と名声は、すでに王国内でも無視できない位置に達していたのである。自分の立場を再確認して苦笑するヒロシに、玉座の傍らに立つリィナ姫が言った。
「ええと、ヒ、ヒロシ……あなた、気を引き締めなさいよ。調査に向かわせた兵隊たちだって、腕の立つ連中を選んでいたのよ。それが全員戻らないなんて、どんな魔物が潜んでいるか分からないんだから」
想像の斜め上の発言に理解が追い付かず、ヒロシはしばらく無言のままリィナ姫をじっと見つめた。
「な、なによ、人の顔をじっと見て……」
「あ、いや、ちゃんと心配してくれることもあるんだなー、と思いまして」
「ちょっと、どういう意味よそれは! 私が血も涙もない冷血女とでも言いたいわけ!?」
やっぱりリィナ姫を怒らせてしまい、両目を吊り上げた彼女に詰められるヒロシだったが、例によって侍女に脇を抱えられて引きずられていく。
「ともかく……なにが起きたのか分からぬ以上、最大限の注意を払い任に当たってくれ。敵も相応に強力な魔物と見て間違いあるまい。必要なものがあれば後で届けさせよう。では頼んだぞヒロシよ!」
ダレル王の命を受け、ヒロシは貿易港リンドへの調査、そして街を襲撃した魔物の討伐を請け負う事となった。その日は準備を整え、翌日の夜明け前に馬車へ乗り込み、ヒロシたち一行はリンドへと向かうのだった。
東の街道を進んでおよそ半日、正午の少し前くらいの時間にヒロシたちは貿易港リンドへと辿り着いた。リンドは南北に伸びる海岸線に位置しており、古くから交易の要としてストームサング王国の繁栄を支えてきた港湾都市である。貿易により街は栄え、その規模と発展具合は王都と比べても見劣りしない程である。人の往来と資金に余裕があることからリンド兵の質も高く、いかに魔王軍であっても攻め落とすのは容易ではない――というのが道中でヤクモから聞いた話であった。
馬車を降りてすぐ、ヒロシたちは異様な雰囲気がリンドの街を包み込んでいるのに気が付く。昼間だというのに街は静まり返り、歩いている人の姿が全く見当たらない。建物の扉や窓は固く閉じられ、普段は行きかう船乗りで賑わっているであろう波止場や、そこに停泊している船の上にも、誰の姿も見当たらなかった。ただ奇妙だったのは人の姿が見えない一方で、街が荒らされたり建物が壊されたような形跡がほとんど見られない事であった。ヒロシとメリア、ヒナタ、ツキヨ、そしてヤクモと人型に起動したゴーレムは、街の入口から注意深く周囲の様子を見回していた。
「ふむ……これは奇妙ですね」
開口一番にそう言ったのは、周囲の状況をつぶさに観察していたヤクモだった。
「報告では魔物の襲撃を受けたとの話でしたが……見る限りそれらと戦ったような形跡がない。普通であれば何らかの痕跡が残っているはずです」
同じように違和感を敏感に感じ取ったのか、ツキヨも耳をぴんと立てて周囲を警戒する。
「つまり敵は普通の相手ではない、ということになりますね」
ヒロシはただならぬ予感を感じ、ごくりと唾を呑む。彼の傍にいるメリアも緊張した表情を浮かべていた。
「メリアはなにか感じるかい? 魔物の気配とか魔力とか」
「それがよく分からないんです。潮風に混じってほんのわずかに感じるんですけど……なんていうか、残り香のような」
「残り香?」
その言葉を聞いてツキヨとヒナタがヒクヒクと鼻を動かして辺りの匂いを嗅ぎ、怪訝そうな顔をする。
「うーん、うっすらとだけど確かに匂うニャ。でもこれ、魔物の気配っていうより女物の香水みたいだニャ」
ヒナタの率直な言葉に、ツキヨもこくりと頷いて続く。
「しかし、これだけでは相手の正体が掴めませんね。もっと手掛かりが欲しい所ですが」
ヒロシたちは互いに死角を補うようにして固まり、リンドの中央を貫く大通りを真っ直ぐに進んでいく。道の両脇にある貿易品の屋台や店も全てがそのままで、ただ人間の姿だけが忽然と消えてしまっている。木箱に詰め込まれたフルーツや野菜、鮮やかな緑のハーブ類、麻袋からのぞく様々な種類の香辛料。高級そうな異国の織物や陶器、細かな装飾の金細工品。そうした商品が片付けられもせず、ただその場に置き去りにされたままとなっている。昼間だと言うのに誰もいない街並みはこんなにも気味が悪いのかと、ヒロシはこっそり思うのだった。それから更に道を進んでいくと、大通りの先にある小高い丘の上に、豪華な屋敷が建っているのが見えてきた。その一帯は裕福な住民の居住区らしく、そのなかでもひときわ大きく豪華な屋敷が目を引く。遠目からでもそれが街の代表者の屋敷だろうというのは簡単に想像が付くが、その周辺の空気が淀んでいるような嫌な雰囲気をヒロシたちは感じていた。
「これは……露骨に怪しい感じがぷんぷんと……」
背筋に寒気を感じたヒロシが青ざめた顔をしていると、大きな屋敷の方を見据えたままツキヨが言う。
「気を付けてください。ここまで誰も出てこなかったのは、私たちを誘い込む罠の可能性があります」
彼女もまた、ヤクモに劣らず頭が切れる。冷静に素早く状況を整理して、危険を警告してくれる彼女の存在は、ヒロシに限らず誰もが頼もしく思っていた。
「そ、そうだよな。普通ならとっくに襲ってきても不思議じゃないし……色々と怪しすぎる」
ヒロシは嫌な予感を頭から振り払い、腰に下げた剣の柄を握って感覚を確かめた。この三ヶ月、剣を振れるだけの基礎訓練は続けてきた。危険が迫った時、仲間に頼らずとも自分の身を守るくらいの動きは出来るはずである。それに自分だけでなく、味方の危機にも役立つはずだろうし、特に何度も自分を守ってくれたメリアを、今度は守ってやりたいとヒロシは秘かに思っていた。
「とはいえ遠くから見てるだけじゃ始まらないしな……ひとまず屋敷の入口まで近付いてみよう」
意を決して一番大きな屋敷の前まで足を運んだ一行は、そこに広がる光景に言葉を失った。屋敷の広い庭園には無数の兵士たちが折り重なるように倒れており、彼らの武器や鎧はいずれも血で染まっていたからだ。
「ううっ……こ、これは……!?」
ヒロシは思わず口元を押さえ、凄惨な現場に目を見開く。兵士たちの装備はいずれも上等で、その新しさも含めて彼らが王都から派遣された調査隊であろうことはすぐに分かった。しばし周囲を警戒したが相変わらず魔物の気配が無く、ヤクモが手近な死体に近付いて調べ始めた。そしてすぐ、彼は疑問の声を上げた。
「おかしい。死体の傷はいずれも人間の武器によるものです。魔物の爪や牙、魔法による攻撃の痕が無い」
「そ、それってどういうことなんだ……?」
ヒロシが近付いて尋ねると、ヤクモは険しい表情のまま顔を上げる。
「この兵士たちは人間同士の戦いによって死亡した、ということです。想像以上にまずい状況かもしれません」
その時、周囲に甲高い笑い声が響いた。辺りを見渡しても声の主の姿は見えないが、確かに聞こえる。全員が外向きの円陣を組むように身構えて警戒の体勢を取ると、屋敷がある方角の空中に、濃い紫と黒が混じり合ったような色をした球体が突然現れ、それを破るようにして内側から一人の女が現れた。女は背中や足がほとんど剝き出しの、露出の多い煽情的な衣装を身に纏い、空中で足を組んで座った姿勢のまま浮かんでいる。腰に届くほどの長い黒髪と、切れ長で長いまつ毛の瞳。顔は作り物のように隙が無く整っていて、唇は血のように赤い。その女は誘うような薄笑いを浮かべたまま、空中からヒロシたちを見下ろしていた。
「だ、誰だ!?」
ヒロシが叫ぶと、女は口の端を持ち上げて見下したように笑う。
「ふふふ……どんな連中が来たかと思えば、おかしな組み合わせだこと。お前たちも王都から派遣されてきた調査隊だろう?」
女は絡みつくような声色でそう答え、品定めをするような目つきでヒロシとヤクモを見る。
「男は二人とも弱そうねえ。戦いを女に任せて、自分は高みの見物という事かしら。いいご身分ね」
挑発するような女の物言いを気にせず、ヤクモはじっと女の方に目を向けて尋ねる。
「街の様子といい、この状況といい、普通の魔物のやり方ではない……お前は何者だ!」
ヤクモの問いかけに、女は口元に手を当てて笑い始めた。それは悪意の滲んだ、底意地の悪い響きであった。
「ほほほ、愚かな男といえども多少の知恵は回るようね。せっかくだからご褒美に答えてあげましょうか……」
女は空中で足を組み替え、手招きをするようなポーズを取る。
「私は魔王軍四魔将の一人……魅の魔将イレーナ。でも、覚える必要はなくてよ」
その名を聞いた途端、ヒロシたちパーティに戦慄が走る。四魔将と言えば魔王軍の最高幹部であり、それが直々に出向いてくるなど想像もしていなかったからだ。
「よ、四魔将だって……!?」
驚きを隠しきれないヒロシに、魅の魔将イレーナと名乗る女は軽蔑の滲む視線を向ける。
「そう。私は魔王様直々に任じられ、魔物の長として名を連ねる者。この意味が分かるかしら?」
魔物の軍団を率いる将であるなら、その実力や魔力は並の魔物とは比較にならないはずである。それがいきなり出現したという事実に、ヒロシたちはなかなか理解が追い付かないでいた。
「四魔将の一人が直接出向いて来るとは……北の砦で魔王軍が打ち破られた事への逆襲か?」
ヤクモの問いかけに、イレーナは冷淡な笑みを浮かべる。
「ふふふ、まさか。あんな能無しどもの群れなんて滅びて当然じゃない。ケダモノが何万匹死のうが、私の知ったことじゃないわ」
平然と、そして冷徹に言い放つイレーナにその場の全員が戦慄する。あの凄惨な戦場を直接知っているだけに、尚更そう感じずにはいられない。
「ご覧なさい。人間の街を落とすのに軍隊なんていらないのよ。私のような真に力ある者がいれば……ね」
その言葉は絶対的な自信に満ち、ただのハッタリでないことは街の異様な雰囲気からも疑いようがない。
「だから……分かるでしょう?」
気怠い吐息と共に、イレーナはぞっとするような声で続けた。
「お前たちはここで終わり……ってコト。すぐにそこの死体たちのお友達にしてあげるわ」
そう言ったイレーナの瞳が妖しく光った瞬間、突如として周囲に風が吹き荒れた。それは何らかの魔法ではなく、彼女が内に秘めた魔力を解き放っただけに過ぎなかった。
「ううっ……なんて強い魔力……まるで氷を押し当てられてるみたい……!」
魔力に敏感なメリアは、それだけで気分が悪くなったようですっかり青ざめた顔をしていた。ツキヨも同じく強張った表情を浮かべ、ヒナタは危険を感じた猫のように背を丸め、髪を膨らませて威嚇していた。
「それにしても……よりによってこんな所へ小娘たちを連れてくるなんて。これからどんな地獄を味わうか想像も出来ないとは、やはり男は救いようがない生き物ね」
「ど、どう言う意味だ?」
「焦らなくてもすぐに分かるわ。まずはせいぜいあがいてご覧なさい、ほほほ……!」
イレーナが指をパチンと鳴らすと、それまで静まり返っていた空気がざわめき始めた。ヒロシたちが周囲に目を向けると、今までどこに隠れていたのか、武器を手にした人々が四方から次々に姿を現していた。それは船乗りであったり、普通の住人であったり、王都とは違う鎧を身に付けたリンドの兵士であったりと様々だったが、その全てが男であるという点だけは共通していた。
「さあ、遠慮なく殺し合いなさい。生き延びられたら、少しは話の続きをしてあげましょう」
次の瞬間、武器を手にした男たちがヒロシたちめがけて殺到した。彼らは武器を振り上げ、やたらに突進してきた。
「ヒナタどの、ツキヨどの、彼らをなるべく殺さないでください! なにか様子がおかしい!」
そう叫んだのはヤクモであった。男たちの様子がおかしいのは全員が頷くところであり、ヤクモと彼女たちは躍りかかる男たちの手足を狙って当て身を繰り出し、武器を叩き落して動きを封じていく。メリアは通常の攻撃魔法ではなく、身体から衝撃を放つ護身用の魔法で近付く男たちを弾き飛ばす。ヒロシは銛を手に襲い掛かる漁師から逃れ、ゴーレムの後ろに隠れながら聞く。
「ヤクモ先生、これはどうなってるんですか! なぜ彼らは俺たちを襲ってくるんです!?」
「どんな魔法かは分かりませんが、おそらく彼らは魔将の力で操られている。ここで彼らを傷付ければ、ますます魔王軍の思うツボとなってしまいます!」
武器を振りかざして襲い掛かる町人の手首を掴んで投げ飛ばしながら、ヤクモはそう言う。
「あ、操られているって、この人数をですか!? そんな馬鹿な……十人や二十人どころじゃないですよ!」
周囲を取り囲む男たちの数は、ざっと見ただけでも百人以上はいる。それを一度に操るなど到底信じられず、まさに離れ業と言う他なかった。そしてこの人数を相手に手加減しながら戦うというのは、到底不可能な状況であった。
「くそっ、このままじゃ押し切られる……! 頼むゴーレム、相手を殺さずにみんなを守ってくれ!」
ヒロシの言葉を聞いたゴーレムは「むっ」と返事をすると、数歩前に出て両腕を水平に広げ、コマのように回転しながら男たちをなぎ倒し始めた。その勢いは凄まじく、さながら草刈り機のようである。
(ダ、ダブルラリアットだこれ……)
ヒロシはかつてゲームセンターで遊んだゲームのキャラクターを思い出し、変な笑いが出そうになってしまった。だが技の見た目はともかく効果は抜群であり、周囲を取り囲んでいた男たちはほぼ全員が地面に倒れていた。
「し、死んでないよなコレ……気絶してるだけだよな、うん。大丈夫大丈夫、わはははは」
目の前で倒れる兵士の顔を指でつつきながら、ヒロシは自分に言い聞かせるように乾いた笑いを吐く。そしてふと顔を上げると、宙に浮いたイレーナは相変わらずの薄笑いを浮かべたまま、こちらの様子を見下ろしていた。
「あなたたち、贅沢なモノを持ってるわねぇ。それは少しズルいんじゃなくて?」
「いや、アンタにそんなコト言われる筋合いは無いと思うんだが……」
「ふふふ、口の減らない男だこと。あなたモテないでしょう?」
「今は関係ないだろそんなのッ!」
ついムキになって言い返すヒロシに、イレーナは刺すような鋭い視線を返す。その瞳に睨まれているだけで、ヒロシは心臓を掴まれているような気分の悪さを感じて仕方が無かった。
「少し見物させてもらっていたのだけど……あなた一人だけ、ずっと逃げ隠れしていたわね。取り得もなく、なんの能力もない。それなのに男というだけで偉そうな口をきく……ああ、本当に腹立たしい」
薄笑いだったイレーナの表情は一転して凍り付いたような恐ろしいものへ変わり、長い黒髪がざわざわと生き物のようにうねり始めた。
「私はそういう男が大嫌いなのよ。虫唾が走るわ。だからあなた……みじめに死になさいな」
イレーナは下唇に手のひらを添え、ふうっと息を吐き出した。それは濃厚な香気となって空気と混じりながら周囲へ広がっていく。
「この香り……! ダメです、これを吸っては――!」
いち早く異変に気付いたメリアが声を上げたが、もう間に合わなかった。ヒナタやツキヨに変化は無かったが、この香りを吸ってしまったヒロシとヤクモは動きを止め、その場に棒立ちとなってしまう。
「ヒロシ様、大丈夫ですか? どこか具合でも悪くなったのでは……?」
メリアがヒロシに近付こうとした瞬間、ヒナタが咄嗟にメリアの身体を抱きかかえてその場から飛び退く。その刹那、ヒロシは腰に下げていた剣を抜き、地面に叩き付けるように振り下ろしていた。
「ふぃー、危なかったニャ。怪我はねーかニャ?」
「ヒ、ヒナタ様……! すみません、おかげさまでなんともありません」
メリアは礼を言い、ヒナタから離れて身構える。
「男どもの目つきが普通じゃねーニャ。さっきの連中とそっくりニャ」
「ヒロシ様……!」
メリアは高みの見物を決め込んでいるイレーナを見上げ、その姿を睨みつけて叫ぶ。
「ヒロシ様になにをしたのですか! 街の皆さんがおかしくなったのも、あなたの仕業ですね!」
イレーナは再び薄笑いを浮かべながら、メリアを見下ろしたまま答える。
「あまりそうは見えないけれど、少しは頭が働くようね。どんな男でも、何人でも私の虜にして意のままに操る。それが私の『魅了』の能力。魅の魔将とはそういうことなのよ。これで理解できたかしら?」
「……!?」
イレーナは指先で髪をくるくると巻き、面倒くさそうに言う。メリアはその言葉に驚きながらも、目の前で虚ろな瞳をしたヒロシに目を向ける。
「ヒロシ様、気をしっかり持ってください! 目を覚まして!」
「うふふ、無駄よ。私に心奪われた以上、誰の声も届かない。男どもは私の奴隷として、死ぬまで踊り続けるのよ。こんな風にね」
イレーナが指を鳴らした途端、ヒロシとヤクモは狂ったように襲い掛かった。ヒロシは手にした剣を振り回してメリアに迫り、ヤクモは徒手空拳ながら突きや蹴りを繰り出してツキヨに肉薄した。
「きゃあっ!? やめてくださいヒロシ様!」
「危ないからメリアは離れてるニャ! さっきの連中みたいにブチのめして気絶させるしかないニャ!」
ヒナタは二人の間に割って入るが、滅茶苦茶に剣を振り回すヒロシになかなか手が出せずにいた。
「あーもー! めんどくせーニャ! ツキヨ、そっちは大丈夫ニャんか!?」
ツキヨはヤクモの攻撃を受け流し、彼の手首を掴んで組み合ったまま返事をする。
「ヤクモどのは私が抑えておく! ヒナタは二人を頼む!」
ヒナタとツキヨが手を焼いている姿を見て、イレーナは愉快そうに口の端を持ち上げている。
「せいぜい足掻きなさい。どちらが生き残っても、あとでゆっくり殺してあげる」
冷酷に言い放つイレーナにカチンときたのか、ヒナタは彼女を見上げて両目を吊り上げ叫ぶ。
「おめー本っ当に性格悪いニャ! 後で絶対泣かせてやっから覚えとけこんニャろー!」
「ふふふ、威勢のいい子猫は嫌いじゃないわ。躾け甲斐がありそうだもの」
ヒロシはやたらに剣を振り回し続けるが、その動きは身体の負担や限界を無視しており、剣の柄を握る手や鼻からも出血し始めていた。
「ダメですヒロシ様! それ以上動いたら身体が壊れてしまいます!」
「うぅ……うがああああああっ!」
必死の叫びも虚しく、やはりヒロシが我に返ることはない。その姿を見るのがたまらず、メリアは飛び出してヒロシの腕にしがみついた。
「もうやめて……ください……! お願い……!」
メリアは必死に懇願するが、ヒロシは強い力で強引に彼女を振り払う。
「きゃあっ!」
突き飛ばされたメリアはその場に尻もちをついて倒れてしまうが、その直後にヒロシの動きがぴたりと止まる。
「おお? 急にヒロシが止まったニャ」
その様子を見ていたヒナタが怪訝な声を発するが、すぐに状況を理解してニヤリと笑う。メリアが転んだ拍子にスカートの裾がめくれてしまい、太ももと下着の一部が露わになってしまっている。そしてヒロシの視線はその一点に釘付けとなり、じっと凝視したまま固まっていた。
「や、やだ……!」
メリアは慌ててスカートの裾を直し立ち上がるが、それと同時にヒロシもまた動作を再開する。
「うがー!」
この時、ヒナタはひとつのアイデアを思いつき、両耳がピコンと跳ね上げた。そそくさとメリアの傍に移動すると、ヒナタは彼女に耳打ちする。
「メリア、ちょっとアタシに考えがあるニャ。上手く行けばヒロシを止められそうなんニャけど……協力してくれるニャ?」
「は、はい、もちろんです!」
「んふふー、いい返事だニャ。んじゃ遠慮なく……それっ!」
ヒナタがメリアのスカートを掴んでピラッと持ち上げると、無防備な下着が露わになってしまう。
「きゃーーーーっ!? な、なにをしてるんですかっ! は、はやく手を離してくださいっ!」
「まーまー、その前にヒロシを見てみるニャ。ぷっくく……!」
「な、なにをわけの分からないことを……! って、え……?」
トマトのように真っ赤になるメリアだが、よく見るとヒロシは両目を丸くしてある一点を凝視したまま、固まったように動かなくなっている。
「……っ!?」
恥ずかしさのあまり自分の手でスカートを押さえると下着が隠れ、それと同時に再びヒロシが動き出す。
「うがー!」
ヒナタがもう一度同じようにスカートをめくると、またしてもヒロシの動きがぴたりと止まる。そしてメリアがすかさずスカートを戻すと、やっぱりヒロシは動き出す。
「こりゃあ、攻略法ってヤツが見つかったんじゃねーかニャ?」
ニヤニヤと笑うヒナタの横で、メリアは耳まで真っ赤になってスカートを押さえうつむいてしまう。
「い、一体なにを言ってるんですかもうっ! こんな恥ずかしい行為で……!」
「ニャハハ、次はアタシが試してみるから見とけニャって」
ヒナタは服の胸元を広げて谷間を露わにすると、いきなりヒロシに抱きついて後頭部を掴み、そのままヒロシの顔面を胸の谷間に押し付けた。
「ふぇっ!? なっ、なな、なにをしてるんですかヒナタさんっ!?」
裏返りそうな声を出すヒナタとは対照的に、ヒナタはニヤ付いた表情のまま、ぐいぐいと胸をヒロシの頭に押し付け続けている。肝心のヒロシはと言えば、その場で棒立ちになり完全に機能停止していた。
「な、なんなんですかこれはぁぁっ!? い、今はそんなことしてる場合じゃ……というか、は、離れて……!」
「まーまー、落ち着いてヒロシを見てみるニャ。すっかりカチカチになって作戦成功ー! ニャハハ!」
確かにヒロシはカチカチに硬直して微動だにしない。
「どどど、どういうことなんですかぁぁぁっ!」
「だーかーらー、ヒロシのスケベ心を刺激したら魅了の効き目が弱まるってことニャ。いっつもヒロシがアタシらのおっぱい見てたから、もしかしてと思ったら大当たりニャ」
「だ、だからってそんなこと……あわわわ」
「でもこれだと、アタシも動けねーニャ。あー困ったニャー」
ヒナタは顔だけ振り向くと、メリアを見てニヤリと悪い顔をする。
「つーわけで、この役目はメリアに任せたニャ! ほれっ!」
そう言うとヒナタは硬直したヒロシをメリアの方へ突き飛ばした。意表を突かれたメリアは思わずヒロシを抱き止めてしまうが、その瞬間にヒロシが変な声を発した。
「はうあ! お、俺は一体なにを!?」
「ヒ、ヒロシ様、正気に戻ったんですね。良かった……」
「あ、ああ……? というか、この状況は一体!?」
ヒロシはメリアに抱き付かれている体勢に気付き、慌てて離れようとしたが、メリアの手に力が入っていて抜け出せなかった。
「メ、メリア……?」
「……ヒロシ様のばか。エッチ」
「なんで!?」
なぜか顔を赤くしながらむくれているメリアに、ヒロシはさっぱり状況が飲み込めずにいたが、視界の端にイレーナの姿を捉えてようやく理解する。
「そ、そうか、俺はあいつに操られていたのか、ごめん……!」
「いえ、ヒロシ様が無事でよかったです。でも、これだと動けなくて困ります……よね」
「え、ああ、うん。よく分からないけど、これって抱きついたままじゃないとダメなのか?」
「実はよく分からなくて……」
「ちょ、ちょっと試してみよう」
ヒロシはメリアの肩に触れたまま、そっと身体を離す。抱きついていなくとも、この状態だと平気らしい。
「もしかして、もう術の効き目は無くなったとか?」
試しにヒロシがメリアに触れていた手を離してみると、途端にヒロシは白目を剥いて叫ぶ。
「うがー!」
「きゃーっ!?」
メリアが慌ててヒロシの手を握ると、ヒロシは再びハッと我に返る。
「うおっ!? なんか記憶が飛ぶ……!」
「さすがに離れちゃうとダメみたいですね。ヒロシ様、私の手をしっかり握っててください」
「よ、よし」
ヒロシとメリアはしっかり手を握り、こちらを見下ろしているイレーナの方へ向き直る。
「次はこっちの番です。覚悟してください!」
珍しくメリアの声には怒りがこもっており、緑の瞳でじっとイレーナを見据えている。一方のイレーナはというと、今までの薄笑いが一転し、あからさまに不機嫌な表情へと変わっていた。
「ちょっと、なんなのこれは!? 私の『魅了』がこんなふざけた方法で破られるなんてありえない! 絶対にありえないわ!」
正直それはヒロシもメリアも、ついでにヒナタも同じ気持ちであったが、事実がこうなのだから仕方がない。
「悪さの報いは受けてもらいます。炎よ!」
メリアが杖をかざすと、杖の先から帯状の炎が放射されイレーナを包み込む。しかし彼女の回りには球状の見えない壁のようなものがあり、炎を完全に防いでいた。
「ゴーレム! とにかく全力であいつを攻撃するんだ!」
「むっ」
ヒロシの命令を受けたゴーレムはイレーナの真下まで一直線に駆け寄ると、拳を天に突き上げながら跳躍し、イレーナの周囲に張られた見えない壁に拳を叩き込んだ。
(今度は昇竜拳……)
やはり見覚えのある技の動きに頭の中で呟いてしまったが、イレーナは初めて焦りの表情を見せていた。
「こ、こいつ……!?」
魔法を遮っていた見えない壁は物理的な攻撃には脆いのか、ガラスが割れるような音と共に砕けてしまう。その隙を見逃さず、ヒナタがかぎ爪を光らせながら一気に跳躍してイレーナに迫った。
「もらったニャ、おらーッ!」
かぎ爪の一閃が喉元を捉えたかに思われたが、イレーナは真っ赤なマニキュアを塗った爪を瞬時に伸ばし、鋼鉄のような強度と化したそれで攻撃を防いでいた。
「ふざけるんじゃないわよ雑魚が……この程度で私の首を獲ろうだなんて、百年早いのよ!」
イレーナは間髪入れずに身体から衝撃波を放ち、ヒナタを弾き飛ばす。そしてさらに上空へと浮き上がると、怒り心頭といった表情でヒロシたちを睨み付けた。
「こんな屈辱は初めてよ……絶対に許さない! 次に会ったら、一番むごい方法でお前たちを皆殺しにしてやるわ! 四魔将のイレーナの名、忘れないことね!」
そう言い残すと、イレーナはかき消すようにして居なくなってしまった。ヒロシとメリアはしばらく周囲を警戒していたが、新手の魔物が出てくる様子はなく、ホッと胸を撫で下ろす。そして自分たちが汗ばんだままの手を繋ぎっぱなしだったことに気が付き、慌てて手を離して少し距離を取る。
「あ、ありがとうメリア、また君に助けられちゃったな」
「いえ、私は別に……きっかけを見つけてくれたのはヒナタ様ですから」
衝撃波で弾き飛ばされていたヒナタは、特に怪我もなく無事だったようで、少し離れた場所から駆け寄ってきた。
「いやー、間一髪だったニャー。あのお色気女、まだ実力はこんなもんじゃねーニャ。正直さっさと引き上げてくれて助かったニャ」
ヒナタは相変わらずの軽口だったが、助かったという気持ちはヒロシもメリアも同じであった。
「ところであのイレーナって四魔将の術、俺ってどうやって抜け出せたんだろう?」
ヒロシが首をひねって疑問を呟くと、メリアは再び顔を赤くして目を逸らしてしまう。
「え、あれ? なんか変なこと言っちゃった?」
「い、いえ、変ではないんですけど……」
言葉を濁すメリアの代わりに、ヒナタが瞳孔を大きくしながらずいっと顔を近付けてニヤリと笑う。
「まー語れば長いんだけどぉー、簡単に言えばヒロシがスケベだったおかげニャ。このスケベ」
「なにそれ!?」
「お? 詳しく聞きてーのニャ? あんなコトしといて覚えてないなんて、アタシの身体だけが目当てだったのニャ! ヒロシのロクデナシー!」
ニヤニヤと悪い顔をするヒナタを、メリアが背後から羽交い絞めにして引き剥がす。
「と、とにかく無事でなによりでした。ヒロシ様、身体は痛んだりしていませんか?」
「そういえば身体中の関節がギシギシいってるような……手もズキズキするし、いてて……」
「やっぱり操られている間は負担が大きいんですね。治癒の魔法を使いますから、じっとしててくださいね」
メリアが両手をかざしてヒロシに治癒魔法を施している間、ヒナタはきょろきょろと辺りを見回していた。
「そーいやツキヨとヤクモはどこ行ったニャ?」
言われてみれば確かに、と周囲に目をやると、屋敷の庭の植え込みあたりがガサガサと揺れて物音を立てている。三人が物音がした植え込みの向こうを覗き込むと、ツキヨがヤクモを地面に押し倒して密着している場面であった。ヤクモの服はへその辺りまではだけられ、あられもない姿を晒してしまっている。
「うえっ!? 二人ともこれは一体……!?」
ヒロシが驚きの声を上げると、ツキヨは顔だけ振り向いてから小さく「チッ」と音を出してヤクモから身体を離す。
(((舌打ち……!?)))
三人がほぼ同時に同じことを思う中、ツキヨは何事もなかったかのようにスッと立ち上がる。
「どうやら魔将イレーナは退却したようですね。上出来と言える結果だと思います」
「いやそれよりもツキヨ……おめーなにをしてたんニャ」
「見ての通りだ。ヤクモどのと組み合った後、もつれてここに倒れ込んでしまって。そこでヤクモどのの動きが止まったので、女の私が接触していれば魅了の力が抑えられると踏んでこうしていたんだ」
「それでなんでヤクモが上半身脱がされてんのニャ」
「この際、既成事実でも作って秘密のネタを握ってしまえば、ヤクモどのの動向をコントロールしやすくなるかと思って……まあ未遂で終わってしまったが……チッ」
平然ととんでもない発言をするツキヨに、三人は声を揃えて叫ぶ。
「「「やっぱり舌打ちした!?」」」
皆が驚愕している間に、服を整えたヤクモも起き上がって咳払いをした。
「ご心配をおかけしました。皆さん無事でなによりです」
「いや茂みでヨロシクやってた後じゃ全然キマってねーのニャ」
ジトっとした目つきでツッコむヒナタの頭にげんこつを落とし、ツキヨは後ろに引きずっていく。
「しかし恐ろしい相手でした。たった一人で街を支配してしまうとは……おそらく相手も小手調べのつもりだったのでしょうが、それゆえに隙もあった。次に出会う時までに、こちらもしっかりと対策を取らねばなりませんね」
そうしているうちに、魅了の術が解けた街の住人や兵士たちも我に返り、リンドの街には元の賑やかさが戻っていた。だが、魔王軍四魔将の一人が直接襲撃してきたという事実は、更なる混乱を王都に巻き起こす事になるのであった。
第8話 魅の魔将 おわり
今回は二話同時投稿です
次の更新は1月16日 金曜19:00頃の予定です




