第七話 帰還
ヒロシたちの帰還は驚きと歓声をもって迎えられた。危機に瀕した北の砦を守り切ったばかりか、攻め込んできた五千の魔王軍を壊滅させたという報せは、すでに王都中に広まっていた。お祭りムードの雰囲気を味わう暇もなく、ケイン将軍と共にヒロシたちは謁見の間に通されていた。
「――以上が、北の砦防衛における戦いの顛末でございます」
ケイン将軍の報告に、場の視線はある男に集中していた。それはヒロシではなく、その隣に立つ優男――薬売りのヤクモと名乗る、痩身白衣の男だった。同席している王都の重臣らがざわめく中、玉座のダレル王は目を見開き言った。
「むう……そなたの策だけで、オークの軍勢五千を壊滅させたと言うのか。まだこのような才ある者が野に潜んでいようとは」
ヤクモは居変わらず貼り付けたような笑顔を浮かべたまま、うやうやしくお辞儀をする。
「お褒めに預かり光栄でございます。ですが、今回の戦果は砦の兵たちが一丸となって立ち向かったからこそ得られたもの。私はほんの少し口添えをしたに過ぎません」
「ふっ、将兵を立てる思慮もわきまえておるか。ますます平民とは思えん立ち振る舞いであるな」
「私は見ての通り、しがない薬売りでございます。少しばかり噂話と学問が好きなだけの」
ヤクモは自分の手柄を誇示するようなこともなく、あくまで一歩引いた姿勢を崩さない。戦争に関することは判断できないまでも、この男は現実世界にいたとしても、優秀なビジネスマンになれただろうなとヒロシは思った。
「ははは、まあよい。結果として魔王軍を退け、我が王国の危機を救った事は事実なのだ。望みの褒美があれば申してみよ」
ヤクモは再び礼儀正しくお辞儀をすると、並び立つケイン将軍の方に目を向けて言う。
「私などにもったいないお言葉……ならば、直接オーク兵と戦ったケイン将軍と兵士たちに報いてくだされば十分です。それと、ひとつお願いがございます」
「うむ、申してみよ」
「私がヒロシどのに同行する許可を頂きたく存じます」
その言葉がヤクモの口から出た途端、にわかに周囲がざわついた。それは驚きと戸惑いに満ちたものだったが、ヤクモは気にせず笑顔を浮かべている。
「なんと、そのような事でよいのか? お前ほどの知恵者であれば、わが軍の軍師として迎え入れても良いのだぞ?」
「身に余る光栄でございますが……私は見極めたいのです。このヒロシなる人物が、何者であるのかを」
ダレル王は眉間に皺を寄せ、いつもにまして険しい顔つきでヤクモを睨む。
「そなた、どこでそれを知った? ヒロシの素性など確かめたところで、なんの意味があるというのだ」
「王様もすでに気付いておいでなのでしょう? この『無能』の人物が行くところ、なぜか物事が動いていく、と」
「む……」
「天より授かるはずの『能力』を持たない転生者が辿る運命。それは破滅か希望か……たいへん興味深いと思いませんか?」
ダレル王はしばらく険しい目つきのままだったが、やがて諦めたように目を伏せ、溜め息をついてゆっくり目を開く。
「わかった、そなたの好きにするがよい。だが、もし再び王国に魔王軍の襲撃があった時は、そなたの知恵も貸してもらうぞ」
「ははっ、必ずや。我が願いお聞き届け頂き、ありがたく存じます」
「……ヒロシらも含め、皆のこの度の働き、実に見事であった。褒美は十分に取らせよう。今日は下がって良いぞ」
戦いの報告が終わり、ずしりと重い報酬を受け取ったヒロシたちは意気揚々と自宅へ戻った。
増築が終わったばかりの自宅へ戻り、ヒロシたちはようやく一息つくことが出来た。メリアはキッチンで軽食を作り、ヒナタはソファーでゴロゴロし、ゴーレムは玄関先でタマゴ型になったまま日の光を浴びるなどしていたが、ヒロシとツキヨ、そしてヤクモの三人はテーブルを囲んで椅子に腰掛け、顔を突き合わせていた。
「そういうわけで、私もここでお世話になろうと思うのですが。各々よろしいでしょうか?」
例によってニコニコと笑顔を崩さないヤクモに対し、ツキヨも普段通りの真面目な表情を崩さず見つめ返している。
「ヤクモどのの知恵については、砦での戦いと結果を思えば疑う所はありません。ですが正直……ヒロシどのの行く先が気になるからと言って、ここまでする理由が分からない。私とヒナタには魔王を倒し村の仇を討つという目的がありますが、ヤクモどのにはどんな理由があると言うのですか?」
ツキヨの問いかけに、ヒロシもウンウンと頷いてヤクモを見る。一方のヤクモはというと、相変わらずな笑顔のままで答えた。
「ええ、皆さんの疑問はもっともです。ですが私とて、なんとなく生きてきたわけではありません。知識や噂話を集め、様々な場所で人々と出会い、見聞きしてきました。その結果……この世界には理屈の分からぬ事が数多くある、ということが分かりました」
いまいち要領を得ない答えだが、ヒロシもヤクモの言葉には共感できる部分もあり、次の言葉を待つ。
「その最たるものが転生者と、そして魔王の存在です。なぜ転生者は別世界より呼ばれ、特別な『能力』を与えられるのか? なぜ魔王と戦うことを運命付けられているのか? そして魔王とは何者なのか? 少なくとも私の知る限り、この疑問に対して明確な答えを示せる人物も文献も見たことはありません」
今までずっと貼り付けていたような笑顔だったヤクモの表情は、いつの間にか真剣なそれに変わっていた。
「その答えにヒロシどのが関わっていると、あなたは思っているのですか」
ツキヨの言葉に、ヤクモは深く頷く。
「……その根拠は?」
続けざまのツキヨの質問に、ヤクモは再び笑顔を浮かべて答えた。
「こればかりは勘、と言うよりありません。噂を聞き、そして実際に出会い、戦いを経てみて分かりました。ヒロシどのは特別な力もなにも無い、ただの人であると」
あらためて事実を突きつけられ言葉も出ないヒロシの横で、ツキヨは鋭い目つきでヤクモを睨む。
「ヤクモどの、それは答えになっていませんが」
「だからこそ、ですよ。ただの人でしかないヒロシどのの元に、今こうして有能な人材が集まり、その名を多くの人々に知られるまでになった。ヒロシどのには『能力』とも運命とも違う何かがある、私はそう感じずにはいられないのです」
ハッキリとそう言い切るヤクモの言葉に、照れくささと過大評価を感じてヒロシは苦笑する。
「いやあ、俺はそんな大したもんじゃないですよ。特別な『能力』が無いぶん、なにか別の特技でもあれば良かったんだけど」
「そう、まさにそこが気になる所でして。ヒロシどのは、他の転生者に出会ったことは?」
「い、いや、会ったことはないなあ。というか、俺の他にも転生者が?」
「ええ、転生者自体はそれほど珍しくはないのですよ。同じ時代に何人も出現するのが普通です。ただ、現れる場所や土地は決まっておらず、世に知られぬまま生涯を終える者もいるといいます。ですが転生者の多くは運命に導かれてか、魔王との戦いに身を投じていくのです」
「ん? あれ? じゃあ俺たちの他にも魔王軍と戦う転生者がいるってことか? じゃあ『能力』がない俺が魔王軍を相手にしなくてもいいんじゃ?」
「ですが……今の魔王が出現して以来、討伐に成功した者はいません。それどころか魔王討伐へ挑んだ者たちは、誰一人戻ってはきませんでした。転生者を含めて」
「ウ、ウソだろ……?」
ヤクモの話を聞いて青ざめるヒロシの隣で、ツキヨがぴくりと眉を動かし尋ねた。
「……それが事実なら、おかしな話ですね」
彼女の問いかけにヤクモはこくりと頷く。
「その通り。魔王との戦いを宿命付けられていながら、転生者は未だ魔王を倒せずにいる。妙だとは思いませんか?」
「おかしい。絶対にヘンだと思う」
ズバリ即答するヒロシに、ヤクモは満足げに頷く。
「常人を凌駕する転生者の『能力』をもってしても魔王に敵わないのであれば、なぜそのような相手と戦うように運命付けられているのか。なぜ転生者としてこの世界に導かれたのか。あるいはその転生、運命そのものが……」
「誰かに仕組まれていてる可能性がある、ということですね」
ようやく話の本筋に触れ、ツキヨは耳をぴんと立ててヤクモをじっと見る。
「無論、これも推測のうちに過ぎません。単純に魔王が我々の想像を超える強さである可能性も十分にあります。だが……ゆえに私はヒロシどのこそが鍵を握っているのではないかと、そう思ったのですよ」
真剣な目つきでそう答えるヤクモに、ヒロシは頭をポリポリと掻いて照れ笑いを浮かべる。
「うーん、認められるのは嬉しいけど買いかぶりすぎでは……」
「いずれ分かることです。ともあれ、これで私がここに居たいという理由は全てお話しました」
きっぱりと言い切るヤクモに対し、ヒロシとツキヨは顔を見合わせ、それから再びヤクモの方へ顔を向けた。
「ええと、俺はヤクモと同居することについては特に反対意見はないかな。これからの事を考えると、世間に詳しい参謀役がいるのは心強いし」
ヒロシが言い終わると、ツキヨはしばし目を伏せてから、ゆっくり瞳を開いて言った。
「そもそもこの家の持ち主がヒロシどのである以上、私たちはその決定に従うだけです。ただしヤクモどの、これだけは覚えておいてください」
「はい、なんでしょう」
「我々はまだ、あなたを信じられるほど共に時間を過ごしてはいません。もし不審な行動や我々の命を危機に晒すような事があれば……その時は躊躇わずに斬ります。それでよろしいですか」
射貫くような鋭いツキヨの視線にも動じず、ヤクモは微笑みを崩さない。
「ええ、それで構いません。どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします」
丁寧にお辞儀をした後で、ヤクモはテーブルに用意されていたお茶に口を付け、一息つく。
「意見がまとまった所で、今後について少し話をしましょう。ヒロシどのは魔王の軍勢についてどのくらい知っていますか?」
「あ、ええと……確か魔王配下の将軍が四人いて、軍勢を率いてるんだっけ」
「ええ、その通りです。いずれも強大な力を持ち、配下の魔物を従えた四人の将。これらを四魔将と呼びます」
「四魔将……なんかボスっぽい響きだな」
「北の砦を攻めてきたオークの兵団も、この四魔将の一人の手勢でした。それが壊滅させられたとなれば、彼らも黙ってはいないでしょう。今後は四魔将の全員が動き出し、以前にも増して王都への攻勢を仕掛けてくると考えるべきです」
「げっ……」
「とはいえ、魔王軍も失ったオークの軍団を再編するには時間が必要なはず。すぐに同じ手で挑んでくることは無いと私は考えています。しかし、他にどのような策を用いて攻めてくるかまでは読めません。十分に警戒しつつ、我々も力を付けておく必要がありますね」
「た、確かに……じゃあ今後は戦いの特訓もしないといけないのか」
「そういうことです。まずは休養を取り、落ち着いたら各々の腕を磨く期間としましょう。いざという時、互いの命を守れるように」
こうしてヤクモが仲間に加わり、ヒロシたちは実力向上のために特訓をすることになったのだった。
一週間ほどの休養を取った後、ヒロシたちはそれぞれの実力を底上げするための特訓を開始した。ヒナタとツキヨは互いに戦士であることから、互いに組手や真剣を使った立ち合いを庭先で行っていた。日頃は穏やかな性格の二人だが、いざ戦闘となるとスイッチが切り替わったように鋭い気迫を見せていた。
「そーいや、こうやってやり合うのは初めてだったかニャ。でも手加減はしねーニャよツキヨ」
「それはこちらも同じこと。本気でやらなければ稽古にならないだろう」
「ニャハハ、やっぱりツキヨは真面目だニャー。んじゃ……遠慮なく行くニャ!」
ヒナタは素早く身を屈めたかと思うと、地面すれすれの低い位置を飛ぶようにしてツキヨへ肉薄する。そのまま下から上へ手甲のかぎ爪を振り上げたが、三つに並んだ刃がツキヨの身体に触れる前に彼女は身をかわし、それと同時にヒナタめがけて剣をなぎ払う。が、それはヒナタの髪をわずかに切り落とすのみで、ヒナタは目を見張るような反射神経と柔軟性で身を反らし、斬撃を避けると同時にツキヨの顔面へ蹴りを放って反撃を試みていた。ツキヨはその反撃も予想のうちだとばかりに、最小限の動きで顔を動かし蹴りをかわし、直後には互いに間合いを取って向き合っていた。それは時間にすると瞬きするほどの間であったが、立ち合いを見守っていたヒロシはその攻防にまったく付いていけず、ただ目を丸くして驚くばかりであった。
「へへ、さすがツキヨだニャ。ラビト族って本当は大人しくて戦い向けじゃねーって聞いてたのに、あれは嘘だったのニャ?」
「間違ってはいない。だから私は必死になって戦いの技術を身に付けたんだ。そうでなければ村の仇など取れるものか」
「ん、それもそうニャ。じゃあもうちょっと練習に付き合ってもらうニャ!」
「ああ、全力で来い!」
そこからの二人は激しくぶつかり合い、かぎ爪と剣がぶつかる金属音が何度も鳴り響いては火花が散る。目が覚めるような全身のバネと身体能力を駆使して戦うヒナタと、研ぎ澄まされた刃物のように鋭く無駄のない動きで対抗するツキヨ。まったく対照的な二人だが、戦いの実力と豊満な胸回りは互角と言って良かった。
「うーん、本当に凄いな二人は。これが本職の実力……いやしかしこれは……うーむ」
眉間にしわを寄せてじっと二人の稽古を眺めていたヒロシだが、ふと背後から肩を叩かれて我に返る。振り返ると新調した魔法使いの衣装に身を包み、杖を手にしたメリアが立っていた。
「ヒロシ様、私も準備が出来ました」
「あ、ああゴメン、ちょっと見入ってしまって。それじゃ行くとしようか」
「はい」
ヒロシは気を取り直し、事前に約束していた繁華街へメリアと一緒に向かうことにした。その道中、ふいにメリアが袖を引っ張ってきたのでメリアの方を見ると、彼女は少し張りつめたような表情を浮かべていた。
「ど、どうしたんだメリア?」
「ヒナタ様もツキヨ様も、本当に凄かったですね。村の仇を討つために、どれ程の努力をしたのか……その思いが伝わってくるようでした」
「ああ、そうだな。俺にはとても真似できそうも無いけど、頼りになるよ本当に」
「はい……それで、あの、ヒロシ様」
「うん?」
メリアは何故か難しい顔つきになり、コホンと小さく咳払いをしてから言った。
「お二人の胸ばかり目で追うのは、わかりやすいのでやめた方がいいと思います」
「ごっふ!?」
予想だにしない方向からのアッパーカットを食らい、ヒロシはその場に仰け反ってひっくり返りそうになった。
「い、いやそんなことはないから! たぶん! 動いてるとつい目に入っちゃうけどわざとじゃないよたぶん!」
「……ヒロシ様のエッチ」
「ホギャー!?」
むくれてしまったメリアに慌てて言い訳をしているうちに、二人は目的地である冒険者ギルドの前まで辿り着いていた。入口の扉を開けて店の奥まったテーブルの方へ足を向けると、見知った女魔法使いが昼間からテーブルに酒の瓶を並べてグラスをあおっていた。
「やあ、お久しぶりですタバサさん」
ヒロシが挨拶をすると、赤ら顔の女魔法使いタバサは空になったグラスをテーブルに置いて二人の方を見た。
「んあー? あら久しぶりじゃないの二人ともー。最近ブイブイ言わせてるらしいじゃん。あんたたちの噂、私の耳にも入ってるよ」
機嫌良さそうにカラカラと笑うタバサに、メリアは丁寧に両手を揃えてお辞儀をする。
「タバサ様のおかげで、私も魔法を扱えるようになりました。なんとお礼を言って良いのか……本当にありがとうございました」
「んーんー、いいのよーそんなコト。そういってくれると私も鼻が高いわー、おほほほほ」
タバサは笑いながらグラスに琥珀色の酒を注ぎ、またもグイっとそれを飲み干す。
「っかー! んで、今日はお礼を言いにわざわざ来たワケ?」
タバサは酔いの回った目つきでヒロシとメリアを交互に見て、酒臭い息を吐きながら尋ねてきた。
「あ、はい。実はタバサ様にお願いがあって参りました」
「うんうん、おねーさんに言ってごらんなさい」
「私に魔法の修行を付けて欲しいのです。独学だけではどうしても限界があって……私はもっと魔法を覚えて、強くなりたいのです」
「ふーん、なるほどねぇ……えっと、メリアだっけ?」
「は、はい」
「あんたはさー、なんで強くなりたいわけ? 魔法をたくさん覚えてどうするつもり?」
タバサの問いかけに、メリアはぎゅっと真剣な表情になり、言った。
「私は……強くならなければいけないんです。でないと、ヒロシ様も仲間の皆さんも守れません。それに足手まといにはなりたくありませんから。どうかお願いします」
その答えにタバサはしばし沈黙し、じっとメリアを見つめていたが、やがてふっと笑みを浮かべた。
「まーいいわ、そういうコトにしといてあげる。基礎は真面目にやってたみたいだしねぇ」
「えっ、見ただけで分かるんですか!?」
「当然でしょーが、私は大魔法使いのタバサ様よ? 力強くて綺麗なマナの流れが体内に作られてるわ。基礎をしっかりやらなきゃ、こうはならないからね」
「あ、ありがとうございます……!」
「んーんー、あんたは真面目でいい子だねえ。普段は弟子とかめんどくさくて取らない主義なんだけどさー、メリアはちょいと面倒見てやってもいいわよ」
「は、はいっ! ぜひよろしくお願いします!」
何度も深々と頭を下げてお辞儀をするメリアを、タバサはニマニマしながら上機嫌で見つめている。
「ああ良かった。じゃあメリアの事はよろしくお願いします。報酬はどのくらい払えば?」
ヒロシが尋ねると、タバサは人差し指を立てる。それを見た途端、ヒロシは表情を引きつらせて苦笑いを浮かべる。
「う……い、一万ですか?」
「ちょっと、さすがにそこまで吹っ掛けないわよ。千でいいってコト」
「な、なんだ……それならどうにか」
ヒロシは冷や汗をぬぐって用意してきた袋の中から貨幣を数え、それをタバサに手渡す。
「はーい、確かに受け取ったわよ。じゃあメリアの仕込みは私に任せておきなさい」
「仕込みって……まあいいや、とにかくよろしくお願いします」
ヒロシが頭を下げると、タバサは椅子から立ち上がってメリアの肩に手を置き、にっと笑みを浮かべる。
「んじゃ、私とメリアはうちで魔法の修行すっからさー、ヒロシは解散ね。女の園なんだから男は遠慮しろよー」
「あっ、はい分かりました。それじゃメリア、俺は先に帰ってるから。魔法の修行、頑張るんだよ」
ヒロシはそう言い、メリアとタバサに託し一足先に帰ることにした。一人で店を出て行くヒロシの後姿を見送った後、タバサはメリアに視線を向けて言った。
「……あんたのその目、結構な事情がありそうだね」
「やっぱり……そんなことも分かってしまうんですね。凄いです」
「深く詮索はしないけど、あんまり思いつめるんじゃないわよ。周りの人のためにもね」
「はい……」
タバサはメリアの頭に手を置き、緑の髪を優しく撫でてやる。
「引き受けると言った以上、魔法はきっちり仕込んであげるから安心なさい。半端は私も嫌いだからね」
「はい、ありがとうございます」
「それにしてもあの坊や、全然頼りないけどいい奴だね。こんな時代に珍しい男だよ」
タバサの言葉にメリアは目を細め、静かに頷く。
「ヒロシ様には返し切れない恩があるんです。ヒロシ様のためなら私、どんなに修行がつらくても耐えられますから」
「ふーん、そりゃ大層なコトで……ふっふっふ」
タバサはニヤリと笑みを浮かべ、メリアに顔を近付けて耳打ちする。
「で、子供はいつ作る予定なワケ?」
メリアは言葉の意味が分からずポカンとしていたが、しばしの沈黙をおいて一気に顔を真っ赤にして叫んだ。
「きゃーーーっ!?」
その絶叫に店中の視線がメリアたちの方に向けられたが、タバサがニヤついた笑みを浮かべてシッシッと手を振ると、店の酔っぱらいたちはすぐに察して元の方向に向き直す。
「な、な、な、なんてことを言うんですかああぁぁぁぁっ!?」
「あれ、違ったの? 一緒に暮らしてるっていうし、とっくにそういう関係なのかと思ってたんだけど」
「ちちち、違いますからっ! 私とヒロシ様は別にそういうのでは……!」
「んん-? 本当かなぁー? そのわりにすっごく真っ赤になってるんだけどー?」
「か、からかわないでくださいっ!」
すっかり取り乱してわたわたと暴れるメリアを、タバサは笑いをこらえながらなだめる。
「あははは、ごめんごめん。あんたが可愛らしいくてつい」
「も、もう……」
「ちなみにさー。魔女の秘術の中にぃ、男を骨抜きにする夜のテクニックとかあるんだけどぉ。覚えてく?」
「結構ですっ!」
「あはははははは!」
しばらくの間、爆笑するタバサとプンスコ怒るメリアの声が、騒がしい店の音に混じって響き渡っていた。
一人で自宅に戻ったヒロシは、帰り道で購入した鉄の剣を手に庭先に立っていた。家を出る前に立ち合いをしていたヒナタとツキヨは、とっくに稽古を終えて家の中へ引き上げており、他には誰もいない。ヒロシは剣を鞘から抜き、とりあえず構えてみる。鉄製の剣はずしりとした手ごたえがあり、見た目以上に重量感がある。試しに上段に構えてから二、三回ほど剣を振ってみるが、それだけで腕が疲れてしまい、これを自在に振り回すなど夢のような話だと思うくらいだった。
「うう……ツキヨは女性なのに、これを軽々と使いこなしてるんだよな。こりゃあ一朝一夕でどうにかなるものじゃないぞ」
だが、入口に立つ前から諦めるわけにもいかない。ヒロシは気を取り直し、とにかく力の続く限り剣の素振りをしてみることにした。しかしニ十回も振ったところで腕の筋肉がぷるぷると痙攣を起こし、柄を握る指にも力が入らなくなってしまった。
「な、なんて情けないんだ俺は……たったこれだけのことも出来ないのか……!」
ヒロシはその場に剣を落としてしまい、地面に両手両膝を付いてうなだれていた。するとどこから出てきたのか、いつのまにかヤクモがヒロシの元に歩み寄ってきていた。
「ヒロシどのも鍛錬ですか。実に結構な事です」
「いや……それ以前の問題で絶望してるんですよぉ。剣もろくに振れないなんて、あまりに情けなくて……」
「私はそうは思いませんが」
思いがけないヤクモの言葉に、ヒロシは顔を上げてマヌケな声を出してしまう。
「へっ?」
「誰でも最初はそんなものですよ。鍛錬もせずに剣を扱えるのは、ごくわずかな才ある者だけです」
「そ、それはまあ……そうかもしれないけど」
「実際に手に取ってみて分かったと思いますが、剣を振るにも相応の準備というものが必要となります。それを一足飛びにしていては、いつまで経っても剣を正しく扱える時は訪れないでしょう」
「つまりそれは……」
「まずは王都の城壁沿いを一周、というところでしょうか。それと並行して筋力の鍛錬を行う。差し当たってはこれらが平気になるまで続けてみる事です」
「や、やっぱり……」
「鍛錬の方法は私がお教えしましょう。これでも護身術程度の心得はございますので」
それからヒロシはヤクモの指示に従い、まずは王都の城壁沿いに一周をマラソンしてみることにした。そしてすぐに自分の行動に後悔する事になるのだった。
「ぜえ、ぜえ、はあ、はあ……! ひぃ、ひぃ……!」
王都はその直径がおよそに二キロメートルほどあり、その円周である外壁沿い一周の距離はざっと計算して六キロメートルほどになる。それは普段、肉体労働に従事していなかったヒロシにとって厳しい距離であった。やっとの思いで自宅まで戻ってくると、二話に椅子を出して読書をするヤクモが顔を上げて出迎えてくれた。
「ようやくお戻りですねヒロシどの。その様子だと、ずいぶん身体が鈍っているご様子で」
「ふ、普段は事務仕事とかだったから……ぜえ、はあ……!」
「ですが、鍛錬はまだここからです。次はこれをやって頂きましょう」
そう言ってヤクモが持ってきたのは、ちょっとした大きさの瓶であった。それを二つヒロシの足元に置くと、ヤクモは言った。
「膝を直角に曲げて腰を落とし、瓶を指だけで持ち上げ、私が良しと言うまで腰の高さ辺りで維持してください」
「こ、これを指で持ち上げるのか?」
瓶の口はちょうど五本の指で掴める程度の直径で、指を掛けられる返しも付いている。ひとまずヒロシは言われた通りに瓶を持ち上げてみたが、ずしりと来る瓶の重さに驚いた。
「重たっ!? なにが入ってるんだこれ?」
「砂です。今は半分程度ですが、徐々にその量を増やして行きますので。これは握り瓶と呼ばれる鍛錬法です」
「ひ、ひいぃぃぃ……!」
ヒロシは歯を食いしばって瓶を持ち上げ続けてみたが、一分もしないうちに指と腕が震え限界に達してしまった。
「む、無理だぁ! これ以上持ってられないっ」
たまらず瓶を地面に下ろしてしまったヒロシを見て、ヤクモは表情を変えずに言う。
「ふむ、最初はこんなものですね。いきなり無理をすると筋肉や筋を痛める恐れがありますから、徐々に慣らしていきましょう」
「は、はい……」
走り疲れただけでほとんど鍛錬らしいことも出来ず、ヒロシはがっくりと肩を落とすしかなかった。その日から、それぞれの特訓の日々が始まった。ヒナタとツキヨは組手や立ち合い稽古を続け、メリアはタバサの元へ魔法を習いに出かけ、ヒロシは筋肉痛に苦しみながらひたすらに走り込みと握り瓶のトレーニングを続ける日々。そうして一ヶ月が過ぎた頃、ヒロシは庭先で握り瓶の鍛錬を続けていた。
「うぐぐ……ぎぎぎ……!」
身体中に汗を滲ませながら、ヒロシは砂の入った瓶を落とすまいと耐え続けていた。すでに指は震え、腕も足の筋肉もパンパンになって限界が近付こうとしている。それでも歯を食いしばり必死に耐え続けていると、ついにその時が訪れた。
「よし。瓶を下ろして良いですよヒロシどの」
ヤクモの声が天の助けとばかりに、ヒロシは砂の入った瓶を地面に下ろしてへたり込む。
「はぁ、はぁ、はぁ……や、やった、ついに合図まで耐えたぞ……」
「ええ、初日に比べたらずいぶんな進歩です。城壁沿いに走ることにも慣れ、持久力も少しは身に付いてきたようですね」
「はは、それはどうも……でも、ちょっと達成感はあるよな」
「なにを言っているのですかヒロシどの。本番はここからですよ」
「へっ?」
「最初の目的を忘れてはなりません。この稽古を積んだのは剣を正しく振るためでしょう」
「あ……そういやそうだった」
当初の目的をすっかり忘れていたヒロシに代わり、鉄の剣を持ってきたヤクモがそれを手渡す。
「ではヒロシどの、その剣を振ってみてください」
「よ、よし……!」
ヒロシは手に取った剣を上段に構え、一気に振り下ろしてみた。以前は鉄の重さに腕と指の力が負けてしまい、剣に振り回されるような感覚があったが、今は腕の筋力も握力も増したことで剣の重みがあまり気にならず、振り下ろした位置でぴたりと止めることが出来ていた。
「おお、この感じは……なんかちゃんと振れてる気がする!」
「ええ、多少の成果は出たようですね。ですがこれは、ようやく入口に立てたに過ぎません。本当の鍛錬はここから始まるということ、お忘れなきように」
「うう……少しは余韻に浸らせてくれよー」
笑顔のままで手厳しいことを言うヤクモに、ヒロシはトホホと肩を落とす。
「ヒロシどのが今から剣の達人を目指すなどというのは、さすがに無理があると言わざるを得ません。ですが剣の扱いを心得ていれば、いざという時に身を助ける手段となります。そのためにも鍛錬は続けるべきでしょう」
「は、はい、頑張ります……」
しょんぼりするヒロシを少し見かねたのか、ヤクモはそっと耳打ちする。
「ヒロシどのが頼りがいのある所を見せれば、女性たちからの印象も良くなりますよ。いつまでも守られてばかりではないと、彼女らに見せつけてやろうではありませんか」
「はっ……それもそうだよな……!? なんかムクムクとやる気が盛り上がってきたぞ……!」
ヒロシは鼻息荒く、ブンブンと何度も剣を素振りする。そんな彼の姿を見て、ヤクモは呟くのだった。
「ふふ、意外と単純な方ですねぇ」
第7話 帰還 おわり
次の更新は金曜日19:00の予定です




