表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/13

第六話 北の砦


 魔獣ギラムを討伐し、その新鮮な死体を売却して得た利益は討伐報酬の倍近くにもなり、ヒロシたちは結果的に三万という大金を得ることが出来た。これで当面の生活費を気にしないで済むどころか、大きな余裕が生まれた。そこで仲間たちと相談した結果、放置していた隣のボロ屋を解体し、住居を増築しようという話になった。


「それじゃ、こんな感じで頼むよ」

「おう、任せときな。きっちり作ってやるからよ」


 ヒロシは増築する部分の設計図を手に、ボロ屋の前でドワーフのギリウスと相談していた。今の家を建てる時に協力してもらったこともあって再び相談してみたところ、彼は二つ返事で仕事を引き受けてくれた。普段は自分の工房で鉄を打っている彼だが、日頃武器に限らずなんでも作っていることから様々な分野に顔が広く、建築もギリウスが手掛ける仕事のひとつだった。


「しかしヒロシよう、お前らすっかり話題の人になってるぜ。でっけえ魔獣を仕留めて帰ってきたらしいが、どんな魔法を使ったんだ?」

「ははは……まあ色々と運が良かったんですよ。ああ、それより家を建てる時は、こいつを手伝いに使ってください」


 ヒロシは家の軒先に置いてある茶色いタマゴ型の物体を指す。大きめの壺くらいの、パッと見ただけでは変わった形の置物にしか見えない代物である。


「あん? 見たことのねえ素材で出来てやがる置物だな。こいつがどうかしたのか?」


 ギリウスはそれを見て、白いひげを撫でながら首を傾げている。初めて見る物ながら、表面の質感などが気になっている様子だった。


「おーい、元の形に戻ってくれー」


 ヒロシが言うと、タマゴ型の物体の表面に青い光の筋が走る、するとタマゴから手足が伸びるようにして、一瞬のうちに身長三メートルほどのロボットの姿に変身した。


「おわあっ、なんじゃこりゃあ!?」


 ギリウスは腰を抜かしそうなほど驚いていたが、ロボットの姿をまじまじと見つめ、呟く。


「こ、こいつはまさか……ゴーレムじゃねえのか?」

「ゴーレム?」


 ヒロシが聞き返すと、ギリウスは目を丸くしたままごくりと息を呑む。


「ああ、古代の戦争の時に使われたっていう、機械仕掛けの人形ってやつさ。たまに遺跡で破片だの残骸だのが見つかることはあったんだが、動いてるヤツにお目にかかったのは初めてだ……まったく驚いたぜ……」

「そうか、こいつはゴーレムって名前だったのか。そういえばあの画面にそんな文字が書いてあったような?」

「いや、こいつはすげえ発見だぜ。ひょっとしたら魔獣なんかよりずっと価値があるかもしれねえぞ」

「そ、そんなに? でも今はちょっと故障してるみたいだし、便利だから手放したくないんだよなあ」


 ギリウスは感心しきりな様子でゴーレムの身体のあちこちを観察していたが、ふんと鼻を鳴らして言った。


「ゴーレムってえのは、一度主を決めたらそいつの言うことしか聞かないらしいぜ。おめえがうんと言わなきゃ、こいつもずっと離れやしねえさ」


 豪快に笑うギリウスの言葉に、ヒロシも内心ほっとしていた。


「ええと、話が逸れたけど、家を建てる時にはこいつも手伝わせますよ。大きな資材とか運ぶ時に便利だと思うんで」

「おう、これ以上ない助っ人だな。ドワーフってのはこの身長だからよう、高い所に手を伸ばすのが億劫なんだ、がはは!」


 ゴーレムはギリウスに視線を向けると、「むっ」と独特の音声を発する。魔獣ギラムとの戦いで音声機能に異常が生じているらしく、ゴーレムはこれ以外の声を発することが出来ない様子であった。その後、ギリウスと仲間の職人がが住居の増築工事に訪れると、ゴーレムも作業に参加して大きな木材や重い資材を運ぶなどの活躍をするのだった。


 数か月後、無事に増築工事が完了して喜ぶヒロシたちの姿があった。自宅の大きさは最初の倍ほどになり、部屋数も増えて住居スペースに大きなゆとりが生まれた。


「ニャハハ、家がでっかくなったニャ! これでアタシも念願のマイルーム持ちかニャ?」

「こら、居候の身で贅沢を言うんじゃない。私たちは相部屋のままで問題ないだろう。そもそもヒナタは寝るとき以外、ほとんど部屋にいないくせに」


 新しい部屋を覗いてはしゃぐヒナタの首根っこをむんずと掴み、ツキヨが釘を刺している。


「アタシは部屋でじっとしてるのは性に合わんのニャ。いつも誰かの気配を近くに感じてないと落ち着かんニャ。なーヒロシ?」

「えっ!? あ、ああ、うん。そうかな?」


 急に話を振られて、ヒロシは言葉に困って生返事を返す。


「もう、いい加減なことを……とにかくヒロシどの、私たちは今のままで構いませんのでお気になさらず」

「わ、わかった」


 ヒナタのことはツキヨに任せ、ヒロシはメリアを呼んで新しい部屋に案内する。そこは勉強机と壁の両側に立つ書棚、そして魔術に使う調合壺などの器具が一揃い置かれていた。


「新しい魔法の習得や研究にはたくさんの文献や実験が必要だって聞いたから、それ用の部屋を用意してみたんだ。この部屋はメリアが自由に使ってくれ」

「ヒ、ヒロシ様……いいんですか? 私のためにこんな……」

「君の魔法には今まで何度も助けられてるからさ、感謝の気持ちということで。魔導書とかの本は、これから揃えなくちゃいけないけど」

「ううっ……ありがとうございます、私なんかのために」


 感激で緑の瞳を潤ませているメリアに、ヒロシも思わず笑みが浮かぶ。他にも空き部屋は二部屋ほど残っており、急な来客があっても無理なく迎えられるだろう。暮らしの充実に確かな満足感を得ていたのも束の間、大きな事件が間近に迫っている事を、まだ誰も想像すら出来ていなかった。




「北の砦が魔王軍の攻撃を受けているとの報せが入った。お前たちには急ぎ救援に向かってもらいたい」


 開口一番、ダレル王は謁見の間に呼び出したヒロシにそう告げた。


「……あの、ちょっと意味がよく分からないんですが。いきなりなにを言ってるんです?」


 ヒロシはちょっと残念な人を見るような目でダレル王を見ていたが、彼の顔は普段通り至って真顔である。そして例の如く隣に立っているリィナ姫が両目を吊り上げ、頬を紅潮させて声を張り上げる。


「もうっ! 重ね重ね本当に無礼ねあなたは! 国王の命令とあらば、兵は黙って従うものでしょう!」

「あのー、俺はこの国の兵隊ではないので……それに砦に出向いたところで、魔王の軍勢相手にどうしろと言うんです?」


 ヒロシの言うことは正論であったが、リィナ姫は沸騰したヤカンのようにプンプンと怒っている。そんな彼女を手で制し、ダレル王は玉座からヒロシに言った。


「よい、まずは順を追って話すとしよう。王都の遥か北方には、大陸を南北に分断する山脈が連なっておる。山脈を挟んで南側が我らの領地、北側が魔王軍の勢力下と思ってくれ。そして山脈を南北に抜けられる唯一の峡谷地帯に、我が国の防衛線たる北の砦が存在するのだ。そして先日、この砦に魔王軍が攻め入ってきたと報告があった。魔王軍の数はおよそ五千。対する砦の兵はせいぜい千五百といった所だ」


 ヒロシは戦争などについては完全に素人だが、それでも話を聞いただけで顔が青ざめる。


「魔王軍はこっちの倍以上の数じゃないですか。それじゃ勝ち目なんか……」

「まあ待て。北の砦は自然の要害にあり、いかに敵の数が多くとも容易に攻め落とせる場所ではない。だが、そなたの言うように数の差は無視できぬ。それに魔王軍の兵は精強なオークだと聞いている」

「オーク?」

「オーク共は体格に優れ力も強く、そして獰猛だ。地の利があるとはいえ、五千のオークに押され続けては砦も持つまい。ゆえに増援を送る手筈はすでに整っておる。お前たちはその増援と共に砦へ向かって欲しいのだ」


 詳しい事情をようやく理解したものの、ヒロシの表情は引きつっている。増援部隊の付き添いとはいえ、戦場の真っただ中、いわゆる死地へ向かえと命じられてしまったのだから。


「あー、いやー、なんというか……あっ、急におなかの具合が悪くなってきたような……しかも蕁麻疹まで出てきちゃったし、持病のこむら返りが……ああー困ったなーこれじゃ動けそうもないなー。あーこれは無理っぽいなー!」


 わざとらしい棒読みのセリフを喋るヒロシだったが、ダレル王は相変わらずの真顔で話を続ける。


「落ち着けヒロシよ。お前たちに頼みたいのはオーク軍と直接戦う事ではない」

「えっ?」

「お前たちは少し前、魔獣ギラムを討伐したことで話題になっていたであろう。その話はわしも聞き及んでいる。あの魔物は手練れの戦士といえど、そう簡単に倒せるものではない。その手柄を上げたお前たちが同行すれば、兵たちの士気も多少は上がるだろうと思ってな」

「じゃ、じゃあ砦に行っても戦わずに済むと?」

「そうは言っておらん。もし北の砦が破られたなら、魔王軍は我が王国へ雪崩れ込んでくる。そうなれば全ては蹂躙され、徹底的に破壊されるだろう。それはお前たちの命や生活とて例外ではないのだ」

「うぐっ……いやでもなんかこう、なんか……!」

「兵と同じ真似をせよとは言わん。だが出来る限り、砦の兵士たちに力を貸してやってくれ。これは我が王国の命運がかかっているのだ。よいな?」


 さすがに拒否できる雰囲気ではなくなってしまい、ヒロシはダレル王の頼みを引き受けざるを得なかった。一度自宅に戻ったヒロシが仲間に事情を伝えると、誰も反対や拒否を示す者はいなかった。手早く準備を済ませ王都の北門へ向かうと、援軍である兵士の部隊がすでに待機していた。


「来たかヒロシよ。それが魔獣討伐に尽力したそなたらの仲間か」


 ダレル王はヒナタやツキヨに目を向けて言い、再びヒロシに目を向ける。


「かの魔獣を仕留めたとあらば、この者たちの腕も確かなのであろうな。此度の戦いでも朗報を期待しておるぞ」

「は、はあ……」


 ダレル王の言葉もそこそこに、ヒロシは気になることがあって首を傾げる。


「あのー、ちょっといいですか?」

「うむ、申してみよ」

「この増援部隊、なんか人数少なくないですか?」


 ざっと見た限りでも兵士の数は多くて二百人程度といった所である。五千の敵軍を相手にするための増援としては、少なすぎると言わざるを得ない。


「残念だが、今すぐに動かせる兵はこれしかおらんのだ。いくら敵軍が砦に攻めてきたとはいえ、王都を空にするわけにはいかんのでな。無論、急ぎ増援部隊を編成するよう指示は出してある。準備さえ整えば合わせて二千の兵を用意できるはずだ」

「そ、その準備にかかる時間は……?」

「少なくとも二、三日が必要だ。北の砦への道のりも含めると、増援が砦に到着するのは四、五日後ということになるな」

(……その間、俺たちは最前線で過ごさなきゃならないのか……あわわわ)


  ヒロシが青ざめた顔をしていると、今まで目に入らなかった場所にいたリィナ姫が、つかつかとヒロシに歩み寄ってきた。


「まったく、これから国の一大事に向かおうという殿方が、なんて顔をしているのかしら。こんな事じゃ魔獣を倒したなんて言う話も疑わしいものね」


 相変わらずの調子で話すリィナ姫の姿をじっと見て、ヒロシは言う。


「ええと、リィナ姫様……でしたっけ」

「そうよ。人の名前くらい一度で覚えなさいよ、まったく」

「そういえば姫様、最初に顔を合わせてからずっと、俺が王様に呼ばれた時には必ず居ますね」

「そ、それがなによ……」


 見つめられたことが気恥ずかしかったのか、リィナ姫はトーンダウンした返事をする。ヒロシは少し考えてから、ぐっと真面目な顔つきで言う。


「もしかしてヒマなんです?」


 その言葉にリィナ姫は顔をぴくぴくと引きつらせ、噴火したかのように怒り始めた。


「ど、どこまで失礼なのよあなたは!! 最近上手く行っているからといって、調子に乗っているんじゃないの!? 大体そんなことだから転生者のくせに能力を授からないのよ、キーーーッ!!」


 怒りが収まらないリィナ姫は怒涛の勢いでまくし立て、侍女に両脇を抱えられ遠ざかって行く。その様子を見ていた兵士たちは笑いをこらえるのに必死であった。そんな兵士たちの気持ちを引き締めるかのように、ダレル王が一歩前に出て咳払いをする。


「ゴホン。ともかくヒロシよ、オークの軍勢は手強いが、魔獣を討伐した実力が本物であれば活路を見出すことも出来よう。なんとしても魔王軍の攻撃を耐え抜き、砦を守り切ってくれ。期待しておるぞ!」


 ダレル王の激励という名の無茶振りを受け、増援部隊の兵士二百人は北の砦を目指し出発した。彼らに付いていくヒロシの顔は、ずっと不安の色が消えないままであった。




 北へ延びる街道を丸一日ほど進んだ頃、揺れる馬車の上でヒロシは目を覚ました。周囲が少し騒がしいので外の様子を見てみると、馬車の向かう先には巨大な壁のように陸地を分断する山脈が東西に広がり、馬車はその間のわずかな峡谷へと向かっていた。それからおよそ一時間後、狭い谷間の道を抜けてようやく馬車は砦へと辿り着いた。出入口の門がある砦の壁は高さ二十メートルほどもあり、極めて頑丈に作られている。関所のような大きな門をくぐると、険しく切り立った谷の合間に作られた砦は思っていたより大規模で、ちょとした町程度の規模があった。増援の兵士たちが休む間もなく持ち場へ移動していくのを眺めていると、兵士と比べて身分の高そうな男が護衛と共に歩み寄ってきた。年齢は五十代くらいで灰色の頭髪は短く、多くの場数を踏んだであろう貫録が顔つきに現れている。身に纏う金属の鎧も兵士のものより上等で、金の装飾が施された柄の剣を腰に差している。


「私はこの砦を預かるケイン将軍だ。お前たちが魔獣を討伐したという例のパーティか」


 ケイン将軍と名乗った男はヒロシ、メリア、ヒナタ、ツキヨとそれぞれに目をやり、わずかに眉をひそめる。


「うむ……少しばかり頼りなく見えるが、大丈夫なのだろうな」


 人によってはここでムッとする場面だったかも知れないが、ヒロシはこれが普通の反応だろうと苦笑するしかなかった。一般人と変わらない自分と、駆け出し魔法使いのメリア、そして亜人の女性戦士が二人。初対面の人間がこの顔ぶれを歴戦の猛者と呼ぶのはさすがに苦しいものがある。


「はは……俺はともかく、三人はこう見えて頼りになりますから」

「まあいい。お前たち、砦の状況は聞いて来たのだろう?」

「はい、魔王軍が攻めてきたと……」

「うむ……これは言葉で説明するより、実際に見た方が早いだろう。私に付いて来い」


 ヒロシたちはケイン将軍に案内され、砦の北側にある防壁の上までやってきた。そこから見下ろした先に映る光景に、ヒロシはただ絶句するしかなかった。地面は大量に突き刺さった矢と無数の死体が転がり、時折吹く風に乗って生臭い血の匂いが漂っている。倒れている死体は王国兵士の物がまばらにあり、それ以上に肌が黒く大柄な人型の物が無数に転がっていた。その数は見える範囲、少なく見積もっても二百以上はある。


「うわあ、これは……うぷっ」

「あの黒い死体がオークだ。奴らは人間よりも大柄で力も強く、様々な武器や戦法を扱う知能もある。油断ならん奴らだ」


 ヒロシは鼻を突く臭いに口元を押さえながら、オークの骸に目をやる。肌の色が黒く大柄な体格をしている以外には、ほとんど人間と変わらない姿をしている。一番に目を引くのは、ひと目で魔物と分かるような恐ろしげな顔つきをしている事である。特に口には鋭い牙が生えており、その凶暴さの印象を際立たせている。


「最初の攻撃を受けてからすでに三日、奴らの攻撃は激しさを増すばかりだ。地形のおかげで五千のオークが一度に攻めてくるのは不可能だが、こちらもそう長くは持たんというのが正直なところだ」


 ケイン将軍は凄惨な現場に目をやりながら、淡々と言う。ヒロシは改めて周囲の景色をよく見てみるが、砦の東西は切り立った崖となっているおかげで道が狭く、ケイン将軍が言うように、ここを大軍が通るのは不可能だろうというのが率直な感想である。一度に道を通れる人数に限界があるため、この場で戦う限りは砦側の方が有利にも見えるが、やはり数の差は重くのしかかっているようだ。


「じきに次の攻撃が始まるだろう。お前たちも兵と共に戦い、オーク撃退に力を貸してくれ。魔獣を仕留めたという戦いぶりを見れば、兵たちの士気もいくらかは上がる事だろう」

「うっ、あ、やっぱり戦わないとダメですかね……」


 腰が引けたまま言うヒロシを見て、カイル将軍は小さく息を吐いて言う。


「五千のオーク軍を退ける妙案でもあれば、このような頼みをする必要もなかったのだがな」


 もはや戦闘は避けられない状況となり、ヒロシは不安げな表情で仲間の方に目を向けた。


「ええと、みんなはいいのか? 魔王の軍隊と戦うのは」


 ヒナタとツキヨはいつになく険しい表情をしており、ヒロシの問いに毅然と答えた。


「前に言ったはずニャ。魔王軍はアタシらの仇。こいつらをぶっ倒せるなら喜んで参加するニャ」

「無残に踏み潰された村と仲間の恨み、多少なりともここで晴らさせてもらいましょう」


 二人からは迷いを感じられず、決意は固いようである。ヒロシは視線を動かし、隣にいるメリアを見た。


「メリアは大丈夫かい? 魔王軍との戦いなんて、どんな事が起こるか俺には想像も……」


 メリアも凄惨な現場を見て押し黙っていたが、やがてヒロシの方に顔を向けて言った。


「正直に言えば……怖いです。本当は戦いなんてしたくありません。でも……私は私のために進まなくちゃならないって、そう決めましたから。だから、逃げません」


 メリアは真剣な表情で、そうはっきりと告げた。普段はとても温厚で戦いなど無縁に思える彼女だが、いざという時になると不思議なほどに肚が据わっていたりする。決意に満ちた彼女の瞳が気になったものの、それを確かめている時間は無かった。やがて、谷間に低い音が響き始めた。地を這うようなそれは大きさを増していき、やがて遠くの方から人影らしきものが次々と現れ始めていた。最初は小さかったその人影は徐々に姿形がはっきり見えるようになり、それは馬の代わりにトカゲのような生物の背に乗って駆けるオークたちの姿となった。いずれも手には武器を持ち、簡素ながら鎧も身に付けている。モンスターながら『軍勢』と呼ぶに相応しい集団である。


「来たぞ! 一匹たりとも砦に入れるな!」


 ケイン将軍の声が響くと、壁の上で配置についていた兵士たちが弓を構え、迫り来るオークの軍勢を待ち受ける。先頭の集団が砦の壁に迫ると、一斉に矢が射かけられた。オークたちは矢に貫かれ次々に倒れていくが、その死体を踏み越えて次々にオークたちが殺到するや、壁に向かってフックの付いたロープを投げてきた。壁の出っ張りなどに上手くロープが引っかかると、オークたちは我先にと壁をよじ登り始めた。


「わわっ、壁を登ってくるぞ!」


 一人驚くヒロシを横目に、兵士たちは壁をよじ登るオークたちを射落としていく。しかしオークは恐怖心が薄いのか、あるいは存在しないのか、仲間がやられても怯むどころか、牙を剝き出しにして次々に同じ行動を繰り返す。やがて処理しきれなくなったオークが数匹、壁の上まで到達してしまった。オークは近くにいた兵士を殴り飛ばし、さらにヒロシのいる方向へと肉薄する。


「グオオーーーッ!!」


 分厚い剣を振りかざして襲いかかるオークだったが、剣が振り降ろされるより先に、閃光のような光が走った。直後、オークの腕と顔に三本揃った切り傷が刻まれ、オークは武器を落とし顔面を押さえて悶絶する。


「オメーらの相手はこっちニャ! 三枚におろしてやるからかかってこいニャおらーーーーっ!」


 いつの間に現れたのか、ヒロシの前には手甲に装着されたかぎ爪をギラリと光らせ身構えるヒナタがいた。ヒナタは顔面を押さえたオークめがけて突進すると、そのまま体当たりをぶちかました。その勢いはオークの巨体すらも吹き飛ばし、バランスを崩したオークは壁の上から落下してしまった。ホッと胸を撫で下ろすヒロシの近くに、今度は槍を手にしたツキヨが近付いてきた。


「登ってきた連中の相手は我々に任せてください。ヒロシどのはロープを!」

「あ、ああ、わかった!」


 ツキヨは手短にそう言うと、またよじ登ってきたオークに向かって素早く突きを繰り出す。ヒロシは足がもつれそうになりながらも、壁に引っ掛けられたフックに繋がるロープを探し、それをナイフで切って落としていく。オークの体重がかかっているせいもあって、刃を入れる瞬間が少し硬く感じるが、一度切れてしまえばロープはあっという間に千切れ、ぶら下がっていたオークたちも地面に落下していく。そうして何本かのロープを切り落し、同じように次のロープを切ろうと手を伸ばした瞬間、自分の手の上に黒い皮膚の大きな手が覆い被さった。


「ひええっ!?」


 タイミングの悪いことに、ちょうどオークが壁の上に到達した瞬間だったのだ。オークはヒロシを見るなり上半身を乗り出して襲いかかろうとしたが、爪が伸びた大きな手が届くより先に、オレンジ色の火の玉がオークに直撃していた。


「ギャーーッ!?」


 一瞬にして炎に包まれ、オークは壁下へと落下していく。身を屈めていたヒロシが顔を上げると、杖を構えたメリアが周囲を気にしながら駆け寄ってきてくれた。


「ヒロシ様、大丈夫ですか? 危ないところでした」

「ごめん助かったよ。俺はロープを切って回るから、メリアは今みたいに周りを頼む」

「はいっ」


 ヒロシはメリアに周囲の警戒を任せ、自分は壁に引っかかるロープの切断に集中する。戦うことは出来なくとも、自分にやれることがあると分かれば、こんな状況でも以外に手足は動いてくれた。そうして文字通りに壁の上を西へ東へと動き回っているうちに、犠牲が増えるばかりで壁を越えられないオークたちは諦めたのか、潮が引くように退却していった。


「た、助かった……」


 命拾いをしたヒロシはその場に座り込み、がっくりと大きなため息をつく。壁の下ではオークたちの死体が積み重なっており、夢に見てしまいそうな恐ろしい光景だった。メリア、ヒナタ、ツキヨの三人にも怪我などは無く、ヒナタに至ってはまだ暴れ足りないと興奮気味な様子だった。


「これで少しは状況が分かってもらえただろうか」


 そう言って近付いてきたのはケイン将軍である。彼も特に手傷などを負った様子はなかったが、オークたちが去った後も表情を緩めていなかった。


「こうした攻撃が日に何度もある。敵は部隊を入れ替え、矢継ぎ早に攻め立てる作戦なのだろう。単純だが、それが一番効果的だ」


 その話を聞いただけでヒロシは気が滅入りそうだった。いずれは数で劣るこちらが疲弊し、オーク軍に押し切られるのは目に見えている。そうなった時、自分や仲間の運命はどうなってしまうのか。今すぐに砦を出て帰りたいというのが正直な気持ちであった。そんな時、一人の兵士がケイン将軍の元へ駆け寄り、何事かを伝えていた。話を聞いたケイン将軍は怪訝そうな顔をしながらも、ヒロシの方へ顔を向けて言った。


「ヒロシよ、お前に面会したい者がいるそうだ。私に付いてきたまえ」


 ヒロシは誰が自分に会いたがっているのか不思議に思いながらも、ケイン将軍の後に付いて行った。ほどなくしてヒロシたちは砦の南側にある門の前に辿り着いたが、そこに知った顔の人間は見当たらなかった。


(ええと……俺に会いたいって誰のことなんだろう。ガンバじゃないのか?)


 こんな場所まで顔を見せに来るのは自称ラット人のガンバくらいだろうと思っていたが、彼の姿は無い。では誰がなんの用事なのかと首を傾げていると、一人の若い男が歩み寄って来た。白い衣服に身を包んだその人物は、身長こそヒロシよりは高いものの線が細く、整った顔つきに柔和な表情を浮かべている。肩にかかるほどの髪はサラサラとなびいていて、所作のひとつひとつにも知性を感じさせる。


「お初にお目にかかります、ヒロシどの」

「あっ、いやいやこれはどうもご丁寧に……」


 柔らかな印象の声で、男はうやうやしく挨拶をする。ヒロシも条件反射的についお辞儀をしてしまったが、ふと我に返り顔を上げる。


「あのー、どちら様で?」


 ヒロシの問いに笑顔で応じる男を見て、横にいたケイン将軍が言う。


「お前には見覚えがある。確か薬や薬草を卸しに来ていた行商人であったな。どうしてもヒロシに面会したいというので連れてきてやったが、薬の行商人が一体なんの用だ?」


 白い服の男はケイン将軍の言葉に深く頷くと、あらためてもう一度ヒロシに向かってお辞儀をし、言った。


「私の名はヤクモ。ケイン将軍のおっしゃる通り、薬の行商などで生活している者です。商いの先々でヒロシどのの噂を聞き、一度お会いしたいと思っておりました」


 ヤクモと名乗る薬売りの傍らをよく見ると、薬や薬草が入った背負子が置いてある。薬売りという話はケイン将軍の言葉も含め、どうやら本当のようである。


「それで、薬の行商人さんが俺にどんな用事で?」


 ヒロシが不思議そうに尋ねると、ヤクモは口の端を持ち上げて言った。


「ヒロシどのの名は、ずいぶんと噂になっていまして。悪名高い魔獣や死霊使いを討伐したという有名人を、私もこの目で確かめてみたいと思いましてね」

「あーっと……それは頼れる仲間がいたからで、残念ながら俺の実力とかでは……」


 ヒロシが苦笑しながら答えると、その言葉を指先で遮るようにしてヤクモは顔を近付け、小声でヒロシに耳打ちした。


「こんな話も聞き及んでいますよ。ヒロシどのが『能力』を持たぬ転生者である、と」


 ヤクモの口から出た言葉に、ヒロシは目を剥いて驚いた。ヒロシが『無能』の転生者であるという話は、ダレル王やそれに近い人物らしか知らないはずである。特に『能力』を持たないヒロシの存在は不都合であるとして、ダレル王がこれらの話を外部に漏らさないよう指示を出していたはずなのである。


「ど、どこでその話を……?」

「ふふふ、噂話というのはどんなに秘密にしようとしても、どこからか漏れるものです。特にこの仕事をしていると、人の噂というのは自然と耳に入ってきますので」


 相変わらずの笑顔を崩さないヤクモに対し、ヒロシは眉をひそめ距離を取る。


「……俺を脅かしてもあんまり儲からないと思いますよ。家の増築でお金も結構使っちゃったし」


 あえてこの話を持ち出してくる理由はそれくらいしか思い浮かばなかったが、ヤクモは笑顔を崩さずに言う。


「どうやら勘違いをされているようで。ご安心ください、私は金の無心に来たわけではありません。見極めに来たのです」

「見極める? なにを?」

「それはこの先の未来で分かること……そこでひとつ、提案があるのですが」

「は、はあ……」

「私をヒロシどのの仲間に加えては頂けませんか。もちろん、それなりの働きは致しましょう」


 想像もしていなかった申し出に、ヒロシはちょっと待ってくれと言い、サッと距離を取ってメリアとヒナタ、ツキヨに向かって小声で話しかける。


「あの人が仲間にして欲しいって言ってるんだけど、みんなはどう思う……?」


 最初に口を開いたのはヒナタだった。


「ヒロシよりはずっといい男ニャ。たぶんモテるニャあいつ。アタシはどっちでも構わんニャよ」


 続いてメリアが言う。


「あの方が善人なのか、そうでないのか、私にはよく分かりません。だからヒロシ様の判断にお任せします」


 そして最後に、ツキヨが鋭い視線をヤクモの方へ送りながら言った。


「あの男、少なくとも只者ではないでしょう。魔王軍の襲撃を受けている真っ最中に、わざわざあのようなことを言いに来た……よほどの大物か、あるいは愚か者か。今すぐに判断はできませんが……ただ、個人的に興味はあります」


 結局のところ、三人とも判断しかねるといった回答であった。ヒロシは決断が自分に任されたことに少し焦りを感じたが、戦いの真っ最中であるこの状況で、答えをいつまでも引き延ばすわけにもいかない。そして正直なところ、素性がよく分からないとはいえ、人手が増えるならそれに越したことはないというのが本音でもあった。ヒロシは考え込んだ後、顔を上げてヤクモの方へ一歩歩み寄った。


「ええと、ヤクモ……さんでしたっけ? 仲間になってくれるのは構わないんですが、今は生き延びられるかも怪しい状況で……それでもいいんですか?」


 ヒロシが問うと、ヤクモは両手をポンと叩いて嬉しそうな顔をした。


「おお、仲間に加えて頂けるのですね。それでは微力ながら、私も戦いのお力添えを致しましょう」


 話がまとまった所で、会話を聞いていたケイン将軍が再び口を挟んできた。


「話は聞いていたが薬屋よ、お前になにが出来るというのだ? オークの軍勢はまたすぐにでも襲ってくるだろう。お前にそれを退ける力があるとでも?」


 ケイン将軍の問いかけはもっともであり、ヒロシたちも「うんうん」と後ろで頷いている。


「私個人にはオークと戦う力はありません。ですが、この戦いに勝てる方法なら知っています」

「なんだと?」

「魔王軍の数はこちらの倍以上、敵兵は精強で死すらも恐れないオークの群れ。このような敵に対するには、砦の人員が団結し一丸となって臨む必要があります。そうでなければ王都の増援が到着する前に、この砦は攻め落とされるでしょう」


 北の砦が置かれた状況を正確に言い当てたヤクモに、ケイン将軍は目を見開いて驚きの表情を浮かべる。


「そんなことまで知っているのか。薬屋、お前は一体……」

「私の事など、今は些細なこと。それよりも戦いの準備を進めなくては、間に合わなくなりますよ」


 ケイン将軍はしばし黙り込んで考えていたが、やがて真剣な表情でヤクモを見て言った。


「うむ……手をこまねいて死を待つより、一矢報いてやる方が兵も納得しよう」

「もちろんです。では、これより策をお伝えします」


 ヤクモが語った作戦はこうであった。まず砦にある食糧、燃料を一ヶ所に集めさせ、兵に十分な食事をさせろと言う。そして燃料は別動隊によって、東西の崖の上に運ぶよう指示を出した。兵士たちが十分な量の食材を使って食事をする様子を眺めながら、ケイン将軍が怪訝そうに言う。


「おい薬屋、無駄に食糧を消費しては先が続かんぞ」


 ヤクモは相変わらず平然とした表情のまま、充実した食事に舌鼓を打つ兵士たちを見ながら答えた。


「あと三日持ちこたえられれば、我々の勝ちです。資材は使い切ってしまって構いません」

「……ただ耐えるだけを策とは呼ばんぞ。貴様、根拠があってのことだろうな」

「もちろんです。私が信用できないのであれば、今すぐこの首を差し出しましょう」


 平然と言い放つヤクモに、ケイン将軍は剣の柄に伸ばしかけた手を引っ込める。


「だが、崖の上に燃料を運ぶのはどうする。ここを登るだけでも一苦労だというのに、荷を運ぶのは至難の業だぞ」

「ええ、ですので作業員はこちらで呼んでおきました」


 ヤクモが手を叩いて合図をすると、音もなく小男がその場に姿を現した。小柄でネズミの頭を持つその人物に、近くで話を聞いていたヒロシは声を上げた。


「ガンバ!? ガンバじゃないか、どうしてここに?」


 ガンバは肩から何重にも巻いたロープを下げており、へへっと笑ってヒロシを見た。


「よっ、相変わらず難儀な事件に巻き込まれてんなヒロシ」

「ん、あれ? ちょっと待てよ……?」


 ヒロシはふと気付き、ガンバにぐっと顔を近付けて睨む。


「おいガンバ、ヤクモって人に俺の事を喋っただろ」

「ん? ああ、金払いは良かったぜあの兄ちゃん。もちろん他の奴には喋ってないから安心しろって」

「そういう問題じゃないだろ、ったく。人間にはプライバシーってものがあるんだぞ」

「まーまー、細けぇ事は気にすんなって。それより俺ぁ忙しいんだ」


 ガンバは肩に掛けたロープをパンパンと叩き、口笛を吹く。するとどこから現れたのか、ガンバに似た姿格好のネズミ人たちが十数人ほど集まってきた。


「崖登りなら俺たちに任せときな。上からロープを下ろしてやるから、荷物運びも楽になるだろうぜ」


 ガンバはヘラヘラと笑みを浮かべ、揉み手をしながらケイン将軍の元へ近付く。


「へへ、将軍様。俺たちゃ報酬は先払いでもらう決まりなもんで」

「……いくらだ」


 ガンバが指先で値段のジェスチャーをすると、ケイン将軍は近くの兵士に指示して報酬の袋を持って来させる。ガンバは袋を受け取ると中身を確認し、ニヤリと笑みを浮かべる。


「確かに頂戴しやしたぜ。毎度あり」


 報酬の中身を同族と思われる仲間に分け終えると、ガンバたちネズミ人の集団は素早く行動を開始した。普通の人間ならすぐに滑り落ちてしまうであろう崖を、ガンバたちはいとも簡単にスルスルと登っていく。そしてあっという間に崖を登り切ってしまうと、硬い地面に打ち込んだ杭に括り付けたロープを垂らした。下でロープの先端を受け取った仲間が、燃料油の入った樽をしっかりと括り付けると、ロープが引かれ樽が崖上まで運ばれていく。


「一日もあれば燃料の運搬は終わるでしょう。後は三日の間、なんとしても耐えきってください。そうすれば我々の勝ちです」

「その言葉、信じるぞ薬屋」


 準備が進む砦の様子を見回しながら、ケイン将軍は深く息を吐く。


「私とて、この場で終わるつもりはありません。後は風が吹くのを待ちましょう。我らを勝利に導く追い風を」


 ヤクモの言葉と共に、北の砦の命運を分ける長い三日間が始まった。その後も数度にわたってオークの軍勢は砦へ攻め込み、その回数が増すごとに勢いも苛烈になってきていた。ヒロシは念のためにと持ってきたゴーレムを起動して戦闘に参加させてみたが、やはり一体だけでは戦局の流れを変えるような力を発揮することは出来なかった。夜になってもいつ襲撃があるか分からず、常に警戒を怠ることが出来ないこともあり、兵士たちの疲労は想像以上に早く蓄積していく。そして疲労も物資も限界に達しようという中、兵士やヒロシたちは死にもの狂いになって砦を守りきり、そして三日目の朝がやってきた。夜が明けた砦は幾度にもわたる魔王軍の攻撃によって損傷し、壁も一部が崩れたりと激しく痛んでいる。兵士たちも疲れ果て、もはやこれ以上戦い続けるのが厳しいというのは、誰の目にも明らかであった。


「砦も兵も限界だ。やはり五千という数を相手するのに、こちらの兵が足りなさすぎる。ここで敵の総攻撃を受けたら、我々はおしまいだ」


 防壁の上で北側の戦場を見下ろしながら、ケイン将軍は険しい表情を浮かべる。傍らにはヤクモと、ヒロシたちの姿もある。


「ええ、魔王軍の侵攻が始まってすでに六日。彼らが総出を打って攻め込んでくるタイミングでしょう」

「な、なにっ!? 貴様、それを知っていてこのような作戦を……!?」


 ヤクモの言葉を聞いた全員が驚きの表情を浮かべたが、彼はただ一人、落ち着き払って北へ続く峡谷を見つめている。


「もはや言葉を尽くすのは無意味。我々は結果を見届けるのみです」


 ヤクモが指す方向の景色には、黒いものがじわじわと広がっていく。地鳴りと共にどんどん増えていくそれは、もはや隙間さえ見つけるのが難しいほどの、オークの大群であった。道幅のせいで多くは進軍できないとはいえ、それが地面を埋め尽くす濁流のように押し寄せて、砦の真下までオークの大群で一気に埋め尽くされてしまった。もはやこの攻撃を耐えきれるほど兵に体力は残っておらず、このままでは砦の運命は風前の灯火かと思われた。


「時は来ました」


 ヤクモがそう呟いた瞬間、彼らの背中側から風が吹き抜けた。風になびく髪をそのままに、ヤクモは懐から小さな筒を取り出し、そこから伸びた導火線に火種で火を点け、頭上に掲げた。


 ――パシュッ!


 筒から黄色い光を発する弾が天高く昇っていくと、谷の両側から同じような光の弾が撃ち上げられる。直後、東西の崖の上から無数の人影が現れ、崖下めがけて大量の樽などを投げ込み始めた。


「あ、あれは……!?」


 人影は初日にヤクモが指示をしていた、ガンバたちネズミ人の集団だった。彼らは次から次に燃料の樽などを投げ込み、オークたちは大量の燃料油を頭から被り、地面にも油が流れ広がっていた。ヤクモはその状況をじっと見つめ、中身を詰め替えた筒を頭上に掲げ、発射した。今度は赤く光る弾が天に向かって撃ち上がると、崖の上から火種の付いた矢が射かけられた。火はすぐに油に燃え移り、それはあっという間に巨大な炎となってオークたちの群れを呑み込む。隙間もないほどに押し寄せていたことも仇となり、オークたちは逃げることも出来ず火に焼かれていった。


「ううっ……!?」


 凄惨な場面に言葉を失うヒロシだったが、じっとその様子を見つめていたヤクモは、両手を広げ天を仰ぐ。


「策は成った。仕上げはここからです」


 直後、背中から吹く風が勢いを増し、突風となって峡谷を吹き抜けた。南から北へ抜けるその風は、燃え上がる炎を北に向かって押し広げ、炎は次々にオークの軍勢を呑み込んで広がっていく。オークたちは行くも引くも叶わず炎に焼かれていき、もはや谷間から聞こえるのは、阿鼻叫喚の悲鳴と炎の音だけであった。やがて風の勢いが弱まり、炎も下火になった頃には、辺り一面は真っ黒に焼けたオークの死体で埋め尽くされ、そして後に続く軍勢の姿も無くなっていた。


「す、すごい……あの大軍を全滅させた……!」


 魔王軍五千の全てを倒したとは言えないまでも、見える範囲だけでも半数以上のオーク兵が犠牲となったのは間違いない。これほど壊滅的な被害を被っては、これ以上の攻撃を継続するのは不可能であり、実際にこれ以降、魔王軍の攻撃は起こらなかった。


「やった、勝ったぞ! 魔王の軍勢を追い返したんだ!」


 兵士の誰かが歓喜の声を上げた。それはまたたくまに伝播し、砦の中は喜びの声で満ち溢れた。歓喜の声に包まれる中、驚きの表情を浮かべたケイン将軍がヤクモに問いかける。


「薬屋よ、お前は最初からこうなることを読んでいたのか? 全てがこんなに上手く行くとは……まるで未来が見えていたかのようだ」

「いえ、未来が見えているわけではありませんよ。そうですね……私の策が成功したのは、主に三つの理由があるからです。ひとつはオークの習性があります」

「オークの習性だと?」

「オークは人間より体格に優れ力が強く、複雑な作戦や武器を扱う知能があり、そして獰猛です。こう聞くと人間より優れた兵に思えますが、そこに彼らの弱点も隠れているのです。オークはその身体と力を維持するために消耗が激しい。ゆえに食料も人間と比べて大量に消費します。過去にオークの軍勢が侵攻した際の記録を見たことがありますが、彼らの戦い方は例外なく短期間のうちに、その力と勢いで侵略し、現地の食料を根こそぎ奪い尽くしていました。これはオークが獰猛であるのと同時に、そうしなければ軍勢を維持できないからです」

「そうか。今回のような持久戦は、奴らには不都合だったというわけか」

「はい。そして食糧を消費し尽くしたオークたちは、軍が自壊する前に最後の突撃をせざるを得なかったというわけです」


 理路整然としたヤクモの説明に、その場の皆がただ驚くばかりだった。


「そして第二に、この峡谷に吹く風です。私は薬の行商で何度もここへ訪れたことがありましたが、天気を観察していてあることに気付きました。月に何日か、南から北へ強い風が吹き抜ける日があると。それが今日だったというわけです。そして御覧のとおり、火攻めは最大の効果を生んでくれました」

「そ、そんなことまで調べていたのか……お前は一体……」

「そして第三に、ケイン将軍を始め砦の兵たちが私の策を信じ、今日まで耐え抜いてくれたことです。もしも疑いがあれば守りは破られ、砦は持ちこたえることが出来なかったでしょう。いち薬屋に過ぎぬ私の言葉に耳を傾けてくださったこと、お礼を申し上げます」

「バカなことを言うな、礼をしなければならんのはこっちの方だ。ここまで鮮やかに勝利を見せられてはな」


 ケイン将軍は豪快に笑い、そしてくるりと向きを変えて兵たちに向かって叫んだ。


「兵士諸君、よくぞ今日まで持ちこたえてくれた! じきに王都より二千の援軍も到着し、この砦の守りが揺らぐことはない。この戦い、我々の勝利だ!」


 その宣言と共に、砦の中はオーッという歓声に包まれた。ヒロシたちも三日間の緊張と戦場からの解放に、大いに喜びあっていた。その日は兵士たちに混じって祝杯を上げ、翌日に到着した王都からの増援と入れ替わりに、ヒロシたちは帰還することとなった。


「では、今後ともよろしくお願いしますよヒロシどの」


 帰りの馬車に乗り込む時も、ヤクモは相変わらずの笑顔を浮かべていた。




第六話 北の砦 おわり

次の更新は木曜日夕方予定です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ