第十九話 キャラバン
「お父さん!」
「アンナ! ジル! おお、無事で良かった……!」
男たちの戻って来た村は歓喜の声に包まれていた。至る所で喜び合う人々の姿があり、ヒロシたちの目の前でも、解放されたアンナの父、そして祖父が家族との再会に涙を流していた。特にメリアはその様子を見て年度も目元をぬぐっていたが、彼女の気持ちについて大勢の前で尋ねるのは控えておこうと思い、今はなにも言わなかった。やがて落ち着いたアンナとその家族は、ヒロシたちの方に揃って向き直し近付いてきた。
「あなた方は村の恩人だ。魔王軍を追い払ったあの戦いぶり、実に見事でした」
一歩前に出てそう言ったのは、アンナの父親であるジョージその人である。厳しい作業のせいで身なりは汚れているが、採掘場で生計を立てているだけあってか、たくましい体格に無精ひげを生やしており、まさに現場の男といった人物である。
「聞けば盗賊団を退治し、誘拐された子供たちも無事に連れ戻して頂いたとか……なんとお礼をすればいいのか。ともかく、本当にありがとうございました。ぜひとも村でゆっくりと休んでいってください」
ジョージの提案に甘えたいのはやまやまだが、ヒロシたちもここでのんびり過ごすわけにもいかない。結局、次の旅の準備に翌日まで滞在し、三日目の朝には鉱山の村を出発するということで仲間たちの意見も一致した。話が一旦まとまった所で、ヒナタが手を上げ、隣に立つ金髪の若い男――ウィルの肩をバシバシ叩いて言った。
「なーみんな、コイツが話があるって言うから聞いてやって欲しいのニャ」
雑な彼女の紹介の後、ウィルは緊張した様子で挨拶をする。
「あ、あの、初めまして。俺、ウィルといいます。皆さんが魔王軍と戦う姿を見て、感動したんです。だから、その……俺も仲間に入れてください!」
緊張してはいるが、その目は真剣そのものである。意外な申し出に驚きながらも、ヒロシは言った。
「確か君は、身体が馬になってヒナタやツキヨを乗せてくれてた人だっけ。味方が増えるのは嬉しいけど、本当に大丈夫かい? 魔王軍は手強いし、無事に戻って来れる保証もないんだ」
「覚悟は出来てます。俺はケンタウロス族の出身で、この村の人間じゃないんです。俺の故郷も魔王軍に侵略されて、同族の仲間が大勢連れて行かれました。採掘場にいた兵士たちも、俺と同郷の連中でした」
ウィルも魔王軍によって故郷を追われ、苦境に陥った一人であったという。彼の境遇を察すると同時に、ヒロシはひとつ気になった事を尋ねた。
「ええと、どうしてウィルは魔王軍の兵士ではなく、採掘場で働かされていたんだ?」
その質問を聞いた途端、ウィルの表情に暗い影が落ち、彼は唇を噛んでうつむく。
「故郷が魔王軍に襲われたあの日、俺は用事があって町を離れてたから助かったんです。でも、連れて行かれる仲間を遠くから見てたのに、俺は……怖くてなにも出来なかった。ただ隠れて震えてるしか出来なくて……それからあちこち放浪して、少し前にこの村に辿り着いて世話になってたんです。でも、魔王軍の兵士が村に来た時も、やっぱり俺は戦えなくて……それで採掘作業をさせられてたんです」
「そうだったのか。君も苦労したんだな」
「でも! 少ない人数でも、魔王軍を恐れず立ち向かっていく皆さんを見て思ったんです。俺も皆さんみたいに勇気を持ちたい、戦えるようになりたいって。だからお願いします、俺も仲間にしてください。雑用でもなんでもやりますから!」
魔王軍と戦うには、戦力は一人でも多い方がいい。そしてウィルには十分な理由もある。真剣に懇願するウィルの申し出を断る理由は無かった。
「雑用なんてとんでもない。頼りになる仲間が増えて嬉しいよ。これからもよろしく、ウィル」
「は、はいっ! よろしくお願いします!」
「でもひとつ気になるんだけど、魔王軍の兵士がウィルと同郷だったんなら、見逃してもらえたりしなかったのかい?」
「それは……詳しくは分かりませんけど、魔王軍に連れて行かれた連中は恐ろしい術で心を壊されて、ただ命令に従うだけの怪物みたいになってしまうんです。俺も何度か呼びかけたけど、あいつらは俺のことを覚えていませんでした……」
ただ土地を侵略するだけでなく、連れ去った人々を洗脳して手駒に変えているとすれば、魔王軍の脅威は想像よりずっと深刻で危険である。ウィルから告げられた事実に不安を感じつつも、まずは味方が増えたことを歓迎しようとヒロシは思った。
「ところで俺からもひとつ聞きたいことがあるんですけど、ヒロシさんたちはどうして魔王軍と戦っているんですか?」
ごく当然な質問にサクッと答えたのは、横で話を聞いていたヒナタだった。
「ん、そりゃーヒロシが転生者だからだニャ」
転生者と聞いてウィルは目を丸くして驚いていたが、それよりも顔色が変わったのはダンの方だった。それまでは普通に話を聞いていたのが、急に険しい表情となってヒロシを見ていた。
「おいちょっと待ってくれ。今なんて言った? ヒロシが転生者だと?」
「だからそー言ってるニャ。おっさん耳が遠くなったんか?」
ヒナタの言葉も意に介さず、ダンはヒロシの前に歩み寄ると険しい顔つきのままで言った。
「なあヒロシ、本当か? お前が転生者だってのは」
「えっ、あ、ああ。本当だよ。あれ、言ってなかったっけ?」
ダンはそのまま無言でヒロシを見る、というより睨みつけていたが、しばらくして深呼吸をすると、まだ複雑そうな感情を残した顔で尋ねた。
「……初耳だぜ。だがそれよりも、転生者には特別な『能力』ってヤツがあるんだろ? 俺にもそいつを見せてくれよ」
ダンも転生者についてはおおよそ知っていそうだが、その言葉に今度はヒロシの表情が引きつる。
「あーっと……実はその……俺、ないんだ。その『能力』が」
非常に気まずそうに喋るヒロシの言葉に、しばらくの沈黙を挟んでからダンは間抜けな声を出した。
「……は?」
「だから無いんだよ『能力』が。俺もカッコイイ技とか魔法みたいなのが使えたら良かったんだけどさ。王都の鑑定士とかいろんな人にも『能力』が無いって言われて、実際その通りだったし」
「いやいやいや、そんなコトがあるのか!? 転生者ってのは必ず『能力』を与えられて現れるはずだろう?」
「その例外が俺なワケでして……本当に無いんだ、特別なチカラとかそういうの」
ダンは唖然として口をあんぐりと開けたままヒロシを見ていたが、やがて顔を押さえて笑い出した。
「くっくっく……だーっはっはっは! すまん、まさか初めてお目にかかる転生者が『能力』なしとは驚いちまってよ。気を悪くしないでくれ」
「もう慣れてるし平気だよ。でも、どうしてダンは転生者と聞いて怖い顔をしてたんだ?」
「あー、そりゃ簡単な話さ。俺はな、転生者ってヤツがどうにも嫌いでね」
それを隠す様子も無く、ダンは自分の感情をストレートに答える。
「転生者ってのは別世界からこっちへ呼ばれた人間で、その時に天から特別な『能力』を与えられる。その能力はどれも強力で、俺みたいなこっちの人間が一生かかっても身に付けられないような力ばかりだ。それをなんの苦労も無く手に入れて、周りからおだてられていい気になってやがる。それが気に入らねえんだ俺は。大いに気に入らないね」
ダンの言うことはもっともであり、転生者とこちらの住人とでは不公平に感じるのも無理はない。実際、逆の立場なら自分もそう思うだろうとヒロシは考えていた。
「俺たちは生まれた時から脇役で、転生者様の脇に引っ込んでろって言われてる気がしてな……理不尽だと思うだろ?」
「そ、そりゃまあ……」
「だが安心したぜ、ヒロシも俺たちの側の人間だってのが分かってよ。しかしそうなると不思議ではあるな」
ダンはその場にいる仲間たちに目をやり、最後にまたヒロシを見る。
「特別な能力のないお前さんに、これだけの仲間がよく集まったもんだ。俺の知る限りだが、大金を積んでも簡単に揃えられるような戦力じゃねえぞ」
「そ、そうなのか? まあ運がよかったと言うか、ははは」
つい乾いた笑いが出てしまうヒロシだったが、ダンは普段通りの表情に戻りヒロシの肩に手を置く。
「悪かったなヒロシ。転生者と聞いてつい身構えちまったが、これからも上手くやって行こうぜ」
「あ、ああ。よろしく頼むよ」
ダンの疑念が解れて一安心のヒロシだが、その会話を聞いていたウィルは驚きと感動に満ちた瞳でヒロシを見つめていた。
「あの! ヒロシさんは特別な『能力』も無しに、今まであんな戦いを続けてきたんですか!? 尊敬っす!」
「いや、それは引くに引けない状況とか色々あって……でも確かに、思い返せばよく生きてるなコレ……」
「俺もこれからヒロシさんの勇気や度胸を学ばせてもらいます! やるぞー!」
こうしてウィルを新たな仲間に迎え、ヒロシたちは休息を取った。翌日には旅に必要な食料や道具を買い揃え、予定通り三日目の朝には村を後にした。ただし来た道を引き返すのではなく、東方面から下山できる道を教えてもらったので、ヒロシたちはそちらから街道を目指すことになった。このルートは切り出した石材を運ぶために使われていて、盗賊の砦方面よりも整備されていて道幅も広く、楽に進むことができた。およそ一日ほど進むと景色が開け、ヒロシたちの眼前には広大な平原が姿を現した。
「ひ、広い……!」
丈の短い草を敷き詰めた緑一面の大地と、それを文字通り水平に分かつ地平線と青空。その光景は、ここが魔王軍の支配下にあるとは思えないほど穏やかなものだった。遮るものが一切ない風景を眺めながら、ヒロシは美しい自然の姿を目に焼き付けていた。
「それで、ここから先の目的地は? 確か王都へ戻るための当てがあるという話だったが」
御者台で馬の手綱を握るダンに、荷車の中からツキヨが尋ねる。ダンは顔だけ振り向いてニッと歯を見せて笑った。
「この大草原は呆れるほど広くてな。とこまで行っても同じ景色が続くから道に迷いやすいし、昼と夜の温度差が激しくて体力を奪われる。おまけに危険な獣や魔物もうろついてたりで、見た目と違って厳しい土地なのさここは。だが、この大草原で家畜を育て、強かに生活してる連中がいる。そいつらのキャラバンが、もうじきこの辺を通る頃合いなんだよ」
ツキヨも馬車から顔を出して周囲の風景を眺め、風に耳を立てて気配を探る。乾燥した風に吹かれざわめく草の音は、手付かずの大地が秘めた厳しさを内包しているようだった。
「遊牧民のキャラバンか……話には聞いたことがある。彼らの助けを借りなければ、この大草原を無事に抜けるのは難しそうだな」
「ああ、そういうこった。で、そのキャラバンは俺の知り合いがリーダーをやっててな。そいつに頼めば国境の砦に続く街道まで無事に送り届けてくれるはずだ」
ダンが居なければキャラバンの存在を知り得ず、知り合いへの頼み事も無理だったであろうことを考えると、彼が案内役を買って出てくれたことは幸運と言うより他に無かった。やがて地平線の向こうから大きな黒い影が姿を見せたが、近付くにつれてその姿がはっきりしてくると、ダン以外の全員がキャラバンの姿に驚きを隠せなかった。
「あ、あれがキャラバン……?」
ヒロシは目に映るそれを見て、ただ唖然とするばかりだった。それはまさしく草原を走る巨大な列車であり、それはざっと見ただけでも一両の高さと幅が十メートル、長さが五十メートルほどもあり、それが四両繋がって草原を走っていたのである。巨大列車はヒロシたちの馬車の近くまでやってくると、けたたましい警笛を鳴らしながら目の前で止まった。ダンは馬車を止め、御者台から「おーい」と声を上げながら両手を振って合図をする。やがて列車の横にある扉が開き、中から長身の女性が姿を現わした。年齢は二十代後半か三十路くらいの美女で、手足の露出が無い異国風の民族衣装に身を包み、真っ直ぐな黒髪を腰まで伸ばしている。切れ長の瞳にダンの姿を映したまま、彼女は唇の端を持ち上げている。
「草原のど真ん中で誰かと思えば、珍しいヤツと出会ったもんだね」
「お前も相変わらずそうで安心したぜ、カーラ」
ダンは馬車から飛び降り、カーラと呼んだ女性の前に歩み寄る。お互いの会話や距離感からして、よく知った間柄といった雰囲気である。
「積もる話もしてえところだが、まずは頼みたい事があるんだ。俺とこいつらを途中まで乗っけてってくれ」
馬車から降りて列車を見上げているヒロシたちを一瞥し、カーラはダンに言う。
「珍しいねえ、アンタが誰かとつるんでるなんてさ。それもこんな若い連中ばかり……今度はなにを企んでるワケ?」
「人聞きの悪い言い方をするなよ。こう見えてもな、こいつらは魔王軍とやり合ってきた命知らずどもなんだぜ」
ダンがヒロシたちの事情を簡単に説明すると、カーラは驚いた顔で目を見開く。
「こんな子たちが魔王軍と……急には信じにくい話だね」
「ま、色々あってこいつらを南の王都まで送り届ける約束なんだ。頼む手を貸してくれ」
カーラはしばらく黙り込んで考えた後、目を伏せて小さく息を吐いた。
「ったく、しょうがないね。私の大列車を送迎に使おうなんて、相変わらずいい根性してるよ」
「俺だってタダ乗りするつもりはねえよ。乗車賃はちゃんと払うさ。できれば後払いにしてくれると助かるんだが」
「はいはい、わかったよ。こんな所で立ち話もなんだし、全員列車の中へおいで。話の続きはその後でね」
「すまねえカーラ、恩に着るぜ!」
ダンは顔の前で両手を合わせて感謝のポーズを取り、ヒロシたちを大列車へと案内した。四両で編成される大列車は一両目が巨大なエンジンを積んだ機関車で、二両目が遊牧民たちの居住用スペース、三両目が貨物用の倉庫と一部が住居スペース、最後の一両が羊や馬といった家畜たちを収容する厩舎となっていて、全部合わせたその姿は、陸上を走る大型船とでも呼べそうな規模である。それでいて不思議なのは、見た目こそヒロシの知る列車に近いものの車輪は付いておらず、車体が地面からわずかに浮かんでいる事だった。ゴーレムのような古代文明の機械による技術かもしれないが、大列車はその巨体で草木や大地を踏み潰すことなく移動をしているのである。馬と馬車をそれぞれ預けた後、ヒロシたちは広いラウンジに案内され、そこでカーラと改めて挨拶を交わした。
「ようこそキャラバンへ。私たちはこの大列車で草原を移動しながら、家畜を育てたり売ったりしながら生活してるんだ。他にも積み荷の運搬や、世界各地の商売人と情報交換や取引もしてる。時には魔王軍の積み荷を運んだりもしてるけど、そこは勘違いするんじゃないよ」
魔王軍の荷物を運んでいると聞いてヒロシはぎょっとしたが、話を聞いていたヤクモは落ち着いた様子で言う。
「なるほど、おかげでこの大列車の安全も担保されているというわけですね」
その言葉に満足したように、カーラは笑みを浮かべる。
「そういうコト。自分とこの荷物に攻撃を仕掛けるバカはいないだろ? だからある程度は持ちつ持たれつでやってるのさ。私だって魔王軍は気に入らないが、仲間の命や生活もかかってるからね。悪く思わないでおくれよ」
「いえ、合理的な判断だと思いますよ。魔王軍の侵略を受けず、独立性も維持するには最善の方法でしょう」
自分たちの置かれている状況に理解を示すヤクモに、カーラは嬉しそうに笑う。
「ふふ、そう言ってくれると助かるよ。で、アンタらを国境の砦前まで送り届ける話だけど、おおよそ二週間ってとこだね。羊や馬に食事をさせながらだと、どうしてもそれくらいの時間が必要なんだ」
二週間と聞くと長く思えるが、これまで旅と戦いの連続だったこともあり、ヒロシたちもまとまった休息が欲しい所であり、敵地で安全が確保されている以上、文句を挟む余地など見当たらなかった。
「あんたらは目的地に辿り着くまでのんびり過ごしておくれ。たまにはこっちの仕事を手伝ってくれると嬉しいんだけどね」
そう言うカーラに、ヒロシはぐっと両手の拳を握って頷く。
「それはもちろん。お世話になるんだしそのくらいは……!」
それは大列車に乗せてもらった礼もあるが、ヒロシは単純にこの巨大な乗り物に興味があった。現実世界ではお目にかかれないような巨大な乗り物は、いくつになっても男子の心をくすぐるものなのだ。そうして挨拶を終えると、ヒロシたちはそれぞれが寝泊まりする部屋へと案内された。部屋は簡素で、両脇に二段ベッドがそれぞれ設置されているだけというシンプルなものだったが、寝具の質は良く快適に眠れそうである。二週間ほど滞在するだけであれば、十分な待遇と言えた。
「さて、それじゃごゆっくり」
わざわざ部屋へ案内してくれたカーラに礼を言ってヒロシたちが礼を言うと、カーラはそそくさと離れようとするダンの奥襟をむんずと掴み、怖い顔をする。
「アンタは私と一緒に来てもらうよ、ダン」
「おっと、どうしたんだよカーラ。怖い顔しちゃってまあ」
「数年ぶりの再会とは思えないセリフだね。ろくに手紙すら寄越さないで……アンタには言いたいこと、聞きたいことが山ほどあるんだよ。今日はとことん付き合ってもらうから覚悟しな」
「わ、悪かったカーラ。連絡しなったのは謝るからよ、だからお手柔らかにお願いしますッ!」
そのままダンはズルズルと引きずられて行ってしまった。その様子を見ていた、特に女性陣がにんまりと笑みを浮かべている。
「なーなー、アレってつまりそういうコトだよニャ?」
「た、ただの知り合いって感じじゃなかったですよね、絶対」
「以前からの付き合いがあったようだし、そういう関係だったとしても不思議ではないな」
ヒナタとメリア、そしてツキヨは顔を突き合わせてあれこれと喋り続けている。やはり女性が三人集まれば、こういう話題に花が咲くものなんだなとヒロシは思った。翌朝、げっそりと干からびたダンが部屋の前で立ち尽くしているのを見つけたヒロシたちは、その姿を見て全員が「うわぁ……」とドン引きしていた。
草原の大列車に乗車して数日が過ぎた。その日はちょっとした催しをするということで、大列車は草原の真ん中で停車し、乗員たちも列車の外に出て地面に穴を掘ったり、テントや簡単な建物を慣れた手つきで作り始めていた。
「なにが始まるんです?」
賑やかなその様子をヒロシが尋ねると、カーラは長い黒髪を風になびかせながら笑う。
「露天風呂さ。ずーっと列車で生活してると気が滅入っちまう連中も多いからね。だから時々こうやって、表で羽根を伸ばせるようにしてるんだよ」
「露天風呂か、そりゃいいなあ」
久しぶりに大きな湯船に浸かれるというのは単純に嬉しかったが、ヒロシはすぐに別のことが気になり始めた。地面に浅く広い穴を掘っているのが露天風呂の設置場所だといのは分かるが、問題はどうやって湯を張るかである。単純に土を掘った穴に湯を流し込んだ所で、それはただの泥水になってしまうし、水も乾燥した土に吸われてすぐに消えてしまう。石やレンガを敷き詰めるのは現実世界でも普通に見た作り方だが、それもコンクリートを流し込んで隙間を埋めるなどする必要があり、仮にコンクリートを使う場合は硬化するまでに一日から数日が必要で、使い終わった後の処分も一苦労である。まさか作りっぱなしで放置するはずもないと思ったが、他にどんな方法があるのかヒロシには思い付かなかった。
「となれば、実際に作ってるところを見せてもらうしかないな!」
好奇心に駆られ、ヒロシは露天風呂を掘っている作業員の近くでじっと様子を眺めていた。すると必要な広さの穴を人力で掘った後、彼らは茶色っぽいブロックを持ってきて、それを穴の底や壁面となる部分に並べ始めた。大きさや見た目はレンガによく似ているが、力を加えると粘土のようにぐにゃりと変形する素材であった。それを穴の全面に敷き詰め終えた後、現場のリーダーが先端に鉱石のようなものが付いたステッキを取り出し、その先端をコツンとブロックに当てた。するとブロック全体に青い光の筋が伝播し広がってゆき、次の瞬間にはブロックとブロックの間が継ぎ目も無く繋がり、大きな湯船の形となった。目の前で起きたことが信じられず、ヒロシは一体となった湯船に触れてみるが、それは陶器のように硬質でありながら、滑らかで隙間のない手触りである。
「す、すごい! 今使ってたのはなんなんですか!?」
ヒロシはステッキを持つ作業リーダーの男に近付き、目の前で起きたことについて尋ねた。
「ああ、あんたも見るのは初めてかい。このブロックは古代の遺跡で見つかったもんでね、特別な刺激を与えると一瞬で性質が変わるんだよ。大昔の文明人は、こういう道具を使って便利に生活してたらしい。もっとも、俺たちに出来るのはブロックをくっつけるか、元に戻すかくらいなんだがね」
それだけでも大変な特性だとヒロシは思ったが、これを手に入れられれば自宅をもっと快適に出来るだろうな、などと考えてしまう。
「あのー、この粘土みたいなのって、少し分けてもらえたりしますか? ダメ?」
「はっはっは、なかなか目の付け所がいいな兄ちゃん。こいつは山ほど在庫があるから、後で好きなだけ持っていきな。ああ、切替用のステッキも忘れなさんなよ。アレが無きゃただの粘土と変わらないからな」
「やった! ありがとうございます!」
思わぬ収穫があった事に小躍りしそうなヒロシだったが、そうしているうちに二つの大きな湯船が完成し、その間には男女を分ける仕切りも設置された。後は湯を張るばかりだが、どうするのだろうと思って見ていると、大列車の機関部に走る大きなパイプに繋がったホースを湯船の中へ引き込み、機関部のバルブを開くと一気にお湯が流れ出て来た。大きなパイプはエンジンの熱を利用して温水を作る装置らしく、エネルギーを有効に利用した仕組みだった。それから一時間ほど経って湯が適温になると、いよいよ温泉に入れる時間がやって来た。ヒロシとウィル、ダンとヤクモは一糸纏わぬ姿で湯船に浸かり、そして全員同時にこう言った。
「「「「っか~!」」」」
魔王軍の脅威など嘘としか思えないような青空を眺めながら熱い湯に浸かっていると、今までの冒険の疲れが溶けていくようである。しばらくそんな風に露天風呂を満喫したところで、ダンがヒロシに向かって言った。
「しかしまあ、ヒロシは不思議な男だな。最低限の筋肉は付いてるみてえだが、やっぱり戦いに向いてるような身体つきじゃねえ。それが魔王軍とやり合ってここまで生き延びて来られるとはな……本当にお前、なんの能力も無い転生者なのか?」
遠慮のないダンの言葉に、ヒロシもむすっとした表情で返す。
「能力ってのがあれば、こんなに苦労してないよ。それに……盗賊団の砦でも色々と思い知ったよ。俺は覚悟も技術も、まだ全然足りてないんだなって」
「……なんだ、まだ気にしてたのか。最初は誰でも通る道だ、気にすんなよ。それに相手が悪党で良かったじゃねえか。場合によっちゃ、恨みも無い相手をやらなきゃならねえ場面もあるんだぜ」
「そうだとしたら、俺はちゃんと動けるかな。俺はやっぱり素人だし、自信が無いんだ」
深刻な顔つきをしてうつむくヒロシにうんざりとした表情をしたダンは、両手で湯を掬ってヒロシの顔面にぶっかけた。
「ぶわっ!?」
「せっかくの露天風呂で辛気くせえツラするんじゃねえよ。いいかヒロシ、命を獲り合う戦いで一番大事なことは、能力だの技術だのじゃねえ。殺ると決めたら躊躇うな、ってことだ。躊躇えば自分の命だけじゃない、仲間や無関係の人間の命まで危険に晒すことになる。たった一瞬の気の迷いで嬢ちゃんたちにもしもの事があったら、お前は耐えられるのか?」
「い、いやだ……」
「だよな。そいつさえ理解できてりゃ、誰だって一端の戦士だ」
「……」
ダンは黙り込んだヒロシの横に近付くと、腕を伸ばし肩を組む。
「ところで大将、お前は誰が好みなんだ?」
「は?」
「だから、三人の中で誰が好みかって聞いてんだよ。やっぱりよく一緒にいるメリアか?」
「なっ、なな、なにを急に……!?」
「急にもなにも、男と女が一緒にいたら普通はそういう考えに至るだろーが。こう言っちゃなんだが、あの三人は場所が場所ならみんな上玉と呼ばれるくらいの粒ぞろいなんだぜ、このスケベ。どこであんないい女ども捕まえて来たんだ」
「いやそれは俺の責任では……」
「ほれほれ、吐いちまいな。おっとウィル、お前の好みも聞いておこうか? ヒナタやツキヨは性格に癖があるけどよ、二人とも顔とおっぱいは大したもんだしなあ」
急に話を振られ、話を聞いていたウィルは変な声を出す。
「ひゃいっ!? いやあの、俺はそういう破廉恥なのはちょっと……!」
「おいおい、ここは男同士、裸の付き合いの場だろーが。互いの親睦を深めるためにも、包み隠さず答えるトコだろーがよー。やっぱりヒナタか、ああいうグイグイ来るのがタイプか?」
ダンがニヤニヤと笑いながら言うと、緊張が頂点に達してしまったウィルは思わず立ち上がって叫ぶ。
「い、いけませんよ、女性をそんな風に言うのはッ! 俺はただ純粋に、ヒナタさんの強さを尊敬していて――!」
拳を握り締めて力説するウィルだったが、ダンとヒロシの視線は正面の一点に集中し、二人同時にこう叫んだ。
「「とってもウマナミ!?」」
男たちが頭の悪い会話で騒いでいる一方、仕切りを隔てた反対側ではメリアとヒナタ、ツキヨの三人と、カーラも交えた四人が露天風呂の湯に浸かっていた。
「はあ、いいお湯……こんな大きなお風呂に入れるなんて、思ってませんでした」
心地よさそうに呟くメリアに笑顔を向け、カーラも空を仰いで微笑む。
「ふふ、気に入ってくれて良かったよ。時にはこうやって、身も心も洗い清める時間を作らないとね」
普段は露出の少ない服を身に付けているため分かりにくいが、カーラの胸は豊満であり、湯船に浮かんでいる。
「あ”ー、確かにいい気持だニャ。ここで酒の一杯でもあれば最高だったんだけどニャー」
風呂の縁に両手を広げてもたれかかったまま、ヒナタも相槌を打つ。その豊満な胸もまた、湯船に浮かんでいる。
「前から思っていたんだが、時々発言がオジサンぽいぞヒナタ。もう少し年頃の娘らしい発言をしたらどうだ」
もはやいつものことだと割り切りながら、ツキヨはだらけたヒナタに一言を付け加える。彼女の胸もまた豊満であり、やっぱり湯船に浮かんでいた。
「ツキヨこそ普段から真面目のカタブツすぎるんニャ。もーちょいキャピキャピして女の子らしくしないと、嫁の貰い手が見つからんニャよ」
「大きなお世話だ。そんな馬鹿みたいなこと、できるわけないだろう」
「あー、その発言は敵を増やすから気を付けた方がいいニャ!」
なんだかんだと楽しそうな二人を横目に、メリアとカーラも話し込んでいた。
「――そう、あんたも色々と苦労したんだね。でも、今は我慢してきた甲斐があったと思ってるんだろ?」
「はい、とても。みんな良い人たちばかりで、頼りになります」
「人の巡り合わせだけは、どんなにお金を積んでも買えやしないからね。身近な人こそ大事にするんだよ」
「はい」
カーラは穏やかな表情をメリアに向け、メリアも彼女の気遣いを嬉しく思っていた。やがてカーラはメリアにそっと顔を近付け囁く。
「で、カレシとはどこまで行ってんの?」
「……はい?」
「隠さなくていいから。あんた奥手そうだし、なんなら色々とアドバイスしてあげようか?」
「えっ、いやあの、なんの話を……?」
「男なんて単純でバカだからさー、こう腕を組んでぐいぐい押し付けたりすると、コロッといっちまうもんだよ」
カーラが両手で自分の胸を強調するポーズをすると、メリアの顔は茹でたように真っ赤になっていく。
「きゃーっ!? な、なにを言い出すんですか急に!?」
メリアの慌てぶりに気付いたヒナタとツキヨも二人に近付き、露骨に耳を向けて目を見開いている。
「んんー? なんか今、面白そうな話が聞こえたニャ。押し付けるとかナントカ」
「さしずめヒロシどのを誘惑する算段というところか。彼は女性の胸が好きなようだし、押し付けるのは確かに効果的だろう」
悪い顔のヒナタと真顔のツキヨも、便乗してメリアにずいっと詰め寄ってくる。
「あわわわ、二人までそんな……!? そういうのを面白がるのは、よ、良くないと思いますっ!」
精一杯の抵抗として声を上げるメリアだが、年上三人に囲まれて逃げ場はなかった。が、その時――
「おーいメリア、大丈夫か!? そっちでなにかあったのか!?」
仕切りの向こうからヒロシの声が聞こえ、メリアは思わずその方へ逃げ出してしまう。
「ええと、なにかあったというかなにも無いんですけど、色々と大変なんですぅぅぅっ!」
自分でもなにを言っているのか分からないメリアだったが、とりあえず必死に助けを求めてみる。すると仕切りの向こうが段々と騒がしくなってきた。
「おいっ、押すなヒロシ! そんなに体重かけたら仕切りが……!」
「どいてくれダン! 覗き穴なんか探してる場合じゃないんだッ! うおーっ、今行くぞメリアッ!」
「あっ馬鹿野郎、そんなに押したら――!?」
その瞬間、ベキッという乾いた音と共に仕切りの板がへし折れ、向こうからダンとヒロシが女湯の側に倒れ込んで来た。それからしばらくの沈黙を挟み、メリアの絶叫が周囲に響き渡るのだった。
「いやーーーーーっ!?」
メリアは電光石火の素早さで湯舟にしゃがみ込み、一目散に反対側まで逃げて行く。
「痛てて、顔を打った……」
「だ、だから押すなって言ったのによ……ハッ!?」
我に返ったヒロシとダンが顔を上げると、腕を組んで胸元を隠すついでに仁王立ちしたヒナタとカーラが、サディスティックな笑みを浮かべて二人を見下ろし、ついでにその後ろでツキヨは感情の消えたしょっぱい表情をしていた。
「男がスケベなのは理解してるニャ。けど、これは一般的に犯罪っていうんニャよオメーら」
「はあ、男ってのはいくつになっても男なんだねぇ。まさかこの歳になってもこんなイタズラするとは思わなかったよ、ダン」
二人とも顔は笑っているが、目は笑っていない。突き刺すような冷たい視線と殺気に包まれながら、馬鹿二人の絶叫が青空の下に響き渡るのだった。
そんなハプニングもありつつ、やがて日は暮れ大草原に夜が訪れた。昼間は少し肌寒い程度の気温が、夜になるとたちまち凍り付くほどに低下し、防寒着を着込んでいても危険な程になる。そのため大列車では夜間の外出は禁止され、暖房の効いた社内で過ごすのが決まりだった。昼間の出来事もあってなかなか落ち着かない気分のメリアは、天井までガラス張りのバルコニーに足を運んでいた。頭上に広がる夜空はまさに満天の星空であり、びっしりと敷き詰められた無数の星々が天の川となり、天を貫いて静かに輝いていた。メリアは深呼吸をし、星の輝きに秘められた神秘を感じようと意識を集中する。やがて彼女の自我は霧のように形を失い、遥かな星々の間を流れるように進んでいく。それからどれくらいの距離を進んだか、遥か眼前にふたつの温かい光が見えた。その光は輪郭を捉えることは出来なかったが、ひどく懐かしく、その存在を感じるだけで郷愁の思いが満ち溢れてくる。メリアはその光に手を伸ばそうとしたが、形を失った身体ではどうやってもそれは叶わない。それがとても悲しくて、思わず瞳から雫がこぼれ落ちたその瞬間、彼女の意識は一瞬にして現実へと引き戻された。
「――メリア、メリア。大丈夫かい? こんな所でボーっとしてると風邪ひいちまうよ」
メリアに呼びかけていたのはカーラだった。昼間とは違う部屋着姿ではあるが、相変わらず凛とした佇まいは変わっていない。その傍らにはヒナタとツキヨの姿もあり、彼女たちはなかなか部屋に戻らないメリアを心配して様子を見に来てくれたのだという。
「すみません、つい考え事をしていました。もう大丈夫です」
「ならいいんだけどね。あんた時々、思いつめたような顔をする時があるからって、お仲間の二人も心配してたんだよ」
ヒナタやツキヨは日頃からあまり踏み込んだことを聞いてこないが、それも彼女たちなりに気を遣ってくれていたのだと、メリアは申し訳なさと嬉しさが入り混じったような感情を覚えていた。次になにを喋ればいいか考えていると、カーラもガラス張りの天井を見上げ、目を細めて笑った。
「大草原の夜空は綺麗だろ? 私たちの言い伝えではね、あの星のひとつひとつは、死者の魂が天に昇って輝いているって言われてるんだ。だから家族に先に死なれた者は、夜空に向かってそれを探すんだ、ってね」
「死者の魂、ですか……」
「ああ。でも、ダンはこの話が嫌いでね。星空を見るといつもこういうのさ。星が多すぎて誰が誰だか分かりゃしねえ。向こうからだって、目印でもなければこっちを見つけられないだろうが、ってさ。笑っちゃうだろ?」
「いえ、そんなことは……」
「でもね、私はその言葉が好きだった。まだ小娘だった頃にあいつと知り合って、一緒に馬に乗って、あちこち冒険したり無茶もやったもんさ。そしていつかは二人で名を上げて、私たちの名前を世の中に轟かせてやろうってね。懐かしい話さ」
楽しそうに語るカーラに、傍らで聞いていたヒナタが尋ねる。
「おめーらずいぶん仲が良いとは思ってたけど、やっぱりそういう関係だったのニャ。それがどうして今は離れてんのニャ? 何年も会ってなかったとか言ってたけど」
その問いかけに、カーラは寂しげな表情で呟く。
「十年前、先代の族長だった父が病で倒れてね。私は急に父の跡を継ぐことになっちまった。あの頃の私は大草原から出たことが無かったし、ダンと一緒に遠くへ逃げ出すことも考えなかったわけじゃない。でも出来なかった……自分のわがままで、みんなを放り出すわけにはいかなかったんだ」
一族の長として責任を果たす道を選んだ彼女に、誰も異を挟む余地は無い。だが道理としては正しくとも、心情はまた別の話である。
「あれからずっと、私は長としての務めを果たしてきた。そのことに後悔は無いし、今は一族をまとめる者としての誇りもある。だけど……ダンは今もずっと、あの頃の夢を追い続けてる。久しぶりに再会してみて、それがはっきりと分かったんだ」
どういうわけか悲しそうなカーラの態度に、今度はツキヨが問いかける。
「確かに彼は野心的な所があるようだが、私が知る限りは筋を通す人物だ。なにか問題でも?」
「あんたたちはダンとの付き合いが短いからね。あいつは昔からお調子者だったし、手柄やチャンスのためなら、どんな無茶でも平気でやる。それがいつか、大きな不幸を招きそうでね……ずっと心配してるんだよ」
泣きそうにも見える笑顔を作るカーラに、メリアは彼女の目を真っ直ぐ見つめて言った。
「好きだったんですね、彼のことが」
「……愛してるよ、今でも。だけど私はあいつの傍にいてやれなかった。だから……もしダンが道を踏み外すようなことがあれば、その時は……あいつを止めてやってくれないか」
バルコニーの天井を見上げるカーラの頬に、一筋の雫が滑り落ちた。しばらくの沈黙が続いた後、カーラは何事も無かったかのように、いつも通りの芯の据わった調子に戻って言った。
「ああ、ごめんごめん。つまんない話をしちまったね。風邪をひいちゃいけないし、はやく部屋に戻って寝るんだよ」
カーラはメリアの肩に手を置き、そのまま一人で自分の寝室へと戻っていく。その姿を見送った後、ツキヨが言った。
「では我々も部屋に戻りましょう。カーラの言う通りここは冷える」
寒いのが苦手なヒナタは一足先に戻ってしまったが、メリアはゆっくりと首を振る。
「もう少しだけ……残ってもいいですか? すぐに戻りますから」
「分かった。あまり遅くならないようにな」
そう伝えたツキヨが部屋に帰っていくのを見届けると、メリアは再びじっと頭上の星空を見上げ、呟いた。
「お父さん、お母さん……」
カーラによれば、星々は死者の魂が天に上り輝いており、家族に死なれた者は星空にそれを探すのだという。もしあの中に自分の両親がいるのだとしたら、ひと目だけでも会いたいとメリアは願った。
――カツン。
その時、床を踏む足音が響いた。メリアが素早くその方向を見ると、暗がりから姿を見せたのはヒロシだった。
「ああ、ごめんメリア。邪魔しちゃったかな」
「どうしたんですかヒロシ様、こんな時間に」
「そりゃこっちの台詞だよ。たまたまトイレで部屋の外に出たら、ヒナタとツキヨに出会ってさ。メリアがまだバルコニーにいるから、後で声をかけとけって言われて」
「そうだったんですか。すみません、気を遣わせてしまって。もう戻りますから」
ヒロシはなぜか視線を泳がせて落ち着きなくしていたが、やがて意を決したようにビシッと直立姿勢になり、そして腰を九十度の角度に曲げて頭を下げた。
「ごめんメリア、昼間はその……覗くつもりじゃなかったんだけど、勢い余ったというか。嫌な気分にさせてごめん!」
あまりにも真剣なヒロシの様子にメリアは面食らってしまったが、なぜか急に笑いがこみあげて止まらなくなってしまった。
「ふふっ……あの、大丈夫ですよ。確かにあの時は驚きましたけど、もう怒ったりしてませんから。だから顔を上げてください」
上目遣いでメリアの様子をちらりと見てから、ヒロシはため息混じりに上半身を起こす。その顔にはまだうっすらと、ヒナタの爪で引っ掻かれたミミズ腫れの痕が残っている。
「くすくす、ヒナタ様にそう言えって言われたんですね?」
「ぎくっ」
図星を突かれてヒロシはまたしても嫌な汗をかいたが、メリアはもう本当にへそを曲げたりはしていない様子だった。
「いやあの、ただ言われたから謝ったわけではなく……俺もメリアには悲しい顔とかさせたくないから、その……」
上手く言葉に出来ずどもってしまうヒロシだったが、メリアにはそれで十分だった。
「ヒロシ様。私、実はまだ話してないことがあって……それを今、お伝えしようと思います。聞いてくれますか?」
急な申し出に驚いたヒロシだったが、彼女の様子から察するに重要な話のようである。ヒロシはしっかりと彼女の目を見て頷いた。
「私の両親がすでに亡くなっているという話はしたと思います。でも、これは正しくないんです」
「正しくない?」
「はい。正確には……私の父と母は、何者かに殺されました。犯人がどこの誰かも、どんな理由があったのかも分かりません。私が森へ山菜摘みに出かけた、ほんの一時間足らずの間の出来事でした」
「こ、殺された……!?」
「私が家に帰ると、血だまりの中で両親が倒れていました。二人とも首に刺し傷があって、後から来て私を保護してくれた兵隊さんの話では、どちらも油断した所を一突きだったそうです。あの日からずっと、私は時が来るのを待ち続けていたんです」
「ま、まさか……メリアが魔法を必死で覚えたりしてたのは……!?」
「はい。いつか自分の手で犯人を見つけ出すためです。両親は他人から恨みを買うような人じゃありませんでした。それがどうして殺されなければならなかったのか、その理由を知りたいんです」
「そ、そうか……そうだったのか……」
そんな深刻な理由があるとは知らず、能天気に彼女へ接していた自分が急に恥ずかしくなり、ヒロシはそれ以上の言葉が出なかった。
「まだ犯人の手がかりは掴めていません。でも、こうして旅や冒険を続けていれば、いつか辿り着くはずだと信じています。今まで黙っていたこと、申し訳ありませんでした」
「い、いや、謝るのはこっちの方だよ。そんな事情があるのも知らずに俺は……」
「いいんです。ヒロシ様はそのままでいてください。私はもう十分すぎるくらいに良くしてもらっていますから」
そう言ってメリアは微笑んで見せる。だがヒロシは感情と思考が上手くまとまらない不快感に歯を食いしばり、頭を抱えて懊悩した後、急にメリアの手を両手で握って言った。
「お、俺にも手伝わせてくれないかな。一人で両親の仇を探すよりは、その方がいいはずだし」
「でも、これは私の個人的な事情で……いいんですか?」
「当たり前じゃないか。メリアの両親の仇は、俺にとっても仇だよ。そんな悪党、絶対に許せるもんか!」
それは勢いで口に出た言葉だったかも知れないが、同時に紛れもないヒロシの本心でもあった。そのことが分かっていたから、メリアも手に伝わる温かさが嬉しくて仕方がなかった。
「ありがとうございます、ヒロシ様。私、本当に……」
彼女は言葉を詰まらせ、それ以上はなにも言わなかった。だがヒロシもメリアも、ここでようやくお互いの距離が本当の意味で近付いたような、そんな気持ちを感じていた。もうしばらくそうしていたい所だったが、いよいよ本格的に冷えてきたこともあり、二人はそれぞれの部屋に戻っていった。やがて夜が明け、また日が暮れて夜が明ける。その間も大列車は草原を進み続け、目的地へ向かい進み続けていく。メリアの両親のことや魔王軍の動きなど、ヒロシたちには気になることが数多くあったが、やがてカーラが語った心配事が最悪の形で実現してしまうことを、この時は知る由もなかった。
第19話 おわり
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