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第十一話 幽霊船


 水中から海面を突き破るようにして現れたそれは、真っ黒な帆船だった。しかし帆はボロボロに破れ、船体にはフジツボや海藻といったものがびっしりとこびりついており、およそ人が乗るような見た目ではなかった。甲板の上には濃い霧のようなものが漂っていて、そこに誰かいるのかも見ることが出来ない。その黒い船がヒロシたちの船と並ぶように位置取ると、周囲を取り囲んでいた海の魔物たちがサッと引いていく。


「ゆ、幽霊船だ!」


 船乗りの誰かがそう叫ぶと、甲板の上は騒然となった。彼らが慌てている理由が分からないヒロシは、近くにいた船乗りに声をかけた。


「あの、幽霊船ってなんです? みんなはアレを知ってるんですか?」

「知ってるもなにも、船乗りの間じゃ常識だよ! 海の上で幽霊船と出会ったら最後、その船は沈められて二度と帰って来られねえって!」

「ええっ!?」


 彼らの慌てぶりの理由が分かったところで、ヒロシたちには状況を見守るしかない。真っ黒な幽霊船はヒロシたちの船に横付けすると、コツ、コツと硬いものが板を踏む音の後、甲板に漂う霧の中から何者かが姿を現した。それは膝丈のロングブーツを履き、元は上等であったであろうボロボロの服、腰には鞘に収まったサーベルを差し、服の上から褪せた黄金の肩章が付いた濃紺のマントを羽織った、船長らしき風体の大男であった。だが、なにより目を引いたのは大男の姿ではなく、その頭部であった。三角のつば広帽を乗せたその頭部は人間ではなく、奇怪な魚そのものである。岩のような皮膚に瞼のない小さな目、口は耳の位置まで裂け、分厚い唇の向こうに不揃いの牙が並んでいる。そして一番特徴的なのは、眉間から伸びた長さ二十センチ程度の角のような器官で、先端は丸くそこから数本の糸のようなものが垂れ下がっている。奇怪な魚の顔をした大男は、不気味な丸い目をギロリと動かしてヒロシたちの方を見た。


「お前たち、誰の許可を得てこんな真似をした? そいつらは俺様の忠実な下僕どもだった」


 妙に響くぞっとするような声に、船乗りたちは皆縮みあがってしまう。その中で最初に反応したのはヒナタだった。


「なに言ってんのニャおめーは。こいつらがいきなり襲ってきたから分からせてやっただけニャ、文句あっかコラー!」


 奇怪な魚顔の大男は、ヒナタの方に顔を向け彼女を睨みつける。


「この海においては、全てが俺様の所有物だ。それを勝手に殺した以上、お前たちには罰を与える必要がある」

「意味不明なこと言ってんじゃねーニャ! 大体おめーは誰ニャ、まず名を名乗らんかいっ!」


 啖呵を切るヒナタに奇怪な魚顔の大男はじっと目を向けていたが、次の瞬間、彼は音もなくヒナタの背後に立っていた。目にもとまらぬスピードというわけではなく、誰もが見る前で一瞬にしてそこへ移動していたのだ。


「俺様は海の支配者、キャプテン・ドレイクだ。この名を耳にする度、恐怖を思い出すがいい」


 ヒナタは一瞬にして髪を逆立て背後にかぎ爪の一撃を放ったが、その瞬間にはドレイクと名乗った怪物は姿を消し、再び黒い幽霊船の甲板に立っていた。


「こいつ……ただのバケモンじゃねーニャ」


 ヒナタが苦い表情をする一方、ドレイクは何事もなかったかのように続ける。


「罰を与えるとは言ったが、海の掟は公平であり、お前たちには取引をする権利がある。よって、どちらかを選ばせてやろう」


 ドレイクは指の間に水かきのある手をかざし、人差し指を船乗りたちに向けて数を数える。


「死んだ俺様の下僕は十匹。だからそっちの船乗り十人を俺様に差し出せば、残りは見逃してやってもいい。船乗りどもは下僕の代わりに、奴隷として百年ほど働いてもらうがな」


 その言葉を聞いた船乗りたちが騒ぎ始め、甲板に動揺が広がる。その時、話を聞いていたヤクモが前に出てドレイクに言った。


「船乗りを失えば、我々だけで船を動かすことは出来ない。その取引、いずれにしても我々を無事に通すつもりは無いと見た」

「俺様は『選ばせてやる』と言ったんだ。お前たちがしていい返事は『はい』か『いいえ』だけだ。分かったら返答せよ!」


 ドレイクの言葉を聞いてヤクモはヒロシに目配せし、ヒロシもすぐに頷いて叫ぶ。


「そんな条件飲めるわけないだろ! 勝手なことばかり言うな!」


 その言葉を聞くや否や、今まで厳つい表だったドレイクが分厚い唇を歪ませて笑う。


「交渉決裂だな。では、海の掟により罰を受けてもらう」


 ドレイクが手を振り上げた直後、幽霊船の甲板の霧の中から無数の人影が次々に出現する。それは形こそ人間と同じだが、ドレイクのように顔が魚であったり、エビやカニのような甲殻類であったりと、海の生き物のそれと置き換わっている。衣服はボロボロで、手足にはびっしりとフジツボや海藻が貼り付いて、いずれも奇怪な姿をしており、手にはサーベルなどの武器を携えている。彼らはギチギチと身体から不快な音を立てながら、不敵な笑い声を発していた。


「野郎ども、皆殺しだ!」


 ドレイクの合図で、幽霊船の船員らしき怪物たちがヒロシの船に雪崩れ込んできた。甲板の上はあっという間に敵味方が入り混じった戦闘となり、騒然となった。二、三人ほどの船乗りが怪物のサーベルで斬り付けられて倒れ込み、援護に入ったツキヨがフジツボだらけの胴体を槍で刺し貫く。穂先を素早く引き抜くと同時に背後から迫る怪物の顎に石突きを食らわせ、槍をくるりと回転させて袈裟斬りを見舞った。切り裂かれた怪物は仰向けに倒れると、身体がバラバラに崩れて小さな海の生物に変化し、周囲に散っていく。


「どうも手応えがおかしい。ヒナタ気を付けろ! 連中は普通の魔物となにか違う!」


 一方のヒナタも甲板を縦横に駆け巡り、かぎ爪で次々になぎ倒していく。胴体を切り裂かれ、刺し貫かれた怪物たちは同様に体が崩れて小さな生き物となり散っていくが、彼女もやはり怪訝な表情をしていた。


「こいつらあんまり強くねーけど、なんか倒した気がしないニャ」


 とはいえ、まずは敵の数を減らすのが第一と、ヒナタは振り下ろされるサーベルを身軽に避けては怪物たちをなぎ倒していく。ヒロシはサーベルを鉄の剣で受け止め、力比べの体勢になってしまっていたが、怪物の背後からヤクモが櫂を横薙ぎに振り、櫂が直撃した怪物の頭がポーンと飛んで行ってしまった。残された胴体はサーベルを落とし、慌てた様子で自分の頭を求めてどこかへ行ってしまった。


「大丈夫ですかヒロシどの」

「助かりましたヤクモ先生。でも、なんかこの連中に違和感があるんですが」

「ええ、見た目は恐ろしいですが強さはそれほどでもないようです。しかし、この程度で脅しをかけてきたとは考えにくい。くれぐれも油断なきように」


 ヤクモが言う通り、怪物の強さは人間とそう変わりが無く、身体中にフジツボや海藻がへばりついているせいで、むしろ動きの邪魔になっているのではと思うほどである。気が付けば半数以上の怪物が倒され、船乗りたちの被害も特に増えていない様子である。少し拍子抜けであったが、幽霊船から戦いを眺めていたドレイクは大きな口を開いた。


「お前たち、まさかこれで勝負がついたと思っちゃいないだろうな? 本番はここからだぜ」


 ドレイクが特徴的な額の角のような器官を立てた直後、その先端が青白い光を放ってゆらゆらと動き始める。すると周囲に霊気のような波動が広がり、周囲を断続的に照らしていく。するとヒロシたちの船の両側から小さな海の生物たちが大群となって這い上がり、甲板の上に放置された魔物の死体に取り付いて覆っていく。その内側から肉を齧るような音が聞こえ始めると、小さな海の生物の群れの形が次第に変化していき、人間の倍近い体格の幽霊船員となって蘇ったのだ。


「げっ!? そんなのアリか!?」


 

 巨大化した船員たちは武器こそ持たないが手当たり次第に暴れ始め、甲板の床板や手すり、マスト柱といった物を次々に破壊していく。


「まずいぞ、このままじゃ船が使い物にならなくなる!」


 ヒロシが言うと、先程と同じようにゴーレムに守られながら呪文を唱えていたメリアが叫ぶ。


「ヒロシ様、私に任せてください! (いかずち)よ!」


 最初の襲撃時と同じようにメリアは電魔法を放ち、巨大化した船員たちに電撃を浴びせていく。電撃を受けた船員の胴体には穴が開いたり一部が欠けたりしており、身体も内側から焼け焦げるなどして動きを止め、十分な効果があった。だが、ドレイクの額の器官がゆらゆらと青白い光を放つと、欠けた傷口が塞がり、船員たちは再び動き始める。


「ハハハ、俺様たちは不死身だ。どれだけ斬ろうが突こうが魔法で焼こうが、俺様たちがくたばることはないのさ」 


 そういってせせら笑うドレイクに向かって、ヒロシは指を差して言う。


「ず、ずるいぞ! 不死身とか無敵とか、そういうのは気軽にやっちゃダメなやつだろ!」


 なぜか小学生の口喧嘩のような台詞しか出てこないヒロシだったが、ヤクモが近付き小声で言う。


「ヒロシどのの言う通り、完全無欠の不死身など簡単には実現できないはず。奴らの特性には仕掛け、あるいは弱点がどこかに隠されていると見る方が自然でしょう」

「仕掛けや弱点……ん?」


 ヒロシがドレイクをじっと見ると、ゆらゆらと光る額の器官が目に入る。思えばこれを光らせてから、幽霊船の船員たちが出現し、あるいは変身したことを思い出す。


「ヤクモ先生、あいつの頭の光ってるアレがそうなんじゃ……」

「ええ、あの光によって手下を操っているとしたら、状況を打開する鍵にはなるかと」

「でも、どうやって?」

「今回は私にお任せを。ヒロシどのはなるべく奴らの注意を引き付けておいてください。ですが、決して無理はなさらぬように」

「わ、わかった。よーし……」


 ヒロシは船の縁に駆け寄ると、幽霊船の上でじっとこちらを眺めているドレイクに向かって、近くに転がっていたワインのビンを投げつける。ビンはドレイクの足元に落ちて割れただけだったが、飛び散ったワインでドレイクのブーツや服が汚れてしまう。


「自分だけ見物してないで、お前も少しは動いてみたらどうなんだ?」

「ほう……」


 ドレイクは黒く小さい目をギロリと動かし、ヒロシの方へ顔を向ける。その瞬間、ドレイクは音もなくヒロシの背後に移動しており、素早く右腕をヒロシの首に回して締め上げた。


「小僧、海ってのは広いんだ。だからお前のような礼儀や掟を知らない奴がいても、俺様は許してやることにしてるんだ。海のように広く、寛大な心でな」

「ぐはっ……!?」


 強い力で喉を潰され、ヒロシは腕を振りほどこうともがくが、ゴツゴツした感触の腕はびくともしない。


「だが許しはしても思い知らせてやる必要がある。お前は俺の船で向こう百年間、奴隷として働くのだ。嬉しいか?」

「ぐぐぐ……!」


 感情の読みにくい瞳の奥に隠されたドレイクの冷酷さを垣間見た瞬間、ふいに死角から姿を現した人影があった。


「隙あり」


 その言葉と同時にヤクモの手に光る短剣が空を走り、ドレイクの額から伸びる器官を切り落とす。その途端、ドレイクはヒロシを手放して後ずさり、その場に片膝を付く。


「ぐおおおおっ!? き、貴様いつの間に……!」

「気配を消すのは特技のひとつでしてね。おかげで影が薄いと言われたりもしますが」


 甲板に落ちた器官の先端から急速に青白い光が失われると、それと同時に暴れていた幽霊船員たちが動きを止め、足元から小さな生物の群れへと戻って崩れ、四方へ散って消えていく。戦う相手がいなくなったヒナタとツキヨは、すぐにヒロシたちの状況に気付いて駆け寄ると、ツキヨがドレイクに槍の穂先を突き付ける。


「これで形勢逆転だな。あれだけの人数を同時に操るとは、並の魔物ではないようだが」


 ドレイクは紫の体液が流れる額を押さえたままヒロシたちを見上げていたが、、突然身体を震わせて不気味に笑い始めた。


「グククク……やっちまったなあお前ら。これで勝ったと思ってるんなら、おめでたいと言うしかねえ。お前たちは踏んづけちまったんだぜ、海の主の尻尾をよぉ!」


 耳まで裂けた口を開いて笑いながら、ドレイクは服のポケットから奇怪な形のベルを取り出して鳴らした。妙に耳に残る音が周囲に響き渡ると、突然船に大きな振動が走った。


 ――ドンッ!


 それは海の深い場所から発せられた音だった。二度三度とその振動が続くと海面が大きくうねり、立っていられないほどに大きく船が揺れ動く。


「うわっ!?」


 ヒロシや仲間、そして船員たちが近くの柱や縁に掴まって揺れに耐えていると、ふいに水面が静かになる。これで異変は終わったのかと思った瞬間、海の底から巨大な影が浮上し、海面を突き破るように姿を現した。それは胴体だけで二十メートルをゆうに超えるであろう、とてつもなく巨大で、雪のように白いイカであった。その姿を見た途端、船乗りたちは悲鳴のような声を上げた。


「クラーケンだぁぁぁぁぁぁっ!?」


 ヒロシもその名前だけは知っていた。ファンタジー作品やゲーム、映画などにもよく出てくる巨大なイカの怪物で、大抵は船を襲って沈めてしまうという恐ろしい怪物である。それが現実となって目の前に出現したことに、ヒロシは理解がなかなか追いつかず呆然としてしまう。


「う、嘘だろ……?」

「さ、さすがにコレはちょっとデカすぎニャ……」


 ヒロシの隣で同じく巨大なイカの魔物――クラーケンを、ヒナタも目を丸くして見上げている。


「こういうのは光の巨人的な人が相手するモノであって、普通の人間が関わっちゃダメだろ……」


 クラーケンは人間よりも大きく丸い目玉で、船の上の人間たちをじっと見下ろしている。


「さあやれクラーケン! 人間どもに消えない恐怖を刻み、海の底に引きずり込んでやるのだ!」


 ドレイクが再び手にしたベルを鳴らすと、クラーケンの真っ白な身体の表面に電流のようなものが走り、その瞬間にクラーケンは激しく暴れ始めた。胴体よりもさらに長い触手を振り回し、絡みついた船のマストを割り箸のようにへし折ってしまう。さらに別の触手を甲板に叩き付け、甲板の一部が砕けると同時に数人の船乗りが海に投げ出された。


「うわああああっ! 助けてくれえっ!」


 船上は大混乱となり、船乗りたちの悲鳴で溢れかえる。ヒロシたちもどうにか反撃をと思いはしたが、船体に巻き付いた触手が船を激しく揺り動かし、しがみ付いているだけで精一杯である。


「ううっ、海へ落とされたら一巻の終わりだぞ……みんな振り落とされないように掴まって――!」


 そう言いかけた瞬間、すぐ近くにいたメリアの背後から触手が伸び、彼女を捕えようと向かってくるのが見えた。ヒロシは考える前に飛び出すと、メリアを両手で突き飛ばした。


「危ないっ!」

「きゃあっ!?」


 間一髪でメリアは難を逃れたが、ヒロシはあっという間に触手に巻き付かれて十メートル以上もの高さまで持ち上げられると、そのまま海の中に引きずり込まれてしまう。


「ヒロシ様!?」


 メリアは真っ青な顔をしてヒロシの消えた海面を見るが、もうヒロシの姿は影も形も見当たらない。


「そんな……ヒロシ様を返しなさいッ!」


 メリアはすかさず杖を構え、クラーケンめがけて雷の魔法を連発するが、どういうわけか電撃が逸れてしまい、クラーケンにダメージを与えることが出来ない。ならばと火炎や冷気の魔法を浴びせてみるが、クラーケンにはさしたる傷も与えられていなかった。


「そんな……ヒロシ様……!」


 メリアは絶望の表情でその場にへたり込み、ただヒロシが消えた海面を見つめる事しか出来なかった。


(がぼぼっぼ……!?)


 一方、水中に引きずり込まれたヒロシは触手に巻き付かれたまま、水中で暴れまわるクラーケンの姿を見ていた。その暴れっぷりは意志を持って行動しているというよりは、苦痛によってもがいているように見える。だが呼吸も出来ず、生きるか死ぬかの瀬戸際でそれを気にしている余裕はなく、なんとかして触手を抜け出そうと試みる。触手には細かい歯の生えた吸盤が並んでおり、下手にもがくとそれが肉に食い込んで非常に痛むため、ヒロシはイチかバチか吸盤のない場所を指先でこちょこちょとくすぐってみた。するとクラーケンも違和感を感じたのか、ヒロシを握る力が弱まり、その隙にヒロシはなんとか抜け出すことに成功した。呼吸のために水面へ一直線に浮上している途中、ヒロシはクラーケンの真っ白な胴体に奇妙な物が刺さっているのを見た。それは返しの付いた船の錨で、鎖などは繋がっていない。だが時折その錨が青白く光ったかと思うと、クラーケンの胴体に電流のようなものが走り、クラーケンはその度に触手を滅茶苦茶に振り回している。


(なんだアレは……?)


 ひとまず海面へ浮上して呼吸をしたヒロシは、船の様子に目をやる。船はクラーケンの攻撃によってどんどん破壊され、このままでは船体をへし折られて海に沈みかねない状況である。どうにかしなければと思いながら、あまりに巨大な怪物に対抗する手段がない。このまま海の藻屑と消えてしまうのかと思ったその時、一瞬だがヒロシはクラーケンと目が合った。


(……!)


 人間より巨大なクラーケンの目玉から感情を読み取ることは出来なかったが、暴虐を楽しんでいるようには思えなかった。錨から電流が流れる度に暴れるクラーケンの姿に、ヒロシはふと思いつく。


(もしかして、アレで操られているだけなのか……?)


 正直、とてつもなく巨大なクラーケンに近付くのはそれだけで危険である。近付く間に波や触手にやられて命を落とす可能性も高い。それでも、このまま座して死を待つよりはとヒロシは動き出した。近くに浮かんでいた樽にしがみつき、それを盾と浮き輪代わりにしてクラーケンへと近付いてゆく。何度も波に攫われそうになりながら、やっとの思いでクラーケンの胴体に取り付くと、ヒロシはクラーケンの胴体に刺さっている錨を手で掴む。錨が青白く光る度、それを握る手にも電流のような不快感と痛みが走るが、ヒロシは歯を食いしばって錨を両手で掴み、クラーケンのぬめっとした胴体を地面代わりに踏ん張って力を込めた。


「この……っ!! ふんぬうぅぅぅぅぅっ!!」


 先端に返しが付いているせいか、刺さった錨はなかなか抜けず、クラーケンも暴れ続けるためなかなか力が入らない。だが、そうこうしている間に少しずつ刺さっている傷口が広がったのか、錨がぐらぐらと緩み始めてきた。


「こ、ここで失敗したらもう後がないぞ……踏ん張れ俺……ッ! うおりゃああああっ!」


 ヒロシは頭の血管が切れそうなほどに力を込め、全力で錨を引っ張った。直後、とうとう錨はクラーケンの胴体から抜け、ヒロシはそのまま背中から海へ落下した。すぐに手放した錨は海底へと沈んで見えなくなり、ヒロシは急いで海面へ浮上する


「いったあああああああーーーーーーーーーいっ!!」


 突如、周辺に若い女の声が鳴り響いた。ヒロシは思わず耳を塞いでしまったが、ふと目の前を見上げると、錨が刺さっていた場所を触手でさすりながら、クラーケンが大きな目玉をきょろきょろと動かしていた。


「ちょっと!! マジ信じられないんだけど!! ほんっっっとに痛かった!!」


 その見た目とあまりにかけ離れた口調で叫びながら、クラーケンは触手で水面をばっちんばっちんと何度も叩く。その度に水面がうねり、ヒロシは波にのまれそうになってしまうが、クラーケンはヒロシの姿を見つけると、触手で捕まえ両目の前に持ってきた。


「あー、アンタね。あたしに刺さってたアレ、取ってくれたんでしょ。本っ当ありがとうね! めちゃくちゃ痛かったんだよー!」


 その声と口調は巨大な怪物のそれではなく、少し高めの若い女子そのものである。クラーケンは大きな目玉をぎろりと動かすと、幽霊船の甲板に戻っていたドレイクに目をやった。


「あーっ、いたいた! アンタ、よくもあたしにあんなモンぶっ刺してくれたわね……! 死ぬほど痛かったし、言葉も喋れなくなるしさー、もーほんとサイアク!」

「ぐぐ、馬鹿な……! なぜ呪いの錨が外れた……あれは自分では絶対に抜けないはずだぞ!」

「だから外してもらったに決まってんでしょーが! そんなことより……」


 クラーケンはドレイクを睨み付け、無数の触手を幽霊船に絡み付けていく。


「あたしをあんな酷い目に遭わせといて、タダで済むと思ってないでしょーね!」


 言うなりクラーケンは触手に力を込め、幽霊船を砕き始めた。元からボロボロだったマストは根元からなぎ倒され、船体も大きな亀裂が走り、あちこちで軋む音を立てながら砕けていく。


「あああっ、よせ! 俺様の幽霊船が!」

「うるっさいわこのアンコウ男! どっせーーーーーーーい!!」


 クラーケンは怒り心頭といった様子で叫ぶと、天高く垂直に持ち上げた触手を一気に叩き付け、ドレイクごと幽霊船を真っ二つに砕き割ってしまった。さらにクラーケンは左右に分かれた幽霊船の残骸を触手で海中に押し込み、そのまま沈めてしまった。文字通り、幽霊船が海の藻屑と消えた光景にヒロシが唖然としていると、クラーケンはヒロシを両目の近くに持ってきて目玉を輝かせた。


「どう? どう? 見てくれた? あたしってば強いでしょー! あースッキリした!」


 上機嫌になったクラーケンはヒロシを船の甲板に下ろし、触手の先端をひらひらと動かしながら喋り始めた。


「いやー、ごめんねー。あたしはずっと北の海に住んでるんだけどさー、昼寝してたらさっきのブ男にヘンなもの刺されちゃって。そしたらもービリビリがめちゃくちゃ痛いし言葉は喋れなくなるし、それでアイツのいう事聞かされてたんだよねー」


 あっけらかんと喋るクラーケンにヒロシだけでなく、仲間たちや船乗りたちも空いた口が塞がらないといった様子だった。ともあれ今のクラーケンにはまったく敵意が感じられず、ヒロシはクラーケンに声をかけた。


「ええと、俺たちは女神の神殿があるっていう島を目指してるんだ。もう少しで辿り着ける予定だったんだが、船がこの有様では……」


 先ほどの戦いで船はあちこちが破損し、メインのマストも折れてしまっている。この様子では舵もまともに効くか怪しく、遭難待ったなしという状況だ。


「んー、オッケーオッケー。じゃあ助けてもらった恩もあるし、島まで引っ張っていってあげるよー。あたしってばえらーいっ」

「そうしてくれると助かるよ。その前に、海に落ちた船乗りたちも助けないと」


 船の近くには投げ出された船乗りたちが破片や樽にしがみついており、クラーケンは彼らを触手でひょいひょいと掴んでは甲板の上に戻していく。さっきの戦いで負傷した者もいたが傷はいずれも深くなく、手当を済ませてメリアの治癒魔法を受けると、普通に動けるようになっていた。


「よーし、そんじゃしゅっぱーつ!」


 クラーケンは壊れかけた船を触手で掴み、巨大な身体を海面と水平に横たえると、スイスイと海上を進み始めた。帆に風を受けるだけでは出せないような速度で進む船に、船乗りたちは興奮した様子で騒いでいた。ヒロシは少し疲れた様子で甲板に座り込んでいたが、船乗りたちの手当てが終わったメリアがやってきて、ヒロシの横に並んで腰を下ろす。


「ヒロシ様、大丈夫ですか?」

「はは、ちょっと色々あってくたびれただけだよ。海の魔物が襲ってきたと思ったら幽霊船まで出てきて、最後にはあんな大きなイカのモンスターまで現れるんだもんなあ」

「はい、私も本当に驚いてしまって……もうダメかと思いました」

「さすがにこのサイズの差は反則だよなあ。やっぱり対抗するにはこっちも巨大化するしかないのか……うーむ」

「あの、そのことではなくて」


 メリアは少し困ったような顔をしたが、すぐヒロシの顔を心配そうに見てきた。


「ヒロシ様が私をかばって、海に引き込まれた事です。どうしてあんな無茶を……」

「どうして、か……うーん、どうしてだろう」


 腕を組んで首を傾げるヒロシに、メリアも思わず苦笑する。


「気付いたら身体が動いてたとしか……俺も最初に比べたら、神経が太くなったってことかな。わはは」

「それ、ちょっと違うような気がします」


 メリアは思わず笑ってしまったが、同時に張りつめていたものが楽になった気分だった。


「でも……守ってくれて嬉しかったです」


 そう言ったメリアは顔を赤くしてうつむいてしまう。ヒロシも次の言葉が思い浮かばず、じっと海を見つめていた。やがて水平線から島の姿が現れると、船員たちの間からわっと歓声が上がった。魔物の襲撃を辛くも退け、ヒロシたちは女神の島へと辿り着くことに成功したのだった。




第11話 幽霊船 おわり 

次の更新は金曜19時予定です

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