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第十話 託宣の巫女


「……」


 目を覚ましたヒロシの視界に入ってきたのは自室の天井だった。長年見てきた安い石膏ボードではなく、ちゃんとした板張りで表面も綺麗に仕上がっているものだ。それを見る度に自分は別世界へ来てしまったのだなと実感する。だが、今日は眠りにつく前の記憶がはっきりせず、ヒロシは身体を起こす。


「いっ……!?」


 上半身を起こした瞬間、全身の皮膚が引きつったような違和感と、腹部に走る鋭い痛みにヒロシは思わず声を上げる。痛んだ腹をさすろうと手を動かすと、包帯でグルグル巻きになっている。それは両腕だけではなく、顔を除く身体や足といった全身に及んでいた。


「な、なんだこれは……怪奇ミイラ男?」


 などと思っていると、部屋のドアが開き誰かが入って来た。新しい包帯や水の入ったポット、そして薬瓶などを手にして姿を見せたのはメリアだった。彼女はヒロシが起き上がっていることに気付くと、とても慌てた様子でテーブルにトレイを置き、ベッドへ駆け寄ってきた。


「ヒロシ様……! 目が覚めたんですね、よかった……!」


 彼女はそう言ってヒロシの手を両手で握り、今にも泣き出しそうな顔をしていた。


「やあ、おはようメリア。って、時間がさっぱり分からないけど……俺、どうしてたんだっけ?」

「ヒロシ様はひどいケガをして、丸二日ほど意識が戻らなかったんです。でも無事に目覚めてくれて、本当に……」


 メリアは左手で何度も目元をぬぐいながらも、喜びの表情を浮かべている。そんな彼女の姿を見て、ヒロシの脳裏にようやく記憶が蘇ってくる。


「ああ、そうだった。俺はあの偽物にやられて……でも家に戻ってるってことは、みんなは無事だったんだな?」

「はい、負傷したのはヒロシ様だけです。私も含めて、皆さんはなんともありません」

「そっか、よかった。それにしても、うう……」


 ナイフで刺されたこと、そして炎に焼かれた瞬間の事を思い出してしまい、ヒロシの顔は青ざめる。


「あの痛みといい熱さといい、しばらく夢に出てきそうだ……生きてるのが不思議なくらいだよ」


 メリアは近くに置いてあった小さな椅子に腰掛け、あらためてヒロシの手を両手で握る。


「心配しました、本当に。もう間に合わないんじゃないか、目を開けてくれないんじゃないかって……怖かった……」

「ダメだなぁ俺は。いつもメリアに心配ばかりかけてしまって。でも、俺のケガは君が魔法で治療してくれたんだろ?」

「はい。でも治癒魔法も完璧ではないので、そのままだと助かるかは運次第だったそうです。でもヤクモ様が火傷によく効く軟膏を持っていてくれて、おかげで無事に峠を越えられました」

「そうか、じゃあ後で先生にもお礼を言いに行かないとな。さすが薬屋だ」


 包帯が巻かれた自分の身体を眺めつつ、ヒロシは苦笑する。その間もメリアはじっと手を握ったままだったが、やがてうつむいて小さく震え始めた。


「私……他の事なら、どんなつらいことがあっても我慢できます。でも……ヒロシ様が死んじゃったら……またひとりぼっちに……ひとりはもう……いや……」


 それまでずっと耐えてきたのであろうメリアの感情が、堰を切って溢れ出していた。大粒の涙をボロボロとこぼし、嗚咽を繰り返しながらメリアは泣いていた。普段は控えめだが礼儀正しく、明るい表情もよく見せてくれている彼女ではあったが、こんなにも感情を剝き出しにしたのを見たのは初めてだった。揺れる彼女の緑色の髪を見て、ヒロシはここで生活を始めた時のことを思い出していた。


(そうだ、メリアの両親はもう亡くなってるんだったな)


 メリアもまた天涯孤独の身であり、身内と呼べる人間はもういない。両親を亡くし王都の兵士に保護されてからの数年間、下女として働き続けてきた彼女の孤独を思うと、ヒロシも胸が詰まる思いだった。誰からも気にかけられず、自宅と会社を行き来するだけの日々。ひとつ片付けてもまた増えて、時には雑用を押し付けられては黙々とこなすだけの仕事。命が脅かされるような危険はないが、生きている実感もない。初めて会った時、なぜか彼女が気になっていたのは、かつて生きた世界の自分と似たものを感じたからだとヒロシはようやく気付いた。


「……心配かけてごめん。ああするしか方法が思い付かなかったんだ」


 メリアは涙をこぼしながらも首を左右に振る。彼女とてこの結果を責めている訳ではなく、それはヒロシも十分に理解している。それでも押し寄せる感情は、簡単に理屈で制御できるようなものでもない。


「実を言うと……俺、誰かにこんな風に思ってもらえるなんて初めてでさ。自分を心配してくれる人が居るって、こんなに嬉しいんだな」

「ううっ……ぐす……っ」

「ありがとうメリア。俺は君を置いて、どこかへ行ったりはしないよ。約束する」

「……えぐっ……ううっ……うええぇん……っ」


 ずっと泣きじゃくるメリアを見つめ、ヒロシも彼女の手をそっと握り返す。じっとそのままにしていると、彼女も思いっきり泣いて落ち着きを取り戻し、赤くなった目元をぬぐって顔を上げた。


「すみませんヒロシ様、取り乱してしまって。私、めそめそしてちゃダメなのに」

「いいんだ、気にしないで。気持ちは十分受け取ったからさ」

「はい。でも、ヒロシ様も無茶だけはしないでくださいね」

「ああ」


 互いにじっと目を見つめて、少しいい雰囲気になりかけたと思ったその時。部屋のドアからバタバタと人が入ってくる音がして、二人は互いに慌てて手を離す。


「おーっすメリア、ヒロシの様子はどうだニャー? って、目が覚めてるのニャ!」


 そう言ってベッドへ小走りで近付いてきたのはヒナタだった。彼女も愛嬌のある顔をぱあっと明るくして両手を広げ、ヒロシとメリアの二人を一緒に抱きしめた。


「ヒロシこんニャろー、心配させんじゃねーのニャ。あの時はさすがのアタシでもヒヤヒヤしたニャ。メリアの看病とヤクモの薬によーくお礼言っとくニャよ」


 ヒナタは言いながら二人をぎゅうぎゅうと抱き寄せるが、勢い余ってヒロシの顔には彼女の豊かな胸が当たってしまっている。


「わ、分かったからちょっと待っ……! お、おっきいの当たってるっ! みんなが、みんなが見てるッ! 許してぇぇぇっ!」

「ヒナタ様っ! 気持ちは嬉しいですけどそのっ、ヒロシ様は怪我人ですし、こういうのは良くないですからっ!」


 二人がわたわたと慌てる様子を見ると、ヒナタはケラケラと笑い、二人の頭をわしゃわしゃと撫でて身体を離す。


「思ったより元気そうでよかったニャ。二人もさー、いい雰囲気の時はもっとガッっと行って、グッと抱き付くとかしとけニャ!」


 明け透けな言葉にヒロシもメリアも顔を赤くしてしまうが、ヒナタの後ろに立っていたツキヨがやれやれとため息をつく。


「怪我人に向かってなんの話をしてるんだ、まったく。ともかく無事に回復されたようでなによりでした、ヒロシどの。ヒナタもこんな風ですが、ずいぶんと心配していたのでお許しください。もちろん私たちも同じ気持ちです」


 真面目な態度と口調は変わらないが、ツキヨの表情にも安堵が見て取れる。こうしたさりげないフォローを入れてくれる彼女の存在も、ヒロシにとっては大いにありがたいものだった。ツキヨの隣に並んで立つヤクモの眼差しも、普段通り穏やかで優しげである。


「まずは無事に意識が戻られたこと、安心しましたよヒロシどの。日頃の商いが役に立ったようでなによりです」

「ヤクモ先生がいい薬を用意してくれたそうで、助かりましたよ」

「とはいえ、今はまだ安静にしなくてはなりませんね。込み入った話はもう少し回復を待ってからにしましょう」

「はは、そうしてくれると助かります」

「ああ、そういえばリィナ姫様もヒロシ様を心配しておられましたよ。今回のことで責任を感じているご様子でした」


 すっかり忘れていたが、そもそも鏡の迷宮へ向かった一番の理由はリィナ姫の救出であった。彼女が無事と聞いて、ヒロシも肩の荷が下りた気分だった。


「傷が癒えたらリィナ姫様へ挨拶に行きましょう。そして今回の事は私にも責任があります。ヒロシどのの傷が癒えるまで、私も面倒を見させて頂きますよ」


 ヤクモはヒロシに近付き、もうひとつの小さな椅子に腰掛けると慣れた手つきで彼の包帯を外していく。肌はまだ赤く焼けた跡が多く残ってはいたが、皮膚の再生は始まっており、火傷の回復は思ったより早く進んでいた。ヤクモは新しい軟膏を指に取り、ヒロシの腕に薄く広げて塗り込んでいく。


「しかしヤクモ先生の薬といいメリアの治癒魔法といい、本当に凄いですね。火傷がもう治りかけてるんだもんな」

「もちろん薬と魔法の効果もありますが、火傷が見た目ほど酷くなかったのが幸いでした。燃えた上着をすぐに脱いでいたことと、その直後に水を浴びたことが悪化を防いでいたようですね。再生する皮膚が残っていないと、薬や治癒魔法の効き目も遅くなるものです。どちらかと言うと危険だったのは刺し傷の方でしたが、出血こそ多かったものの急所はギリギリのところで避けていました。ヒロシどのは本当に強い悪運お持ちのようで」


 ヒロシの腹部には念入りに包帯が巻かれており、身体を動かそうとするとまだ痛む。治癒魔法が存在するとはいえ、深い傷まで一瞬で元通りというわけにはいかない様子である。


「いや悪運より、そもそも焼かれたり刺されたりしない運が欲しいなあ……」

「ともあれ、しばらく休養を取りましょう。怪我の治癒には体力も消耗しますから、無理は禁物です」


 軟膏を塗り終えたヤクモは、ヒロシの腕に新しい包帯を巻き付けて元通りにする。同じように胸や背中、足といった各部にも新しく薬を塗り終えると、ヤクモは微笑んでゆっくりと立ち上がる。


「では、続きはメリアどのにお任せします。どうぞごゆっくり」


 ヤクモはそう言って古い包帯と軟膏の容器をトレイに乗せ、部屋を後にする。


「次は私が治癒魔法を行いますから、ヒロシ様はそのままでお願いします」

「ああ、頼むよ」


 メリアが両手をかざしてヒロシに治癒魔法を施すと、身体の内側からポカポカと温まるような心地良さに包まれる。ヒロシはその感覚に身を任せていたが、やがて身体に起こった変化に表情を歪ませる。


「あ、あれ……? なんか……かゆい……?」


 皮膚の内側がピリピリする感覚が全身を巡り、それが次第に強くなっていく。その感覚はすぐに強烈なものとなり、ヒロシは全身を駆け巡るそのかゆみに思わず叫んでしまう。


「うわーっ、かゆいかゆいっ! 全身が痺れた時の足の裏みたいになってるッ! ほぎゃああああ!?」


 それはベッドの上でただ身体を起こしているだけでも耐えがたいもので、ヒロシは次々に変なポーズになりながら痒みに苛まれていた。


「わっ、大丈夫ですかヒロシ様?」

「だ、大丈夫じゃあないっ! 身体中がチョーかゆい! ものすごくかゆい助けて!」


 突然騒ぎ始めたヒロシの様子を見て、ベッドの横でじっと見ていたツキヨが口を開いた。


「そういえば聞いたことがありますね。治癒魔法は身体の回復速度を上げているので、場合によって治癒した部分がとてもかゆくなる、と」


 話を聞いたメリアやヒナタは「なるほど」と納得していたが、ヒロシはベッドの上で悶絶している。


「ひいいいっ! かゆいっ! 動くだけでもかゆい! 喋ってもかゆい! かゆいかゆいかゆい! かゆい! うま!」


 あまりの痒さに意味不明な言葉を口走るヒロシだったが、暴れて傷が開いてはいけないとベッドに縛り付けられてしまうのだった。



 一週間ほど過ぎた頃には、ヒロシは問題なく歩き回れるくらいに回復していた。薬と治癒魔法のおかげで火傷と腹の刺し傷もほぼ癒え、火傷の痕もほとんど目立たなくなっていた。


「いやー、それにしてもこんなに早く治るなんてビックリだなあ」


 リビングの椅子に腰掛けながら自分の腕を眺め、ヒロシはすっかり感心している。所々火傷の痕が残って肌の色が違う部分があったりするが、皮膚はすっかり回復して痛みは全く残っていない。テーブルの上に菓子と紅茶を持ってきたメリアはティーカップに紅茶を注いでヒロシの前に置くと、隣の椅子に座ってヒロシの方を見る。


「私、まだ初歩の治癒魔法しか使えませんけど、魔法が使えて本当に良かったです」

「うん、おかげで命拾いしたよ。治りかけが死ぬほどかゆいのだけが難点だったけど……」


 回復中の痒さを思い出し、ヒロシは思わず身体のあちこちを掻く仕草をしてしまう。テーブルを挟んで座るのはヤクモとツキヨで、ヒナタはソファに身を投げ出して寝息を立てている。


「経過は順調といった所ですね。この分なら、もう傷が開くことも無いでしょう」


 ヤクモに言われてヒロシは腹をさするが、傷はすっかり塞がっており痛みもない。魔法の凄さとありがたみを実感していると、向かい側にいるツキヨが口を開く。


「では、そろそろ落ち着いて話をしてもいい頃ですね。鏡の迷宮で起きた出来事は、皆で共有しておく必要があると思います」


 彼女の言葉に、その場の全員がコクリと頷く。ヒロシは迷宮の中で仲間とはぐれた後、自分の身に起きた出来事について詳しく話した。


「――では、我々も見たメリアどのの偽物は、四魔将の一人ルークが変身した姿だったわけですね。姿形ばかりでなく、声色や仕草、そのうえ最近の記憶まで正確に模倣していたとなれば、変身術としては破格の力と言えます。やはり四魔将は転生者であると考えていいでしょう」


 落ち着いて情報を整理するヤクモの言葉に、あらためて全員がぞっとした表情を浮かべる。不安漂う空気の中、ツキヨが真剣な表情で言った。


「記憶すらも本人そのものに変身する……確かに転生者の『能力』でなければ説明できない事です。しかし、そうだとするとかなりまずい気が。我々の情報は、すでに魔王軍に知れ渡ってしまっているのでは」


 記憶までコピーされたとなれば、ツキヨの言う通りである可能性が高い。気まずい空気が流れる中、再びヤクモが言う。


「それについては、おそらく心配は無いかと。いくら転生者の『能力』とはいえ、変身の度に別人の人格や記憶を際限なく取り込み続けていては、本人の精神も破綻してしまうはずです。推測ではありますが、変身における記憶や人格の複製は、一時的なものであると私は思っています。仮にそれが可能だとしたら、わざわざ回りくどい方法で我々を迷宮に呼ぶ必要もなかった。いえ、そもそもの話になりますが――」


 ヤクモは一呼吸おいて、深刻な顔つきでゆっくりと言葉を口にする。


「魔将イレーナの『能力』といい、彼らがその気になれば王都を陥落させることも可能だったはず。だが魔王軍は連携を欠くうえ、王都へ直接侵攻してこないなど行動には疑問が多い。となるとやはり、気になるのは彼らを従え、指令を下している魔王の存在です」


 彼の言葉に異を唱える者はおらず、ヒロシがそれに続く。


「確かに……魔王がどんなヤツで、転生者をどうやって味方に引き入れたのか、なにが目的なのか全然分からないもんなあ」

「その通り。我々は戦う相手の事をもっと知る必要があります」


 二人が頷いた後、じっと話を聞いていたメリアがそっと手を挙げる。


「でも、魔王についてどうやって調べればいいんでしょう?」

「うーん、図書館で調べれば分かるような話でもないだろうし、やっぱり王様に聞くのが早いかな。転生者は魔王を倒すのが使命だとか言ってたし」


 魔王についてはその言葉を口にした王様に話を聞くのが道理であろうと、全員が納得する。


「では王に会いに行きましょう。姫様への挨拶もありますし、丁度良い機会です」


 ツキヨがそう言うと各々が身支度を済ませ、城へ面会の連絡を送った。しばらくして免顔の許可が下り、ヒロシたちは城へと足を運んだ。城の中を案内され謁見の間へと向かう途中、ヒロシは呼び止められて足を止める。声のした方を見ると見覚えのある赤毛の侍女と、赤いドレス姿のリィナ姫が立っていた。


「おや、どうしたんですか姫様。こんな所で」


 リィナ姫はヒロシへ近付くと、まじまじと身体の様子を見つめる。そしてヒロシの首筋に皮膚の色が変わった場所を見つけると、途端に申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「えっと……怪我はもう平気なの? なにか不便があれば遠慮なく言いなさいよ」

「おかげさまですっかり元気になりましたよ。みんなも居てくれるから困ってることもないですし」

「そ、そう……良かったわね。それで……あなたたちはいつも、あんな事をしているわけ?」

「あんな事とは?」

「だから、いつもあんな怪我を負うような戦いをしてるのかってことよ」

「はあ、大体あんな感じかと」


 言葉の意図が分からず生返事をするヒロシに、リィナ姫は少し青ざめた顔をする。


「あまり無茶はしないでよね。他の連中はともかく、ヒロシはただの人間なんだから。助けてもらった手前、あなたにもしもの事があると、私も寝ざめが悪いのよ」


 落ち着きなく視線を動かしつつも、リィナ姫はヒロシを気遣う様子を見せた。ヒロシはリィナ姫の様子をじっと眺め、顎に人差し指と親指を当てて言った。


「姫様大丈夫ですか? なにか変な物でも食べたのでは……」


 その途端、リィナ姫は一瞬にして顔を真っ赤にし、わなわなと震えながら叫ぶ。


「だーかーらー! この私が心配してあげているのになんなのよその態度は!? 一度くらい素直に感謝するとかできないわけ!?」

「まあまあ落ち着いて。あまり興奮すると健康に悪いですよ」

「誰のせいだと思ってるのよ! あーもー本当にあなたは! ムキーッ!」


 例によってリィナ姫は侍女に脇を抱えられて廊下を引きずられて行き、次第に姿は見えなくなってしまった。ヒロシたちは気を取り直し、謁見の間へと向かう。今回はヒロシたちからの要望で話し合いの場を設けた事もあり、呼び出しを受けた時に比べると家臣たちの数も半数ほどで、謁見の間はやや広く感じられる。玉座にはいつも通りにダレル王が腰掛け、ヒロシたちを待っていた。


「来たかヒロシよ。怪我も無事に癒えたようだな」

「はい、おかげさまで」

「して、わしに聞きたい話があるという事だが」

「はい。魔王について色々と知りたいことがありまして」


 やはり魔王という言葉は敏感な話題らしく、にわかに家臣たちがざわめき出すが、ダレル王はすぐに手を挙げて静かにさせる。


「うむ……魔王のなにを知りたいのだ?」

「鏡の迷宮にリィナ姫を連れ去った犯人は、四魔将の一人ルークと名乗っていました」

「なにっ!? 四魔将の一人がまた現れたのか!?」

「これで王国内に姿を現わした四魔将は二人目です。でもよくよく考えたら、俺たちは四魔将と、連中を率いる魔王について全然知らないなと思いまして。今後のためにも、特に魔王について知っておく必要があると思うんですよ」

「ぬう……」

「そういうわけでして、魔王について分かっていることを教えて頂けませんか」


 ダレル王は驚きの表情をぐっと落ち着け、呼吸を整えてからヒロシを見た。


「以前にも話したであろう。魔王とは強力な魔物の軍勢を従えた、我ら人間にとって倒さねばならん脅威であると。古くからそう言い伝えられておるのだ」

「ですから、それ以外のもっと具体的な、魔王についての情報とか……」

「わしは知らん」

「……は?」

「魔王とはそういうものだと伝え聞いておるだけで、その正体は誰も知らぬ。その時代によって様々な魔王が出現するが、やはり転生者によって討伐される。世界はそういう歴史を繰り返しておるのだ」

「じゃあ、その伝え聞いたというのは誰が言ってたんです?」

「それは女神の託宣による言葉だ。古来、この世界は全ての理を司る女神によって守られてきた。我らは託宣によって女神の言葉を授かり、それに従ってきたのだ。これはどの国であろうと変わらぬ、不変の掟である」

「じゃあその女神なら、魔王の正体も知っているんですね?」

「おそらくはな。だが、女神はもう我ら人間の前に姿を現わすことは無い。託宣によって、その言葉を聞けるのみだ」

「では、その託宣をやってもらいたいんですが」


 ヒロシが言うと、ダレル王は少し黙り込んでゆっくりと首を振る。


「残念だが、今は無理だ。託宣を行う巫女がおらぬ」

「えっ?」

「託宣の巫女は特別な一族の女が務めておったのだが、先代の巫女は何年も前に死んでしまってな。彼女には後継者がおらず、その一族すら他に見つかっておらん。以来、託宣の巫女は絶えたままなのだ」

「そんな……」


 手詰まりとなってしまい黙り込むヒロシだったが、ふいにメリアが口を開いた。


「あの……特別な巫女の一族というのは、どんな人たちだったのでしょうか」


 ダレル王はメリアに目をやり、しばし沈黙してから答えた。


木精(ドリアード)だ。木精は『女神の娘ら』と呼ばれ、女神に通じる力を備え、その声を聞くことが出来たという」

「……でしたら、その託宣は私が出来ると思います」


 じっとダレル王を見つめるメリアの姿を見て、彼もようやく思い至る。


「む……もしや、そなたは木精(ドリアード)の血縁の者か。よく見ればその髪と瞳の色、見覚えがある」

「先代の巫女というのは、きっと私の母です。詳しくは分かりませんけど、幼い頃に女神さまの声を聞く仕事のことを聞いた覚えがあります」

「なんと、そうであったか。そなたの両親のことは残念であったが……所在が掴めずにいた頃はどうしていたのだ」

「私は両親を亡くしてから森を彷徨い、保護された後はこの城で下女として働いていました。それからヒロシ様に引き取ってもらって、後はご存じの通りです」

「うむ、確かそうであったな。巫女の娘と知っていれば、相応の待遇で預かっていたものを。わしは危うくそなたを犠牲にしてしまうところであった」

「……もう過ぎたことですから。お心遣い感謝いたします」

「詫びといってはなんだが、今後も不足があれば遠慮なく申すがよい。出来る限りの支援は約束しよう」


 メリアは王に向かって深くお辞儀をし、半歩下がって顔を下げる。


「巫女が見つかったなら、託宣の儀式を行うことも出来よう。これで準備は整ったことになるなヒロシよ。女神の託宣を賜れば、魔王に関する答えも得られるはずだ」

「ありがとうございます王様。それで託宣の儀式というのは、どこですればいいんですか?」

「女神の託宣は大陸の東、海上にある孤島の神殿で行うのが習わしでな。神殿で巫女が祈りを捧げ、女神の声を聞くという手順であった。神殿がある孤島へは港街リンドより船で三日ほどの距離だ。船の手配はこちらでしておこう」

「ありがとうございました王様。では我々は準備を整え、孤島の神殿へ向かう事にします」

「うむ、気を付けて行くがよい」


 ダレル王より許可をもらい、ヒロシたちは託宣の神殿があるという女神の島を目指すことになるのだった。



 港町リンドから王の用意してくれた船に乗り、ヒロシたちは女神の神殿があるという海上の孤島を目指していた。船は立派な作りをしており、十人ほどの船乗りで操縦し、船内には寝泊りが出来る部屋も用意されていた。王族が託宣を受けるために使う物らしく、それを気前よく貸してもらえたのは幸運であった。二日目までは波も穏やかで問題なく進めていたが、三日目の午前中、太陽が頭上へと迫ろうかという時間にそれは起きた。船乗りたちが騒ぎ始めたのでヒロシたちが甲板に集まると、船乗りたちが海面を指して叫んでいる。その方向に目をやると、水面に黒い何かが浮かんでいるように見えた。遠目には岩礁かと思えたが、それは水中から次々に浮かんで来ては数を増やし、船を取り囲むようにして近付いてきた。


「魔物の群れだ! 退治しねえと船が沈められちまうぞ!」


 船乗りの誰かがそう叫んだ途端、水面の黒い影は船へと押し寄せてきた。それらは船の側面に取り付くと、よじ登って姿を露わにする。それは人間ほども背丈のある巻貝やヤドカリ、あるいはカニやエビといった巨大な海生生物であった。甲板まで乗り込んできた魔物たちは、人間の姿を見つけるや、ジリジリとにじり寄ってきた。その数は見えているだけでも十匹以上で、水中にもまだ潜んでいるのは想像に難くない。


「船乗りが犠牲になってはまずい! とにかく魔物を撃退しなければ!」


 そう言ったヤクモの声に応じ、まずはヒナタとツキヨが武器を手に先行する。甲板に上がり込んだ大きな巻貝は、サザエに似た突起の付いた殻を持ち、殻の表面は岩のようにデコボコとしている。殻の下部には本体であろう軟体生物の一部が見られるが、ヒナタが近付くと二本の細長い触手を伸ばし、ヒナタの脚に絡みつく。


「フギャーッ!? ぬるっとして気持ちわりーニャ!」


 触手の先端は球状になっており、それが伸びてヒナタの顔面の前まで来ると、球体の表面が水平に割れたようにめくれ、中からギョロリとした目玉が現れて彼女をまじまじと眺めていた。


「この……気持ちわりーって言ってるニャろがい!」


 ヒナタはおぞましさからかぎ爪の一撃で触手を切断しようとしたが、いち早くその気配を察知したのか、触手の先端は驚くほどの速さで引っ込み攻撃を回避する。そして攻撃のお返しのつもりか、ひと回り太い触手を殻の中から伸ばし、その先端をヒナタに向けた。


「――!?」


 その瞬間、ヒナタの野生の勘ともいえる感覚が強烈な危険を察し、咄嗟に身を屈める。それとほぼ同時に触手の先端が開き、銛のように返しが付いた巨大な針を発射した。針は彼女に命中せず船の縁に刺さったが、刺さった部分がみるみる変色し、じゅわじゅわと音を立てて溶けていく。それを目の当たりにしたヒナタは、思わずゾっとして青ざめる。


「あ、危なかったニャ……おーいみんな、こいつらヤバい毒持ってるニャ! 絶対に毒針に触るんじゃねーニャ!」


 彼女の声を聞き、甲板に居た全員の視線が集中する。木材とはいえ船の一部を溶かしてしまう毒を見て、全員の間に緊張が走る。


「戦いを長引かせると船が使い物にならなくなる。急ぐぞ!」


 そう声を張り上げたツキヨは跳躍し、目の前に立ちはだかるヤドカリ型の魔物の背中に取り付く。地上では見たことが無いような巨大な貝殻を槍で突いてみるが、殻は鉄のように硬く穂先が通らない。


「……正攻法だと分が悪いな。メリア、魔法を頼みます! 海の魔物は雷の魔法に弱い!」


 ツキヨに頼まれ、メリアは呪文の詠唱を始める。それが終わるまで無防備となってしまうが、メリアと傍にいるヒロシの前には、二人を守るべくゴーレムが仁王立ちしている。ゴーレムは近付く貝や甲殻類の魔物を殴り飛ばし、時には両手で持ち上げて海へ放り投げる。ゴーレムの強固な装甲には魔物の殻やトゲも通用しないようで、こうした相手にはとても頼もしい用心棒である。


「ゴーレム、メリアを頼む。俺はあっちの魔物を追い払うから!」


 ヒロシは新たによじ登ってきたナメクジのような魔物を見つけ、剣を抜いて近付いた。見た目通りにナメクジのような魔物は動きが鈍く、茶色っぽい体色で背中だけが鮮やかな青や黄色の模様が入っていて目立つ。ヒロシが剣の先で大きなナメクジ型の魔物をつつくと、魔物はゆっくりと頭のような部分を持ち上げ、円形の口を開く。ぬめぬめとした口の中は見るだけでも気持ち悪かったが、魔物は身体を数回震わせると、オエッっと紫色の液体を正面に吐き出した。それがヒロシに振れることはなかったが、その液体から立ち上る臭いを嗅いだ瞬間、ヒロシは顔面を真っ青にして口元を押さえ、慌てて船の縁に身を乗り出す。


「おえええええっ!?」


 それはとてつもなくひどい臭いで、一瞬で強烈な吐き気を催すような代物だった。船酔いでさえこうはならなかったというくらい、ヒロシは激しく嘔吐して胃の中のものを海にぶちまけた。


「くっさ! おえええっ! くっっっさぁ!!」


 ゲロと汚物と生ごみを混ぜて念入りに腐らせてもこうはならんだろうというような、まさに筆舌に尽くしがたい悪臭であった。ヒロシはすっかり胃の中身を吐き出すと、目に涙を浮かべながらナメクジ型の魔物を剣先でつつく。


「この、あっち行けっ! こんなもん撒き散らされたら戦うどころじゃないぞ……うぷっ!」


 チクチクされて嫌がるナメクジとヒロシがやり合っていると、突如として空気を裂くような激しい音と閃光が発せられた。ヒロシがその方向を見ると、メリアが付き出した杖の先から青白い電撃が放たれ、硬い殻に覆われた巻貝の魔物に直撃していた。魔法が直撃した部分は殻が砕けてしまい、さらに剥き出しになっている本体に激しい電流が走る。身体の内側を焼き尽くされ、巻貝の魔物は煙を立ち上らせたまま動かなくなった。


「す、すごい……」


 その威力は目を見張るものがあり、魔法については完全に素人のヒロシでさえ、メリアの成長が著しい事はすぐに理解できた。


「皆さん魔物から離れてください!」


 メリアの声を聞いて魔物と戦っていた仲間や船乗りたちは急いで魔物たちから距離を取る。直後、メリアの杖先が閃光を放ち、迸る電撃が次々に魔物へと襲い掛かる。電撃は魔物たちの殻を穿つばかりでなく、濡れた身体を感電させ内側から焼き貫いていく。ほどなくして電撃の発射が終わった時には、甲板に乗り込んでいた魔物のほとんどが焼け焦げて煙を上げ、もう動かなくなっていた。ヒロシの近くにいたナメクジ型の魔物も、黒焦げのよく分からない塊となって転がっていた。


「皆さん無事ですか? ヒロシ様……!」


 メリア周囲を見回してからヒロシの元へ駆け寄ってきた。たった今、無数の魔物を全滅させた魔法使いとは思えないような、穏やかで礼儀正しい普段通りの彼女である。


「いやあ、メリアの魔法は本当に凄かったなあ。これも魔法の特訓の成果かい?」

「はい、タバサ先生にしっかり修行を付けてもらいましたから」

「俺もあんな風に魔法が使えたら良かったのになあ……って、んん?」


 ふとヒロシが空を見ると、さっきまで快晴だったはずが、暗く重い雲に覆われてしまっている。周囲はどんどん暗くなり、穏やかだった海も波が高く荒れ始めてきた。


「な、なんだ!?」


 船が揺れるほどに海が荒れ、周囲の船員たちも動揺が隠せない様子である。異様な雰囲気に甲板がざわめく中、突如船のすぐ横の海面に巨大な水しぶきが上がり、水中から巨大な黒い影が飛び出してきた。それは表面にフジツボや海藻がびっしりと生えた、真っ黒でボロボロの帆船であった。この時のヒロシたちはまだ知る由もなかった。船を取り囲んだ魔物の群れでさえ、これから訪れる恐怖の前触れに過ぎない事を。



第10話 託宣の巫女 終わり

次の更新は金曜日19時の予定です

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