8.インドで何度も確認して大丈夫と言われたのに、飛行機の乗り継ぎが出来なかった話
火曜日――
不安のうちに朝を迎える。
初めての海外旅行がこういう事になってしまったせいで、胃腸の調子はいっこうに良くならない。物が食べられないとフラフラして上手く考えをまとめる事さえ出来なくなってくる。
たった一人の話し相手である妹との会話だってはずむ訳がない。
電話の呼び出し音――!
大使館員さんからだった。帰国便が決まったという。万歳!
イライラしながら待つこと数時間。あの「うちには関係ない」と言って電話を切ってしまった現地代理店の職員だか、とりあえず片言の日本語が話せるという事で雇われたバイトだかが航空券を持ってホテルへやって来た。デリーから東京のエアインディア便と東京から大阪への国内便。
渡されたチケットに「NRT→ITM(成田→伊丹)」ではなく「Tokyo→Osaka」としか記載がないので不安になる。
成田→伊丹は便数が少なく、なかなか予約が取れないのを知っていたから。
「この東京から大阪までの便は成田から飛んでいる飛行機なんですよね?」と念を押す。
「大丈夫。Tokyo→Osakaだ」と請け合うたどたどしい日本語に一抹の不安を抱きつつも
「やっと、帰れるー!」という思いにホッとしながらホテルを出た。
夜のデリー空港。
ボーディングパスをもらう為にカウンターに並ぶ。今度はちゃんとチケットを持って来てくれた人がついてくれていたが、また我々より後ろに並ぶ人はいない。なんでもっとゆとりを持って送ってくれないかなー。
ドキドキしながらチケットを差し出す。
係りのお姉さんが「アレ?」という顔をした。付き添いさんに何か言う。
どうやら席がないと言っているような……
嘘でしょー! 何かの間違いだと言ってー!
付き添いさんが係員に何事か話しかけている。忙しくキーボードを操作する係員。じっと係員を見つめる私と妹。
パッと係員が顔をあげた。にっこり微笑む。
「オーケイ! エグゼクティブクラス」
へ?
一瞬、何の事だかわからなかった。
水曜日――
幸運にもビジネスクラスと呼ばれる座席で今か今かと着陸を待つ。
座席自体はエコノミーより格段に広々していて、随分楽だったが、周りはスーツを着こなしたおじさまばかり。ジーンズにくしゃくしゃの綿シャツ、スニーカーという貧乏臭い格好の私と妹はちょっとばかり、居心地が悪い。
体調は相変わらずで、インド風の機内食は喉を通らず、折角のタダ酒もパス。ただひたすら、お蕎麦や素麺や雑炊や、我が家の布団が恋しかった。
そして、成田着。
渡されたチケットに記載されていた乗継便の出発時刻が迫っていた。チケットを渡された時点で、普通なら乗り継ぎできないかもしれない中継時間だというのはわかっている。機内持ち込みの荷物しか持っていなかったので、ターンテーブル前に並ぶ必要がない、ギリギリいける、というのがインドでごねなかった理由。
税関を抜け、小走りで航空会社の受付カウンターへ。
「これは羽田からの便ですね」
我々のチケットを見た係員の科白。
だから、あれだけ念を押したのに……。
チケットに記載された出発時刻まで30分もない。今から羽田までどんなに急いだって乗れるわけがない。
一体どういう手配の仕方をしているんだ、まったく!
その時、怒りでつりあがった私の眼に今回の旅行を主催した旅行社のカウンターが映った。
ここは日本だ。日本語が通じるんだ。とりあえずなんとかしてもらえるはず、とちょっとほっとしながらカウンターにいた社員に乗り継ぎ不可能な便を手配された事を申し立てると、
「よその支店が手配したことなので……」という返答。
よその支店のお仕事かもしれませんが、あなた達は天下の○○○の看板を背負っているんじゃないんですか? 問題の支店に連絡をとるくらいしてくれてもいいんじゃないですか、と言いたかったけど。
もう、いいっ!
こんなの相手にしてたってしょうがない。なんでもいいから、早く家に帰ろう。新幹線を使う事にした私と妹は、頭から湯気をたてながら、東京駅に向かった。
1989年2月21・22日の出来事。
次回最終回。明日9月21日夜に更新予定です。




