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アヤカシ太夫♂とイロオトコ  作者: 駿馬
刀憑(カタナツキ)
45/53

刀憑(カタナツキ) ─参、

 


人ヲ知ルハ

人ノミ也。


炎ヲ知ルハ

炎ノミ也。


サレド

鋼ヲ知ルハ

炎也。



 

 


「……しっかし、驚いたなぁ……こんな別嬪さんが男の人だなんてさ」


 焔屋にての奉公、初日の朝。


 小屋の傍にある井戸より釣瓶を引き上げながら、翠蓮は隣にて洗濯をするし乃雪へと屈託の無い笑みを向ける。

 し乃雪はゴシゴシと手を休ませる事無く少年へ笑み返した。


「其れが俺の仕事故にのぉ」

「歌舞伎役者なのかい?」

「近いね、」


 言いつつも、少々慣れぬ家事と手を切る様な冷たさの水に表情を歪ませ、堪らず手を引き抜き。

 すると


「あ、ごめん気付かなかった。ちょっと貸して、」


 と、翠蓮が代わって片手を桶へと差し入れ。

 ゴボ、と其の手より幾つか大きな泡が立ったかと思えば、瞬く間に桶の水より温かな湯気がもうもうと立ち始めた。


「はい、」


 翠蓮が避け、し乃雪は恐る恐る白い手を差し入れる。

 其処にあったものは少々熱い程度の湯。

 まるで絡繰の様な現象に、し乃雪は目を大きく見開く。

 翠蓮を見れば、彼へ礼を口にする間も無く得意気な笑みを浮かべた。


「すげーだろ?」

「加具土の民の力じゃの、流石じゃ」

「お?知ってるんだ?」

「嗚呼、知り得たのは昨日じゃが、の。

 ……そうじゃ、のぉ翠蓮」


 パン、と洗濯した着物を広げつつ、し乃雪が顔を上げ。

 翠蓮も又同じく顔を上げ、紅い瞳を彼へと向ける。


「ん?」

「あの焔屋と云う男の事、実の所まだ何も知らぬのじゃ。どの様な御仁なのかえ?」

「嗚呼、そりゃああんまり話したがらないからね、親方……」


 そう呟き、其の先を何か言い出そうとし、しかし淀み黙る。

 数瞬空けた後、彼は漸くぽつりと零した。


「……地獄耳!だね」

「ほぉ?他は、」

「んー……気紛れで魚が大好きで高い所が好きで少し人見知りして……」

「……猫の様な男じゃのぉ……」

「後は、」


 と。

 ばん、と小屋の木戸が強く開き、目尻を吊り上げた焔屋が姿を現し。

 ずんずんと二人へ歩み寄れば、唸りを上げ振り下ろされた拳がゴヂンと音を立て、翠蓮の脳天を見事に直撃した。


「痛って!」

「浮かれてんじゃねェぞ、翠」

「何だよ、親方の方が嬉しい癖……痛っって!!」


 二度目の鉄槌の後、すっかり消沈した翠蓮を後目に、焔屋はくると踵を返す。


「これが終わったら掃除だ、抜かンなよダイコン」

「はいよ」

「……嗚呼、後」


 顔だけが此方へ向き、気だるそうな瞳がこの日初めてし乃雪の銀の其れを捉え。


「敬語は使うな。嫌いだ」


 一言そう吐き捨てた後、其のまま小屋の中へと戻って行った。



「……な?」


 濡れた瞳のまま、こぶが出来た頭を撫でながら翠蓮が漸く呟く。


「成る程のぉ、」


 し乃雪の顔に浮かぶ苦笑とは裏腹、其の心中では久々の変わり種に好奇心が疼き続け。

 この三日間、案外楽しめそうじゃの……そう、彼は胸の内にてそっと呟いた。



 きらきらと残雪輝く春の日。

 眠り誘う長閑な日差しの中、し乃雪はぱたぱたと忙しく動き続けている。

 仕事量其の物が多い訳では無く、普段余り家事をしないし乃雪の要領の悪さが原因だ。


 まるで輿入れした新妻の如き彼の姿。

 客人である農民達にはまさしく其の通りに見えるのであろう。

 彼等が来る時頃になった辺り、対応に回る翠蓮に対し口々にし乃雪の事を聞いては


「何だ、親方に奥さんが出来たのかと思うたのになぁ!」

「いっその事このままオイラの母ちゃん代わりにずっと此処に居てくれても良いんだけどさ。なぁ姉さん?」


 と、本気なのか冗談なのか分からぬ戯れ言を言い、笑い合った。


 ……男であるとは皆に言ったものの、彼等はどうやら信じていないらしい。

 無理矢理信じさせるのも莫迦々しく、結局其のまま女で通ってしまっている。



 早良の容態は相変わらずだ。

 焔屋の鋼を叩く音がすれど、し乃雪が包帯を取り替える為に身を起こせど、目覚める事無く眠り続けている。

 このまま目覚めぬのか……不安も感じたが、包帯にて半分隠れた其の顔は只穏やかなだけでは無く。

 時折夢か苦痛かで眉をしかめる様は、寧ろ命の心配が要らぬ証拠であり、其の都度にし乃雪の不安は少しずつ溶け消えていった。




「なァ、」


 鍛冶場にて刃の欠けた鍬を見詰めていた焔屋が、ふと零す。


「?」

「…………具合は、」

「心配無い、数日養生すればまた走り回れるわえ……傷は残りそうじゃが、この古傷の多さなら大した問題では無かろうて」

「……」


 其れ以上、焔屋は口を噤む。

 其の背中が、何処か寂しそうに丸まって見え。



「焔屋」

「……、」

「お前さんがどの様な男か、未だ良く分からぬけれど。

 ……らしくないのぉ?」


 フン、と鼻で笑う気配。

 続き、焔屋は漏らす様に呟く。


「かもな」



 やがて、其の背の向こうにてゴウと炎舞う音がし、部屋中が一気に温度を上げていく。

 夕日色の炎がちらちらと立ち上る様が力強くも美しく、し乃雪はつい手を休め、暫く其の光景にじっと見入った。


 まるで鳳凰の如く、舞い狂う炎。

 徐々に激しさを増し、色を変え、鳥は男の身を抱いて嬉しそうに飛び跳ね、身を捧げる。



 ……この男は、炎に魅入られておるのか。

 そして男も又、炎が……。



 そう図らずも感じた時、背後の木戸が開いて翠蓮が中へと入り。

 し乃雪の隣にそっと座ると、ちらり目を配せた後に彼も又焔屋の背へと顔を向けた。



「親方って、すげーだろ?」

「……嗚呼。炎が嬉しそうじゃ」

「お?面白い事言うんだな雪さん!」


 くん、と顔を上げ、好奇心に満ちた眼にてし乃雪を見る翠蓮。

 歳に見合わぬ少年じみた眼差しがくすぐったく、し乃雪は少し恥ずかしそうに少年を見。


「……何じゃ、悪いかえ?」

「ううん、吃驚したんだ。雪さんて徒者じゃねぇな!」

「何を言うか、」

「世辞じゃないぜ?だって親方って」


 と、小石程の鉄塊が投げ付けられ、翠蓮の額を真っ直ぐに叩く。

 翠蓮は「痛って!」と声を上げて其の場にひっくり返った。

 見れば、焔屋が又しても目尻を少し吊り上げ、此方を睨んでいる。


「ちったァ黙ってろガキが」

「良いじゃねーかよ、減るモンじゃ無し!」

「お前の口数は多過ぎんだよ!」


 始まった他愛も無い口喧嘩に、し乃雪はくすくすと笑み零す。


「まるで親子か兄弟じゃの、」


 言えば、嬉しそうにニカリと笑う翠蓮。

 一方、焔屋は其処で炎が消えた様に押し黙り、そっぽを向いてしまった。


「ん……善からぬ事であったか、」

「否?親方の照れ隠……痛って!!」


 振り下ろされた鉄槌に悲鳴を上げ、再び場に沈む翠蓮。

 どうやら翠蓮の言う事は一々図星らしく、良く見れば焔屋の目尻がほんのり赤くなっている。

 そして一言、


「…… そいつァ、弟だ」


 とだけ呟いた。



「……親方ったら、格好付けちゃって」


 脳天をさすりながら、涙目の翠蓮が漸く半身を起こす。


「お前さん、あれの弟かえ?」

「うん、母ちゃんは違うけどね」

「道理で二人、似ておる訳じゃの」

「そうかな? ……あ、」


 何かを言おうとした翠蓮だが、喉まで出掛かった言葉を無理矢理呑み込む。

 どうやらまた鉄槌が降って来る事を恐れた故らしい。

 しかし、一瞬目を泳がせた後、壁に掛けてある釣り具一式を二人分手に取り、し乃雪へと持たせた。



「夕飯、取りに行こうぜ!」


 どうやら、焔屋の耳が届かぬ所で何か話したい様子。

 し乃雪が苦笑混じりに「はいよ、」と言えば、再び鍛冶場へ向かい炎を上げ始めた焔屋が


「翠、余計な事喋ッたら焼いて捨てるぞ」


 と吐き捨て。

 翠蓮はニヤニヤと笑いながら、「おう」と返事をした。




 小屋を出ても尚にやけたままの翠蓮。

 其の様が何処か可笑しく、し乃雪が口を開く。


「如何したえ?面白い顔をして、」

「親方から許しを貰った」

「何がじゃ、」

「触りだけなら喋っても良い、ってさ」

「ん?先刻は『焼いて捨てる』と」


 言えば、翠蓮はくるりとし乃雪へ振り向き、笑った。


「火は火を焼けると思うかい?

 ……まぁ、『捨てる』とまで言われたからあんまり話せないけどね」




 * * * * * * * * * *



 同じ頃、飲み処『藤雅』。



「……嗚呼、これまた凄い景色になっていやがる……」


 かららと戸を開け中を覗いた源三郎の第一声は、呆れと感嘆を含んだ呟きであった。

 店の奥にある座敷席にて、大きな机を独占する四人と一匹……朧、霞、白銀、槇島、そして狛虎。

 ……一見只の寄合の様に見えて、其の絵面の中に"人間"が居ない、異様な景色だ。



「おーホンマ来おったな!ほれ源ちゃん、こっちや!」


 先日は頭から被っていた傘布を後頭部にて束ねた槇島が嬉しそうに言い、白銀が手を振る。続き朧と霞が源三郎の為に其の間を空け、霞の膝にちょこんと乗っていた狛虎がにゃんと鳴いて彼へと擦り寄った。



「……朧、霞。彼等と知り合いか?」


 狛虎を抱き上げ腰を下ろしつつ問えば、二人が笑顔で返す。


「嗚呼、槇島は付喪神の長故にな」

「左様に。平安の頃より御世話になっております」


 ……ならば始めから朧達に訊けば良かったのか……?

 そう思いつつ、店の娘に熱燗を一本頼んだ。



 し乃雪の奉公が決まった時、「嫌いだから」と言う理由で焔屋よりあの小屋に近付かぬ様言われていた。

 故、今はし乃雪の身を案じつつ、何時も通りの生活を続けている。

 其の折、今朝になり「少し喋らへんか?」と白銀を通じて槇島より誘いがあり、こうして出向いたのである。

 朧と霞については恐らく偶然か、或いは立ち聞きしていた狛虎の仕業であろう。



「んで?どや、焔屋は?行ったか?聞いたか?収穫は?」


 源三郎へ酒を注ぎつつ、迫る様に尋ね始める槇島。源三郎は苦笑を零しつつ口を開く。


「白銀が申したかと思いますが、昨日訪ねて参りました。

 が……この通り、某は何も聞き出す事が出来ず追い出されて参りました次第で」

「さよかぁ……」

「しかし、向こうより条件を付けられまして。

 し乃雪が三日間住み込みにて働いてくれれば話す、と」

「…… 其の話、ホンマかい!?」


 驚愕の色を浮かべた顔を上げる槇島。

 突然向けられた形相に源三郎の身がピクと跳ね、目を見開いた。


「な……何か、不味い事でも……」

「ほんなん何処の馬の骨とも知れん男ン所になんか行きよったら寝取られるやないかい!!」

「…………」


 驚愕が呆れに変わり、一瞬閉口する源三郎。

 一口酒を含んだ後、改めて。



「……まぁ、其れは恐らく問題無いかと。

 焔屋殿自身、"女でないのが残念"と話しておりましたし……

 ……其れより。少々ではありますが収穫はありましたぞ」

「ほぉ?」


 槇島のみならず、朧も又顔を向け。

 膝の上の狛虎も、源三郎に撫でられ気持ち良さそうにしつつ其の小さな顔を上げる。


「確かに槇島殿の仰った通り、焔屋は"今は刀鍛冶をしていない"と。

 しかし、鍛冶場の隅にて刀らしき包みを見付けまして。

  ……恐らく、其れが件の刀"紅蓮"なのか、其れとも」

「ほぉ……まぁ確かに、鍛冶屋が護身用に刀持つっちゅーのは可笑しいさかいにな……」

「其れと。

 (やっこ)さん、紅い眼に赤髪の……"加具土の民"でありました」

「……ん?まさか……」


 続き言葉を漏らしたのは、意外にも朧の方であった。

 其の声に振り向けば、彼は口元に手を当て思考を巡らせ、やがて顔を上げ。


「源三郎、其れは真か?」

「嗚呼、この目で見たからな。何かあるのか、」

「……そうか、生き残りがおったか」

「?」

「焔の血は総て(つい)えた筈であったのだが」

「……何?」


 源三郎の眉根が寄り、朧へ聞き返す。彼が耳にしていた事と少々食い違っている故だ。


「待ってくれ朧、俺が城にて耳にしたのは"指折り程度にまで減った"と……」

「其の話には続きがある。

 確かに一時其処まで減った……と言われており、実際、女数人ばかりが残った。

 だが、事実上の"加具土の民"は男のみなのだ」

「……如何言う事だ?」

「ふむ……少々くどくなるぞ?

 加具土の民が子を残した時、赤眼・赤毛・色黒に炎を操れると言う特徴が出るのは男児のみ。

 女児の場合は見てくれも中身も只の人間であるし、其の女児の更に子孫は男女関係無く最早只の人なのだ。

 其れを知らず、当時の幕府は危険だ危険だと男ばかりを殺め行き、結果がこれだ」

「………… 成程、な……」

「焔は少々特異な種故、他にも人とは違う面倒な特徴があるらしいが……

 世の(ことわり)とは不思議なものよ。焔が増えれば世が滅びる故に、そうして制限があるのだからな」

「……」

「せやけど、焔屋が加具土の民や言うたって村正とは直接関係あらへんで?」


 一瞬訪れようとした沈黙を、払拭するかの如く槇島が口を開く。


「結局、焔屋から直接聞かんと村正其の物のまともな手掛かりは得られへんっちゅー事やろ」

「……そう言う事だな」


 槇島の言葉に朧が頷く。後、二体の視線が源三郎へと向けられ。


「すまんなぁ、源ちゃん。

 やっぱりわいらは良う役に立たん様や……」

「否、構いませぬ。此度の事は某の任務故、寧ろ手助けかたじけなく思うております次第」

「……源、お主堅苦しいな。似合わぬぞ」

「悪かったな、」


 朧の一言に皆より笑いが漏れ、先刻までの重い空気が吹き飛ぶ。

 やがて寄合は何時もの酒飲みへと変わり、人の姿へと化けた狛虎も混じって賑やかに酒を交わし始めた。



 しかし。

 其の中に只一人、少々表情の浮かぬ者が居た。

 霞である。


「…… 村正に、焔……、

 鍛冶と、……炎……」


 小さくそう呟き、何かを思い出そうと頭を捻り続ける霞。

 ……彼女はこの日、其れ以上口を開く事は無かった。



 * * * * * * * * * *



「何と!焔屋は牛の肉を食うのかえ、」


 海原へと垂らした釣糸が揺れる程に驚いたし乃雪に、翆蓮は笑いながら顔を向けた。



「うん。おいらも一度食った時があるけど、厚く肉を切って表面を焼いた後塩を少し振って食うとさぁ、こォれが美味いんだよ!

 後は猪に熊に……馬とか」

「馬!?」

「しかも生肉を生姜と醤油でね」

「っはー…… 随分と変わった男なのじゃのぉ……性格は猫で食は山犬か」


 そう言い漏れた溜息は呆れでは無く、明らかに焔屋を羨む故のもの。

 し乃雪は軽く生唾を飲み込み、一向に変化無き竿をふらふらと揺らし、日光にてきらきらと光る水平線を見詰める。


「俺も様々な物を食うて来たと思うたが、上には上が居るものじゃの……一体何処で其の味を知り得たのやら」

「そりゃあ、親方は全国を歩き回ったんだ。親方、何でも知っているんだぜ?」

「鍛冶の修行かえ?」

「其れもあるし、幕府から逃げていたってのもあるのさ。

 其の事は悟兵衛さんから聞いただろ?

 今は幕府もしつこく追って来なくなったから此処に定住しているんだ」

「ん……悪い事を聞いたかえ、」

「良いよ、気にしていないしキリもないから。

 でもなー。親方って結構やんちゃな人でさ、今は年食ったから落ち着いているみたいだけど、逃げ回っていたってのは焔だからじゃなく、其れが楽しくてあっちこっちで武勇伝作っていたからじゃ無いかって思うんだよ」

「武勇伝とな?」

「おう。西の方で山賊の大集団に囲まれた時、山賊達が持っていた武器を全ッ部溶かしちまったーとかさ、花火大会で追っ手を捕まえて全員打ち上げちまったとか」

「おぉ……嘘臭い話だが焔屋ならば遣りかねぬな……」

「だろ?其れにさ、」


 と。

 ふと背後に気配を感じ、し乃雪が振り向く。

 途端、投げられた小石が翆蓮の頭を見事に直撃し。


「痛って!!」

「もう言わねェぞ翆」


 どうやら小屋を出て散歩しに来たらしい。

 焔屋が、背後に佇んでいた。


「酷ぇよ親方ぁ~……」


 翆蓮が涙目にて頭を擦る傍ら、焔屋は二人が座っている大岩の上に飛び乗り、魚篭を覗き込む。


「如何だ、」

「んもぉ……おいらは二匹。雪さんは、」

「ボウズじゃ」


 側に置いてある魚篭をわざとらしく突付けば、魚篭はカサリと乾いた音を立てて揺れた。


「流石に此度初めてでは魚も分かるのであろうな、」

「…………翠、何て教えやがッた?」

「ん?餌付けて垂らしていれば釣れるって……痛ってててて!」


 頬を抓られ悲鳴を上げる翠蓮。続き、焔屋が呆れた様に声を上げる。


「其れじゃ釣れる訳ァ無ェだろがど阿呆、 ……しょうが無ェな、」


 ふ、と其の手を離し、焔屋はし乃雪の背後へゆっくりと立ち。


「?」


 焔屋の行動を不思議に思い振り返ろうとしたし乃雪であったが、其れよりも早く。


 背後より両の腕がし乃雪を抱き締める様に伸び。

 釣竿を握る自分の手を、焔屋の大きな手がふわりと包み込んだ。


「……あっ、」

「見ていろ」


 硬く、大きな、温かい手。

 左頬に固い髪の毛が触れ、低く心地の良い声が耳を擽る。

 伝わってくる温もりが、心の臓の高鳴りを更に速めていく。



「………… っ、釣れる……か?」

「アンタ次第だ。

 良いか、少し釣り糸を揺らしながら活きの良さを主張してやれ」


 自分の手を握り締めたまま、拍子良く釣竿を動かす焔屋。

 ……どうやら他意は無い様子だが、其れにしても。


 し乃雪は縋る思いで翠蓮へと目を向けたが、彼はにこりと笑顔を作るのみだ。



「……あのゴボウ、」


 ぼそり、不意に呟かれる。

 風向きが変わったのか、吐息が耳を掠め、白磁の肌を粟立たせた。


「何……」

「悟兵衛とか源三郎とか……なァ、よォ。

 あいつァアンタの"客"か、」

「?」

「アンタ……"陰間"だな」

「!何故に、」

「役者だけの奴と陰間やってる奴ァ、匂いと仕草が違う」


 収まり掛けていたし乃雪の頬が再び紅潮する。

 其れが何故か分からぬまま、喉まで出掛かっていた言葉を詰まらせ、彼は唇を噛み締めた。


「…………」

「今更何ァに湿気た面してンだ?

 んで?……」

「……只の、友人じゃ」

「ふぅん?……あの男、"あれ"でか?」

「えっ、」


 と。

 くん、と釣竿が引き、緊張を違う緊張が裂く。


「……来たぞ!」


 焔屋の顔が初めて綻び、し乃雪の手を握る手に力が込められる。

 連られし乃雪も又笑みを零し。

 引きは思いの外強く、しかし力強い焔屋の腕がし乃雪を支え、ぐいぐいと其の距離を縮め。


 そして。


「おら、来るぜ!!」

「お……おお、」


 ぐい、と強く引いた時。

 手元へと引き寄せられたものは、季節外れの大きな穴子だ。

 先刻のもどかしさを一瞬だけ忘れ、「すげぇ!!」とし乃雪が笑う。

 稀な大物に焔屋も又笑顔のまま、彼の肩を軽く叩いた。


「何だ、運が良いな」


 釣針を外しつつ、焔屋が言う。

 一息入り…先の羞恥を思い出したし乃雪は、只小さく首を縦に振り、声は出さず。

 其れをニヤリと笑い見、焔屋は魚篭二つを手に取り、立ち上がった。


「これなら充分だな。帰るぞ」


 し乃雪は未だ何か言いたげだが、やはり喉から先に声が出て来ない。

 其の様子を見ていた翠蓮、し乃雪の耳元にて一言。


「親方って、人をからかうのが好きなんだよ」

「…… ふぅん、」


 詰まる所、先刻の詮索はそう深い意味を持たぬと言う事。



「……少し、時間をくれぬか?散歩がしたい」


 踵を返した焔屋に言を投げれば、何時もの面白く無さ気な顔で振り向き、言った。


「山犬が出る。遠くにゃ行くんじゃ無ぇぞ」




 …… 先の日に、もう他人とは深く関わらぬと決めたばかりなのに。

 し乃雪は只ぽつりとそう呟き、指を刺す冷たい海水をパシャンと弾く。


 酷く胸の内が締め付けられる感覚を抱えたまま、し乃雪が来たのは先刻よりそう遠く無い場所にある砂浜だ。

 すっかり春の海と化した其処は、傾き始めた日光にて桜色に染まり、所々に残った波の花が磯の臭いを撒き散らす以外は美しい景色であった。



 し乃雪は気付いていた。

 あの焔屋へ抱くこの感覚が、あの商人……鉄屋の矢右衛門にも抱いていたものと同じであると言う事を。

 無論、自分が少々惚れっぽい性分である事を前々より知り得ていたし、まさかあの臍曲がりの焔屋にこの様な感情を抱くとは思いも寄らなかったが。


 第一、覚悟を決めて居た筈なのだ。

 これ以上、人との深き関わりはすべきでないと。

 この特異な身は、関わるだけで碌なことが起こらぬと。


 ……其れだのに。



 ゆっくりと沈む太陽が、まるで変わり行く季節の様に色を変え、じっと見詰めるし乃雪の白い肌を茜色に染め上げる。

 冬と春の入り混じった潮風が肌を撫で、冷たくも心地良い温もりを伝え、去り行く。


 切なさを湛えた景色は、し乃雪の心を久しく混乱させ、彼は堪らず膝を抱え、顔を埋めた。



「……俺の心など、いっその事あの時に壊れ消えてしまえば良かったのにの……」


 誰に言うでも無く、し乃雪は小さくそう呟く。

 其れは柔らかな潮風に入り混じり、やがて波音と共に余韻すらも呑み込み、消えていった。




 * * * * * * * * * *



 其の夜。

 焔屋の炎も消え、彼以外の皆が寝静まった丑三つ時の事。


 川の字にて寝ていた三人の内、早良だけは酷く魘され、滝の如き汗を流していた。

 時折苦しそうに呻き、包帯にて巻かれた傷口が僅かに血を滲ませる。

 やがて横を向いた彼は、何かの苦しさに耐える様に床に爪を立て、


「…… !!!」


 塞がり掛けていた喉が開き、目をかっと見開いた。

 飛び起き、速い鼓動と上がった息を抑えた……何時もの様に。


 また、あの夢だ。

 両親が惨殺された、あの時の。



「…………、」


 ふと。

 気を失う直前、見知った大きな背が其処に有った事を思い出し、顔を上げた。

 此処は何処であろう……辺りを見回し、隣にて眠る翆蓮の寝顔で気付く。

 ……焔屋の小屋だ。



「目が覚めたか」


 低い声がする。

 軋む体を起こし見れば、蝋燭の傍にて道具の手入れをする焔屋の姿があった。


「……焔屋殿。 己は、」

「命をなくさねェだけでも儲けモンだったな」

「お助け下さったのでしょうか、」

「礼ならおめェを助けたゴボウと其処のダイコンに言いな」


 言われ、翆蓮の向こうにて眠る人物へと目を向けた。……布団を頭から被り顔は見えず、しかし隙間より漏れた髪の毛が人よりも色薄い事だけを知る。


「そいつがお前をずっと看病してたのよ」

「……そうでありましたか」



 ゆっくりと、しかし確りとした脚で立ちあがる。

 暗がりの中、あちこちに巻かれた包帯が赤く色付いている事に気付き、枕元に置いてある着物を手に取る。

  ……刀傷にて雑巾と化していた筈であったが、其れは血の跡が残れど小綺麗に縫い止められ、洗われていた。


 袂。

 もう一つの"形見"を失くしていない事を確認し、……着物を羽織る。



「帰る気か」


 焔屋が背中で言う。


「……帰らねば、なりませぬ」

「刀は二本共無ェぞ、未だ直してねェ。

 其れでもか、」

「………… この身を待つ者が居ります」


 焔屋は、笑った。

 声を出すまでにはいかぬ。

 くつくつと笑み零し、やがて憐れみを含んだ眼にて早良を見据えた。



「命を粗末にしようとしてる男が、良く言うぜ。

 ……如何しても今帰りてェのか」

「………… 、」

「やめとけ」


 吐き捨てられる、言葉。

 早良の声色に、苛立ちと焦りが籠もる。


「何故に、」

「気付けよ、ど阿呆。

 そんな体で幼馴染みが護れると思ってンのか、」

「そもそも、居ねば護れませぬ」

「足手まといだッつってんだよ、逃げるによォ。

 其れに、其処のがお前に費やしてくれた時間、全ッ部無駄にする気か?」


 其の言葉にて、早良はぐぅ、と唸り、再び隣を見遣る。


 身じろぎし、顔が見えた。

 ……自分にそっくりの、しかし傷一つ無い……色白の美しい顔が、其処にある。


 早良は其れに息を呑み、……震える手が其の頬に触れた。

 其処にあるは、本物。


 胸が、ざわつく。



「"今"を無駄にしておッ死ぬは、ソイツに今までのお前の"無駄"と"無力"を味合わせるのと同じだ。

 ……そうは、思わねェかい?」


 早良は、跪いた。

 そう、今動けど何も出来ぬ……

 無力な自分が、此処まで介抱してくれたこの者を傷付ける事になる、と。

 ……討つべき者ならぬ、この者を。


「……」

「そうだ、良い子だ、丸。

 お前は少し頭ァ冷やせ……」


 背を向けた焔屋の声に、優しい心地が混じる。


「焦らねェでも、時は来る。

 お前にゃ、きっとそン時が来るからよ」


「…… 失礼」


 カタン、…戸が開く気配。

 早良が出て行く気配。

 大丈夫、彼は頭を冷やす為に出たのみ。直ぐ戻って来よう。


 其れをやはり背中にて見守った焔屋。

 脇の壁に置いてある刀袋を、そっと指でなぞった。



「…………お前そっくりだ。ほんとによ」


 

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