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アヤカシ太夫♂とイロオトコ  作者: 駿馬
襖幽霊(フスマユウレイ)
4/10

襖幽霊(フスマユウレイ) ─参、

鳥肌押シ退ケ常闇デ

ホクソ笑ムハ誰ガ鬼ゾ

怯エ月ガ姿ヲ隱シ

其ノ夜ニ潛ンダ惡意ガ動ク

 


 丑三つ時よりももう少しだけ深くて浅い、夜。

 霧が濛々と立ち込め、世界を黒い白で覆いつくしたその辺りに。


 人影。

 それも、自分の背ほどの瓢箪と何かの束を背に担いだ姿で。

 大人にしては少々小さめのそれは、人の背よりも高い塀をいとも軽くひょいと飛び越え、屋根へと乗り上げ。やがて静かな足取りで、瓦をなぞるように歩く。



 ―   はぁ   はぁ   はぁ   はぁ



 とある見世の二階へと辿り着き、立ち止まる。

 何か緊張した仕草で、重く閉ざされた木戸に手を掛ける。

 戸はきぃとも音を立てる事無く素直に開き、しっとりと濡れた空気に直に触れた障子がしわりと小さく呟いた。



 ―   はぁ   はぁ   はぁ   はぁ



 息が、荒くなっていく。

 初めて目に映した、憧れの部屋。

 想像よりも質素に見えたその部屋…眼前にあるのは、藤柄の布団に寒そうに包まった、何者かの姿。


 侵入者は、その正体を知っている。

 あの時見た、美しきおなご。

 此処……黒町屋の、一番。

 この吉原きっての美人……し乃雪太夫。


 幸い、今宵は客を取っておらぬ様子で、その場所は異様に沈黙を漂わせ、重い。



 ―   はぁ   はぁ   はぁ   はぁ


 わし一人のものじゃ……わしだけのものじゃ……



 そっと、冷たい手が布団の中へ潜り込む。

 担いでいた瓢箪の栓を開け、温かく心地良い布団をそっと捲れば、

 ほれ、美しい寝顔が……



「げぇッ!!?」


 布団は突然跳ね上がり、侵入者の鳩尾へ綺麗に踵がめり込んだ。

 そのまま背負っていた瓢箪ごと吹っ飛び、襖に叩きつけられ、瓢箪の水と持っていた紙の束を派手にばら撒く。

「源!」

 飛び起きたし乃雪が叫べば、丁度侵入者の頭上に位置する天井がバクンと開き、待機していた源三郎が飛び掛かる。それは抵抗する術も無く、源三郎に押し潰され、見事に羽交い絞めにされた。


「ひッ…… おっ男!?」


 侵入者が、目前にある肌蹴た胸元を見、声を上げる。その眼に映った者は憧れの"女"に違い無い…が、男物の着流しに男の笑みを浮かべる野郎そのものであった。


「今更気付いたのかえ?残念であったのぉ、」


 源三郎に腕を取り押さえられている男の顎を、し乃雪はくいと上げてしげしげ見遣る。

 見れば、それは最近見かけるようになったあの瓦版屋であった。


「ふひ……ひぃぃ……」

「ひぃひぃと気持ち悪い野郎じゃ……」


 眉をしかめ、その手を離す。かくんと頭を落とした男はだらだらと唾液を垂れ流し、酷く歪んだ顔、虚ろな眼をゆっくりと二人へ向けた。


「よぉ、変態。お前さんは一体俺で何人目じゃ、」

「ひ……ひひひ…… 何人だったかなぁぁ…… まさか、男だとはなあぁ…… 一番のタマモノだと思ったのになァァ……、」


 息も切れ切れに喋り始める声は。近頃頻繁に外で響く声に間違いは無い。しかし、それにしても日中とは違い張りが無く、酷く気味が悪く揺れ、悪寒を誘う。


「どれだけ前より俺を狙っておった、」

「ひひッ……噂はな、山を越えるってぇモンだ………… 越中の山ン中にまでおめぇさんの噂はきとるよ……」

「山ン中ぁ?」

(アヤカシ)だって手練手管で操る、雪女みてぇに、天女みてぇぇにきれぇなきれぇな花魁だ、となぁ……」

「褒め言葉じゃの…… 陰間茶屋の、だけれどもな」

「ずぅっと、ずぅっと、探しておったんだぜぇ…天女を汚したら(ばち)が当たるとよぉ……見付けてもずぅっと他の女で我慢しておったのにぃなぁぁ……」


 そう言う事か。口に出さずとも、し乃雪も源三郎も妙に納得し、顔を見合わせる。


 と。

 先刻蹴られてその背から離れた瓢箪が、ゴト、と音を立てた。


「!?」


 異様な気配に気付き振り向いた源三郎の顔面めがけ、まるで操られているかの様にブンと吹っ飛んだ瓢箪が勢い良くぶつかる。


「んがッ!?」


 弾みで男の上から転げ落ちる源三郎の身体。自分の背に落ちた瓢箪を素早く背に括り付けた男は隙を見てその場から逃げ、窓の縁へと立った。


「チッ……手前!」

「ひひひッ……嗚呼何だ。其処の男……、」

「待て、この…」


 男は何事か言いかけたが、立ち上がった源三郎が捕まえようとした瞬間、ぽぉんと軽く縁を蹴り。

 まるで飛蝗(ばった)が跳ねるかのように高く飛んだそれは、あっという間に夜霧の中へと消えていってしまった。



「追う、」

「止めておけ源、」


 同じく縁に足を掛けた源三郎を、し乃雪は静かに制す。


「この夜霧じゃ見えもしない。それに、もう此処には来ぬであろうて……

 そもそもお前さん、此処から飛び降りたら骨を折るわえ」

「けれどもよ」

「俺を案じてくれるなれば暫くは此処に寝泊まりし遣れ、」

「………………だな、」


 渋々、縁から下り、その場に胡坐をかく源三郎。


「……それより雪、お前身体の方は何とも無えんだな、」

「それは俺の科白じゃ。鼻血が出おるぞ、色男が勿体無い」

「ありゃ……」


 言われ、初めて気付いた源三郎。それをし乃雪が近くに置いていた手拭いでそっと拭き取る。

 源三郎は少し照れた様にじっと動かず、しかし時折「痛てて、」と顔を歪ませた。どうやら唇も切っている様だ。


「舐めて良い、」

「戯け、」


 近付いてきたし乃雪の顔を押しやり、笑いながら受け流す。先刻まで怖い程に男勝りだったし乃雪はとうに何処かへ去り、今は何時もの招き猫へと戻っている。それを悟り、源三郎の苦笑は微笑みへと変わった。


 そして改めて部屋の中を見回し


「…… まあ、俺の考えはあながち外れではなかった、ってぇ事か」


 零れた水と散らかった紙。源三郎はひしゃげた一枚を手に取り、漏らした。

 其処に書いてあったのは、今宵起こる筈だった事件の詳しい内容だ。


「宵の天女・吉原一番の妖狐太夫 宵の内に彼岸へ旅立つ……

 上手い事書きやがって」

「悪くは無いわえ、」

「褒められているんじゃあ無ぇぞ、」

「"綺麗"なまま死ねるなれば本望じゃ」

「その様な死に方されて残される方にもなってみろ!

 …全く、」


 どうやら鼻血は直ぐに止まった様子。トントンと(うなじ)の辺りを叩いていた手を止め、ふと顎をひくつかせ。


「……そうだ。

 夕凪の事、そろそろ教えてくれても良いであろう?」


 思い出し見遣れば、そう言えば襖にくっきりと描かれていた女のシミがすっかり跡形も無く消えている。それに安堵を覚えるは源三郎、さも当たり前の様に煙管に火を着けたし乃雪はふ…と紫煙を漂わせ、その姿が幻の如く僅か霞む。


「今聞きたいかえ?酒を持って来ようか、」

「酒は次の宵に笑いながら呑もうぜ。

 それより、気になって眠れねえからよ」

「ふふ…子供め」

「んだと?」


 クスクスクス。笑いながら、するりと脚を組み替えるし乃雪。女の様に流した脚は白く細く、源三郎は瞬時のみ視線を引っ張られた。


「なれば、…しかし、俺は少し疲れたよ」


 ふわ、とあくびを零す。真に疲れてしまったのであろうか、煙管も早々に消し、ころりと布団に転がってしまった。


「やはり明日にしようぞ」

「お前こそ子供じゃあ無えかよ、」

「如何とでも言え。

 …きっと明朝……面白い事が起こるわえ……

 今宵は……寝よう………」


 やがて、とろりと溶けた瞳を瞼に隠し、柔らかな寝息を立て始めたし乃雪。

 最後の一言を良く気にもせぬまま、そう言えば源三郎自身も身が酷く重い事に気付く。


 なればもう俺も寝ようか。布団を敷く為に立ち上がった時、またつぅと鼻血が出る感覚がし、慌てて頭を上へと向けた。……もう暫し、眠れなさそうである。




 * * * * * * * * * *



 その頃、遊廓の入り口近く。

 門の傍にある大きな柳の木下で胡坐をかき、ひぃひぃと肩で息をしているのは先刻の瓦版屋。

 立ち込める白い闇色の霧に何処と無い不安……しかし、誰かが追って来る様な気配がせぬ事を感じ取った後、大きく息を吐き出した。


「ひひひ…… お、惜しかったな…… あの花魁、もう少しで……

 男だったなんて、な……ひひ」


 そう独りごちて瓢箪を下ろし、一息つき。


「そうでなくとも……売るにしても……

 あの男、邪魔だね……ひひ……

 あいつをひきはがさねぇとね……ひ…… ?」


 ふと、其処で独り言が止まる。


 何かの気配を察した。

 気味の悪い、生温い気配だ。

 ぬるりぬるり、まるで霧がその身に魂を持ったかの如く、蠢く。


 男の背を、冷たい風がひょうと吹き抜けた。

 柳がさわさわさわさわと不自然に揺れ始める。


「……ひっ……!?」


 ぞ く っ 。


 身が縮む程の激しい寒気だ。

 何事だ、と男が辺りを見回し……


 否。見回す必要も無かった。

 顔を上げれば、囲まれていたのだ。十五人の……殺した数だけの、女の霊に。


 鈴、たえ葉、淡雪、夕凪……

 鈴よりも前に、戯れにて殺めた女達も。


 皆、脚が無かった。故に、背が小さく座り込んでいた男が顔を上げるまで気付かなかったのである。


「ぎゃッ……!!?」


 男は悲鳴をあげた。しかしそれは冷たい風の唸る音にかき消された。


 女達は笑っていた。今この瞬間を待ち望んでいたかの様に、嬉しそうに笑んでいた。


 "嗚呼……恨めしい……恨めしいよぉ……"


 その声がわぁんと不思議に響き、男へとゆっくり覆い被さって、


「ぎ…… ぎゃああぁぁぁ…………!!」


 ごぼごぼ…ごぼ…と、泡を吹き出す様な音と共に、断末魔の様な声が寝静まった周囲に響き渡った。



 さわさわ、さわ。

 我関せずと揺れる柳が、霧の粒と共に涼しげだ。



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