妖神(アヤガミ) ─六、
「……あの後。
"依代"……あの少年を抱いて分所を脱出した総次郎は、里へ下りる道中に江戸へ向かう蘭方医と遭遇。
「家なき幼子」とだけ説明し、治療と……出来ればこのまま引き取って貰えぬかと交渉していました。
蘭方医は了承。一度里まで同行し、数日治療して貰いがてら過ごした後、彼は分所へ戻りました。
少年は、…… 此処はまぁ、良いでしょう」
頭内の報告書を其処まで言葉に紡ぎ、鍬刃はゆるりと目を開く。
……薄明差し込む襖の隙間を背に、行燈に揺れる鴉獄の顔は酷く青褪めている。
「"鬼神"……し乃雪が……?」
「さて、……如何でしょうね?」
絞り出された言の葉に、鍬刃は淡々と返す。
「我々が新吉原で彼を発見した時、彼は見てくれ以外はほぼ普通の"陰間"でした。
良く笑い、良く飯を食い、手練手管が妙に上手い。
そして酷く博識で、"妖"に近しい。
あの「し乃雪太夫」でした。
……あの蘭方医が何をしたのかは存じませんがね。
少なくとも、彼が鬼神の兆候を見せたのは後にも先にもあれ一度きりです」
少しばかり首を傾け、コキと鳴らす。
其の目が鴉獄を捉え。
「怖気づきました?」
「……否、そうでは、無く」
冷や汗を拭う鴉獄。
動悸を押さえる様に、一つだけ、大きく呼吸し。
今一度、其の金の瞳が真っ直ぐ鍬刃に向いた。
「嗚呼、何故かは分かりませぬ……
し乃雪が、……あの「し乃雪」が、」
――― 俺と、似ていた。
言い掛け、呑み込む。
其の感情は禁忌であると、知っている。
溢れかけた其れを、溜息で追い出し。
「…… 余りにも、惨過ぎる」
鍬刃は、目を細めた。
恐らく、"禁忌"の其れに気付いているのであろう…… 呑み込んだ事も。
「何れにせよ、」
「、」
「氷雨衆の監視理由はこれが総てです。
陰陽寮分所の"事件"以降、行方知れずとなった"依代"の捜索と監視……
総次郎……否。次代清慈がし乃雪太夫に近付いたのは、帝派である陰陽寮の宗家土御門からの命であったと思われます」
行燈の灯りが、小さい。
油が切れかけているのだろうか……
しかし日の出が近いらしく、二人の影ははっきりと其処に落ちつつある。
「我々伊賀氷雨衆は、幕府からの命を遂行するのみ。
あれは未だ"始末"の段階ではないと判断しています。
美貌と手練手管で男を魅了し、ニコニコと飯を頬張る……
貴方の報告にある其れが今の"彼"なれば、其れ以上でも以下でも無いのでしょう。
さて……鴉獄、」
二人の眼が、かち合う。
「貴方には秘中の秘なる真実を明かしました。
拒否はすなわち…… 分かりますね?」
「……元より、覚悟の上」
鴉獄の金の目に、光が咲く。
「氷雨衆が一人、この鴉獄。
…… し乃雪太夫の監視任務、謹んでお受けいたします」
襖の隙間より、細く日光が差し込んだ。
金色の其れは二人を照らし、僅かに吹き込む秋風が、髪を揺らし。
"スパァン!!!"
俄かに襖が開いた。
急に部屋全体を照らす陽の光。
驚き振り向けば、逆光に仁王立ちする一人の男がいた。
「失礼致します」
「嗚呼、お早う御座います」
ニッコリ笑う鍬刃と、眩しさに手をかざしつつも驚き隠せぬ鴉獄。
……目が慣れた頃、其処に佇む男が、見慣れた双子の片割れである事に気付いた。
自分に同じ顔、だが肌は白く髪は白金。
銀の光宿す青い瞳が、しかし今はどうも薄っすら緋色に色付いている。
「何だ鴉浄、話中だ。慎め」
「……」
二人を交互に見遣る、鴉浄と呼ばれた双子の青年。
やがて、ギ、と鴉獄を見下ろし、地の這う様な声で唸る。
「お前か」
「……何がだ?」
「とぼけるな、地下の資料だ。
並びは変わる、本は傷んでおる、直せど直せどきりがない。
挙句昨夜は本が散らばったまま放置されていやがった!"バラバラに"、だ!!」
震える恨み節を耳にするだに、鴉獄の顔より血の気が引いて行く。
……まさか。
「……ま、さか……
お頭様、まさか、あの"資料室"は」
「ええ、彼が管理担当です」
にっこりと満面の笑みで返され、冷や汗が滝となる。
平謝りせんと身を動かしたが既に遅く、其の胸倉が圧倒的な力で掴まれた。
「……面を貸せ」
「や、鴉浄、痛いッ痛いから、すまねぇって謝るから」
「問答無用!
お前は情報を雑に扱い過ぎるのだ!!
先の一文ズレの件も、"手控え"に佐伯の件を失念するわ"弥次郎"を雑に扱うわ従兄弟等と適当ほざくわ、勘定所ではお前のせいで帳簿の間違いも増えて手間ばかり……一遍叩き直してやる!!」
「あっ鴉浄其れは……済まなかったとこの前も……」
「黙れ!!」
一方的に捲し立てられながら引き摺られ、遠くへ去っていく二人。
鍬刃はニコニコと笑みつつ、只見送っていた。
「……"情報"は、丁寧に扱いましょうね」
小春日和の、氷雨衆隠れ里での出来事である。
妖神 完
* * * * * * * * * *
二日程、後。
春は桜が植えられていた植え込みに、この時期は紅葉が植えられている。
新吉原の恒例だ。
今年の初雪の名残が未だ落ちぬ紅葉に残り、白と紅の対比が鮮やかに彩る。
吉原俄の莫迦騒ぎも通り過ぎ、人疎らとなる時期。
桔梗柄の羽織を靡かせた源三郎が、黒町屋の玄関に立つ。
其の姿を目聡く見つけた二階出窓のし乃雪太夫、ぱぁと笑顔を咲かせ。
「おお、源の字!」
「よぉ、もう体は良いのかい?」
「この通りじゃ、何とも無いわえ」
「そうか……
外郎が売っておったぞ、食おうぜ」
笑えば、し乃雪の笑みが更に灯った。
何時もの部屋。
何時もの茶。
何時もの、友人。
華やかな振袖姿のし乃雪、今日は何処かへほっつき歩いていたらしい。
花魁の姿ならぬ時は"着替えが間に合わぬ時"であると、源三郎は知っている。
「何処へ行っておったんだ?」
外郎の包みを開けながら問えば、
「ん?…… いけず」
有耶無耶に返され、「何だよ、」と笑い返した。
…… 察しは付く。
「整理は、着いたか?」
「…… 否、」
「だよな」
「ふふ、」
「……あのな、源三郎」
改めて、呼ばれ。
振り向けば、窓際で吉原錦を纏った美しき天人の、寂しそうな微笑み。
「お前さんがおってくれて、良かったよ」
取り分けた外郎を差し出しながら、源三郎は目を逸らした。
上気する顔を隠す為もあるが……。
否、
し乃雪は、"し乃雪"だ。
「おう、」
照れ笑いもそこそこに、源三郎は彼を……"し乃雪"を、再び真っ直ぐに見遣った。
続




