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序ノ口 ―逢魔が時に逢いし色―

 


 それは、人が一人元服を迎える程度の、もう少し昔の事。


 雪深い山奥に、女は追い詰められていた。

 白い肌の女だ。否、少女と女の狭間、と綴った方が正しいか。

 総てを白く染めた雪を脚で掘りながら、しかし何も付けぬ裸足は真っ赤になりながら、女は何かから逃げていた。

 腹が、大きい。その理由も分からぬまま、女は逃げ続け。

 身に走る酷い痛みに、その時女の身は雪の上へと転がった。



 女の腹は、数日まで大きくはなかった。

 帯できちんと締められ、それは寧ろ白樺の幹を思わせる程にしゃんとした佇まい。強気で勝気な所がある女だからこそ、そう見えたのやも知れない。

 しかし。


 里の隅に、鬼を祀る小さな社がある。

 普段なれば人すらも足を踏み入れてはならぬ、幾重にも並んだ鳥居を潜った向こう側。

 年に一度、掃除と祭りを行う為、今年は女が向かう番であった。

 雪の合間に見える赤い鳥居を潜り、雪を除けて道を作りながら、社へ辿り着いた。

 社の雪を払い、御神体が納められている筈の扉を開いた。


 無い。


 御神体が、見当たらない。

 そう言えば、鳥居の下は随分雪の積もり方が凸凹であった……この周りにも、一度雪が掘られた様な跡がある。

 顔を真っ青にした女は、慌てて周囲の雪を掻き分け始めた。よもや、この近くに落ちてはいないか……それを確認する為であったが、直ぐにその手が止まる。

 背後に……否。後ろにある社の上。其処に大きなものが現れた事を、自分に落ちた影で察した故だ。


 …… 女ァ。やっと来たな


 振り向けば、それは鬼。

 浅黒い肌から突き出た角。

 黒と赤の、人ならぬ瞳。

 舌なめずりした口元から漏れる、牙。

 それが、此方を見下ろして笑んでいる。


「お祀りたもうている鬼神様か、」

 女は震える声で、しかし気丈に声を張る。


 …… 嗚呼、分かっていやがるねェ。

  多分、そのお祀り云々されている鬼だ。長ァい間窮屈だったぜ、


「その鬼神様が、何か私に御用が?」


 …… 用、……嗚呼。用、な。

  礼、……否、ちぃっとだけ違ェ。座興だな。


「座興、」


 にぃやり、と、並んだ牙をむき出して笑う、鬼。


 …… お前に面白ェものをやろう。

  なァに、悪いモンじゃない。お前達が欲しがっていたモンだ。

  可愛がってやんな……。


 ゆらり、鬼は女に近付いた。

 女の身は、まるで凍り付いた様に動かない。

 その女の腹に、鬼の手がすと触れた。


「椿ー!!」


 背後より、声。同時、飛び来たものは槍。鬼の居た所を貫いたが、鬼は消え、ダァンと社の扉を貫いた。振り向けば、許婚(いいなずけ)の男が刀を構えている。

「…… (たつる)様!?」

「鬼神よ、その子より離れ給え!!」

 ふわり浮いた鬼神は、只げたげたと笑った。笑いながら、それはすぅと消えて行った。


 身に異変を気付いたのは、それからたった数日。十日も経たぬ内に、痛みを伴ってみるみる腹が膨れていく。それに先に気付いたのは許婚の樹だ。

 その腹はまさか、あの鬼神の仕業か?訊かれ、女……椿は、不安そうに小さく頷く。常に気丈に振る舞う彼女には珍しく、その一瞬のみ弱みを見せたが、それきり。ご安心を、犯された訳では御座いません故……そう、笑った。

 その、たった数刻後の事。俄かに里の年寄達が騒ぎ出した。此処数日、椿の妹の姿が見えぬ事、椿が姿を見せぬ事を訝しみ、気付いたらしい。鬼神の御神体が消えた……そんな叫び声が、外より聞こえた。

 樹は、言う。椿、きみはきっと何も悪く無いと、私は信じよう。しかし、今は姿を眩ました方が良い。苦しいだろうが……と。

 椿も、その意味は知り得ていた。樹に迷惑は掛けられぬ、しかし言い訳をした所で受け入れては貰えぬだろうと。

 足音が、気配が、近付いて来る。椿は、裏口より履くものも履かず、飛び出したのであった。


 女を追う男達は、陽が沈みかけた頃に女を見付けた。

 森を抜けた雪の原にて、足跡。その途中よりおびただしい血痕が鮮やかに浮かび上がっていた。


 真っ白な雪原の真ん中に、女は蹲っていた。

 脱いだ着物にて、血塗れの何かを幾重にも包み、抱き締めたまま、動かなかった。


 着物の中を見れば、それは赤子であった。

 椿と樹の面影を持つ、赤子…… 只、その肌のみならず髪も、雪の様に美しい白銀色であった。





 * * * * * * * * * *





 それは、安永七年の江戸・吉原にて。


 ぬらり、ぬらり。

 空気は生温く、遊廓を彩る錦と闇の輝きに艶かしき彩りを与えながら揺れる、春の事。

 とうに太夫と呼ばれる位の花魁が姿を消したその街は、塀の中に作られた空気がむせ返るような金と人の臭いで満たされ、相も変わらず混沌としたざわめきがぬらぬらと夜を取り巻いていた。その輝きはどこか妖しく、だが引っ切り無しに人々を惹き付けて止まない。


 あすこの(みつ)はあぁまいぞ

 あすこの女はすっぱいぞ


 ほれ、あの店じゃ一昨日あの子が座敷持になったんだと……

 おぉ、いよいよ遊べるのか、…………


 そんな会話は四六時中。

 江戸の華咲く闇夜の城下は、黒と紫。真っ赤に熟れた果実を腹に溜め、今夜も欲にまみれた男共を、口を開けて待っている。


 そんな当時の吉原遊廓、その中央に位置する遊び茶屋にて、ちょっとした有名人が居た。

 吉原の中央に位置する大見世兼茶屋「黒町屋」の二階。巨大な妓楼が隣接する茶屋の、金箔と朱塗りに彩られた玄関の真上にある窓より、逢魔が時となった辺りに姿を現し眼下を見下ろす、それ。その姿に何人もの男が遠目より誘われ、黒町屋は客が絶えない。


 今宵も、ほら。一人の男が、その玄関先に佇み、まるで日課の如く見上げ、大きな溜息を漏らしている。……遊び人の姿をしたその男の名を、新藤源三郎、と言う。

 琥珀の如き鳶色の瞳を垂れた瞼より覗かせる、色男だ。毎夜毎夜この黒町屋に足を運ぶ彼、二階のそれの為にもう何両もこの大見世に注ぎ込んでいる。今宵で六度目……となる筈であったが、しかし余りの進展の無さに今宵は諦めようかとその目に諦めを湛え、傍に佇む客呼びを狼狽えさせている。


 その、件の女。

 見上げた先にて居るは、整った顔立ちの色無き美女。

 雪の如き白の肌、刃の如き銀の髪。

 世を儚む様な紅玉の瞳に、震える長い睫毛。

 時折溜息を浮かべる、ぷっくりと塗られた薄い唇。

 ……そんな天女か(あやかし)かと見紛う程に美しき人が、じっと眼下を眺めてははんなりと咲いているのだ。

 この黒町屋に吸い込まれ行く他の男同様、その美しさに心奪われ本能のまま絢爛な玄関を潜ったは良い。普通の遊女に同じく、二・三日通い詰めて金をばら撒けば自分のものとなると言う確信があった。……が、美しき人は毎度大広間を(すだれ)にて隔て、その奥でつんとすましたまま。

 一向に近付いてくれる気配無きままの今宵、流石に源三郎の様な遊び人も心が折れかけ、それ故の立ち往生を余儀なくされている。……こうして佇んでいるだけでも皆が振り向く程の色男なのに、だ。


 そんな彼がじっと見上げているのを、あの妖女は気付いたのだろうか。ふと紅玉の瞳を彼へと向けた彼女、ふわりと儚く微笑んだ。……自分の顔を覚えてくれたのであろうか、しかし貰えたのはその微笑みのみ。にへら、と微笑み返して手を振ったは良いが、一向に彼女に近付いた心持ちがせず、


「……嫌われておるのかねぇ、俺は……」


 と、頭をポリポリ掻きつつ寂しそうに零した。


 そんな姿をじっと見詰めていた、客呼び。もうすっかり馴染みの客となった源三郎に、少し躊躇を見せつつも何時もの人懐っこい笑顔にてそっと声を掛けた。


「……源さん!げーん、さん!」

「……ん、」


 腑抜けた顔で振り向けば、下から覗き込む客呼びの媚び色を称えた顔。詰まらなさそうに目を逸らした源三郎、再び向くはあの妖女の方だ。


「何だよ、白狼(ハクロウ)……」

「源さんも、し乃雪がお目当てなんでしょう?」

「嗚呼、」


 その言葉尻で、自分のみならず何人もの男があの妖女……"し乃雪"の虜となった事を察する。否、思えば当たり前だ。あの人らしからぬ美人がこれ見よがしに鎮座していれば、どんな男の眼をも釘付けにする。とは言え、自分の様に幾ら金を積んでもものに出来なかった男達も多い事だろう。

 それを思いつつ、何度目かの大きな溜息が零れた。


「綺麗だよなぁ……あの花魁、」

「ぞっこんですねぇ?」

「そりゃぁ、な……。手が届かぬ美しさ、高嶺の花たァ良く言うたモンだ」

「そうですかい?アイツはそんなんじゃあ無ぇですがね、」

「見慣れていやがるからそう言えるのだろうが?

 ……あすこまでの別嬪さんはそう居ないぞ?」


 ふわぁり、意図せず微笑みが漏れる源三郎。少し下心に揺れてはいるものの、鳶色の瞳は彼女から離れる事が出来ぬまま。

 それをニコニコと笑いながら眺めていた白狼、やがてそっと耳打ちする。


「旦那、それで」

「んー、」

「何度かあのキツネ太夫目当てに通って下すったでしょう?」

「嗚呼」

「それでですね、礼ついでにキツネから言伝を預かっているんでさ」

「、」

「『今宵は是非に二人で逢いたい』、と」

「ふぅん………… って、何だと!?」


 まるで寝耳に水。一度聞き流したその言葉を一瞬頭の中にて繰り返した彼は目を見開き、普段見ぬ驚きの顔にて白狼を見遣る。


「引き止める為の嘘じゃぁ無えだろうな!?」

「又々旦那ァ~、嘘八百でも入っちゃうんでしょう?」

「うッ……」

「なぁんて、それこそ嘘ですよ。本物のキツネからの言伝でさ、今宵見えられたらお通ししろと、ね。

 お代は頂きませんぜ、ささどうぞいらっしゃいませー!」


 ニカリ、と笑った白狼、狼狽する源三郎の背をグイグイと押しつつ中へと誘う白狼。おい何、と言葉を紡ぐ暇も与えられぬ中、源三郎は再び宙を見遣った。

 夕暮れの怪しくも柔らかな吉原錦の中、此方を見下ろしつつそれはそれは嬉しそうに微笑んでいる、彼女が居た。


 時は、逢魔が時。

 暮れ泥む空気に流れる吉原錦が、毒々しい。




 普通、一度仲ノ町(吉原中央の大通り)にある茶屋に上がり相談した後にて花魁に会いに行くものだが、し乃雪太夫を指名する時は何故かそれが無く、毎度真っ直ぐ座敷へと通された。無論、彼女独りだけ仲ノ町に元々ああして居座っている故、他の妓楼よりこの茶屋へ向かう為の花魁道中はある筈も無い。

 何故に……、とそれを考えている内に赤漆の小さな橋や錦絵の衾を通り抜け、案内されるがままに辿り着いた部屋……其処は何時もの宴会場でも期待していた逢瀬の間でも無く、茶屋より続く広大な見世の隅にある小さな茶室だ。

 すと音も無く開かれた其処に、しかしまるで先刻と同じ姿形にて窓辺に腰を下ろしている背中を見つけた。二階に上った記憶も無く、そして意外な程に近いその距離にびくり胸が弾む。


「!?」


 漏れそうになった声を何とか押し殺した所で背後の衾がすぅと閉まり、しんと静まり返る空気。

 憧れの、あの後ろ姿。銀の髪がゆるりと揺れ動き、やがてそれは嬉しそうな笑顔を源三郎へと向けた。


「……あの、」


 何か、言葉を。しかし何も思い付かぬ。

 彼女よりゆるり差し出された手は、座布団を指した。慌て其処に胡座をかきふと顔を上げれば、その間に彼へと近付いた彼女の手がするりと源三郎の頬を撫でる。


 白く細い手が、温かい。

 吐息が触れる程に、顔が近い。

 濡れた瞳が、じっと源三郎のそれを見詰めている。


 ……胸の音が聞かれてしまう。照れと緊張にて眼が逸れてしまいそうになった時、真っ赤に塗られた彼女の唇がそっと耳元にて言葉を紡ぐ。


「…… 思うた通り、良い男じゃのぉ……」

「? えっ」

「"俺"の為につぎ込んだ金は、確か十と九両であったか」


 源三郎の眼が、一瞬にして点となる。

 無理も無い。今し方紅く色めいた唇より紡ぎ出された声は、心地良く響く低い男の声であった故だ。

 びくり跳ねた源三郎の身。その様をニヤニヤといやらしい笑みにて鑑賞する姿は、先刻の儚き雪の如き美しさとは掛け離れている。


「良いのぉ、その驚いた顔……堪らぬわえ」

「……え、じゃあまさか」

「そう、その"まさか"。俺は、」

「嗚呼あああぁまずちょっと待ってくれ!!」


 間近の美人が……余りに衝撃的なその事実に混乱したまま、彼は必死にその口を塞ごうと身を乗り出す。慌てた拍子にし乃雪の体に体重を掛け、ぐらりとよろける二人の身。

 どさり。

 し乃雪の細い身を源三郎の身が意図せず押し倒し、時が止まった。


 沈黙。


 目前に、夢にまで見ていた美しき人。

 触れ混ざる、甘い吐息。伝わる体温。

 外から差し込む月光に照らされたその姿は、……どうみても、女……の筈。


「許すよ、」


 見せる表情は艶めかしく美しいまま、し乃雪があっけらかんと言う。


「脱がせなされ。

 何なら、触って確かめて見遣れ……ほれ」

「………… 、」


 震える手で、源三郎はし乃雪の両肩を掴んだ。

 そのまま、蜜柑の皮を剥く様にするりと女物の着物を剥くと……


 其処に現れたのは、豊満な乳房……ではなく。

 少々薄いが、しかししっかりと形を成した筋肉質の胸板であった。



「野郎かよぉぉぉぉぉぉ!!!!!」


 断末魔に似た源三郎の悲鳴、そしてし乃雪の色気の欠片もない男勝りの笑い声が、黒町屋周辺に轟いたのは言うまでも無い。


 嗚呼。

 し乃雪が「キツネ」、と言われている所以(ゆえん)は其処にあったのか。

 愕然とこうべを垂れる源三郎の脳裏に、そんな言葉が浮かんだ。


 こうやって、何人もの男が騙されたのだ……このキツネ野郎に。



 * * * * * * * * * *



 源三郎の(しゃく)が収まった辺り、し乃雪はくつくつと笑み零しながらすっと茶を差し出す。


「いやいや、済まなかったな。しかし面白かった」

「……そうかい……」


 ぐったりと肩を落としたままの源三郎。その傍に腰を下ろしたし乃雪は、御伽噺をする様にゆっくりと自身の身の上を語り始めた。


 "彼"は、この黒町屋にて働く陰間(かげま)なのだと言う。蘭方(らんぽう)医の元にて小さな頃修行していた最中、その美しさに一目惚れした黒町屋の店主が懇願し、売り渡されたとの話。

 ……暫くは他の陰間同様に身を売っていたが、やがて女を越えるその姿を見世の奥に閉じ込め置くには勿体無いと考えた店主は、彼を茶屋玄関の二階に座らせ、以来し乃雪はこの見世の医者役兼看板役であるらしい。


「俺を男と知る者であれば身を売れるが、それ以外……お前さんの様に"勘違い"した男には何もせぬ。剥いでこの胸では余りにがっかりするであろう?

 源三郎、お前さんには済まぬと思いつつな……しかし、お前さんなれば友になれるやも知れぬと思うた」

「何故に?」

「寛容で優しい、それにこうして見れば"好み"じゃ」

「やめてくれよ、俺は男にゃ……」

「何を申す、源三郎?」


 又笑いながら、ひらひらと手を振るし乃雪。


「何って、」

「俺が何時この身を抱けと言うた?

 もう一度言うが、此処へ通したのは良き友になってくれそうだと思うた故だ」


 はっきりとそう切り捨てられ、源三郎の顔に浮かぶは大きな安堵と僅かな落胆。男をそそる美人とて、相手が同じ男ではしょうがない。源三郎はあくまでも女好きであり、男狂いに転ぶ気は今の所皆無だ。

 その顔に何かを察したし乃雪、顔に作っていた微笑みを僅かながら崩し、手にしていた煙管をふわりくゆらせて紅い瞳を彼へと向けた。


「お前さんが良ければ、で良い。暇な時は此処へ来ておくれよ」

「嫌だと言うたら、」

「それまでさ」


 そう詰まらなさそうに吐き、つい、と眼を窓へと向ける。まるで想い人に振られた様で、源三郎はクスリ苦笑しつつ


「その顔で言われたら断れねぇじゃねぇか……分かったよ」


 と、頷いた。


「有り難う」


 再び振り向きそう呟いたし乃雪の表情は、何にも例え難き程に美しいものであった。……それこそ、源三郎が悔やむ程に。



 気付けば、世はとっぷりと丑三つ時。

 逢瀬を楽しむ男共より早く外へと出た源三郎、しかし振り向いた直ぐ傍に、つい先まで憧れていたあの"女"が居る。


「風が、心地良いのぉ」


 そう漏らしたし乃雪に、しかし源三郎は僅か眉をしかめつつ返す。


「少し生温い。何かが化けて出て来そうだ」

(うつつ)と向こうは紙一重……故に面白いのじゃ」

「詰まり、何だ?」


 何気無く問うた源三郎の頬を、し乃雪の指がするり艶めかしく撫で通り。


「お前さんが一番分かっておる筈。……のぉ、色男?」


 その指が、妙に擽ったい。

 疑問に目を細める源三郎であったが、やがて同じ所をねっとりとした風が撫で抜けた。

 その総てがまるで違う世の如く、源三郎の粟立った肌は其処に僅かな違和感を覚え、笑みにて紛れた。


「やめてくれ、分からぬものは分からぬて」

「そうかえ?なれば共に分かち分かろうぞ。

 又来ておくれ、次はもっと話そう。お前さんは面白い良い男じゃ」


 にこと笑んだその顔が、漸く本当の彼たる表情を作り上げた様に思えた。少年と青年の間に立つ様な、青く爽やかな色を湛えた笑み。真に頼られているのだと、この時源三郎はやっと底より思え、


「……しょうがないな、付き合うてやるか」


 と、片眉上げて笑った。


 片手を振りつつ、少し嬉しそうにゆっくり去り行く色男。

 小さくなり行く背を淋し気に見詰める、色無き陰間の妖太夫。

 源三郎とし乃雪の数奇な出会い……それが偶然かはたまた運命か、この時の二人は知る由も無い。


 こうして出来た腐れ縁は、果たしてこの物語に吉と出るか凶と出るか。

 その数奇な舞物語を、さぁさぁとくと御覧あれ。


 

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