表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/54

第53話:朝ごはんと、白いしっぽ

 朝の魔女っ子ハウスは、いつもより少しだけ静かだった。


 パンの焼ける匂いが廊下に流れ、カップに注がれたコーヒーから、ほのかな湯気が立ちのぼる。


 厨房ではルミナが鼻歌を歌いながら、フライパンを振っていた。


「今日はね、卵ちょっとふわふわにするんだよ!」


「……毎朝、その意気込みを持っていただければよろしいのですが」


 クラウスが淡々と返しながら、食器を並べていく。


 その足元を、白い影がすっと横切った。


「にゃあ」


「おはよう、ミルク」


 ナナがしゃがみこんで声をかけると、ミルクは短く鳴いて、しっぽをゆらりと振る。


 それだけの仕草なのに、杏奈の視線は自然とそちらに向いていた。


(……本当に、いる)


 昨日の出来事が夢じゃなかったことを、白い背中が何度も確かめさせてくれる。


 杏奈はテーブルに座り、両手でカップを包んだ。まだ少し熱い。その温度が、胸の奥までじんわり伝わってくる。


「……杏奈さん?」


 フローラが心配そうに声をかける。


「ぼーっとしてます……?」


「あ、ううん。大丈夫」


 杏奈は小さく首を振って、微笑んだ。


「なんか……朝って、こんなに音があったっけって思って」


 スプーンが皿に触れる音。パンをちぎる小さな音。誰かの椅子が軋む音。どれも前からあったはずなのに、今日はやけに、ひとつひとつがはっきり聞こえる。


 ミルクは杏奈の椅子の下に来ると、くるりと丸くなった。白い背中が、床に小さな雲みたいに広がる。


 杏奈は気づかれないように、そっと足を動かす。するとミルクは、ほんの少しだけ位置をずらして、杏奈の足に背中を預けた。


「……」


 喉の奥が、きゅっと詰まる。


(昔も……こうだった)


 何も言わなくても、寄り添ってくれる存在。守るでも、守られるでもない距離。ただ、そこにいる。


「杏奈、パン足りてる?」


 ルミナの声に、はっと顔を上げる。


「あ、うん。大丈夫」


「そっか!じゃあミルクの分、ちょっとだけ作ろっかな」


「……お嬢様、それは何でしょうか」


 クラウスの視線が、ルミナの手元でぎらりと光る黒いフライパンに突き刺さった。


「うん?これ?これはね、カリカリフライパン」


「カリカリフライパンとは……?」


 ルミナは誇らしげに胸を張る。


「猫のカリカリご飯、できちゃうやつだよ」


「……お嬢様」


「大丈夫!ちゃんとお魚とお肉、栄養バランスも考えた!」


「それを、なぜフライパンで……」


「ほら、焼くと香り立つじゃん。ミルクもテンション上がるかなって!」


「理屈が、雑すぎます」


「クラウス、顔こわい!」


 ナナが小さく笑い、フローラは「す、すごい……」と妙に感心していた。


 ルミナはカリカリフライパンを軽く振って、香ばしい匂いを立たせる。ミルクの耳がぴくりと動き、目がきらんと光った。


「にゃっ」


「ほら!食いつき、完璧!」


「……」


 クラウスは眉間を押さえたまま、しかし一歩だけ近づいた。


「念のため、味見をいたします」


「えっ!?」


 一斉に声が重なった。


 クラウスは真顔で、ひとかけらだけ指先に取ると、口に運ぶ。


「……」


 沈黙。


 ルミナが覗き込む。


「どう?」


 クラウスは咳払いを一つ。


「……意外と、悪くありません」


「でしょ!」


「ですが、人間用ではございません」


「わかってるよ!」


 クラウスは深く息を吸い、

 覚悟を決めたようにフライパンを見下ろした。


「……では、今後も味見役は私が負いましょう」


「えっ、クラウスが?」


「安全確認は執事の務めでございますので」


 そう言いながら、

 なぜか少しだけ、箸を持つ手が早い。


 ナナが小さく笑う。


「……クラウスさん、ちょっと嬉しそう」


 クラウスは平然と食器を並べ直し、

 何事もなかったように背筋を正した。


 杏奈は、思わず笑ってしまう。


 大きな奇跡が起きたわけじゃない。世界が変わったわけでもない。


 でも――


(ちゃんと、続いてる)


 昨日の涙の先に、今日の朝ごはんがあって、白いしっぽが、また揺れている。


 杏奈はカップを置き、そっと息を吐いた。


「……今日も、行ってきます」


 誰に向けた言葉でもなかった。


 けれどミルクは、返事をするように小さく鳴いた。


「にゃあ」


 その声は、昨日よりも少し近くて、ずっと前よりも、確かだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ