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第52話:白猫ミルクと杏奈の涙

「ルミナはどこ?」

杏奈が魔女っ子ハウスの廊下を歩き回る。


「あ、あのっ……ルミナ様でしたら、テラスで……お食事をなさってます……!」

小さな声で答えたのは、気弱なメイドのフローラだった。

トレイを抱え、少し緊張気味にぺこりと頭を下げる。


杏奈は軽く笑みを返し、テラスへ向かう。


そこでは――

朝の光をいっぱいに浴びて、ルミナがクロワッサンにかぶりついていた。


「んん〜っ!やっぱり太陽の下で食べるパンって最高!」

目を細め、まるで世界の幸福を独り占めしたかのように頬を輝かせる。


「……はぁ。令嬢ともあろうお方が、少しは上品に召し上がるおつもりはないのですか」

クラウスが眉間を押さえ、ナプキンを差し出す。


「えへへ、だって美味しいんだもん!」

ルミナはまるで子どものように笑う。


杏奈はそのやり取りに肩をすくめ、テーブルの席に腰を下ろした。

――こんな朝も悪くない。そう思いかけた、その時だった。


庭の茂みの方から、小さな声が響いた。

「にゃあ」


真っ白な子猫が姿を現す。

まだ幼い体つきなのに、透き通るような青い目が神秘的に光っていた。


「わぁ!かわいい〜!来て来て!」

ルミナは椅子から飛び降りると、ひょいと抱き上げる。

「真っ白でふわふわ……よし!今日から君は――ミルク!」


「……また安直なお名付けを」

クラウスが呆れる。

「で、でも……かわいい名前だと……思います」

フローラがそっと頷いた。

「似合ってるよ!」とナナが笑顔で拍手を送る。


その言葉に、杏奈の胸がどきりと鳴る。

(ミルク……?)

それは子どもの頃に飼っていた猫の名前と同じだった。


偶然だろう――そう無理に笑みを作る。


それからの日々、ミルクは魔女っ子ハウスの一員となった。

ルミナの膝に乗って甘えたり、粉砂糖を浴びて「へっくし!」とくしゃみをしたり。

そのたびにクラウスが「衛生的に問題が!」と声を荒げ、フェリィやナナが慌ててごまかすのが日常になった。


ある日、フェリィが「ミルクのお城〜!」と叫んで妄想具現化した結果、居間の真ん中に巨大な爪とぎタワーが出現。

クラウスが「片付けなさいッ!」と額を押さえていたのも、いつもの風景だ。


ティオは「オレがご飯をあげる!」と張り切り、ナナは「ミルクちゃんとお昼寝……ふふ、寝顔が似てる……」と頬をゆるませる。

ララは「……未来が、少しだけ見えました。きっとこの子は、誰かの涙を救うのでしょう」と不思議なことを口にし、皆を少し黙らせた。


杏奈もまた、気づけばその小さな背中を撫でていた。

ふわふわの毛並みの下から、懐かしいぬくもりが伝わってくる。

――けれど、それを言葉にすることはできなかった。


夜、杏奈はひとりベッドの中で目を閉じる。

思い出すのは、幼い日の自分と白猫。

名前はもちろん「ミルク」。


まだ小学生の頃。冬の朝、布団から抜け出せない時、彼が丸くなって寄り添ってくれたこと。

泣きながら宿題をくしゃくしゃにしていた夜、そっと膝の上に乗って喉を鳴らしてくれたこと。

最後の日。病気で痩せ細った小さな体を抱きしめながら「またね」と呟いた自分。


(あの時、もう二度と会えないって思ってた……)


胸が締めつけられる。

でも目を開ければ、足元には新しい「ミルク」が眠っていた。


ある日の午後。

市場からの帰り道、杏奈は買い物袋を抱えながら石畳を歩いていた。

王都の街は人でごった返し、馬車の往来も激しい。


「ちょっと、押さないで――」

背後からの勢いに押され、杏奈は足を取られた。


「きゃっ!」

気づけば馬車の前に飛び出していた。

巨大な車輪が迫り、息が詰まる。


――その瞬間。


「にゃあっ!」


白い影が弾かれるように飛び出し、杏奈の体を押しのけた。

転んだ杏奈の頬を、轍がかすめる。


「杏奈!」

ルミナが駆け寄り、クラウスも蒼白な顔をしていた。


「だ、大丈夫ですかっ!」

フローラが涙目で袋を抱え直す。


震える手で杏奈は白猫を抱き上げる。

小さな体は無事だった。

ただ――その肉球を見たとき。


「……っ!」


杏奈の目が大きく見開かれた。

小さなピンク色の肉球。その中央に、くっきりとハートの模様。


「この模様……間違いない……あの子だ……ミルク……」


声は涙で震えていた。


白猫は喉を鳴らし、杏奈の胸に顔をすり寄せる。

まるで「ただいま」と言うように。


杏奈は堪えきれずに抱きしめた。

「おかえり……ミルク……」


ルミナは首をかしげたままだったが、ただ優しく微笑み、ぽつりと呟いた。

「やっぱり運命ってやつなのかな」


クラウスは静かに眼鏡を押し上げ、深く頷く。

「……これもまた、奇跡のひとつでございましょう」


フローラは涙をこらえながら「よかった……ほんとうによかったです……!」と声を震わせ、ナナは「杏奈さん、よかったね」とそっと肩に手を置いた。

フェリィは「えへへ……ミルクの勇気が、物語になりそうだね」と夢見るように微笑む。


杏奈は仲間たちの顔を見渡し、震える声で呟いた。

「私……忘れてた。あの子がくれた温もりも、あの時の笑顔も……。でも、こうしてまた……」


涙は止まらなかった。

それでも胸の奥にあった空白が、ゆっくりと埋まっていくような感覚があった。


ルミナがにっこり笑って言う。

「ごはんも人も、ちゃんと繋がってるんだよ! ね、クラウス!」


「……お嬢様の発言は、往々にして突飛ですが……今回ばかりは真理でございますな」

クラウスが静かに答え、場を和ませる。


夕陽に照らされる杏奈の涙は、どこか温かく光を帯びていた。

その涙は、失われたはずの思い出と、再びめぐり逢えた奇跡を祝福するように――。

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