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第49話:ドラゴン農園、再訪。焙煎と記憶の香り

「今日、行きたいとこあるの。ついてきてっ」


 そう言って、私はふたりを連れ出した。理由は――まだ内緒。


 風がそよぐ丘の上。果樹の葉がさらさらと揺れて、朝の光が畑の一面を金色に染めていた。緑の果樹園。遠くの湖。空には小さな島々が浮かび、まるで別世界みたいだった。


「ふわあ〜、空気、めっちゃおいしい……」


 いろはが深呼吸しながら背伸びをする。その隣でモカは帽子を押さえながら、じっと景色を見つめていた。


「ここが……前に、いろはさんが来たっていう農園……」


「……予想以上に牧歌的ですね……」


 杏奈は早くも疲れたようにため息をつく。だがその目も、しっかりと風景に奪われていた。


「グォォン!」


 突如響いた轟音とともに、空を横切る巨大な影。翼を広げたドラゴン――農園のシンボル“ポトフ”だ。


「うわっ、出た……! これが農業してるって、やっぱり異常ですってば……!」


 杏奈が一歩引きながら叫ぶ。ポトフは嬉しそうにしっぽをふりふり。


「よーし、いこうっ!」


 いろはが満面の笑みで飛び乗る。


「えっ、いきなり!?」


「ちょ、ちょっと待って……え、乗るんですか!? これ安全バーついてないですよね!?」


 モカと杏奈が慌てて後を追い、ドラゴンの背にしがみついた。


 そしてポトフは、風を巻き起こして空へと舞い上がった。




 ◆ ◆ ◆




 空の旅は、思った以上に静かだった。


 重力がふっと消えるような浮遊感。頬を撫でる風は甘くあたたかく、眼下には畑の列が模様のように広がっていた。朝靄に包まれた島影が、まるで空に浮かぶ夢の国のようだった。


「……ほんとに、飛んでるんですね……」


 モカが小さく呟く。手には、いつもの銀糸のしおり。


 杏奈は帽子のつばを押さえ、ふいに真剣な顔をしていた。


「……わたしね。この景色を、ふたりに見せたかったの」


 いろはが、風に負けじと声を張った。


「モカ! 杏奈!」


「このあいだ話した、本の中の物語のこと――でも、こうやって空を飛んで、風を感じて、景色を見てると……わかるでしょ?」


「“あたし、今ここにいる!”って。ちゃんと生きてるって、感じるでしょ?」


 その瞳は、まっすぐで。


「記憶でも物語でもなくて、“今の自分”が生きてるって――その証拠が、ここにあるんだよ」


 そして、ふっと笑った。


「もし異世界に来れなかったら、こんな経験できなかった。だからね、もっと楽しまなきゃって思ったの。目の前の世界を。風を。景色を。気持ちを」


「そしていつか、この景色を本に書けたらって。最近は……そんなことを思いながら本を読むんだ」


 沈黙の中、モカの手の中で、しおりがやわらかに光を帯びた。


「いろはさん……」


 モカの目には、涙がにじんでいた。


「……うるさいな……風のせいで目が痛いだけですからね……!」


 杏奈がそっぽを向きながら、鼻をすする音が小さく響いた。




 ◆ ◆ ◆




 ドラゴンが畑に舞い降りると、風が一瞬止まり、三人は顔を見合わせる。


 誰からともなく、ふっと笑った。


 そのまま背から降りたとき、焙煎機のあたりからふわりと、香ばしい香りが漂ってくる。


「……いい匂い。リディアさん、いらっしゃるかな?」


 声をかけると、物陰から現れたのは革の胸当て姿の農園主、リディアだった。


「おや、空の旅はご満喫だったようね。ポトフも上機嫌」


「最高でした! あの景色、ほんとにすごかったです!」


「上空から見ると、全部がよく見えるだろう? 山も湖も畑も、全部が静かに生きてる。

 ……さて。今日はその命の恵みを、ちょいと分けてほしいって顔してるな?」


 笑みを浮かべてリディアが尋ねると、モカが一歩前に出た。


「前にいただいた“ドラゴン焙煎コーヒー”……すごく評判で。うちのお店でも、ぜひ本格的に仕入れさせていただけたらと……!」


 きゅっと両手を握りしめて、頭を下げる。


「ふふ、商談ね。いい目してるわ。もちろん、構わないわよ」


「ありがとうございます!」


「さっき焙煎した豆、持っていくといいわ。うちの看板竜が惚れ込んだ味よ」


 モカは木箱をしっかりと抱きしめる。


「この味を、もっといろんな人に届けたいと思って……!」


「……その心意気、いいわね。商談成立、だね」


「やったね、モカ!」


 杏奈がこっそりクッキーコーナーを見ていた。


「……“魔女っ子コーヒークッキー”? 魔法のおすそわけ、って感じでいいですね……」


「それ、あたしが命名したやつ!」


 いろはがどや顔を決め、三人は焙煎の香りとクッキーの甘さに包まれながら、農園を後にする。




「ほんとに、来てよかった……」


 モカが呟いた。


「うん。あの景色を、みんなで見れたから」


 いろはが微笑む。


 風が吹く。手の中のしおりが、ふわりと揺れた。


 その揺らぎは、まだ誰も知らない“次のページ”を――そっと、めくろうとしていた。



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