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第46話:記憶の1ページ いろはと月夜のしおり

 

 午後の日差しが、魔女っ子バーガー1号店の窓辺に射し込んでいた。店の奥では、ルミナが瓶いっぱいのマシュマロをぎゅっと抱えて、満足げにソファに沈み込んでいる。


「へへへ〜、見てこのマシュマロの瓶〜。貰っちゃった〜。ぜんぶ食べちゃう」


「……ナナちゃんが買ってきてくれたやつ? 少しずつ食べなよ」


 横の席で寝転がっていたいろはが、顔だけ向けて突っ込んだ。


「だってほら、ナナの気持ちって“誰かに喜んでもらいたい”でしょ? だったら、全部食べた最高の笑顔が見られたら成功じゃない?」


「むちゃくちゃな理屈〜……でもルミナさんらしいかも……」


 いろはは小さく笑って、毛布に包まったままごろりと転がる。


 そのとき、階段を降りてきた千尋がふと思い出したように言った。


「そういえば――さっき、ナナさんたちから報告がありました。帰り道、小さな屋台に立ち寄ったって」


「へぇ、どんな?」


「たくさんの豆の瓶が並んでいたそうです。魔導抽出器でコーヒーを淹れていた若い女の子がいたって。……名前は、モカ・リヴレットさん」


 その名を聞いた瞬間、いろはの肩がぴくりと動いた。


「彼女、言っていたそうです。“昔このあたりにあった古本屋と珈琲の店……もう一度、あんな場所を作りたい”って」


「へぇ〜、おしゃれ。店の名前とか決まってるの?」


 ルミナがマシュマロをもふもふしながら尋ねる。


「ええ。“月夜のしおり”だそうです」


 それは、静かな音だった。でも、その一言が、いろはの中の何かを震わせた。


「……え……」


 ぽつりと声が漏れ、いろはは毛布をずるずると剥がして起き上がる。


「……今、なんて?」


「“月夜のしおり”。……何か思い当たります?」


 いろはは、信じられないように呟いた。


「それ……現代で、わたしが……小さい頃、通ってた店と……おんなじ名前」


 言いながら、記憶の引き出しがゆっくりと開いていく。古びた木の棚と、ふかふかの椅子。ページをめくる音と、深い珈琲の香り――休日になると母に連れていってもらい、読み終えた本の話をしながら、ココアを飲んだ。そんな、あたたかい場所。


 ルミナが手を止めて、いろはの方をちらりと見る。


「どんなお店だったの?」


「んー……名前も静かだったけど、店の中も静かでね。あんまり広くなかったけど、棚が低くて、全部木の匂いがしてた。本の背表紙がちょっとずつ色褪せてて、でもどれも大事にされてるのが分かるの。ページをめくるたび、優しくて、落ち着く音がした」


 いろははゆっくりと言葉を継ぐ。


「コーヒーは、大人の味って思ってたけど、そこのだけは飲めたな。ほんのり甘くて、ミルクが泡立ってて。寒い日に出てきたマシュマロ入りのココアはね……飲むと、口の中で溶けて、ちょっとだけくすぐったかった」


 そう言って、いろはは手を伸ばし、ルミナの瓶からマシュマロをひとつ失敬した。口に入れると、ふわりと甘さが広がる。


「その店ね……もうなくなっちゃったんだ。高校生になる前に閉店しちゃって。最後に行ったときも、棚の本がだんだん減ってた。でも、不思議なんだよね。看板の名前、“月夜のしおり”って言った気がするのに、ずっと思い出せなかった。さっき、聞いた瞬間に、いきなり全部、ぶわって」


「……モカ・リヴレット、って子の名前は?」


 千尋が穏やかに問いかける。いろはは小さく首を振った。


「……聞き覚えがあるような、ないような。でも、変な感じ。なぜか知っている名前みたいな……」


 静かに言葉を選びながら、いろははカウンターの上に視線を落とした。


「たぶん、きっとその子に会えば思い出す気がするな……」


「それって、やっぱり知ってるってことじゃないの?」


 ルミナがそう言って、瓶のマシュマロをぽいと口に放る。


 いろはは小さく笑って、椅子から立ち上がった。カーディガンを羽織りながら、もう一度マシュマロに手を伸ばし、ひとつ掌に握る。


「……ちょっと、行ってくる」


「えっ、どこに〜?」


 ドアを開けながら、いろはは小さな声で答えた。


「“月夜のしおり”に、会いに」


 扉が閉まり、あたたかな午後の光が静かに部屋を満たしていく。マシュマロの甘い香りの残る空間で、ルミナがぽつりとつぶやいた。


「……いろはが、あんな顔するの……なんか、久しぶりかも」


 きっと、いろはの中で――何かがつながったのだろう。過去の記憶と、未来への希望が、一本のしおりになって。


 その日。王都アルフェリアの片隅で、小さな想いと、あたたかな記憶が、再び灯をともした。



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