第21話:お姫様と配達係のゆれるキモチ
昼下がりの『ラ・シュガー・パルフェ』には、やわらかな陽の光が差し込み、レモンの香りが甘く漂っていた。
朝の喧騒が一段落し、今は客足も落ち着いている。
「ふぅ……あの戦場のような開店日が、もう遠い昔のようですわね……」
カミラが銀のトレーを拭きながら、ぽつりとつぶやく。
「私なんか、昨夜の夢でもクレープ巻いてたよぉ〜。しかも具材が妖精になって飛び出してくの……」
フローラはソファにもたれ、肩を落としていた。
「でも、本日もお客様から“もっちもちでした♡”って笑顔が聞けたなら、わたくし……満足ですの」
エルミナが優雅に紅茶をすすると、ふたりのメイドが思わず「それどこで拾ったのその口調」と目を合わせた。
だが、ほんのりと緩んだ空気も、やがてふっと沈黙に変わっていく。
「……それにしても、隼人さん、まだ戻ってこないのですわね」
ぽつりと、カミラが言った。
「そういえば、朝の会議のあとに王宮に転送されたきり、もうお昼過ぎ……」
フローラが心配そうに時計を見やる。
「さすがに遅すぎませんこと? 王女様のご機嫌取りって、そんなに時間がかかるものでしょうか……?」
エルミナも眉をひそめた。
そのとき、カウンターの奥からクラウスが姿を現した。手には王宮との通信用クリスタルが握られている。
「通信も届きません。魔法の干渉か、もしくは……王女様が“特別な時間”を強引に延長されているのかもしれませんね」
「特別な……?」
全員の目がクラウスに集まる。
「王女殿下は、感情の赴くままに行動なさるお方。今回も、隼人殿を“興味深い玩具”として確保されている可能性が……」
「……うわあああ、絶対帰れなくなってるやつだそれぇぇぇっ!?」
フローラが頭を抱え、カミラは真顔で腕を組む。
ナナが、ぎゅっと両手を握った。
「じゃあ……わたし、迎えに行ってきますっ!」
「えっ?」
全員が驚きに振り向いた。
「隼人さん、たぶん困ってると思うから……。それに、わたしが連れ戻さなきゃ!」
目をきらきらさせて叫ぶナナに、クラウスが静かにうなずいた。
「では、白馬シルベールを回しておきましょう。王宮への通行許可証もこちらでご用意を」
「ありがとうございます!」
ナナは勢いよくお辞儀すると、厨房裏へ走っていった。
その背中を見送ったカミラが、ふっと笑う。
「……なんだか、ナナさん様子がちょっと変ですわね」
「うんうん。ちょっと顔赤かったような……ねぇ、もしかして」
「まさか……恋の予感ですの?」
「え、ナナさんと隼人さんってそういう感じだったっけ?」
「いやいや、でもなんか最近、視線がこう……」
「うふふ。王女様とナナさんで隼人さんを取り合う展開、ありですわよ?」
「私たち、メイドなのにドラマチックすぎるよーっ!?」
そんな会話を背に、ナナは急ぎ足で馬車の元へと向かった。
* * *
そのころ王宮では――
「ふふっ♪ やっぱり、あなたが隣にいると楽しいですわね」
フィオナ王女は豪奢なサロンのソファに腰かけながら、すっかりご満悦な様子で隼人を見つめていた。
「そろそろ、戻っていいか? さすがに長居は迷惑だろ」
「えー……でも、わたくしまだ……その……」
しゅんと項垂れるフィオナ。その姿はまるで、わがままを我慢している子猫のようだった。
そんな彼女を見て、隼人は肩をすくめて立ち上がる。
「じゃあ、最後に……何かしてほしいことあるか?」
「ほ、ほんとうにっ!? ……じゃ、じゃあっ……っ」
王女はもじもじと視線を彷徨わせ、やがて決意したようにきゅっと口を結んだ。
「お、お姫様抱っこ……してくれませんの……?」
「……はっ?」
「い、今だけですのっ! このお部屋だけっ! あとで忘れてもいいからっ!」
言い切ったあと、真っ赤な顔を両手で覆うフィオナ。もう声が震えている。
執事たちはドアの陰で見守っていたが、その光景に目を見張った。
「……あんなに楽しそうな王女様、久しぶりに見たな」
「最近ずっと、どこか張りつめていらっしゃったのに……」
隼人は黙ってフィオナの前に立つと、そっとその小柄な身体を抱き上げた。
「……ありがとう、隼人。あなたのにおいが……しますわ。まるで……守られているみたいで……」
「おい、匂い嗅ぐなよ」
フィオナの頬がみるみるうちに赤く染まり、ドキドキした様子で彼の胸に身を寄せた。
「よし、王宮の廊下を全力疾走でもするか?」
「それ楽しそうですわ!……うふふっ」
王女の楽しそうな声が、宮殿に、まるで鐘の音のように響き渡った。
* * *
その直後、ナナが王宮に到着した。
馬車を降りて、玄関ホールで待っていたところ――
「――隼人っ!」
ちょうど出てきた彼の姿を見て、ぱあっとナナの顔が明るくなる。
だが、次の瞬間。
「ふえっ……? 王女様……? 抱っこ……?」
ナナの目の前には、まだ隼人の腕の中にいるフィオナの姿。
ぱたぱたと足をバタつかせながら、顔を真っ赤にして隼人の胸元にしがみついていた。
「フィオナ、そろそろお姫様抱っこいいかな……」
「あっ……! そ、そうですわねっ! し、失礼いたしましたっ!」
フィオナは慌てて降りて、スカートを整える。
ナナはなぜか胸がきゅっと締めつけられるような、奇妙な気持ちになった。
(なんだろ……この感じ……胸がぎゅっとする……)
その気持ちに自分で驚きつつ、視線を隠すように首を振った。
そして馬車へ向かう途中、隼人がよろけかけたナナを咄嗟に支える。
「っと……大丈夫か?」
「え……あ、はいっ……!」
「わざわざ迎えに来させて、悪かったな。助かったよ」
その声が、やけに近くて。優しくて。
ナナの胸が、またドキンと高鳴った。
* * *
夕方、再び『ラ・シュガー・パルフェ』へ戻ると――
「おかえりなさいませ~!」
カミラ、フローラ、エルミナが出迎える。
だが、すぐに彼女たちの目がナナに向く。
「……あれ? ナナさん、なんか様子が……」
「ほっぺ、赤いですよ?」
「熱でもありますの? 隼人さんに抱きとめられたりしたんじゃ……」
「そ、そそそそそそんなことっ……!!」
焦ったナナの反応に、三人は顔を見合わせて、くすりと笑う。
と、そのとき。
「ただいまー……って、なんか変な空気だな」
隼人が店に戻ってきた。
後ろから、ちょこんと顔を覗かせたフィオナが小さく手を振る。
「ここでお見送りいたしますわ」
「お見送りっていうか、店まで来てるよな」
「ま、また遊びに来ますわねっ!」
「……ああ、今日はもう十分すぎるくらい遊んだから、またな」
フィオナは名残惜しそうにしながらハンバーガーを持ち帰り、王宮へ戻っていった。
と、そこへルミナがふらりと現れた。
「むむむっ、なんかこのクレープ屋、甘々ラブコメ空間になってない!? 隼人くん、何かやったね?」
「……俺のせいじゃねえからな!」
隼人が即座にツッコミを入れ、店内に笑いが広がった。
こうして、今日もまた『ラ・シュガー・パルフェ』には、少しだけ特別な時間が流れていた。




