第1話:貴族令嬢、カツ丼を要求する!
※これは、あの腹ペコ魔女っ子が「バーガーを召喚する」ほんの少し前のお話――。
魔力と食欲に翻弄される、王宮でのドタバタな日常を少しだけ覗いてみましょう。
白亜の宮殿。
春風に揺れる庭園のバラは今が見頃で、鳥たちのさえずりと優雅な音楽が風に乗って漂ってくる。
――完璧なまでに美しい午後のひととき。
少なくとも、宮廷の外から見れば、だ。
私はクラウス・バルデンブルク。
ルミナ様の執事としてこの宮廷に仕えて十余年。冷静沈着を旨としているが、時折ドジも踏む。まあ、それもご愛嬌ということでお許しいただきたい。
サロンのテーブルに銀のティーセットを丁寧に置く。
磨き抜かれたティーポットには一滴の水滴もなく、カップとソーサーも完璧な配置。
だが、その傍らで主役のルミナ様は椅子にぐったりと項垂れていた。
「……お腹すいたぁ」
嘆息にも似た声。
十四歳の魔女っ子令嬢、ルミナ様。
名家の誇り、将来有望、魔法の天才――そう称される彼女も、今は腹の虫に敗北している。
「お嬢様、軽食の準備が整い次第、すぐにお運びいたします。もう少々お待ちを」
「軽食って、またあの小っちゃいキュウリのサンドイッチ?」
図星を突かれ、私は即答する。
「お口に合いませんでしたか?」
「合わないっていうか! 食べた気しないっていうか!」
叫んだ途端、ルミナ様は椅子からずるりと滑り落ち、絨毯の上に大の字で転がった。
――まったく、優雅な令嬢の午後とはいったいどこへ消えたのか。
「魔女ってさ、魔力使うでしょ? 魔力の源はカロリーでしょ? つまり、今の私は魔力切れ寸前なの!」
理屈は間違っていないが、まず腹八分目の精神というものを覚えていただきたい。
「……説得力のある主張ではありますが、宮廷の食事メニューを変えるには上奏が必要でして」
「じゃあその上奏ってやつ、カツ丼食べたい!って書いて提出して!」
カツ丼。
久しく聞かなかった禁断の響きに、私は思わず目を閉じた。
「カツ丼など、王国貴族の食卓に上がる日は恐らく永遠に来ないだろう」
そんな私のつぶやきも、すでにルミナ様の不満ゲージには届かない。
「もう……我慢できないかも……」
そのとき、ドタバタと足音が近づく。
「クラウス様! どうかされましたか!」
ミーナ・ガーヴェル、元冒険者でおせっかいなメイドだ。
「ミーナ、今は忙しいのだ。ルミナ様が腹ペコでカツ丼モード、暴走寸前だ」
「またですか……でもカツ丼は無理ですよ、陛下のご機嫌もあるし」
背後からフェリィ・ノアールがふわりと現れ、夢見がちな声でつぶやく。
「カツ丼……お肉に卵、ふわふわの……」
「フェリィ、今は空想してる場合じゃありません!」
そんな三人のやりとりを尻目に、ルミナ様は再び大の字で転がり、怒りの声を上げた。
「壁、壊してカツ丼を呼び寄せてやる!」
――思春期の令嬢というものは、胃袋の扱いが最も厄介である。
次の瞬間、「ドゴーン!」と鈍い轟音と共に、宮廷の壁の一枚が見事に破壊された。
「お、お嬢様! これは……!」
「カツ丼のためなら何枚でも壊すわよ!」
慌てて駆け寄る私とミーナ、そしてフェリィの視線の先で、ルミナ様は一瞬の迷いもなく、その手で豪華なドレスの裾をぐっと掴み取った。
「まさか……お嬢様……?」と私が声を潜める間もなく、彼女はそのまま勢いよく引き裂く。
白銀の刺繍がまるで魔法に解かれるように、鮮やかに裂けていき、破れた布地の下から現れたのは、紫と黒を基調とした魔女っ子衣装だった。
長いマントが風に舞い、シルクのリボンがはためく。胸元には不思議な紋章が輝き、手首には魔力を高めるブレスレットが煌めいている。
「これで準備完了よ! カツ丼がダメならハンバーガーにする!」
そう叫ぶと、ルミナ様は自慢のホウキに軽やかにまたがった。
その姿はまさに「魔女っ子令嬢」という言葉にふさわしく、勢いよく壁の穴から飛び出していった。
私たちはその後ろ姿を見送るしかなかった。
「お嬢様……また脱走ですか……」
ミーナが呆れた声を漏らす。
フェリィはふわりと舞い上がりながら、夢見がちに呟く。
「魔女っ子の姿、やっぱり素敵……」
壁の穴から飛び出したルミナ様の背中を見つめながら、私は胸の中で覚悟を決めた。
今日もまた、平和とは言い難い日常が始まるのだと。
「……お嬢様、いかなる地へもお供いたしましょう」
三人は慌てて外へ飛び出した。
これが私たちの、新たな騒動の幕開けだった。
読んでいただきありがとうございます!
暴走気味のお嬢様と、冷静だけど振り回される執事。
そんなふたりの王宮ライフ(?)は、ここから思いもよらぬ方向へ――。
次回は、まだ何も知らずに働いている“現代のバーガー店員たち”の視点へと切り替わります。
まさか自分の職場が、異世界に召喚されるだなんて……!