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「……何、言ってんだよ」
必死に絞り出した反応はその一言だけだった。
リツが声を震わせている。その瞳には恐怖と戸惑いが滲んでいた。
対するカガチは、ひょうひょうとした口調のまま、肩をすくめて笑う。
「本気ですよ。アイツに喰われるぐらいなら、こっちで“いただく”ほうがいいとは思いませんか?」
「……理解できることを言えよ」
リツの声はかすれていた。それでも叫びそうになるのを必死に堪えた。
そんな彼を尻目に、カガチは対象を一瞥し、肩を落とすようにため息をついた。そして背筋を伸ばし、後ろ手に腕を組む。
「世界の均衡を維持するには、どうしても師匠の遺体を守り抜かなきゃならない。でもああして“奴”に張り付かれた今、普通の手段じゃ無理でしょうね。ちょっと外に出ただけでも……おそらく、四肢がもげても構わず飛びかかってくると思いますよ」
「四肢が……もげるって、どういう意味だよ」
「そのままの意味です。あそこは、師匠が仕掛けた罠だらけですからね。凄い人ですよ、師匠は。敵がこの小屋を包囲する時、どこに潜むかまで見越していた。特に、あの一番背の高い木。おそらく“奴”が隠れると踏んで、そこを重点的に地雷原にしたんでしょうね」
カガチの顔に、満足げな笑みが浮かぶ。
リツの脳裏に、ジジイの言葉が蘇る。
――『コラ、リツ。あの木の近くに行くんじゃない』
何度も、何度も、怒鳴られた。意味もわからず。
そうか、あれは全部――
コソコソ何やってんだよクソジジイ
「けどね。師匠が死んだ今、罠の力も日増しに薄れていく。多分、明日にはもう役に立たない」
そう言ってカガチはリツの顔を覗き込む。目元は柔らかく、それでいて狂気を孕んでいた。
「多少、人間の肉を食ったところで、病気になんてなりませんよ。たぶん」
カガチの目には好奇と歓喜が同居する。そんな目で見つめられたリツは大袈裟に唾を飲み込んだ。
「……ふざけんなよ」
「こちらはいたって真面目です」
「殺すぞ、お前…」
リツが低く脅すと、カガチは嬉しそうに口角を上げた。
「まあ、あの化け物を倒す手段はありますよ。ただ、少々面倒だと言いますか、イカれていると言いますか…」
「イカれてるってなんだよ……」
「リツにはこっちの方があってるかも知れませんよ」
戸惑うリツをからかうように笑うと、カガチは咳払いをして表情を引き締めた。
「あの化け物は我々で殺してしまいましょう」
「は?殺すって……どうやって」
リツの問いに、カガチは細長い指を縦、切れ長の目を指差した。
「生きとし生けるモノ、すべてに共通する弱点があります。眼球です。アイツには三つの目がある。そのすべてを潰せば、歩くことすらできなくなるでしょう」
「目を狙う?……」
リツは猟銃を再度持ち直し抱きしめた。ジジイから譲り受けた最後の武器だ。
野生動物なら何頭も仕留めてきた。こいつはここで生きていく上での相棒だ。
そのくらい――やれるかもしれない。
リツは深く息を吸い、落ち着かせるために、頭の中で化け物の目を撃ち抜くビジョンを考えた。
「ええ。でも、問題はそこからです」
しかしカガチは腕を組み、首を傾げ、考え込むリツを引きずり出す。
「アイツの周囲には、数機のドローンが飛んでいます。まるでコバエのように、ブンブンと。アイツを護るように、取り囲んでいる。きっとさっきの咆哮で焦って飛んできたんでしょうね」
「……ドローン?なんだそれ?」
カガチは、不敵な笑みを浮かべて言った。
「政府軍がよこした“加護”ですよ」
カガチの声が一段階低くなった。
「あの化け物を殺すという行為は、この世界そのものに対する背信。つまり“カルマ”を背負うことになる。そして、あのドローンたちはその世界の意志の延長線。護り手です。あれらに見つからずに化け物を倒すのは不可能。かといってあのドローンをすべてを破壊するということは――この世界全体を敵に回す、ということになる」
「……は? 何言って……」
カルマ? 加護? 世界を敵に?
思考が追いつかず、リツの足元がぐらつく。
カガチは静かに手を差し出した。
「だからリツ僕の手をとって、共に生きましょう。このまままでは、僕たち二人は喰われて終えるだけですよ。ともにカルマを背負いましょう」
その言葉だけは、これまでで一番――冗談に聞こえなかった。
リツは被せた布の下で静かに眠るジジイを見た。
『リツお前は立派な人間になるんじゃ』
『立派な人間ってどういう人のこと言うの?』
『それはな…自分で選択が取れる人間のことを言う』
「くっそっ」
いつもいつも、適当なことばかりいいやがって、大事なことは少しも教えてくれなかった。クソジジイの遺体を見ないようにしながら、リツは歯を食いしばった。背中を押したのが、あの遺言だったと認めたくなかった
リツは頭を激しくかき、迷いを消し去るかのように勢いよく顔を振った。
リツは汗でしたたる手で、カガチの出した手を思い切り握りしめた。
簡単に死ぬつもりなどない。リツは強く願った。
カガチは嬉しそうに笑い、短く言った。
「歯を食いしばって」
「は……?」
次の瞬間、
カガチはリツの身体を思い切り投げ飛ばした。
「っ……!?」
リツは放物線を描き、木々の上を超えていく。リツの目の前には空の青と木の緑が流れた。
頭の中が真っ白になる中、カガチの声だけが鮮やかに響いた。
「リツ、撃て!」
リツにとっては、その言葉で充分だった。
リツの身体はいまだに宙を舞っている。その中で、リツは猟銃を構えて、化け物の顔の横を飛ぶ銀色の球体のようなものを一機を捕捉した。