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扉の向こうから、何かが木々を薙ぎ倒す音が響いてくる。
雪崩のような、地鳴りのような振動。地下室の空気すら震えていた。
「なんなんだよ、マジで……あの化け物は一体……」
リツは小さく呻きながら、冷たい石床に座り込む。
肩で荒く息をしながら、死体を抱えたまま震えていた。
――シャキッとせんかいリツ。生きるということは喰うことや。喰うには殺さないけん。腹を括れ。
――できないよぉ……
昔、森の暮らしで無理やり持たされた猟銃。肩が耐えきれず、何度も膝をついた。泣いても逃げても、地下室に閉じ込められ、獲物を解体させられた。血と脂の匂い。骨を砕く感触。ここに入るといつもそのことを思い出してしまう。
リツはその頃から、「死」と「殺すこと」を体に叩き込まれていた。
だが今、得体の知れない“何か”の前で、ただただ震えている。
冷たい空気が肌を刺し、額から流れた汗が骨のように冷たい床に落ちる。
ズズ……ズズ……と、何かが外を這う音がする。匂いを辿る獣のような気配。
リツは死体を抱いたまま、音が遠のくのを祈るように待った。
だが――ドン。ドンドンッ。
扉が叩かれた。鋭く、重たく。木材が軋む。
リツの呼吸が乱れる。膝が小鹿のように震え、猟銃を持つ手に力が入らない。
それでもジジイの死体を部屋の隅に押しやり、銃口を扉に向けた。
――構えろ。撃たなきゃ、こっちが死ぬ。
「……クソジジイ……勝手に死んでんじゃねぇよ……!」
叫んだ瞬間――
カタン。
蝶番が軋む音がして、扉が外側へと倒れた。
リツは引き金に指をかけ、目を見開く。
「僕ですよ」
涼しげな声とともに、柔らかく笑う顔。
金髪を束ねた男――カガチが、何事もなかったかのように立っていた。
「はッ!?」
反射的に引き金を引く。リツは銃口を逸らし、天井へ向けた。
パン!
火薬の爆ぜる音とともに、木くずが降り注ぐが、カガチは一つも顔色を変えない。
「おいコラ! 殺すぞテメェ!」
怒鳴るリツに、カガチはむしろ嬉しそうに笑って言った。
「あの化け物、どうやら僕には興味がないようでして。どれだけ近づいても、無視するんですよね」
「……は? どういう意味だよ」
「空腹なのは確かです。でも、食べる“対象”は、もう決めてるみたいなんです」
カガチは部屋に入り、扉の前に立った。
親指と人差し指で丸を作り、外を覗くような仕草をする。
「アイツ、また息を潜めてますね。……師匠が出てくるのを待ってる」
「どういうことだよ」
「獲物が狩れるその時まで、ずっと待つつもりでしょう。あの痩せ方的に、あの個体は数年人を食ってない様子ですし」
リツはさっき見た化け物の記憶を起こした。確かに腹の肋骨がはっきりと浮き出て、足は木の枝のように細かった。
「くそ…どうしろっていうんだよ」
「ええ、本当に困りましたなぁ。我々にとっても師匠の身体を“アイツら”に喰われるのは――色々とね」
言葉を濁すカガチに苛立ちが隠しきれないリツは、手荒く猟銃を起き、地べたに座り込む。
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
そんな活気盛んな声を聞いたカガチは、くるりと振り返り、しゃがんでリツの顔を覗き込んだ。
リツの顔ギリギリまで近づけて、カガチはニヤリと笑った。
「我々で食ってしまいますか? 師匠の身体を」