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雪が降り頻る森の中で、
一人の少年と、一人の老人が歩いている。
吐く息は白く、地面は深く沈む。森の静けさを、二人分の足音だけが割っていた。
「でな、その少年がリツお前じゃ…」
うんざりしたような声が返る。
「またそれかよ、クソジジイ。百回は聞いたって」
曇った息を吐きながら、少年――リツは振り返りもせず文句を投げた。背後では、年老いた男が杖をつきながらのろのろと歩いている。
肩には毛皮を巻き、腰には小刀。背中には籠、肩には銃。
どこか頼りない足取りのくせに、口だけは達者だ。
「喰われて生き残ったのはお前は──」
「だからもういいって!!」
リツは鼻を鳴らした。
そのリクの悪態に、老人、“ジジイ”はただ無言で受け入れた。少しばかりか大きくなった、背中をじっと見つめて。
雪を踏みしめる音が、森の静けさにやけに響く。この森では二人で狩りをして暮らしている。
そんな険しい山道でも、リツは慣れた様子で歩き続け、やがて開けた狩場にたどり着いた。
リツは、銃を構えた。古びた鉄製の旧式で、見た目に似合わず重い。
木立の向こう、幼い鹿が一頭。警戒心が薄い。息をひとつ殺し、リツは目を細めた。
「今日は当たり日かもな……」
ひとり言のように笑い、狙いを定める。
──パン。
銃声が森にこだまする。真っ白な絨毯の上で、小さな命が崩れ落ちた。
「殺しすぎるな、リツ」
背後からジジイの声がする。
「……わかってるって」
リツはナイフを取り出し、丁寧に鹿の喉を裂いた。赤黒い血が、雪に滲む。血を抜くのは、もう慣れたものだ。
「でも、こうでもしねえと、冬は越せねえんだよ」
リツの声に、ジジイは答えず空を見上げた。
小屋に戻る頃には、陽はすっかり落ちていた。
リツは手早く焚き火を起こし、鉄の鍋に鹿肉を放り込んだ。少し味噌を入れて、強めに煮込む。湯気とともに、濃い匂いが部屋に満ちていく。
「ほら、出来たぞ。今日はマジで当たりだ」
ちゃぶ台の向かいに座ったジジイに、リツは皿を差し出す。
だが、ジジイは一向に箸を取ろうとしなかった。
「……いらん」
「またそれかよ。もう数ヶ月まともに食ってないだろ!いい加減にしろよ」
リツは眉をひそめ、湯気の立つ肉を箸でつまむと、強引にジジイの口元へ押しつけた。
「食えよ、痩せてんだから。今日なんて子鹿なんだからうめえと思うぞ」
「わしはもう──」
「いいから!」
ジジイの口元に肉をねじ込もうとした瞬間だった。
バシッ!
鋭い音とともに、リツの手が弾かれた。ジジイの手が、まるで蛇のような速さで動いていた。
「いって……!」
油断していたリツは、思わず後ろによろける。
皿が傾き、煮汁がちゃぶ台にこぼれた。
ジジイは目を細めたまま、静かに言った。
「……明日、わしは死ぬ」
部屋に残るのは、煮えた肉の匂いと、火の爆ぜる音だけだった。
「またそれかよ、クソジジイ」
リツは呆れたように笑い、肩をすくめる。
「何回目だよ。そう言って、何年も生きてんじゃねえか。もう呪いにも寿命にも見放されたんじゃねえのか?」
「今度は違う。リツ……本当に、もう限界なんじゃ」
いつになく真剣な声だった。
それでもリツは、笑った。
「わかったよ、死ぬんだろ?じゃあ、せめて死ぬ前にこのうめぇ肉食えって。冥土の土産に食っていけよ」
リツは箸を取って、肉を一切れちぎると、またもジジイに押しつけた。
「ほら、口開けろって」
ジジイは答えなかった。
ただ、火の向こうでうっすら笑ったように見えた。
リツはしばらく待ったが、もうそれ以上何も言わなかった。どうせ気が済めば、まあいつも通りになるだろうとたかを括っていた。