63.泥沼の争い
モニカが叫ぶと、あまりの金切り声に皆耳を塞いだ。ロザリアも顔を背けたが、まだ説明役が続いている。
「……ご自身で、ご飯やドレスをご用意なさいませ」
「はぁ!? 冗談じゃないわよ! そうだ、ルイス様! ルイス様が私にドレスを買ってくださるのはいいんでしょ!?」
どうぞご自由に、とロザリアは頷く。
「そうだな、俺の予算をモニカに割くのは問題ないだろう」
「ではこちらが王に割り当てられている一年の予算です。ちなみに、この半年でモニカ様が『賓客』として使った額がこちらです」
そこで議長のカールトン伯爵が、ルイスとモニカの前に国王の年間予算の書かれた書類を置く。
その予算の厳しい数字と、モニカの使った膨大な金額に二人は目を剥いた。
「は!? こんなに使ったのか!?」
「なによ、これっぽっちしかないの!?」
二人同時に叫び、顔を見合わせる。
ロザリアもさすがにここまで思惑通りだと、彼らの愚かさに困惑してついテオドロスに視線を向けた。彼は隠すことなく、面白そうに笑っている。
この男はロザリアに関しては底なしに優しいが、他者には結構辛辣なのだ。
モニカとルイスの仲は、だんだんと雲行きが怪しくなってきた。
「これっぽっちとはなんだ、おかしいぞ?」
「だって、これじゃあひと月で使い切ってしまいますわ」
「そんなわけないだろう、俺はこの額で十分に豊かに暮らしてきた」
「それはあなたが、贅沢も知らないつまらない男だからでしょう!?」
「おい、俺がつまらない男だと!?」
二人の口論は白熱し、そろそろ座ってもいいだろうかとロザリアは勝手に椅子に座る。すると、すぐさま労わるようにテオドロスがロザリアの肩を抱いた。
「お疲れ様です」
「うん、どっと疲れた」
「しかしこんなに上手く行くなんて、私め驚きです」
「私の采配がよかったのかしら……?」
「まさにその通りかと」
妻を全肯定するテオドロスに、自分で言っておきながらロザリアはつい照れる。勿論、自分だけの手柄ではないことは百も承知だ。
周囲を見渡すと、議員達も呆れた様子で退屈そうに二人を眺めやっている。ベネディクトだけは、頭痛に耐えるように頭を抱えていた。お気の毒様である。
さて、ここで予め仕込んでおいた種が発芽しないのであれば、ロザリアが水を向ける必要があるが、どうだろうか、と情勢を見守った。
「大体、第二妃に予算を割かないってなに!? そんなこと書いてないじゃない!」
第二妃に関する書類を持ってきた文官に、モニカが食ってかかる。彼は慌てて書面に指を走らせた。
「ここに書かれています!」
「第二妃は初代第二妃の行いに準じる……こんなの、分かるわけないでしょ!」
モニカが叫ぶと、ベネディクトが首を横に振った。
「分からないのなら、サインする前に問い質すべきだった。今更知りませんでした、と言われたところで、事実第二妃様用の予算はありません」
「なんでよ! じゃあルイス様の予算を全部私に回して!」
びし! と指されて、ルイスは狼狽する。
彼とて、愛するモニカの為に自分用の予算を一部回すことには賛成していたが、彼女の金の使い方ではルイスが貧乏生活を強いられそうだ。
「は!? 正気か!? 俺は国王だぞ、俺の分の予算は俺が使うに決まっている!!」
「なによ、王様のくせにケチね!」
「け、ケチだと!?」
「ケチじゃない! 信じらんないわ、こんな人と結婚なんて最悪よ!」
議長と書類を持った文官はハラハラと二人の口論を見つめ、ベネディクトは今度は胃を押さえている。
そろそろ頃合いか、とロザリアが立ち上がろうとした時、ルイスが決定的な声をあげた。
「そんなに俺が気に入らないなら、離婚だ! 第二妃の地位を返上しろ!」
「!」
途端、皆が驚きの表情でルイスを見た。
つい先程モニカを第二妃と認め、事実上結婚したばかりだ。それを即撤回するとはさすがに誰も想像していなかった。
ロザリア以外は。
「望むところよ! こんな事になるなら、愛妾のままの方がよかったわ! あんたとの縁もここで終わりよ!」
「よ、よ、よくも俺を馬鹿にしたな! 真実の愛などとよく言ったものだ! お前など、元の貧しい平民に戻るがいい!」
ルイスが大声で宣言すると、モニカはニヤリと嫌らしく嗤った。
「お生憎様! 魅力的な私は引く手数多なのよ。あんたと別れたからってちっとも困らないの!」
「なんだと!? 俺の愛妾として城で贅沢三昧に暮らしていたくせに、浮気していたのか!」
ルイスが激昂してモニカに掴みかかるのを、モニカが奇声を上げて逃げ回る。
なんとも醜い姿に、さしものロザリアは閉口した。
しかしこれがロザリアの仕込みだ。
モニカがルイスとの結婚を破棄しやすいように、それぞれ他国の貴公子として地位のあるリッカとダヴィドに、彼女にちょっかいをかけるように頼んでおいたのだ。
リッカは大真面目に、ダヴィドは新しい遊びとして受け入れたらしく、議会が開かれる七日の間に数回彼女と接触していた。
それぞれの国で地位があり、見目麗しい青年達からの熱烈なアプローチにモニカは揺らいでいた。それでもルイスと結婚することが一番有益だと感じていたようだが、ここにきて条件が変わった。
モニカの望みは、男に愛されて贅沢に暮らすこと。ルイスが贅沢を叶えてくれないのならば、他国で叶えればいい。そう考えたのだ。
「贅沢出来ないって分かれば揉めると思っていたし、リッカ達に頼んだのは保険のつもりだったけど、すごーく上手くいってるわ」
ロザリアが呆れて言うと、テオドロスは頷く。
罵り合うモニカとルイスの傍から、サインされた書類を議長がサッと隠すのが見えて、二人で顔を見合わせた。
離婚はおおいに結構だが、あの書類を破り捨てられでもしたら苦労が水の泡だ。
「カールトン伯爵は機敏ですね」
「本当! さすが、長年議会の議長を務めているだけあるわね」
ロザリアは手を叩いて喜んだ。
モニカが相手であること限定で適用される第二妃、そしてその代わりに議会票を減らすことに承認のサインのされた、大事な書類である。
二度あることは三度ある。
ルイスは今日モニカと結婚し即離婚したとしても、懲りずにまたどこかの女に現を抜かし、妃にしたいと言う日が来るだろう。その度にこんな騒動になっては、アシュバートンもロザリアもたまったものではない。
あの書類は、それを防ぐ為のものなのだ。
ついにモニカがテーブルの上のペンやインク瓶をルイスに投げつけ始めたので、さすがに周囲の者が止めに入った。




