62.大誤算!
「よく、お読みになって、サインをお願いします」
再度言われて、ルイスとモニカは素直に文面を読む。
ロザリアは溜息を押し殺すようにしてして扇を口元に当てた。彼らがここで気付いて、抗議の声を上げるのならばまだ盤面は違ってくる。むしろ、気づいて欲しい、というのが彼女の素直な気持ちだった。
実は元々、第二妃の待遇はモニカが望んでいるようなものではないのだ。
今二人が読んでいる書面にはそれが明記されているので、彼らがきちんと読めば気付ける筈。
ロザリアは、にわか教師として二年間ルイスを教育した。王としては不十分だとしても、文官としてはそこそこの能力を授けることが出来たと思っている。
だから盤面がこちらにとって不利になろうとも、ルイスに読み取って気付いて欲しかったのだ。
だが。
「うん、問題ないな」
「はい!」
ルイスとモニカは一通り読んだ後に、笑顔で頷き合う。それを見て、ロザリアは息を呑んだ。思わず立ち上がって彼らを諫めようとするロザリアを、テオドロスが止める。
「テオ!」
「貴女は、彼らに十分に機会を与えました。それをふいにしたのは、彼ら自身です」
「……」
「それに、ここがスムーズに進まなければ、次に駒を進めることは出来ないのでしょう?」
「うん……」
テオドロスに諭されて、ロザリアは着席した。皆で練った策を、ロザリア自身が壊すことは出来ない。
そして彼女は、唐突に悲しくなった。
なんだかんだと言いながら、ロザリアはルイスのことが人として結構好きなのだ。
二年間夫婦として過ごし、夫婦らしいことはちっとも何もなかったが、それでも彼の愛嬌のあるところや憎めないところはたくさん知っている。
悪意のある人ではないことも分かっているし、モニカとだって彼が平民の男性だったならばもっと良いように取り計らって、助けてやる方法はいくらでもあった筈だ。
ルイスの方が年上なのでこの感情はおかしいと分かっているが、ロザリアは彼を手のかかる弟のように感じている。
そんな彼を、これから不幸にするなんて。
「……今頃気付くなんて、私はなんて愚かなのかしら」
とはいえ、離婚しても自分に迷惑をかけてくる元夫、ということも忘れてはいけない。
「貴女ほど優しく、賢い方はいません。ですがどうか切り替えてください。貴女が悲しいと、私も悲しい」
テオドロスが横で悲し気に瞳を揺らしている。
それはそうだ。また何事も自分が背負い込もうとしている。これは自分の悪い癖だな、とロザリアは気持ちを改めた。
顔を上げてテオドロスに向かって大きく頷いてみせると、彼はほっと息をついた。元夫を気にして、現夫に心配をかけるなんて、妻失格だ。
「ごめんね」
「貴女の為ならば、悲しみも喜びです」
テーブルの下で繋いだ手、テオドロスの親指がロザリアの手の甲を優しくなぞる。ロザリアは指を絡めて、それに応えた。
そんな風にロザリアが心の整理をつけている内に、議会はどんどん進んでいた。
今は、読み終えた書面にルイスとモニカがサインをしているところだ。アンジェリカがやや思わしげな視線を向けている。
かつて愛した人が、愚かな選択をしている姿をどんな気持ちで見ているのだろう、とロザリアは彼女のことも心配になった。だが勿論この場でそれを止めることは出来ないし、この先はロザリア個人の感情でどうなるものでもない。
気持ちを押し殺して、事態を見守った。
「では、これで議会の承認を得てモニカ嬢は第二妃となり、ルイス陛下は議会票を四票手放すことを承認なさいました」
ほう、と溜息をついて、ロザリアは口元を扇で覆う。
様々な可能性を考えて準備していたが、一番スムーズに事が進んだ。
「それでは、モニカ嬢改め、モニカ妃にはお召し換えをお願いいたします」
そこで、カールトン伯爵が奇妙なことを言い出す。それを聞いて、モニカの眉が怪訝そうに吊り上がった。
「着替え? ああ、なるほど。お妃様に相応しい服装に着替えるってことね。もっと豪華な衣装にしてちょうだい!」
モニカは意気揚々と立ち上がる。
数名のメイドがモニカを導こうとしたが、そこでアンジェリカもサッと席を立った。
「王妃として、私からも第二妃にご挨拶させてください」
「まぁ、アンジェリカ様! 歓迎してくれるんですね、嬉しいです!」
無邪気を装ってモニカは言い、ニタリと嗤ってアンジェリカに歩み寄る。アンジェリカと同じ立場に立ったことを喜び、今まで見下されていた鬱憤をここで晴らすべく口を開いた。
「本当に嬉しいわ。私、アンジェリカ様ともっと仲良くなりたかったんです。同じ夫を持つ身、これからはもっとたくさんお付き合いしましょう?」
しかし、悪意をもって伸ばされた手を、アンジェリカはぴしゃりと撥ね退けた。
「勘違いしないで。第二妃となったからといって、あなたと私は同じ立場ではないわ」
「なんですって!? 王妃だからって第二妃に対して無礼よ、アンジェリカ!」
有頂天だったところに機嫌を叩き落されて、モニカは愛らしい顔を歪めて怒鳴る。
その剣幕に皆ぎょっとした。何せ妃になったからといって、モニカは平民出身。アンジェリカは下位とはいえ元貴族令嬢であり、王子の母親でもあるのだ。
不敬と言うのならば、勿論それはモニカがアンジェリカに対して不敬だった。
「モ、モニカ。その言い方はいくらなんでも……」
隣で、ルイスも初めて見るモニカの恐ろしい姿に目を見開いていた。
「もういいわ! 皆まだよく分かっていないみたいね、さっさと着替えて第二妃としての姿を見せてあげるわ!」
ドン、とアンジェリカを突き飛ばして、モニカは会議室の扉へと向かった。
「あの女より、豪華なドレスにしてちょうだい!」
「それは出来ません」
今度は、ベネディクトがそう言って立ち上がる。
「今度は宰相!? いい加減にしてよ!」
「いえ、モニカ妃のことをお止めするわけではありません。ただ豪華なドレスはご自身で用意していただく必要があります」
「……何よ、それ」
モニカがぴたりと止まった。
「着替えを、と言ったのは、今モニカ妃が身に着けているドレス宝飾品の一切は『陛下の賓客』だった愛妾に貸し出されていたものです。それらをお返しいただくだけのこと」
「何言ってるの……?」
ベネディクトの言葉に、モニカは呆然とする。
「第二妃の待遇はお読みになったでしょう? 王や王妃、王族が生活する為の費用は、アシュバートン国の国庫から賄われています。ですがそれは、王族が務め……つまり公務を果たす為に必要だからです」
「言ってる意味が分からないわ!」
ばん! とテーブルを叩いてモニカが怒鳴る。
「ルイス様! なんとかしてください!」
「え? え?」
彼女に助けを求められて、ルイスは咄嗟にロザリアを見た。
「ロ、ロザリア、これはどういう事なんだ? 説明しろ!」
大勢の前でご指名を受けて、ロザリアは渋々立ち上がった。その代わりとばかりにアンジェリカとベネディクトがさっさと座ってしまう。早すぎないか。
裏切者、と二人を睨んで、ロザリアは仕方なく説明をすることにした。
万事準備していて、自分は高みの見物、と思っていたが、やっぱりルイスがそうはさせてくれなかったのだ。
「……王族は国の代表として大勢の前に出る立場なので、それに見合った服装や教養を身に着ける為に予算が割り当てられている、ということです。一方第二妃という制度が出来た経緯から、そもそも第二妃には予算が割り当てられていません」
「いきさつ……?」
不思議そうにモニカが首を傾げたので、嘘でしょう、とロザリアはさすがに呆れる。
「何代も前の国王陛下が第二妃という制度を作り、二人目の妃を迎えたのは、戦争後に敵国の王女を娶る為です。……人質として」
「!」
これアシュバートンの国民なら、誰でも知っていることだ。
平民の私塾でも習うし、貴族の子供達も幼い頃に家庭教師に必ず習う内容である。
「その時は勿論第二妃に予算を設ける話が出ましたが、元々敵国だったアシュバートンの施しは受けない、とその第二妃となった王女が拒否したのです。そしてそれを、後になってアシュバートンが彼女を冷遇したと言われないように、法律で第二妃の予算は設けないことが決まりました」
ルイスも第二妃の成り立ちは知っていても、予算のことまでは知らなかったようで、真っ青になっている。
今は平和なアシュバートンだが、当時はさぞかし殺伐としていたのだろう。かの第二妃は、毒が入っている可能性を考慮して食事などもアシュバートンのものは拒否し、自国から送られてきた物資で生活していた、と歴史書に記述があった。
「つまり、第二妃に関わる一切のことは、第二妃自身の財産で賄わなければならないのです」
ちなみに子を授かれば、その子の分は予算が発生するが、それもモニカが望むほど贅沢が出来る額ではない。彼女の派手な散財ぶりからすると、満足出来るとは思えない。
「じゃあ……じゃあ、私はどうやって生活しろっていうのよ!」




