58.和やかな食卓
ロザリアがアルバートを睨みつけ、彼も無表情に娘を見下ろす。
あわや二回戦開始か、と思われた場面で、痺れを切らしたフレデリカが声を上げた。
「もう旦那様! どうしていつもわざわざ意地悪な言い方をなさるの? 子供達の役にたちたかっただけ、と言えばよろしいのに」
「え?」
「フレデリカ!」
思わずアルバートが声を荒げたが、長年彼のパートナーと務めてきた彼女はケロリとしている。
ロザリアとベネディクトが驚いて父を見たが、アルバートは視線を合わせない。
「さあさあ、お喋りは食後にしましょう。晩餐が冷めてしまうわ」
にっこりとフレデリカがそう言い、テオドロスはロザリアを食堂へとエスコートする為に立ち上がった。
同じ様にフレデリカをエスコートして歩きだそうとするアルバートの背に、ロザリアは慌てて声をかける。
これだけは、勢いがある内に言ってしまいたかった。
「ありがとうございます! ……お父様、ありがとうございます、助かります」
「……交渉の解決案については、もう少し詰めておきたい」
「はい!」
パッ、とロザリアの表情が輝く。父であるアルバートに政治的な意見を聞かれたのは、初めてだったのだ。
ベネディクトが書類を纏めて持ち、皆はぞろぞろと食堂へと移動した。
ロザリアとテオドロスは、一番後ろを歩く。彼女は問題が解決しそうなことで二重に嬉しく、テオドロスの肩に頬を擦り付けた。
「よかったですね、ロザリア」
「ええ。ありがとう、テオ」
輝くような笑顔を向けられて、テオドロスは喜びと同時に申し訳なさが湧く。
「私は何もしていません……出来て、いません」
「そんなことないわ。ずっと私の隣にいて、私を見ていてくれた。お前が私を信じてくれている、というだけで、私は頑張れるのだもの」
テオドロスはいつも愛するロザリアを支えたいと思っているが、支えられているのは自分の方だと常々思っている。しかし当の彼女がこう言ってくれるならば、テオドロスは報われる思いだった。
「お安いごようです。生涯それを叶えることが、私には出来ます」
「言い方がイチイチ重いけど……ありがとう、頼りにしてるわ」
二人は微笑み合い、食堂へと入った。
そこでは、使用人達がいつも通り豪華な晩餐を整えてくれている。特にロザリアが帰ってきているということもあり、料理人達も張り切っていた。
しかしこのままアルバートとロザリアが打ち解けて和やかな食卓に、とは案の定、ならない。
「ですから、アボット卿の件はボールドウィン子爵の件を先に解決すれば、相殺出来ます」
「まずはカールトン伯爵の件が先だ」
「それは彼が古株だからですか? 優先度を考えてください」
さっそく晩餐の席で、似たもの父子はやり合っていた。
一呼吸置く為にワインをひと口飲み、アルバートは眉を顰める。当然ワインが不味かったのではない、ロザリアの指摘が的を射ていたからだ。
「その古い考え方を、改めることも大事だと思います」
ロザリアはメイドが運んできた前菜の皿にスプーンを入れ、料理に集中するフリをしながらぼそりと言う。
「お前の考え方は急先鋒すぎる。受け入れられない人間の反発を招くぞ」
勿論今回のことはアルバートの功績が大きいので、あまり強く非難はしたくなかったが、元を辿れば慣例を重視する議員達の頭の堅さも問題なのだ。
他の事に時間を割く余裕が出来たので、ついでに解決しておきたいのがロザリアの本音だが、頭が硬い父と保守派の兄が相手ではやや劣勢だ。
「そうだよロザリア。この話を纏めるのは僕なんだよ? ちょっとはその苦労も考えておくれよ」
「お兄様は弱腰すぎます!」
「確かに。ベネディクトはもっと強く出るべき場面が多い」
「ええ……?」
父の裏切りにベネディクトがため息をつく。
前菜は季節のフルーツの甘いスープの上に生ハムが乗っているもので、わざと残した果肉の食感とハムの塩気が美味しい。スプーンを口に運んだロザリアは感嘆の声を上げた。
「んん! このスープ美味しい」
「もう、忙しないこと。テオドロス様、騒がしくてごめんなさいね」
喧々諤々とやりあう親子に、フレデリカは苦笑する。声を掛けられたテオドロスは、ロザリアから目を離さないままにこやかに応えた。
「いえ。ロザリアが楽しそうなので、私もとても嬉しいです」
「まぁ……テオドロス様は、少しロザリアを甘やかしすぎではありません?」
昨日今日と見ていて、フレデリカの目にはテオドロスはロザリアのことを全肯定しているようにしか見えない。流石に段々と娘の暴走が心配になってきて、彼女はついそう言ってしまった。
しかし、テオドロスはそこでやっと義母に視線を移し、驚いたようにキョトン、と目を丸くする。
「まさか。どれほど甘やかそうと、足りそうにありません」
「そちらですの?」
「それにフレデリカ様のご心配は杞憂です。誰よりもロザリアが、自分自身にとても厳しい人なので」
「……それは、そうね」
甘えたなのに、それを押し殺して意地でも己に厳しく有ろうとするロザリア。
フレデリカは母としてそれをいじらしく思っていたが、宰相家の娘であり侯爵令嬢として生まれたロザリアを、軟弱な子に育てるわけにはいかなかった。
結果、甘えたい気持ちを押し殺し周囲の期待以上に優秀な娘に育ったのだ。
「そう考えると、テオドロス様の強すぎる愛は、あの子にはちょうど良いのかもしれませんね」
「そう言っていただけると、光栄です」
テオドロスはニコリと微笑んだが、やっぱりちょっと過ぎると思う、とフレデリカは口にしなかった。
その後もエインズワース親子による政治論は続き、しかし彼らはその合間に白身魚のバターソテーと鹿肉の小さなステーキをマナーに添って実に優雅に食した。
「最新の貴族名鑑とも照らし合わせましょう」
「ああ、この際膿を全部だすつもりで全ての可能性を考えた方がいいな」
「そこまで話を広げるんですか!?」
そしてデザートを省いて席を立つと、次の戦いの場をアルバートの書斎に移す為に食堂を出て行く。
話を広げ過ぎる父と妹にベネディクトは青褪めたが、二人に引き摺られて連れて行かれてしまった。
当然同行しようとしたテオドロスは、こちらはフレデリカに引き留められた。
「あら、まさかレディを一人にはいたしませんわよね? 娘婿様」
「……ご相伴いたします」
例え相手が王妃であってもテオドロスはロザリアを優先するが、今の相手はそのロザリアの母親だ。流石にテオドロスも無碍には出来ない。彼は内心は渋々、デザートと食後のお茶を彼女に付き合い、たっぷりとお喋りにも付き合った。
幼い頃のロザリアの話を聞けたのは、収穫だ。そして話しが終わる頃には、随分と時間が経っていた。
「あら、いやだ。もうこんな時間。お付き合いしてくださってありがとう、テオドロス様」
「いえ……」
「ふふ、素直な方ね」
その後、ようやくフレデリカが部屋を出て行くまで見送る。
夜はかなり遅い時間になっていて、書斎での話合いも既に終わっているらしい。テオドロスが食堂を出ようとすると、従僕がそれを教えてくれて、ロザリアも既に自室に戻ったことを告げられた。
政治の話をしている時のロザリアは活き活きとしていて、そんな彼女の姿を見ることはテオドロスの喜びだ。話し合いの場にいられなかったことは残念だが、彼女が密かに尊敬する父であるアルバート・エインズワースとの討論が実りのあるものであったなら、いいな、と考えた。
その一方で、傍にいない間にまた彼女が傷ついていないか、と心配になる。
ロザリアの部屋へ向かうべく彼は長い廊下を歩いていたが、だんだんとその足取りが早くなっていく。
テオドロスにとってロザリアは宝物であり誰よりも大切に扱うべき人だ。彼女が幸せなら自分も幸せだし、彼女を悲しませる者は絶対に許さない。
もう随分と長い間、テオドロスはその思いを抱えている。
早く、彼女に会いたかった。
すると、廊下の先の扉がパッと開いて、中からロザリアが飛び出してきた。




