57.アルバート・エインズワース侯爵
「……そうだね。酷い言い方をしてごめんよ、ロザリア。もう一度一緒に考えてくれないか?」
「勿論です! お兄様」
パッとロザリアが表情を輝かせると、ベネディクトもホッと微笑んだ。
思えば、彼が妹とこんな風にじっくりと政治の話をするのは初めてのことだった。ロザリアが王妃になる前は、時折彼女が過激な策について話すのを聞いたことがあったが、現実的ではない、と判断してあまり真剣に取り合っていなかったのだ。
今も、以前も、ロザリアはあらゆる可能性を考えて、デメリットの少ない策をいつも考えているのだろう。
実際に政治を執るとなるとそこまで思い切ることは難しく、どうしても保守的にならざるを得ない。だが、ロザリアの考えを取り入れて折衷案を捻り出すことこそが、宰相であるベネディクトの仕事なのだ。
それを忘れて、極端なことばかりを言う妹を責めたことを、彼は心から恥じて反省していた。
父や妹のような政治的才覚はない、と自分を諦めていたが、宰相を任されている以上ベネディクトはそこで足踏みしていてはいけないのだ。
「ではまず、陛下の票数を削る話をどの大臣に話すべきか、からだね」
「はい。その方が協力してくだされば、話し合いのショートカットが見込めるかもしれません」
ロザリアは途端瞳を輝かせて、テーブルに身を乗り出す。テオドロスがサッと紙とペンを手渡すと、彼女は礼を言って受け取り、サラサラと議会メンバーの名を書き出し始めた。
「それに、授爵式の後にルイス陛下が暴走しないように、かの方に『待て』が出来るような餌をぶら下げなくてはいけませんね」
さらりと不敬な言動をしたテオドロスにベネディクトは驚いて目を向けた、だがロザリアはぱちりと指を慣らす。
「それもあった。よく言ってくれたわ、テオ」
「光栄です」
過激なことを言う妹夫婦に諦めの溜息をついて、ベネディクトは改めてロザリアの書いたリストを見る。さすが国を動かす議会の一員だけあって、皆一癖も二癖もある人物ばかりだ。
先程気を取り直したばかりなのに、彼らの舵取りに普段から苦労しているベネディクトは、考えただけでも前途多難で頭が痛い。
「ゴルダ卿は辺境警備の件で要望があったから。そちらを優先して議題に上ることを提案すれば、まずは……」
「こちらのお二人は貿易に興味がありましたよね、その辺りは貿易商であるモダニエ伯爵に協力をいただければ話が早いかと」
今日のお茶会で自分に助けを求めてきて、出来ることは手伝うと言っていたユリアナ・モダニエ伯爵夫人のことを思い出しながら、ロザリアもリストを見つめる。
実は昨日の今日だというのに、ルイスはまたエインズワース邸に催促の為にロザリアを訊ねようとしていたのだ。当然何度も城を抜け出せる筈もなく、衛兵に捕まっていた。
ルイスは相当焦れていて、時間がないことがよく分かる。
話を進めるたびに三人はそれを痛感したが、それでも藻掻くように前に進むしかない。
「それからルイス様には、モニカを妃にすることをお約束してリミットを伸ばしましょう」
「アンジェリカ様をどうするつもりだい?」
ベネディクトが訊ねると、ロザリアは軽く顎を上げた。
「勿論、引き続きアンジェリカ様には王妃でいてもらいます。モニカには、第二妃の座を用意するの」
「第二妃……これはまた、えらく古い歴史をもってきたものだ」
エインズワース兄妹が頷き合うのを見て、テオドロスは記憶を引っ張り出す。
アシュバートンの国王は基本的に一夫一妻だが、それは法律で決められているわけではない。歴史書を紐解けば、第二妃がいた王もいるのだ。
しかしそれは争いの火種にしかならず、大国であり安定を望むアシュバートンにとっては忌避され、もはや忘れ去られたものだった。
ルイスの暴走を止める為にモニカを第二妃にするということは、さらなる災いを抱え込むことになる。何せ愛妾の子には王位継承権は与えられないが、第二妃の子ならば当然継承権があるのだから。
第一王子であるアンブローズの戴冠を脅かす存在が、未来で生まれる可能性があった。
「なんだか、どんどん深みにはまっていくかのようですね」
テオドロスが苦々し気に言うと、ロザリアも不服そうに頷いた。
ベネディクトは目まぐるしく状況を判断しながら、それでも王の我儘を封じる為にはこの手しかない、という結論にいたる。
「だが、確かにそれならすぐに用意出来る餌だね。今はこれしかないだろう」
そこに突然ヒヤリとした声が降る。
「まったく。揃いも揃って情けないな」
「! お父様……」
ロザリアがパッと振り返ると開いた居間の扉の前に、彼女の父であるアルバート・エインズワースがいた。
今帰宅したばかりらしく、外套姿だ。相変わらず険しい表情をしていて、眉間には神経質そうな皺が寄っている。
「意地悪を仰りにいらしたの?」
「ロザリア」
途端ケンカ腰になったロザリアに、ベネディクトが咎めるように妹の名を呼ぶ。
普段は冷静で、大局を見据える慧眼を持つロザリアだが、対父親となるとどうしても己の幼い頃を思い出してしまうらしい。
テオドロスとしてはそんなロザリアも丸ごと愛おしいのだが、今は愛情表現をしているシーンではないだろう。
アルバートがロザリアを傷つけるのならば庇うつもりで、彼は状況を見守った。昨日の晩餐時に、父と娘はすでにやり合っている。
ここでわざわざ嫌味を言う為だけにアルバートが登場したとは思えなかった。
各々の思惑が絡み、膠着する居間。
そこに侍女を連れて通りがかった、エインズワース侯爵夫人であるフレデリカがにこやかに声を掛ける。
「まぁ。まだこんなところで固まっていらっしゃるの? 非効率ですわ、旦那様」
彼女の穏やかだが厳しい言葉が、何故かアルバートに向けられてロザリアとベネディクトは首を傾げた。
「お母様?」
一瞬ぐっと詰まったアルバートだったが、手に持っていた書類をばさりとテーブルの上に置く。
視線で促されて、ベネディクトがそれを読んだ。
「これは……議員達との交渉結果? それから……ルイス陛下の票を削ぐことを賛同する旨の、同意書……」
「え?」
それを聞いてロザリアも慌てて残りの書類を手に取り、目を通す。
そこには、各々の議会メンバーが望むこと、それを優先的に議題として挙げることを約束し、おおよその解決案も提示されていた。その上で皆が陛下の票を削ぐことに同意すると署名されている。
ベネディクトとロザリアがやろうとしていたことが、既に成されていたのだ。
「これを、父上が?」
ベネディクトが信じられない、と目を丸くして父を仰ぎ見る。アルバートはじっと子供達を見下ろし、無表情だ。
「……引退した政治家達と話し合って案を纏め、一年かけて議員達を説得した。条件は、これを優先的に議題として取り上げることだ」
「え!?」
顔を引きつらせる兄をおいて、ロザリアは立ち上がった。
「どうしてお父様がこれを……」
「陛下の権力を削ぐ考えは、自分しか思いつかぬと思うのか? 私はずっとこの国で政治を動かしてきた身だ。お前より先んじて考え、動いていただけだ」
「……」
せっかくお礼を言おうとしていたのに、嫌な言われ方をしてロザリアは眉を顰める。




