54.ダヴィド・イートン
離宮に入る時はこっそりと来たが出る時はアンジェリカの手前、ロザリアは正面の扉から出た。相変わらずメイド服姿だったが、これほど堂々としていては誰も彼女をメイドとは思ってくれないだろう。
それでも一応人目だけは気にして、ロザリアは用心して道を戻る。裏庭には戻らず、行きに使ったのとは違う出入口から抜け道に入り控室近くに出ることにした。
違う道を使ったのは人目を気にしたのも事実だが、好奇心が半分ぐらいを占めていた。
「……残念。もう着いちゃった」
あっという間に無事控室近くの回廊に戻り、そう呟いたロザリアの声は惜しい響きを帯びていた。
お茶会が済んだからかひと気のない廊下を何食わぬ顔で進み、あと少しで控室、というところで背後からヒヤリとするような声を掛けられた。
「へぇ? 面白ことしてるな、元王妃」
ロザリアは息を呑む。が、意地でも動揺した姿など晒すものかと唇を引き締める。
何せ相手は、ロザリアが怯めば怯むほど喜ぶ、偏屈者なのだから。
「……名を呼ぶことを許した覚えはなくってよ。何故あなたがここにいるのかしら? ダヴィド・イートン」
振り向きざまにそう言うと、視線の先には予想通りイートンの王子、ダヴィドがいた。
以前会ったのはロザリアがまだ王妃だった時が最後だ。特段親しい間柄でもなかったので、離婚して国を離れることになったからといって彼に連絡してもいない。
ダヴィドの方は当然イートンの王子として、アシュバートン国王が離婚して再婚したことぐらいは知っているのだろけれど。
「ご挨拶だな。国の名代として、アンブローズ殿下生誕のお祝いの品を持ってきたんだよ」
「王子自ら? ご苦労なことね」
王妃ではないロザリアは、本来ならダヴィドに対してもっとへり下った態度を取るべきなのだが、この男に頭を下げるのは嫌だ。
ダヴィドの方でもロザリアの態度を咎める気がないらしく、そのまま会話が続く。
「俺は結構義理堅い方だぞ? お前とルイス陛下の結婚の時も祝いに駆けつけただろうが」
義理堅い男が、脅迫まがいのことをしてアスターに身売りを提案するわけないだろう。
イートンは王が病に倒れ、実権を王太子であるこのダヴィドが握っている、という話だった。そんな男がこのタイミングでアシュバートンを訪れている。
警戒をして、し過ぎるということはない。
「あら、そう。じゃあ私はこれで失礼するわね」
さっさと控室に戻ろうと歩き出すと、ダヴィドはそんなロザリアの腕を掴んだ。
「離しなさい」
「面白いことをしているな、と言っただろ? なんだ、この格好。離婚して、今はメイドに転職したのか?」
ロザリアの頭のてっぺんから靴の先までとっくりと眺めて、ダヴィドは鋭く目を細める。が、ロザリアが慌てず騒がず大真面目な顔で言い切った。
「いいえ。趣味で着ているだけよ」
「……趣味?」
「ええ。悪い?」
キッパリと言い切られてしまっては、悪いとは言えない。思いがけないことを言われて、ダヴィドは眼を丸くした。
その隙に逃げようとしたものの、捕まれた腕が解放されずロザリアはもがく。
「腕を離しなさい、ダヴィド・イートン」
もう一度ロザリアが言うと、ダヴィドは気を取り直してしまう。
「メイドごっこなら、俺の部屋に来いよ。遊んでやる」
「こっちにも選ぶ権利があるんだけど?」
ロザリアが睨みつけると、ますますダヴィドは楽しそうに笑う。彼の嗜虐趣味に火を点けてしまったようだが、ロザリアだって一歩も退く気はない。
王城で今何が起こっているのか、ダヴィドが気付けば必ず付け入って来る筈だ。それこそ冗談じゃない。
何も問題ありません、という顔をしてこの男を交わし、さっさと控室に戻るに限る。
「以前も言っただろ? 俺は結構モテるんだぜ」
「だから? 私には一切関係ないわ」
「何でそんなに理想的な反応するんだ? もっと虐めたくなるだろ」
「はぁ?」
ぐい、と腕を引っ張られて、ロザリアはダヴィドの胸に飛び込むような形になった。
虐められている自覚はなかったが、勝手に人を虐めて喜ぶ変態行為はやめて欲しいものだ。人権侵害だろう。
「馬鹿なこと言ってないで、腕を離しなさい、衛兵を呼ぶわよ!」
「呼べばいいんじゃないか? 元王妃様の変わった趣味が知られてしまうけどな」
それはそれでちょっと困る。とはいえ変態趣味に付き合うのだってごめん被る。
かくなる上はダヴィドの脛でも蹴り飛ばそうか、と視線を走らせたところで、ロザリアはぐいっ、と背後から引っ張られた。
「うん?」
「イートン王子殿下、ご無礼をお許しを。我が妻に何用でしょう?」
落ち着いているものの怒りを抑えた声。長い腕と硬い胸。最近はお揃いで焚き染めている香の薫り。
背後からロザリアを抱きしめているのは紛れもなく愛する夫テオドロス・オルブライトで、ロザリアは嬉しくなった。
「テオ!」
「ロザリア、大丈夫ですか?」
「ええ、何も問題ないわ」
テオドロスの腕が緩まったのでロザリアが振り返ると夫の顔を見つめ、にっこりと微笑む。
ピッタリと仲良さげにくっつく二人に、ダヴィドは驚いた。
ロザリアのことは王妃としてはよく知っているつもりだが、こんな風に目に見えて誰かに甘えている姿を見るのは初めてだったのだ。
夫と名乗った男がロザリアを抱き寄せつつ、まるでテリトリーを守る狼のように油断なくダヴィドを伺っているというのに、当のロザリアはすっかり寛いだ様子で彼に身を預けている。
「ロザリア、お前ってそんな女だったか?」
「実はそうなの。お前の知っている私は、ただの一端に過ぎないのよ」
彼女は先ほどの毛を逆立て威嚇する子猫のような様子から一転して、ケロリとしていた。
「不必要かもしれないけど、紹介しておくわ。こちら、夫のテオドロス・オルブライトよ」
「初めまして、殿下」
テオドロスは軽く会釈をして挨拶を述べる。そこでダヴィドはハッとした。
「まさか、ロザリアのその格好は……!」
「私の趣味です」
芝居がかった仕草でややはにかみ、テオドロスが微笑んでみせた。
さすが我が夫、とロザリアは内心で爆笑だったが、外面には微塵も出さない。涼しい顔で同じように微笑むに留める。
信じられない、という表情浮かべたダヴィドは、悪ぶっていてもさすが育ちがいい王子様である。可愛いところもあるではないかと意外に思いつつ、ロザリアはそれも表情には出さなかった。
「アシュバートンはどうなってんだよ、変な国だな」
「嗜虐趣味の王子様にだけは言われたくないんだけど」
「俺のは相手も喜んでこそだ! ……いや、お前らも双方合意なのか?」
何やらハードな妄想をしているようだが、当人の自由なので放っておく。この様子だと、吹聴して回ることはなさそうだ。事実無根なので、勝手に勘違いさせたままにしておこう。
おまけに彼の言う通りだとすれば、先ほどのダヴィドとの問答をロザリアの方も楽しんでいたと思われているのは心外だったが、面倒なのでこちらも放っておく。
「娼婦のような女が王城を闊歩しているだけでも驚きなのに、元王妃が現夫と何をしてるんだお前らは」
「娼婦のような女?」
動揺しているダヴィドが口走った言葉に、ロザリアが片眉を上げる。
「ああ、あのモニカとかいう女だ! 国王の愛妾のくせに、他国の王子である俺にまで色目を使ってきたんだぞ? どうかしている」
「意外とまともなことを言う……」
「失礼だな、お前」
ダヴィドは不快気に鼻を鳴らしたが、ロザリアは思うところがあってもう彼からは意識が離れていた。




