51.旧交
ロザリアが育てた賢君の姿は今はなく、ベネディクトによればルイスは議会に出ても話を適当に聞き流し、政治を疎かにしているらしい。その代わりに何をやっているかと思えばモニカと日がな一日遊び呆けているのだとか。
「……自分は優秀だと思い込んでたけど、教師の才能はないみたいね。ショックだわ」
せっかく国としての地盤を固めたのに、内側から腐らせていくのが同じ国王だと思うと目も当てられない。
ベネディクトを始めとする議会の面々はこの一年説得を試みると同時に、実質王不在の議会を運営してきた。
そんな中、実はアスターとの織物の交易はアシュバートンにとって素晴らしいニュースだった。
バランスを崩し倒れかけだった議会は、この交易と投資で将来的な利益が見込める上に、慧眼と外交手腕を評価されることで『愚王の国』と他の国から謗りを受けずに済んだのだ。
「ロザリアが僕に連絡してくれたのは、アスターだけじゃなくアシュバートン議会にとってもすごく助かったんだよ」
とベネディクトにはとても感謝された。
『宰相家のご令嬢は国を出て尚、国を守ってくれる』と議会では評判だと兄は嬉しそうだった。が、ロザリアは政治の動きを見てはいたがまさかそこまで一部が腐りきっていたとは知らなかったので、アシュバートン議会への功績は彼女にとって副次的なもの。
今回のルイスの件を治めてこそ、その賛辞を受け取ることが出来るだろう。
「素敵なお召し物ですね」
そこで声を掛けられて、ロザリアは思考の海から抜け出す。声の方へと視線を向けると、そこには懐かしい姿があった。
「あら……」
「お久しぶりです」
かつて水面下で王妃の座を争った令嬢。元の名を、ユリアナ・ノートン伯爵令嬢。この数年の間に結婚して、今はモダニエ伯爵夫人だ。
「本当にお久しぶりね。モダニエ伯爵夫人」
「もしよろしければユリアナとお呼びください。私も……ロザリア様とお呼びしたいです」
先程のモニカとのやり取りを見ていたのだろう、勝気な吊り目がやや下がりユリアナはこちらの様子を窺っている。勿論ロザリアに否やはなかった。
「ユリアナ様、お会い出来て嬉しいわ」
「はい! ……はい! 私もです、ロザリア様」
途端、ぱぁ、と輝く笑顔が可愛い。この気が強くて案外素直な女性のことが、ロザリアは昔から結構好きなのだ。
「こちら、アスター織ですよね……なんて精緻で美しい……」
ユリアナがほう、と溜息をついたので、ロザリアはよく見えるように腕を広げた。
「詳しいのね。ああ、旦那様のモダニエ伯爵は大きな商会をお持ちだから? ロベルの王都にも大きなお店があったわ」
「ええ。以前の私は商売をしている男性と結婚だなんてとても想像出来なかったのですが……今は流行の発信や社会貢献の面から考えても、商会の役割について感じ入るところがあります」
ユリアナははにかんでそう言った。これは、モダニエ伯爵とユリアナの間に起こったロマンスの話も是非聞きたい。
でも今はそんな余裕はなさそうだ。
「それは素敵ね」
「はい。その伝手で、ロザリア様がアスター公爵家の養女になったことも、今回のアスター絹の交易のことも伺っています」
扇で口元を隠し、ユリアナはそっと囁く。
「……今日は何故この茶会へ? ユリアナ様のように……矜持の高い方は、不参加だと思ってたわ」
モニカのような女は、ユリアナは絶対に大嫌いだろうと考えてロザリアが迂遠な表現を用いると、彼女は溜息をついた。
「下の妹が今年社交界デビューしたんです。今年のそれは……寵姫様の影響が大きいので、妹はこの茶会にも出席せざるをえなくて……」
ちらりとユリアナが視線を向けた先には、同い年ぐらいの少女達が数名で固まっていて、皆一様に不安そうにしている。
「優しいお姉さんなのね」
姉妹のいないロザリアが感心すると、ユリアナは首を横に振った。
「いえ……私がデビューした頃は、年上の令嬢達がアドバイスをしてくれました。でも今年は皆、寵姫様の顔色ばかり窺っていて……異常な状態です」
ロザリアは二年でルイスを賢君にしたが、モニカは一年で彼を愚王にしたのだ。その上社交界にまで波及しているとあっては、政治の世界に浸食してくるのも時間の問題だろう。
「……思ったより深刻ね」
ロザリアの言葉にユリアナは頷き、ここ一年の間王城内でどんな変化があったのかを詳しく説明してくれた。
王妃であるアンジェリカが懐妊したことで喜びに沸いたのも束の間、彼女が体調を崩しがちになり公務に出られない日々が続いた。
その分国王であるルイスは多忙になり、その疲れを癒してくれる筈の王妃は臥せっていて面会もままならない状態。その隙間でふとお忍びで出た城下街で、可憐できさくなモニカに出会う。
ささくれだっていたルイスはモニカに夢中になり、モニカもそれを当然と受け入れるようになる。そしてついに愛妾として王城に部屋を与え、彼女に溺れるようになってしまったのだという。
そうなるともう誰にも止めることは出来ず、モニカは我がもの顔で宝石を買いあさったり、社交界を牛耳るようになったのだ。
「まったく、陛下には運命の恋がたくさんおありだこと」
ロザリアが愚痴ると、ユリアナも溜息をつく。
「毎回本気で仰っているようで……」
おおよそはフレデリカやベネディクトから聞いてはいたが、実害を被っている者からの話はより真に迫っていた。
「ロザリア様……国をお出になった方にこんなことを頼むのは筋違いだと分かっています。ですがどうか……どうか、王妃様の窮状を救ってください」
ユリアナに真摯に懇願されて、ロザリアは少し意外に思う。元子爵令嬢で王の愛人だったアンジェリカを、ユリアナは良く思っていなかったと記憶していたからだ。
視線の意図に気付いて、ユリアナは肩を竦める。
「人は変わりますわ、ロザリア様」
「そうね、変わらないのは陛下だけのご様子だわ」
つい皮肉っぽく言うと、ユリアナも扇の影で困ったように笑った。
相変わらず、ロザリアには関わる筋合いがないように感じるが、モニカをこのままにはしておけない、と先程感じたことだし、その上古い知人にこんな風に懇願されて無下に出来るほどロザリアは薄情ではいられない。
「……分かったわ、出来るだけのことはやってみる」
「ありがとうございます」
ユリアナがほっとしたように笑顔になった。本来彼女のような国民を安心させるのが、国王や王妃の役目でもある。
それを怠り、己の欲にかまけているなんて、国主失格だ。
ルイスは、せめて自分の愛する人と結婚したい、と言っていたが、それがこれほど国に悪影響を与えるのならば、別の方法を探さなくてはならないだろう。




