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48.夜の迷子

 


 今夜エインズワース邸で二人に充てがわれた部屋は、ロザリアが王妃として嫁ぐまで使っていた娘時代の部屋だった。


 昨日までそこを使っていたかのように家具も窓もピカピカに磨かれ、カーテンにも窓枠にも埃ひとつなく、ベッドのシーツは洗い立てのいい香りがした。

 勿論屋敷のお嬢様の部屋なので、隣にバスルームも用意されているし、ベッドルームの他に個人用の居間も続き部屋としてあった。


「……ここがロザリアの部屋なんですね」

「ええ」


 部屋に入った途端、くっつき虫となって正面から抱きついて離れないロザリアに、テオドロスは苦笑する。

 可愛くて優しいロザリア。

 父親のアルバートに逆らったこと自体はなんとも感じていないのに、アルバートを傷つけたことに対しては申し訳ないと感じているのだ。


「貴女は間違ったことは言ってませんよ」

「……うん。でも、お父様からしたら、今まで従順だった娘が突然反抗してきてショックだった、と思うの」

「そうかもしれませんね」

「王妃になる前に、諦めたりせずにちゃんと反抗して、私に意思があることを知らせておくべきだったかな、て……反省してる」

「優しいロザリア。この世界に起こるすべての出来事に責任を負うつもりですか?」

「そんなつもりはないけど……」

「貴女は最初から諦めていたわけじゃない。何度もアルバート様に進言して抵抗しても認められなかったから、諦めたのでしょう? 幼い頃の貴女も十分に抵抗したのですよ。あまり自分を責めないでください」


 優しく言ってテオドロスがロザリアの頭を撫でると、もっと、とばかりに蜂蜜色の頭を押し付けられる。


「アルバート様にだって、悪いところはあります。優秀で優しいからといって、何もかも貴女が引き受けなくていいんですよ、ロザリア」

「……うん」


 さらにぺったりとロザリアはテオドロスにくっつく。


「私は弱くなったわ。……お前がいない時、どうやって一人で立てていたのか思い出せない」

「嬉しいです、愛しい人。私は貴女を決して一人にはしないので、そのまま寄りかかっていて大丈夫ですよ」

「本当に……怖い男と結婚しちゃったわ」

「早く、私がいないと生きていけない貴女になってください」


 冗談めかしてテオドロスはそう言ったが、それは本音だった。そしてロザリアもまた、この男がいないと生きていけなくなる日はそう遠くないな、と思っていた。


 その後、ロザリアと共にベッドで就寝したものの、夜半過ぎにテオドロスは目が醒めた。フレデリカ達にワインをたくさん勧められた所為か、少し喉が渇いている。

 間の悪いことに、ベッドサイドの水差しは空。ちょっと考えてから、彼はガウンを羽織ると自分で水をもらいに行こうと、空の水差しを手に部屋を後にした。

 階下に降りれば、誰か一人ぐらいは寝ず番で控えている筈。厨房を使う許しをもらって、水を確保するつもりだった。


 が、流石に初めて訪れた屋敷で、しかも暗い夜とあって、テオドロスは階段へ向かうのとは逆方向に廊下を進んでしまっていたらしい。奥まった辺りまでやってきて、ようやくそのことに気付いた。

 廊下の窓から差し込む僅かな月明りだけが、道標だ。実に頼りない。

 一度部屋に戻って灯りを取ってくるか、もういっそ水を諦めて寝てしまおうかとテオドロスが悩んでいると、廊下の少し先で扉がおもむろに開いた。


「あ」


 その部屋にはまだ灯りがついていて、驚いたことに中から顔を出したのはアルバートだった。


「こんばんは、侯爵閣下」

「……人の気配がすると思ったら、君か」

「すみません、道を間違えてしまって」


 テオドロスの持つ空の水差しに目をやって、アルバートは頷く。


「来なさい。この部屋の水差しを持っていけばいい」

「……ありがとうございます」


 テオドロスはちょっと微笑んで、その部屋へと招かれた。入ってから気付いたが、ここはアルバートの書斎だった。

 ずらりと並んだ書架と重厚なデスク、飴色の木材で作られた応接セット。アルバートも寝間着にガウン姿だが、まだデスクのランプには明かりが灯っている。


「こんな時間までお仕事ですか」

「君には関係ないだろう」

「そうですね」


 晩餐時の言い争いを思い出したのか、アルバートは少し眉を顰めている。小振りの水差しを差し出されたので、有難くテオドロスはそれを受け取った。


「ありがとうございます」

「……君は変な男だな」


 先程テオドロスはロザリアを庇ってアルバートとは一触即発の状況だった。それなのに、今は随分と穏やかで素直に礼を言ったものだから、アルバートには不思議だったようだ。


「ロザリアに被害がなければ、私に遺恨はありませんので」

「君はそればかりだな。そんなにもあの子が好きか」

「はい」


 テオドロスが即答すると、アルバートは鼻白む。舅にそんな風に明け透けに妻への恋情を吐露しないで欲しかったのだ。


「君がそんな風だから、あの子は随分と変わったんだろうな……いい事なのだろうが、俺の知っている娘と違い過ぎて、どう扱えばいいのか分からん」

「ロザリアはロザリアのままです。見える面が増えただけですよ」


 手の中の水差しを弄びながらテオドロスが言うと、アルバートはデスクの上に広げた書類を見て低く唸った。彼が娘にどう接すればいいのか悩むのは、彼の自由だ。

 テオドロスとしては、ただひたすらにロザリアが傷つくことがないように守るだけ。そして出来れば、嬉しそうに笑っていて欲しい。


 とはいえ、意外なことにテオドロスはアルバートのことが嫌いではなかった。

 ロザリアに多大な影響があるので警戒しているが、それを無しに考えると彼自身の人となりは理解出来るし好ましく思う。何より、頑固で誠実で正しくあろうとする愚直なまでの清廉さが、ロザリアによく似ているのだ。


 この場合父であるアルバートに娘のロザリアが似ているのだろうが、世界の中心にロザリアを据えているテオドロスにとっては『ロザリアに似ている』が正しい。


「……そうか」

「閣下。優れた人のことを性別で判断するのは、愚かなことです」

「……」


 しばらくアルバートはもの言いたげにテオドロスを睨んでいたが、先に視線を外すとそのまま背を向けてしまった。


「それを持って、もう部屋に戻れ」

「ありがとうございます。おやすみなさいませ」


 テオドロスは微笑んで礼を言ったが、もうアルバートは振り向きもせず言葉が返ってくることもなかった。

 そのまま部屋に戻ったテオドロスは、水で喉を潤してから再びベッドに入る。すやすやと眠っているロザリアが無意識にくっついてくるのが愛おしく、嬉しい。

 大切なものはいつも腕の中にあるのに、それだけでは完結しない世界のなんとややこしいことか。テオドロスは内心で独り言ちてから、最愛を抱きしめて眠った。







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