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47.父娘喧嘩

 その夜。

 賑やかになるかと思われたエインズワース家の食卓は、一部冷え切っている。

 領地から戻ってきた当主、アルバート・エインズワースにロザリアとテオドロスは挨拶をしたが、彼は素っ気なく頷いただけだった。その大人気ない態度にロザリアは腹をたて、食卓は冷戦となっている。


「……」

「…………」


 ロザリアはメインの鴨肉をナイフで切り分け、ツンと澄まして口に運んだ。同じ様にアルバートもむっつりとした様子でワインを飲んでいる。

 頑固者同士の父娘に慣れているフレデリカとベネディクトは取り持つ気はないようで、二人はテオドロスを巻き込んで会話と食事を楽しんでいた。


「テオドロス様、もっと鴨肉はいかが? 当家の料理人の火入れは完璧なのよ」

「いただきます」

「いいなぁ、若い男性がいると食事も楽しいね」

「……ベネディクト様と私は、年はさほど変わりませんが……」

「べネディクトは、昔から量をたくさん食べられなかったじゃないの」


 母と兄がやたらとテオドロスを構うので、父に集中していた意識がついそちらに向かう。


「お母様、お兄様。私の夫を揶揄うのはやめてください」

「あら、苛めているワケじゃないんだからいいでしょう」

「そうだ、妹の夫ということは僕達にとっても家族なんだから、仲良くするのは悪いことじゃないだろう?」


 途端二人から文句を言われて、ロザリアは分かりやすく拗ねる。


「ロザリア」

「知らない」


 他の誰といてもテオドロスはいつも必ずロザリアを見つめてくれていたので、こんなことは初めてで戸惑う。彼からすればロザリアの家族だからこそ気を使っているのだろうが、それすらも気に入らなかった。

 テオドロスはカトラリーをそっと皿に置くと、テーブルの上でキュッと拳を握るロザリアの小さな手に自分のそれを重ねる。


「貴女の大切な家族だから、私にとっても大切なのです。ですが、貴女が嫌なら黙ります」

「……そんな心の狭いことを言いたいわけじゃないのよ」

「わかっています。ですが、私を思って拗ねてくださることが嬉しくて」


 はにかむテオドロスが可愛らしくて、ロザリアの不機嫌も長くは続かない。


「わぁ……驚いた、ツンツンのロザリアが見事にめろめろだ」

「でしょう? テオドロス様に任せておけば安心ね」


 ヒソヒソと喋っているが、ベネディクトとフレデリカの声はまる聞こえである。キッとロザリアは二人を睨んだが、彼らは素知らぬ顔で白々しくワイングラスを傾けた。


「もう……騒がしい家族でしょう?」

「幼い貴女が育った環境が垣間見られて、嬉しいです」

「そう……? 私も小さなお前が見たいわ。今度、オルブライト伯爵家に遊びに行ってもいい?」

「勿論です」


 手を繋いだままロザリアが上目遣いにおねだりすると、青い瞳を細めてテオドロスが嬉しそうに頷いた。彼の方こそ、ロザリアの関心が自分にあることがとても嬉しいのだ。

 人目がなかったら、否、人目があったとしてもここにいるのがロザリアの家族ではなかったら、きっと彼は最愛にキスを贈っていただろう。


 するとそこで流石に溜まりかねたのか、ゴホン、とアルバートが大きく咳払いをした。


「食事中だぞ」


 威厳のある低い声、鷲鼻の厳つい顔。灰がかった栗色の髪に、こちらも灰がかった紫の瞳。

 テオドロスが『アシュバートンの宰相』と聞いて一番に思い浮かべるのは、この厳格を人の形にしたかのような男、アルバート・エインズワースだ。


「……何か、注意されるようなことをいたしまして?」


 ロザリアはツン、と言い返す。ベネディクトが言うところのツンツンのロザリア、なのだろう。

 その姿すら愛らしく、今までに見なかった彼女の一面に、テオドロスは心をときめかす。


「節操もなく男に甘えて、見っともないとは思わないのか」

「淫らな行為に及んだわけでもありませんのに、なにを大袈裟な。お父様は聖職者のように清らかでいらっしゃるのね」


 フン、とロザリアは鼻で笑った。

 ルイスと結婚する前まではエインズワース侯爵令嬢として諦念を抱いて父に従っていたロザリア。そんな娘しか知らないアルバートは、彼女の挑発的な態度にギョッとした。


「お前は……! いつからそんな無礼な娘に成り下がった」

「ご存じなかっただけで、ずっと私はこんな人間です。むしろ素が出せて清々しておりますわ」

「とにかく、食事中に男にしなだれ掛かるのはやめろ! 不愉快だ!」

「しなだれかかってなどおりませんが、そのお言葉を真実にして差し上げますわ」


 そう言うと、ロザリアはわざとらしくテオドロスにくっつく。

 アルバートは激昂し、ばん!とテーブルを叩いて立ち上がった。フレデリカはグラスの中身が溢れてしまわないように持ち上げ、気にした様子もなかったが、ベネディクトは不安そうに父と妹に視線を走らせる。


「ロザリア! 父を不愉快にさせて楽しいか!」

「……楽しい、と言ったらどうなさいます?」

「お前……俺のことが嫌いなのか? それでわざわざ嫌がらせを?」


 そう言われて、ロザリアは皮肉げに唇を歪めた。


「……好かれているとでも、思っていたのですか?」

「ッ! この……!」


 アルバートが娘目掛けて拳を振り上げたが、二人の間にテオドロスが入り込みその拳を掴んで止めた。


「どけ!」

「侯爵閣下、落ち着いてください」

「ふざけるな! これは俺と娘の問題だ、他人は引っ込んでいてもらおうか!」


 彼が怒鳴ると、テオドロスの瞳がギラリと光った。


「ロザリアの問題ならば、それは夫である私の問題でもあります。私と彼女は、他人ではないので」


 テオドロスの声が冷たい。

 父が激昂していることよりも、夫の気持ちが冷えていくことの方が不安でロザリアは思わずテオドロスの背中に抱きついた。


「テオ」

「大丈夫です、ロザリア」


 それだけで、テオドロスの声は雪解けのように柔らかくなる。自分に相対していた時とは違い、全身で夫を案じ、彼に甘えきっているロザリアを見て、アルバートは下唇を噛んだ。


「……、勝手にしろ!」


 そのまま、彼は食堂を横切って部屋を出て行った。家令と従僕が追いかけていくが、取り成すのは難しいだろう。フレデリカはやれやれとため息をつく。


「もう少し小出しにしても、良かったんじゃなくて?」

「……父の命令に従って王妃にまでなったわ。この上で更にいい娘の役を演じる義理なんて、ありません」


 唇を尖らせてロザリアが言うと、母はそれもそうか、と頷く。


「母上、父上を追いかけなくていいんですか?」

「今行っても逆効果よ。それにあの人もいい歳なんだから、自分の機嫌ぐらいは自分で取らなくちゃ」


 突き放したような言い方だが、フレデリカはバランス感覚がいいので、落ち着いた頃にきちんとアルバートに対してフォローを入れるのだろう。

 エインズワース侯爵夫妻も当然政略結婚なので、燃え上がるような恋情はないが、家族としてここまで家を支えてきた同志のような結びつきがある。


「……フレデリカ様、ベネディクト様。私達も先に失礼させていただきます」

「ああ……うん、陛下の我儘への対策は、明日一緒に話し合おう」


 ベネディクトは、俯いてしまった妹を見てわざと明るく言った。フレデリカもその隣で微笑む。


「おやすみなさい、二人とも」

「……おやすみなさい」


 かろうじて返事をしたロザリアの声は、とても小さかった。



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