表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/66

46.もう一人の、お兄様

 

 あの日、ロザリアはよくよく、自分は愛されないのだと思い知った。


 父から関心を寄せられていないことで十分に拗ねていたロザリアは、この男もそうなのだ、と悟った。だから、自分を認めなかった父を見返し、自分を駒のように扱おうとする王を利用してやる、と決めたのだ。


 驚くほどそれは上手くいき、ロザリアは世の賞賛と、多額の慰謝料と、自由を手に入れた。なんと世界の容易いことだろう、と思ったのだ。


 しかしアンジェリカは違う。

 ロザリアは愕然としてしまった。


 アンジェリカは、まだ何も持たない子爵令嬢だった頃から王の寵愛だけを頼りに生き、当時の王妃だったロザリアに盾突き、やがて智恵を授けられて死に物狂いで見事に王妃の器へと成長した。

 その彼女の原動力は、愛に違いないのに。


「ご自分が他に愛する女が出来たからといって、古いものを捨てるかのようにアンジェリカ様のことをお捨てになるのですか?」

「そんな言い方はないだろう!」


 これは何もロザリアがテオドロスによって『真実の愛』とやらを知ったから激昂しているのではない。

 かつてアンジェリカが語ったように、本当の愛を知れば、愛による行為が許される、という考え方は今でも理解出来ない。

 そうではなく、ロザリアが父であるアルバート・エインズワースの薫陶を受けて政治家としての才能を開花したように、アンジェリカはルイスの愛によって王妃として成長した。

 彼女に愛を授けた男が、別の愛によって彼女を捨てると言うのだ。

 なんと残酷なことだろう。かつて、父に理解されなかった幼いロザリアが腹をたてているのだ。


 アンジェリカを、そういう女にしたのは、ルイスの愛なのに、と。


「アンジェリカ様は、了承しているのですか?」

「アンジェは話も聞いてくれない……生まれたばかりの王子と共に、離宮に籠りっぱなしだ」

「なんてこと……」


 愛は尊い。素晴らしい。それには賛同しよう。

 しかしこれとそれとは話が別だ。結婚とは、契約とはなんだというのだろう?

 王子生誕に沸く故国、と思っていたのに、随分と厄介な状況に陥っている。しかしこれをこのままにしている周囲のなんと情けないことか。

 あまつさえ、他国で結婚した元王妃を頼るなど、どいつもこいつも、腑抜けばかりではないか。


「陛下……よくよく大臣達と話し合う事をお勧めします。何か妙案が……」

「それを繰り返して、一年が経った!」


 ルイスの悲痛な叫びに、ロザリアは別の意味で悲痛を抱えた、

 一年。アンジェリカが王子を生んだのはつい最近だ。

 ということは、この馬鹿王は王妃が懐妊してすぐに別の女に現を抜かしたことになる。妊婦であった頃のアンジェリカの心痛はいかばかりか。


「陛下。それはあまりにもひどい話では? アンジェリカ妃はあなたの子を身籠り、命がけで出産なさったのですよ」

「王の子だ、当たり前だろう」


 おや? この男は確かに素直なところしか美点がないと思っていたが、これほどまでに愚かで下劣な男だったろうか?

 ロザリアは冷えていく頭でそう考える。そこで、先程のフレデリカの言葉を思いだした。


『今度は相手も悪い』


 なるほど、である。

 そのモニカという女が、ルイスに悪影響を与えているのだ。素直な彼は善人と関われば善に傾き、悪人と関われば悪に傾倒する。

 ルイスはイライラとその場で足を踏み鳴らした。


「ロザリア! お前は俺に助力するつもりがあるのか、ないのか!?」

「ルイス様……」

「ないなら、もうよい。俺は授爵式の後に、アンジェリカと離縁しモニカを新たな王妃とすることを国民の前で発表する!」

「!」


 王城は王族の住まいでもあるが、議会が開かれるアシュバートンの政治の中枢でもある。

 大きな決定があった際にはその情報はきちんと城下に知らされるが、王子誕生のように目出度いことは広場に面したバルコニーに立ち、国民に向けて国王自らが発表する場合もあった。

 テオドロスの授爵は貴族の事情であり、国民にわざわざ知らせるほどのことではない。しかしルイスはその機会を利用して、モニカとのことを発表してしまうつもりなのだ。


「そんな愚かなことはおやめください。陛下、神の前で誓った結婚に背くおつもりですか?」

「ロザリアが帰ってきて円満に解決してくれればと願っていたが、お前がそれを拒否するなら俺は俺のやり方でモニカと結婚出来る方法を選ぶ」


「お待ちください、そんなことをしたら国民からの王家への信頼は地に落ちます。民の支えなくして国はたち行かないのですよ」

「だが、お前との離縁の時だって結果的に好評だったじゃないか。愛を貫く我々の姿が、皆の心を射たじゃないか」


 なまじ一度成功体験があるだけに、ルイスは今回も好意的に受け入れられる、と信じているらしい。

 世論はそう甘くはない。政略結婚に屈することなく愛を貫いた恋人達は美談になっても、子を孕んだばかりの妻を放って浮気していた男を受け入れる世界がどこにあるというのか。


「陛下……」

「もういい。少し優秀だからとお前に頼った俺が馬鹿だった。俺は王だが、愛する者を妃とする自由ぐらいあってもいいだろう?」


 ルイスはそう言って、話は終わったとばかりに立ち上がる。

 事はそう簡単ではない。ロザリアとの政略結婚の時とは、何もかも事情が違うのだ。

 モニカという女性と結婚したい、というルイスの願いを叶えることは出来ない。だが、ここで突っぱねてしまえば、彼はさらに暴走することが目に見えていた。

 暴走を防ぐために一旦ルイスの頼みを引き受けるかどうか、ロザリアは悩む。何も手持ちの策がないのだ。


 テオドロスに衛兵が差し向けられる可能性も、ルイスが侯爵邸に単身で乗り込んでくることも、そんな馬鹿馬鹿しい展開になるなんて、誰が想像出来るだろうか。対策など立てようがない。

 こちらが躊躇している間に、ルイスはスタスタと応接室を横切って行く。フレデリカが時間稼ぎをしようと立ちあがったが、それよりも部屋の扉が外から開く方が先だった。


「!」


 すい、と開いた扉から現れたのは、ロザリアの兄でアシュバートン国の宰相を務めるベネディクト・エインズワースだった。

 すらりとした長身痩躯はいかにも読書好きの文官、といった風情だ。髪の色は栗色で瞳の色は母や妹と同じで煌めくような緑色である。


「陛下! ここにおいででしたか! ……何故我が家に?」

「う、うむ……いや、その」


 ベネディクトが驚いたように目を丸くして、いかにも心配そうに言う。ルイスは当然モニカとの結婚を議会に大反対されているので、宰相である彼にここに来た理由を告げるのを戸惑った。


「ああ、ですがその話は後にいたしましょう。王城では大騒ぎですよ! お早くお戻りを!」

「あ、ああ、だが、その」

「ああ! 妹と久しぶりに話を? 申し訳ありません、後ほど必ず機会を設けますので、お話はまた今度になさってください。とにかく、どうか今はお戻りを!」


 ほらほらとベネディクトは、やんわりとしかし有無を言わさぬ様子でルイスを追い立てる。


「ロザリアも。なんの話か知らないけれど、詳しくは後日にしてもらいなさい。いいね?」

「はい……はい、お兄様」


 ロザリアは慌てて頷く。


「陛下、お話は後ほど、また!」

「う、うん、そうだな。今度ちゃんと話そう」

「さぁ、陛下。僕が王城までお送りします! お早く!」


 助かった。これで結論を引き伸ばすことが出来る。

 ベネディクトはルイスの背中をグイグイと押しながら、戻って来たばかりだというのにまた王城へととんぼ帰りして行った。最後に、応接室を出る時にそっとウインクを残して。

 騒ぎが遠のくと、いつの間にか立ち上がっていたロザリアはホッとソファにへたり込んだ。


「ロザリア、大丈夫ですか」

「平気。お兄様のおかげで助かったわ」

「まこと。ベネディクト様は機転の効く方です」

「私の兄だもの」

「素晴らしいお兄様ですね」


 テオドロスが感じ入った様子で頷くので、ロザリアは思わず笑ってしまった。


「今のお前の態度、リッカが見たら泣いてしまうわね」

「泣かせておけば良いのです」


 そこに、ルイスとベネディクトを玄関まで見送りに行っていたフレデリカが戻ってくる。仲睦まじい二人の様子を見て、またにっこりと微笑む。


「さて、今夜は旦那様もお帰りのご予定だし、久しぶりに家族が揃って賑やかな晩餐になるわね」

「……お父様のこと、忘れていたわ」


 げ、という顔をするロザリアに、テオドロスはついつい苦笑してしまった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ