3.心の虚
「……話は戻りますが、あの本の何に、貴女は引き付けられていたんですか?」
「お前は本当に……私のことをなんでも知っていないと気が済まないのね」
ロザリアは呆れたが、自分に対して無関心な父と元夫の影響で、テオドロスの強すぎる関心は正直こそばゆく、心地よいのだ。
何せ、特別愛されていることを実感するので。
「それはもう。貴女のことならば、なんでも」
この男は、ロザリアの心の虚を埋めるのが上手い。
そして当然のように、テオドロスは仕事で離れる以外では常にロザリアと共にいることを望み、古書店巡りにも何時間でも付き合った。
彼は、王妃だったロザリアの為に各国の珍しい古書を買い集めるのが癖になっていたので、一度行った国の王都では品揃えのいい古書店を必ず把握していて、そこへ案内してくれるのだ。
世間的にみて、こんなにいい夫を蔑ろにしていては、非難されるのはロザリアの方なのだろう。
「……他の歴史書と書いていることが違ったの。創作かとも思ったんだけど、一致するところもあって……虚実が混じっているのか、著者の主観ではそれが正しい歴史なのか……」
「はたまた、これまでの歴史書が間違っていたのか、ですか?」
「うん……」
夫を放置していたツケとして、ロザリアはテオドロスがベタベタとくっつくのを容認せざるを得なかった。ずっと髪を撫でられている所為で、眠くて仕方がない。
とはいえ多忙なテオドロスは明日からはまた大使館に詰めるので、一人で調べよう、と彼女は決めていた。
「私は心配です。あの本はさして古くなかった。当時書かれたものではありません」
「そうね」
「嘘であれ著者の思い込みであれ、わざわざ史実と違うことを書いて発刊する者の意図が平和的な理由だとは思えません」
「……ただの創作の可能性もあるし、例え嘘を書いていたとしても侮辱罪などには該当しない内容だったわよ」
国の歴史を貶めているのだとしたら発刊禁止などの措置も取れるが、本の内容はそこまで過激なものではなかった。
恐らく人の目に触れたところで、戯言と処理されてきたのだろう。
「だからといって、油断なさいませんように。貴女に何かあったら、私は生きていけません」
「重い」
「常日頃申しておりますのに、今頃お気づきですか?」
ぎゅっと抱きしめられて、ロザリアはほぅ、と息をついた。
温かい体。ロザリアはアシュバートン国王・ルイスと結婚していたが、彼とはただの一度も床を共にしたことがないどころか、手が触れたこともない。
そうなると当然、家族以外の異性にこんな風に抱きしめられるのは、テオドロスが初めてだ。
ロザリアは、宰相だった父の目論みで幼い頃から一流の淑女となるべく英才教育を授けられて育ったので、愛の告白も手を繋ぐことも、勿論キスもそれ以上も、全てテオドロス相手が初めてである。
「……分かったわ。お前を悲しませるのは……私も本意ではないもの……」
のろのろとテオドロスの頭を撫でて、もう限界だったロザリアはぱたん、と眠ってしまった。
子供のように安心しきった寝顔をさらして、スヤスヤと眠っている妻を見てテオドロスはうっとりと溜息をつく。
彼は、ロザリアが王妃になるずっと前から、彼女のことが好きだった。
宰相の娘、侯爵令嬢として王城図書館に通うロザリア。ピンと背筋を伸ばし、僅かに微笑んで優雅に廊下を歩く姿は、とても美しかった。
しかし比較的高官である外交官という職に就いていても、伯爵家の次男であるテオドロスでは、ロザリアに求婚したくても父親である宰相に断られるのが目に見えている。
このまま、彼女が誰か高貴な男に嫁ぐのを指を咥えて見ているのか、と弱気になった時に、アシュバートン王ルイスとの結婚が決まってしまったのだ。
あの時の後悔ときたら、今思い出しても口の中が苦くなるほどである。
「貴女の傍にいられさえすれば、私は幸せなんです……」
ようやく傍にいることを許された、愛しい人。
しかし、ロザリアは聡明な上にとても優しいので、自分の存在がテオドロスにとって不利益になると判断すれば即座にいなくなってしまうだろう。
そうならないように、彼女といること自体がテオドロスの幸福である、ということを証明し続けなくてはならない。
その為ならば、彼はなんでもするだろう。
「愛しています、私の人。もう二度と、私は貴女から離れません」
ロザリアが聞いていたら逃げてしまうような怖いことを囁いて、テオドロスは彼女を抱きしめて深い眠りについた。