36.最善策
そこからは、早かった。
第一段階として、オーケンを介してアスター議会への献策。ロザリアは難航するだろうと心配していたのだが、意外にもあっさりと受け入れられた。
逆にいえば事なかれ主義が多く、反対する気骨のある者がいない、ともいえるが、今回はそれには目をつぶっておく。
献策の内容はごくシンプル。他の三カ国にアスター国内で絹糸と絹織物工房を設立する旨を伝え、その工房や設備などへの先行投資を募ること、だ。
「勿論こちら……アスターは同盟規約違反なんかしないから、三カ国に平等に申し出を送るわよ」
にんまりとロザリアは微笑む。
ロベルは商人の国なので上向きの商売には投資するが、まだ始まってもいない販路も確立していない商売には二の足を踏む。
そこを狙ってロザリアは、現在アシュバートンの宰相をしている実兄と交易を任されている大臣に、一個人として近況を伝える手紙を送った。
父とは縁を切っているが、母や兄とは元々手紙のやり取りがあったので、それ自体も不自然なことではない。その中にごく世間話として、アスターの動きについて耳よりな情報があることも、そりゃあたまには、ある。
交易担当の大臣にしても、ロザリアが個人的に手紙を送ることはゼロではなかった。
そうしてギリギリ不自然ではない形で、アシュバートンに情報が齎されていったのだ。
特に現宰相のロザリアの兄は、平時に力を発揮するタイプの政治家だ。妹の意図をよく理解して、動いてくれた。
イートンが武力、ロベルが商いの国ならば、アシュバートンは伝統と安定の国、だ。
アシュバートンは大陸でもっとも国土が大きく、伝統を守り続け大陸全体の安定を支えてきた。
そんな事情もあって、ロザリアは王妃時代に主に取り組んだ施策は国に発展を齎すものではなく、先王が急逝した所為で揺らいだ国を安定させる為のものが多かった。
国土が広く国民が多く、資金が十分にあるアシュバートンは何より安定させることが重要で、逆に安定させてしまえばそれだけで十分に富を生む肥沃な国なのだ。
ちなみに歴史の古さでいえばアスターの方が古く、独自の文化と歴史の国がアスターとされる。
ロベル、イートンにも同じ様に絹工房への出資の打診はしたが、返事がなかなか来ない。本来ならばアシュバートンも同じ様な動きだった筈だが、ロザリアの封書とテオドロスとデガルの外交官二人の動きが早かったのが功を奏した。
「ではロザリア様、私はアシュバートンへ参ります」
「ええ、よろしくデガル殿。兄はきちんと話を聞く人です、偽りを述べずアシュバートンにも必ず利があることをきちんと説明してちょうだい」
「はい!」
アシュバートン側から『詳しい説明を聞きたい』と言われ、即座にデガルは直接説明する為にアスターを発つ。
アスター議会への説明は、テオドロスの役目だ。アシュバートンからの連絡を受けて、彼はすぐに議会にコンタクトを取る。
議会にはオーケンがいる為話はかなりスムーズに進み、異例の速さで絹織物工房の設立にアシュバートンが投資することの合意に漕ぎ付けた。
そうして工房で作り出された絹布には、出資国であるアシュバートンに優先的に輸入権が与えられる。元々アスターには技術があったので、それとは別にアスター文化を受け継ぐ伝統的な刺繍の施されたアスター絹織物の工房も設けられることとなった。
こうしてアスターは高級な絹布の輸出で外貨を稼ぐことと、伝統文化を守ることの両立が出来るようになる。
「まぁすぐに鉄道資金を稼ぐのは無理だけど、事業開始までには十分間に合う試算になってるわ」
アスター公爵家の公女となったロザリアは、屋敷内に部屋を与えられていて、最近はずっとそこで過ごしていた。衣装もアスターのドレスを身に纏い、形だけ見ればすっかりアスターの民になっている。
フリュイやベルも一緒に移ってくれて、公爵邸での生活にも慣れてきた頃だ。
ロザリアは、自分の計算とオーケンがもってきた情報に誤差がないことを確認して、ニッコリと微笑んでお茶を飲む。
「さすが、鮮やかなお手並みでした。楽しそうですね、ロザリア」
当然のように彼女の隣に座るテオドロスが拍手をして、うっとりと妻を見つめた。
ロザリアのいるところが自分の居場所だと決めている彼も、住まいをこちらに移していた。今はアシュバートン領事館に出勤し、ここに帰ってくる生活を送っている。
「ふふっ、ロベルもお金になると見込んで出資に名乗りを上げたし、万事順調でとっても楽しいわ」
「今頃イートンは悔しい思いをしているのでしょうね」
「まったく、ダヴィド王子はなんでもかんでも武力で解決しようとしすぎなのよ。いい勉強になったでしょ」
ふふん、とロザリアはほくそ笑む。
戦争で解決したいダヴィドと、絶対に戦争を回避したいロザリア。二人は徹底的に方針が合わないのだ。
「お前とデガルの連携が取れていたのも助かったわ。私自身は表立って動けないし、アスター公だけでは議会を動かせなかった」
政治力に乏しいオーケンには、荷が重い。そこをテオドロスが根回ししたり、デガルからの素早い報告が上がってきたり、と充実したサポートのおかげでスムーズに進んだのだ。
「私は妬けますけれど」
「ん? どこに? 何に?」
「ダヴィド王太子殿下ですよ。貴女がこれほど意識している男がいるなんて、腸が煮えくり返りそうです」
「ええー……それ本当に杞憂よ。私はあの男大嫌いだし、あっちだって私みたいなでしゃばる女は嫌いだもの」
ダヴィドは典型的な男性優位の考えの男で、女は男に着き従っていればいい、と公言している。
当時アシュバートンの王妃だったロザリアが発言する度にネチネチと嫌味を言ってきたぐらいなので、互いに嫌い合っているのだ。
「貴女に興味のない男がいるなんて、信じられません」
「いるのよ。実際」
あんな頭が硬くて古くて、しかも嫌味な男の所為でテオドロスが煩悶するなんて勿体ない。
ロザリアは書類をテーブルに置くと、夫の膝の上にちょこん、と座る。
「ねぇテオ? お前が意識を向けるべきは、そんなどうでもいい男じゃないでしょう?」
彼の襟元に指を入れてぐい、と引き寄せると、途端にテオドロスの表情が幸せそうに崩れた。




