35.アスター公爵令嬢
「何故イートンはここまで強気なんでしょう。紛れもない侵略行為であり、四カ国同盟の規約に反いていることは調べるまでもなく明白なのに」
テオドロスはアシュバートンの外交官なので、ロザリアの為に同席するものの意見を言うつもりはなかった。しかし、何故かやけに強気なイートン側に疑問が浮かび口を挟まずにはいられなかったのだ。
「そうなんです。最初の方は、いい条件があるからどうか、という打診程度でした。文書に明記してしまえば、それを規約違反と捉えられる可能性もあるので、慎重になっていたのだと思うのですが……」
「アスターの財政が逼迫していたのは、昨日今日のことじゃない。この打診が来たのも年単位で前の話だ」
デガルの言葉を引き取って、リッカが答える。
彼は先程ロザリアに叱られたのがよほど堪えたらしく、先程までの軽薄な様子はなりを顰めていた。
そんな話が出ていたのに、今まで黙っていたアスターにも打診したイートンにも、テオドロスはつい眉を顰めてしまう。
勿論表面化していない以上「ない」のと同じだし、各国それぞれに思惑があるのだから何もかも詳らかにする必要はないが、実現すればそれはすなわち同盟規約違反なのだ。
素知らぬ顔をされていたのは、気分が悪い。
「国境付近で武装訓練を始めたのは、割と最近だと記憶しているけれど?」
ロザリアはもう一度資料に目を通しながら、難しい顔をしている。
しかし恐らく既に考えは纏まっていて、脳内で精査しているところなのだろう。資料の上を視線がうわ滑っている。
「そうです。ひと月程前からですね。調べさせたところ、どうやらイートン王の体調が悪いらしく、代わりに今実権を握っているのは王太子なんです」
該当の資料を探し出して、デガルがロザリアにそれを渡す。受け取る為に手を伸ばしていた彼女の、その指先がピクリと震えた。
「王太子……ダヴィド、王子のこと?」
「はい。ご存じなのですか?」
「アシュバートンの王妃だった頃に、何度かお会いしたことがあるわ」
ロザリアの声が硬い。
テオドロス以外の面々はそのことに気付かず、話が進んでいく。
「王とは違いダヴィド王子は強硬派らしく、数年前から打診しているこの件にアスターが返事をしないことに業を煮やしてテコ入れした、という話です」
「そのテコ入れの方法が、国境での武装訓練……」
「アスターは長年戦のない平和な国。訓練と言われても、十分に脅威に感じていて、議会はイートンに従うべきだ、とすっかり弱腰でな」
オーケンが情けなさそうに眉を下げる。彼自身も穏健派なので、とても心を痛めているのだ。
「アスターの兵も、国を守る為のものであって他国と争う為のものじゃない。元々のルーツが騎馬民族で、戦闘を得意とするイートンと事を構えるなんて、出来る訳がない」
険しい表情でリッカはそう言い、手にした茶碗をぐい、と煽った。空になったそこに、彼は自分で茶を注ぐ、ロザリアがそこに空になった自分の茶碗を差し出す。
少し驚いたようにリッカは紅い瞳を丸くしてから、黙って彼女の分の碗にも茶を注いだ。
「ありがと」
短く返事をすると、ロザリアはそれを先程のリッカのようにぐっと飲み干すと、タンッ、と勢いよく卓に叩きつけるように置く。
その大きな音に、皆の視線が彼女に集まった。
「ふふ……考えあぐねてのテコ入れ方法が、武装訓練だなんてお粗末だこと。今度こそ平和的解決のなんたるかを、あの嫌味で忌々しい男の頭に徹底的に叩き込んで教えてあげるわ……!」
うっそりと笑って、ロザリアは緑の瞳に闘志を燃やしている。何やら件のダヴィド王子と因縁があるらしい。
皆が唖然とその様子を見守る中、ロザリアはくるりと振り返ってテオドロスを見つめた。
「テオ! 構わないかしら?」
短い問いかけだったが、テオドロスにはきちんと意味が分かったらしい。彼はしっかりと頷く。
「勿論です、私の人。貴女が正しいと思うことをしてください」
「苦労をかけるわね」
ちょっとだけ申し訳なさそうにロザリアは眉を下げたが、彼女を誰よりも愛している男は気にした様子もない。
「構いません。私の姫、私のヒーロー。私はいつでも貴女の背中にピッタリとくっついて、ついて行くだけです」
「ピッタリ、は怖いわよ」
ふふ、と笑ったが、ロザリアは夫の色良い返事を聞いて表情が活き活きとしだした。
それまでは決定打に欠け、最善手が取れなかったのだ。テオドロスの信頼に満ちた言葉に、ロザリアは何もかも自由になって自分のしたいようにすることを決めた。
さっ、と立ち上がると、彼女はオーケンに向き直る。
「アスター公」
「あ、ああ」
「前言撤回です。今すぐ私をあなたの養女にしてください」
「え!?」
「なんだって!?」
当のオーケンは驚いて目を丸くして何も言うことが出来なかったが、代わりにリッカとデガルが立ち上がって声をあげる。
「おいおい、さっきと話が違うじゃねぇか!」
「前言撤回と言ったわ」
「ですが、どうして突然……」
リッカが叫ぶと、ロザリアは冷静に言い返す。それを見ながら、デガルも目を白黒させながら、問うた。
「アスターを守る方法に一つ案があるんだけど、それには私の政治的介入が不可欠なの。アシュバートンの国民である私のままでは、アスターに対する内政干渉になってしまうから、アスター公の養女となって行うのが最適」
つらつらとロザリアが述べると、オーケンは段々と話が飲み込めてきたようだ。
「……ロザリア。あなたは本当にそれでいいのか? アシュバートンを捨てることになるんじゃないのか?」
「ならないわ。私の望みは、この世界が最善に機能すること。アシュバートンにもアスターにも利益を齎すように導くわよ」
勿論ロベルにもイートンにも益があるように考えたいが、この場合イートンが先に卑怯な手を使ってきたので、彼らにはしっぺ返しを食らってもらう。
「……実の親御さんは、なんと言うか」
「私はもうテオの妻だから、家族はテオだけよ。……とはいえ、例えこの話を聞いたとしても、実家の者は誰も私を止めないわ。止まらないから」
けろりとした言い方に、思わずテオドロスは笑ってしまう。
自分をアシュバートンの王妃として差し出し権力を得た父のことを、ロザリアは恨んではいないが当然敬ってもいない。その為、王妃となり国内での地位が宰相である実父よりも上になった時に縁を切ってあるのだ。
だからこそロザリアは、ロベルで再会したテオドロスと自分だけの意思ですぐに結婚したし、今オーケンの養女になることを、唯一の家族である彼に確認したのだ。
「勿論誰も不幸にならない方法なんてない。誰かが幸せな時、その対極にいる者は不幸になるわ。でも今回の件は、明らかにイートンがルールを犯してる。これは最良を見つけるよりもずっと簡単なことだわ」
「……自分を犠牲にしていることには、ならないのか?」
ロザリアがオーケンの娘、つまりアスター公爵の養女となるのは、今回の件を丸く収める為だ。その為に自身を犠牲にしていないか、とオーケンは問うているのだ。
それを聞いて、ロザリアはフッ、と柔らかく微笑んだ。
「全然。テオさえ構わないなら、どこにいてもどこの国の者になっても私は何も変わらないわ」
「私もです」
テオドロスがすかさず言うと、ロザリアは嬉しくなって思わず夫の頬にチュッと音を立ててキスをした。
それを見てオーケンはつい年甲斐もなく頬を赤くしたが、一つ咳払いをして仕切り直した。
「わかった。では、ロザリアを私の娘とする。その上で、今回の件に関して解決策を授けてくれ」
「お任せくださいませ、お父様」
ロザリアは挑むように強気に微笑んだ。




