26.お待ちかねの監禁ごっこ
アスター公との面会から、明けて翌朝。
自分の夫は、実はかなり特殊な人間なのだろうか、とロザリアは悩んでいた。
昨夜はテオドロスによって体中すみずみまで丁寧に愛され、くたくたになったロザリアは満ち足りた気持ちで眠った。彼からは常に深い愛情を受けていて、そのことを常に十分に感じているが、直接肌が触れ合った時の雄弁さには及ばない。
そして今。
かねてからテオドロスが楽しみにしていた『監禁ごっこ』が始まっていた。
「どうですか? ロザリア」
わしゃわしゃと泡の弾ける小さな音がする中、気持ちよさについウトウトとしてしまう。
「ん-……」
「かゆいところはありませんか?」
「んんん……」
高貴な生まれゆえに誘拐被害者マニュアルの生き字引のようなロザリアである、さて『監禁ごっこ』などと穏やかではない名前のイベントでどんな変態的な行為が行われるのか、とそれなりに身構えてはいた。
しかしながら、何があっても自分の夫に対する愛は変わらない、どんとこい! と気合を入れていたいうのに。
「何か違わないかしら……?」
小さく呟くと、ちゃぷんと水面が揺れる。
ロザリアは、テオドロスによって朝風呂に入れられていた。
「あ、湯加減いかがですか?」
「んん……気持ちいい」
「よかった」
既に一年近く連れ添った夫婦であるので、肌を晒すことに抵抗はない。しかも妻の世話を焼きたがる夫なので、風呂に入れたい、と言われた際も、ロザリアは何ら疑問に思わなかった。
しかし、こういう場合、普通は一緒に入りたがるものではないだろうか?
「洗髪の後はちゃんと香油でケアしますからね」
「ああ、そう……」
だというのに、テオドロス自身は浴槽の外に陣取り、勿論服は着たまま、袖をまくり上げ下衣の膝が濡れるのも構わず、にこにこと微笑んでロザリアの髪を洗っている。
わしゃわしゃと髪を洗われて、頭皮が適度な力でマッサージされる。穏やかな午前の陽光と共に、また眠ってしまいそうな有閑さだ。
「さぁ、次ですよ!」
「ふぇ?」
七割寝ていたロザリアは、びくっと震え、水面にひと際波がたった。
すみずみまでピカピカに磨かれた後は、ファッションショーである。
テオドロスは妻のクローゼットをああでもないこうでもないと引っ搔き回して吟味し、どこから持ってきたのかアスターのドレスも並べ、果ては装飾品や靴に至るまで嬉々としてトータルコーディネイトし出したのだ。
午前中いっぱいをそれに費やし、何着も着替えさせられたロザリアは昼食前には既にぐったりしていた。最終的に着付けられたのは、何故かゆったりとした部屋着のワンピースで、最高のコーディネイトでお出掛けでもするのかと思っていたので拍子抜けしてしまう。
「……デートじゃないのね」
蜂蜜色の長い髪もゆったりとした三つ編みにされただけで、装飾品もない。
寝室と続きの夫婦の居間で、ロザリアはソファにだらしなく座って本の表紙に触れていた。彼女にしては珍しいことに、まだ中を読む元気がないのだ。
居間の窓からも、寝室と同じ石庭が見える。
見事なものだと思っていたがアスター公爵邸の伝統と歴史のある庭を見た後では、やはりこちらは近年アスター様式を真似て造られたものなのだ、ということがよく分かる。石や樹木が若い。
ロベル国にいた時も、外交官宿舎や他の建物はロベル様式だった。そちらも気候などに合わせて工夫がなされていて、ロザリアには興味深かった。しかし、それだけだ。
「つまり、私はアスター様式が好みという話なのよねぇ……」
生まれ育ったアシュバートンの文化や生活様式は彼女の身にとても馴染んで落ち着くが、あまりに馴染みすぎていて好みかどうかは判別つかない。
たまたま短い間に別々の国で暮らす経験をしたので、気付いたことだった。
そんなわけで、アスター公の養女となりこの国の民になることも吝かではないのだが。
そこまで考えたところで、かちゃりと小さな音をたてて扉が開く。
ノックせず入ってくる権利があるのはロザリアともう一人だけで、当然入ってきたのはそのもう一人たるテオドロスだった。
「お待たせしました。貴女は朝食を摂っていないので、お腹が空いたでしょう?」
彼はトレイを手にしていて、それをソファの前のローテーブルへとそっと置く。
彼女が朝食を食べられなかったのは、夜更かしをした所為で朝遅く起き、そのまま風呂に連れて行かれた所為である。
「食事もここでするの?」
「はい。ロザリアは今日はこの部屋から出るの禁止です」
主の部屋なので、生活に必要な設備は揃っている。食事も運ばれてくるのならば、ロザリアは部屋を出なくとも何の不自由もないだろう。
「監禁ごっこと言うからには、手枷でも付けられるのかと覚悟していたのに」
「まさか。そんな倒錯的なシュミは、私にはありません」
「監禁ごっとこという時点で十分素質があるわよ、お前」
「お褒めいただき光栄です」
断じて褒めていない。
ロザリアは緑の瞳でぎろりと彼を睨んだが、分厚い面の皮にブロックされてしまった。仕方なく膨れっ面でテオドロスの動きを眺める。
ポットから注がれたのはごく普通のアシュバートンのお茶で、最近はアスターの花茶ばかり飲んでいたロザリアは意外に思う。どうやらベルやフリュイが淹れたものではないらしい。
「どうぞ」
「ありがとう」
とはいえ飲みなれたお茶であり、勿論好きな味だ。カップを受け取ってひとくち飲むと、ほっと体が解れる。いい具合に腹も空いてきたので、ロザリアはテーブルに並ぶ料理に目を輝かせた。




