25.それって実は一番、という意味
アスター公爵邸を辞する際、馬車までオーケンとリッカが見送りに出てきた。
オーケンは話をしてすっかりロザリアに心を許したらしく、お茶の席で出されていた物と同じ焼き菓子の土産を持たせてくれた。
まだ養女になることへの返事はしていないのだが、これではまるで子供扱いである。
とはいえ、先程テオドロスと共に食べたクルミと白あん入りの菓子は美味しかったので、有難く土産の包みを受け取る。
「お邪魔いたしました」
「いや、またいつでも来てくれ。色よい返事を期待している」
オーケンのにこやかな様子に、ロザリアは毒気が抜かれてしまう。
馬車の席に座り、テオドロスが乗り込むのを眺めていると、何故か彼に続いてリッカまで中に入ってきた。
「……おい」
テオドロスが低い声を出すが、リッカは気にした様子もなくロザリアに顔を近づける。
「俺も、いい返事を待ってるな。親父殿の養女になれば、あんたは俺の妹だ」
「リッカ・アスター!」
テオドロスが吼えると、リッカはサッと身を翻して馬車から飛び降りた。彼の立っていた場所に、一拍おくれてロザリアの扇が叩き込まれる。
「怖い怖い!」
「……冗談で私に絡むつもりなら、お前は覚悟しておくことね」
ギロリとロザリアはリッカを睨みつける。
アスター公の手前もあってある程度の失礼には目をつむっていたが、目に余るようならば報復も辞さない。
人の好い元王様と違い、こちらの元王妃は獰猛なのだ。
「いいね、ますます気に入った」
「さっさと馬車を出して頂戴」
リッカの言葉を無視してロザリアが扇の先で馬車の天井を叩くと、馭者が慌てて発車させた。オーケンへの挨拶は済ませていたので、構わないだろう。
もし万が一礼儀がどうのと言われたら、そちらの御子息の無礼には足元にも及ばないと、言い返してやるのだ。
今はそれよりも、向かいの座席に座って腕を組んでいる夫の方が重要である。
「テオ」
「……貴女のすることに私が何か言う権利も意思もありませんが、それでも敢えて言わせてください。養女になることは、反対です」
思い詰めた表情のテオドロス。ロザリアは穏やかに彼に呼びかけた。
「テオ」
「嫌です。感情のままに言ってしまってすみません。ですが、貴女に私以外の男があんな風に近づくことが、耐えられない」
「もう……テオ!」
少し厳しい声を出すと、顔を上げたテオドロスが青褪める。彼にそんな顔をさせたかったわけではないので、ロザリアはすぐに口を開いた。
「こっちに座って。いつも並んで座ってくれるのに、今日は駄目なの?」
「……駄目なことなど、何もありません」
ぺしぺしと座席を叩くと、ハッとしたテオドロスはすぐに席を移動してロザリアの隣に座った。
自分から移動しても構わなかったのだが、彼女が馬車の中で転びでもしたら、といつもテオドロスはロザリアが馬車の中で動くことを止めるものだから、彼を呼び寄せるしかなかった。
並んで座ると自然と体を傾けてくるので、ロザリアは夫の長身を抱きしめる。
「よしよし。嫌な思いをして、可哀想に」
テオドロスの頭を撫でて、彼の髪を指で梳いて慰める。
しかしあれはリッカが勝手にやったことであり、ロザリア自身が悪いわけではないので謝ることはしない。謝れば、ロザリアがあれを受け入れたことになってしまう。
「……あの無礼な男……貴女があれを見て、声を聴くことすら耐え難い」
「もう……」
「私はおかしいのでしょうね。貴女が私以外のものに意識を向けることが、苦痛でならないのです」
「ええと……本や、お菓子や、花でも?」
「それはさすがに平気ですが……」
ロザリアの現実的な言葉に、テオドロスは眉を下げる。
「あれは路傍の石以下、だから無視なさい。私の可愛い、いとしいテオ」
にこりと微笑んで、ロザリアは髪をさらりとかき上げる。馬車の窓から入ってきた陽光が、その蜂蜜色の髪に反射してきらきらと輝く。
「いいこと、テオ」
真面目な表情で、『これから大事なことを言うぞ』と示されてテオドロスは緊張する。しかしすぐにその緊張は解けた。
いつ何時でも、彼の愛するロザリアは完璧だ。
「私の中で一番大切なのは、私自身。誰の意見にも左右されず、自分自身で考えて行動するわ。私が考えることをやめたら、それはもう私ではない」
「はい……」
「でも、二番目に大切なのはお前よ。テオ」
「……」
「お前が苦しむのも悲しむのも嫌。お前の憂いは全て私が払ってあげる。私が、お前を守ってあげるわ」
「ロザリア……」
「だから、お前が嫌なら、アスター公の養女になる話は断りましょう。城の図書館を閲覧出来るだけでも十分な成果よ」
ふふ、とロザリアが笑ってテオドロスを抱きしめる。
きゅっとテオドロスも華奢な妻を抱きしめ返して、彼女の香の薫りを吸い込んだ。
「……ごめんなさい、ロザリア。私が我儘を言いました」
「テオ?」
「貴女を愛しています。だからこそ、貴女が私を愛することで、貴女になにか我慢を強いたくないのです」
「……」
「自由にしてください。そんな貴女に、私はどこまでもご一緒します」
「……もう。お前、私のことをチョロいなんて二度と言わせないわよ?」
「そんなひどいこと、私め言ったことがございましたか?」
「まぁ!」
わざと腹をたてたフリをして、ロザリアはテオドロスの頬を齧った。それからニヤリと笑う。
「ううん、そうね……イイコの可愛いテオ。無事アスター公との面会も済んだことだし、ご褒美にお前の願いを叶えてあげる」
ロザリアがそう言うと、さすがに察しのいいテオドロスはすぐに顔を輝かせた。




