22.秘めた真実
「なっ……!? ロザリア、確かに私達はあなたに申し訳ないことをしたが、祖母のことを侮辱することは許さんぞ!」
これにはさすがに、オーケンが腹をたてて立ち上がった。
上背のある彼が立ちはだかると威圧的だったが、ロザリアの隣には頼もしい夫が座っている。そして、ロザリアはこの事実に確信がある。
ならば、何も恐れるものはなかった。
彼女は人の目を意識しながら、ゆっくりと深呼吸する。自然とオーケンもそれに呼吸を合わせていた。
「落ち着いて。お掛けください、きちんと説明いたします」
両手を広げてロザリアが言う。その落ち着いた様子と力のある声に、オーケンは怒りを鎮められ落ち着きを取り戻していた。
彼が大柄な体を再び長椅子に収めたのを見て、ロザリアは頷く。
これがかつて為政者だったロザリアの威厳とテクニックであり、そのことにテオドロスが感心していた。彼女が自分の妻として生涯を終えるのは、あまりに世界の損失だと分かっている。
それでも、テオドロスはロザリアを解放してあげることが出来ない。今ですら、誰の目に触れる
こともないように大切に仕舞い込んでしまいたいぐらいなのに。
「まず……アスター公は、四カ国同盟締結の証明書の実物を見たことがありますか?」
「ない。私はこの国を出たことがないので、同盟の際に受け取った写ししか見たことがない」
「では、勿論書き損じたという最初の文書の方も?」
「ある筈がない」
それを確認して、ロザリアは頷く。
「では、ナウン女王はあなたに『イートンが裏切った』と言ったんですか? 正確な言い回しは覚えていますか」
それは予想外の質問だったのだろう、オーケンは瞳を瞬き、少し考え込む。
「……ええと、確かお祖母様は……」
顎に手を当てて、オーケンはぶつぶつと呟く。
その言い方からして、ナウン女王は正式な場でイートンの裏切りを口にしたのではなく、孫との語らいの中でつい溢してしまった、といった様子が窺い取れた。
「イートン王め、信じられない。あんなところであんなことをするなんて、これは私への裏切りだ……」
「そう仰った?」
「一言一句正しいかは自信がないが、そういったニュアンスだった筈だ」
「……それは、ただの愚痴なのでは?」
テオドロスが呆れた様子でつい口を挟む。
しかし確かに四カ国同盟の場でのことを女王がそんな風に評したのならば、誤解を招いても仕方がないのかもしれない。
ナウン女王は孫に愚痴を言い、オーケン少年はそれを重大な事実と受け止めてしまったのだ。
そして重大な事実だと思ったからこそ、誰にも打ち明けることが出来ず彼の心に留められ、これまで訂正されることがなかった。
「……知識は人を自由にします。私はそう、信じている」
ロザリアは、今度こそ深いため息をつく。
これが歴史に埋もれる筈だった女王の愚痴ならば、他国の元王妃とはいえ、事実を知るロザリアが紐解くのも役目のように思われた。
「……そもそも、とても重要な同盟締結の書類です。もしその場で台無しになったとしても、文言を変えて改めてサインを、などということはあり得ないでしょう」
「……それは……そうだが……だが、しかし」
オーケンの言いたいことも分かる。
尊敬する祖母が確かに『裏切り』と言ったのだ。ならば他の事実よりもオーケンは祖母の言葉を信じるだろう。
「新たに用意された証書は、各国の文官達によって最初の一枚と一言一句相違ないことが、しっかりと確認されたことでしょう」
ロザリアは、メイドが置いていった果物の籠から葡萄を二粒取ってテーブルの上に並べた。全く同じに見える、葡萄の粒。
「……」
「ですが、急遽用意されたもの。最初の一枚とは何が違ったのか?」
彼女はにっこりと微笑んだ。謎解きは、いつだって明かすときが楽しい。人に明かされてなるものか。
「紙です」
「紙?」
「ええ、証書の用紙ですわ」
果物の籠の横に飾られた、花器に活けられた季節の花々。青い花から一枚と赤い花から一枚、それぞれ花びらを取ると、ロザリアは先程の葡萄の粒の上に丁寧に乗せた。
これで、同じ文言だが違う紙に書かれた証書を表現する。
オーケンは驚いた様子で葡萄と花弁を見つめた。
既にテオドロスには説明してあったので、夫はなんら驚いた様子はなく誇らしげにこちらを見つめている。
「調印の場所はアシュバートンが、証書はイートンが用意したことは各国の歴史書にも、この本にも書いてあります」
テーブルに置いたアスターの歴史書にトン、と指で触れてロザリアは言う。
「私は書き損じの証書、最初の一枚を実際にアシュバートンの収蔵庫で見たことがあります。書き損じのインクの所為で読めなくなっている箇所もありましたが、それでも実際の証書と同じ文言が書かれていることは確認出来ました」
「何と……」
ロザリアの言葉に、オーケンは驚きっぱなしだ。恐らくこの件に関しては自分が最も真実に近いと思っていたのだろうが、まさか娘ほどの歳のロザリアに新事実を告げられるとは。
「そして問題の紙です。イートン生産の紙が最初の証書には使われていました、そしてそれはよく見ないと分からないのですが、透かし模様が施されていたのです」
「透かし模様……」
「模様は花。品種は、イートン百合でした」
恐らく、時間が経って紙が黄ばんだことと、そもそも書き損じとしてインクがかかってしまったおかげで、その透かし模様にロザリアは気づくことが出来た。
そうでなければさすがのロザリアといえど、イートン王がこっそりと仕込んだ透かし模様に気づくことは出来なかっただろう。
「イートン百合……それの何が問題なんだ?」
「ええ。紙に仕込んだイートン百合の模様は、今となってはよく見える状態になっています。ですが、それを今見たとしても誰も問題には感じないでしょう」
ロザリアは頷いたが、外交官として周辺諸国の文化に詳しいテオドロスは難しい表情を浮かべている。
「アスターはやや閉鎖的ですが、同盟を組んでいる四カ国とは交流があり、互いの文化に影響を与えています」
「ああ」
「だからこそ、現代においてイートン百合には何の意味もありません。ですが、同盟を組んだ当時……ナウン女王の時代には、意味のある花でした」
ロザリアがそこまで告げると、ようやくオーケンはハッとして顔を顰めた。
「イートン百合とは、我が国でいうロドリアルのことか!」
「ええ。アスターにて、その品種もまた意味のある花ですね」
「ああ……古来より、決闘を言い渡す時に相手に叩きつける花だ」
とんでもない用途に使われていたものだ。イートン百合、あるいはロドリアルと呼ばれる花は同じもので、アシュバートンでも別の名前で呼ばれている。アシュバートンでは何ら意味を持たない美しい百合。
現代では廃れた考え方だが、かつてイートンでもその花は重要な意味を持たされていた。
「イートン国内では、イートン百合は求婚に使われていた時期がありました」
「求婚……?」
そう。つまり。
「……イートンの王は、ナウン女王に求婚したのですね」
テオドロスが苦々しげに言い、ロザリアは頷いた。




