21.女王
二代前のアスター王。四カ国同盟締結の際のアスター王は女性であり、オーケンの祖母だった。
名を、ナウン・アスター。
確かに彼女の口から直接聞いたのならば、イートン国がアスター国を裏切ったとオーケンが考えても仕方がない。
「……そのことが他国に流出しても構わないと考えて、わざわざ歴史書という形になさったのですか?」
もはやロザリアが歯に衣着せず言うと、オーケンは困ったようにまた眉を下げる。
なるほど、と思った。すぐ表情に出るところといい、迂闊な行動をとるところといい、誰から見ても彼は徹底的に王に向いていない。
ただ、それだけでアスターが王政を廃した筈はない。
もし向いていないという理由が通用するならば、アシュバートンとて現国王ルイスをさっさと王座から降ろしているだろう。
特に以前宰相職に就いていたロザリアの父などは、どれほど歯がゆい思いをしていたことか。
その件に関してはロザリア自身の私怨もあり、正直ざまぁみろ、という心境なのだが。閑話休題。
つまり、オーケンが王に向いていないだけなら彼が王を退けば済む話だ。
それに留まらずアスター国が王政自体を廃したことに、この歴史書の記述が関係しているのだろうか?
「お茶を、いただきますわ」
溜息をつくのを我慢して、意識を切り替える為にロザリアはテーブルに並んだ茶器を手に取る。
蓋付きの、持ち手のない小さな青磁のカップ。ソーサーの代わりにカップの下に敷かれていたのは、美しい絹布のコースターだった。
アシュバートンでは絹はとても貴重で、貴婦人のドレスの胸元を飾ることはあってもカップの下に敷いたりなどは決してしない。
勿体ない使い方のように感じられて、ロザリアはコースターの糸目を指先でなぞった。
「……」
オーケンの自国に語り継がれる歴史を残したいという思い自体は、かつて王妃を務めたことのある身として理解出来る。
ただし、それが、正しい歴史なのだとしたら。
「ロザリア、どうぞ」
「ありがとう、テオ」
テーブルに並んでいた焼き菓子を取ろうとすると、テオドロスが腕を伸ばして取ってくれた。彼はそれを半分に割り、片方を自分が食べてからロザリアに渡してくれる。
「毒見など不要だ」
オーケンがやや不快そうに言ったが、テオドロスはけろりとしている。
「毒見ではありません。私が妻と同じものを食べたかっただけです」
「……」
これが彼の通常運転なのだが、そんなことを知りようもないオーケンは戸惑う。
見兼ねて、ロザリアはテオドロスの腕を引いた。
「アスター公、どうぞお気になさらないで。私の夫は、私のことが大好きなんです」
あまりフォローにはなっていなかった。
困った様子でオーケンもお茶を飲み、三人の間にいっとき、沈黙が訪れる。
その間にロザリアはさっさと考えを纏めていた。
ルイジャ達はオーケンと交流があったのでロザリアの顔と経歴を知っていた。
例のアスターの歴史書は、そのオーケンが語り継ぐ人がいなくなることを寂しく思って、発刊した。
納得はいかないが、その二つは分かった。
「さて。では元アシュバートンの王妃である私が、そのアスターの隠された真実の歴史を知り、世界に公表してしまう、と危惧してルイジャ達は咄嗟に私を拉致したとでも言うのですか?」
「……そうだ」
内心そんな馬鹿な、と思いつつロザリアが言うと、オーケンはすまなさそうに頷いた。
「は? 嘘でしょう?」
「冗談じゃありません、アスター公。そんな勘違いで私の愛するロザリアが危険な目に遭ったなど、それこそ大々的に公表してアスターの責任を問うべき案件です」
ロザリアが絶句している間に、テオドロスが本気で怒って声を荒げる。外交官としての役目も顔もかなぐり捨てて、彼はロザリアの夫として怒っていた。
いつも、なんの衒いもなく真っ直ぐにロザリアを愛してくれるテオドロス。その彼の愛情は、ロザリアにとって言葉に言い尽くせないほどの幸福だ。
しかし、彼のいっそ戦争も辞さない様子はロザリアの望むところではない。
対話による解決。それがロザリアが常に望んでいることであり、いっときとはいえ王妃を務め政治に関与した者の義務だと考えている。
戦争になれば、一番被害を被るのは民だ。そんなことは絶対にさせない。
「テオ」
「止めないでください」
「分かってる。愛しているわ、あなた」
「……狡い方だ。そう言われると、私の怒気が逸れることを知っている」
「当たり前でしょう。お前の全ての感情において私を愛しているということが最優先なのは、お前自身が教えてくれたんじゃない」
ロザリアが微笑むと、テオドロスは悔しそうに唇を噛んだ。可愛い人。オーケンの前でなければ、そこに音をたててキスを贈りたい。
だがここはアスター公爵邸で、目の前にいるのはかつてのこの国の王。
こここそが、ロザリアの戦場だ。
「アスター公」
「ああ……」
テオドロスの厳しい言葉で、オーケンは自分やルイジャ達がどれほどのことを仕出かしてしまったのかようやく分かったらしい。彼の顔色は悪く、ロザリアの呼びかけにノロノロと顔を上げた。
本当に彼は、可哀想なぐらい王に向いていない。王政が廃止されたのはアスター国の為にも、彼自身の為にも良いことだったのだろう。
「まず最初に根本的なことを解決しておきます」
「根本……?」
「はい。四カ国同盟の際に、イートンがアスターを裏切ったというのは、当時のアスター王……ナウン女王の勘違いです」
ああ、ところで自分は随分王に向いているのでは? とその時ふと、初めて、ロザリアは考えた。




