19.準備と、どうしようもない嫉妬
とはいえ。名目上は話をするだけ、の会において本来準備は必要ない筈だ。しかし、基本的に学ぶことの好きなロザリアは予行演習を望み、ロザリアのことが好きなテオドロスは当然それ喜んで付き合った。
「えっと、お初にお目にかかります……?」
「んー……公爵相手だと、ロザリアはアシュバートンの元王妃なので、そこまでへりくだった表現は必要ないかと」
「そう? じゃあ……ハジメマシテ、かしら」
「そうですね。でも少し発音をなおしましょうか」
ならば会話をスムーズに進める為に、と、ソファに並んで座ったロザリアとテオドロスはアスター語の復習をしていた。
テオドロスは外交官歴が長い為、各国の言語に精通している。貴人に対しての挨拶や、市井の言葉遣いにまで詳しかった。
「難しいわ、アスター語! 日常会話なら出来ると自負していたけれど、貴人に対しての独特の言い回しが多くて大変……」
「いえ、むしろアシュバートンから出たことのない姫君がここまで多彩な表現を使われることの方が驚きですが……」
憤慨するロザリアに、テオドロスは苦笑する。
外交官とはいえ日常会話ならまだしも、各国の細かい訛りやスラングを理解している者は稀だ。彼の能力の高さにロザリアは素直に感心した。
「あなたって本当に凄いのね」
「貴女に対して、私も同感です」
二人は顔を見合わせると、ごく自然に唇を重ねる。
言語の分野に関してはテオドロスの方が詳しい。それまではいつもロザリアが教師役をしていたので、二人は立場の逆転を楽しみながら準備をしていった。
そうして数日が過ぎ、遂にアスター公爵に会う日がやってきた。
政治的な意味などないただの茶会として伺う体なので、ロザリアもテオドロスもアシュバートンの訪問着を身に着け、堂々と馬車でアスター公爵邸へと向かった。
現在アスター国の城は政治や社交の場として使われていて、元国王であるオーケン・アスター公は代々王族が所有していた邸宅を公爵邸とし、そこに住んでいる。
「結局、まだ街歩き出来ていないわ。落ち着いたら、行きましょうね?」
車窓から街並みを興味深そうに見るロザリアを、テオドロスは微笑みながら眺めていた。
「テオ?」
「新しいドレスも、よく似合っていますねロザリア」
「本当? ありがとう」
ロベルを出る前に新しく仕立てたものだ。かの国の極彩色の色味に魅せられて少し派手な布を選んでしまったかと思ったが、着てみるとロザリアの白い肌や蜂蜜色の髪がよく映える。
「結婚してから貴女は、落ち着いた色のドレスを着ていたので」
「既婚者だもの、落ち着きは必要でしょう?」
「ええ。ですが、こういった色もよく似合います。出会ったばかりの頃の貴女にまた会えたかのようで、嬉しいです」
本当に幸せそうにテオドロスが微笑むものだから、ロザリアは不思議な気持ちになる。
「……出会った頃の私が懐かしい?」
「今の貴女も、最高に素晴らしいです」
間髪入れずに返ってくる返事に、思わず微笑む。テオドロスは、最愛の妻に顔を近づけた。
馬車の座席がぎし、と音をたてる。
「それでも時折、出会った頃の貴女を攫って自分の妻にしていたら……という危険な考えがちらつきます。そうすれば、私は貴女の最初の夫になれた」
テオドロスの青い瞳に浮かんでいるのは、後悔ではなく嫉妬だ。ロザリアが真っ直ぐに覗き込むと、恥じるようにテオドロスに顔を逸らされてしまった。
「たらればの話に興味はないわ。私は今、お前の妻よ。それでは不満?」
そう言いながら、逸らされた顔をツイ、と指先でこちらに向けさせる。また真っ直ぐ見つめると、だんだんとテオドロスの顔が赤くなった。
「いいえ……いいえ、不満はありません」
「よろしい」
ロザリアが鷹揚に頷くと、彼はしょんぼりと眉を下げた。図体はデカイのに、雨に濡れた子犬のようだ。
「申し訳ありません、ロザリア。貴女はいつも私に愛を伝えてくれるのに……私は性懲りもなく貴女の過去に嫉妬して……」
それを聞いて、ロザリアは確かに、と内心で思う。
テオドロスは、驚くほどの熱量でロザリアを愛していて、過去も未来も全てが欲しいのだという。その気持ちは分からないでもないが、実際問題不可能であり、気持ちを切り替えていくしかない。
だというのに、テオドロスは時折こうして、悩んでも仕方のないことに悩むのだ。建設的ではない、とロザリアは思うが、その一方で彼の煩悶を無駄だと切り捨てることは出来なかった。
「いいのよ。お前がそれだけ私を愛している、ということでしょう? 可愛い私のテオ、悪い気はしないわ」
「……キスしてもいいですか?」
もう何度目にもなるおねだり。いつも可愛くて、つい許しを与える前にロザリアは自分から夫にキスをした。




