1.元王妃と外交官、今夫婦。
ご来訪ありがとうございます!
短編の続きになりますので、ぜひそちらから読んでいただきたいです!よろしくお願いします!
「そろそろ休んだほうがいいですよ」
などとテオドロスにお小言を言われても、ロザリアは本から顔を上げなかった。
「お前は先に休んでいいわよ。許す」
「……いえ許されなくとも、私は休みますけれど」
テオドロスは、最愛の妻の関心が自分にちっとも向かないことに眉を寄せる。
原因は、今朝通りかかった古書店で見つけた、一冊の本。
速読が得意で記憶力のいいロザリアは、一度さっと読んでから改めて丁寧に読んでいくのがいつもの読書方法だ。
そんなペースなものだから、午前中に手に入れた本は大抵夕食時には完全に読み終わっている筈なのに、彼女は今もその本に齧り付いている。
外交官宿舎の夫婦の寝室だというのに、立派で無粋なライティングビューローと座り心地の良い椅子が設置されている。
言うまでもなく、これはテオドロスの仕事用ではなくロザリアの読書用の環境だ。
そこで姿勢よく机に向かうロザリアの背を、テオドロスはしばらくじっと見つめる。
元王妃の彼女は、視線の圧など感じても完全に無視してしまえる肝の太さを持っている。
まして、テオドロスの懇願の眼差しなどは昔からまったく意に介さないのだ。
「記述内容に、ちょっと引っ掛かるトコがあるのよ」
「もう何度も読んだでしょう?」
「あともう一回!」
「子供ですか。明日になさいませ」
テオドロスはそう言うと力づくで椅子を引き、ひょいとロザリアの体を抱えた。
「ひゃっ! お前、不敬よ!」
「今は貴女の夫です、不敬じゃありません」
「オット!……じゃ、じゃあ愛する妻に読書の自由も与えない、狭量な夫なのね!」
キィキィと子猫のように抗議をしてくるロザリアが、テオドロスには可愛らしくてたまらない。
彼女が王妃だった頃から、何故かあまり親しいわけでもない自分に素で接してくれる彼女のことが可愛らしくて、好きだった。
当時、ロザリアは人妻でしかもあろうことか国王陛下の伴侶だったから、恋を打ち明けるつもりは毛頭なかった。
その上、ロザリアは嬉々として仮初の王妃の役を務めていたので、邪魔することも攫うことも出来ない。
哀れなテオドロスに出来たのは、いっとき彼女の興味を独占する為に、珍しい古書を手に入れることだけ。
まったく、我ながら涙ぐましい努力だ。
その後、ロザリアと特に進展もなく他国に赴任したテオドロスだったが、外交官としても個人としても気になっていたので国内の、特にロザリアのことはずっとアンテナを張って情報を仕入れていたのだ。
すると、どうだろう。
王と結婚して二年の間に身籠らなかったロザリアは、かねてからの王の恋人へあっさりと王妃の座を譲り、多額の賠償金を受け取って国を出奔したのだ。
その頃には、王とロザリアが夫婦関係にないことは周知の事実となっていて、結婚も離婚も二人が自由を得る為には必要な時間だったのだ、と誰もが気づいていた。
そして晴れて自由の身になったロザリアがテオドロスの赴任先の国をわざわざ訪ねてきてくれたことは、彼の一方的な恋慕ではなかった、と自惚れている。
「はいはい、私め、貴女に関しては大層狭量な自覚がありますよ」
「うん?」
恭しくベッドに下ろされた彼女は、テオドロスを見上げて不思議そうに首を傾げる。その尖った唇に音を立ててキスをして、ロザリアを押し倒した。
「テオ!」
「今日はせっかくの休日だったのに、貴女はずっと本に夢中だ。放置されていた哀れな夫に慈悲を与える気はありませんか?」
ベッドに横たわるロザリアにテオドロスが顔を近づけると、纏めていない彼の長い黒髪がカーテンのように彼女にかぶさる。
「ないわ! こういう私だということを、お前は知っているでしょう? 気にいらないなら、離縁なさい!」
「なんてヒドイことを仰る」
ふん! と堂々と言ってのけたものの、まさか本当に離縁しないわよね? と言った端からチラチラとこちらを窺ってくるのが、たまらなく可愛い。
「私、傷つきました」
「お前はすぐに口ばっかりじゃないの」
「物理的に私が傷付いたら、ロザリアは泣いてしまうじゃないですか」
「う……」
テオドロスが項垂れてみせるとロザリアは観念した様子で白い腕をそろそろと持ち上げ、彼の首を抱き寄せた。
「……休みの日に放置して悪かったわよ。……逆に、もしお前が私を放置したら、秒で離婚だものね」
「そんな日は参りませんので、心配無用です。ロザリアの趣味が読書なら、私の趣味は『ロザリア』なので」
少し反省しているらしいロザリアがあまりにも可愛らしいので、これ以上責めるつもりにもなれずテオドロスは真面目くさってわざと明るく言った。
萎れた花のようだったロザリアは、途端顔をくしゃりとさせて笑う。
この笑顔ひとつで、テオドロスはなんでも許してしまうのだ。
ロザリアの隣にごろりと横たわったテオドロスは、彼女が体を冷やさないように上掛けをそっとかける。
「……その本、今度私にも読ませてください」
「子供用の歴史絵本のようなものよ。お前には必要ないのではなくて?」
テオドロスは、外交官という職に就いているだけあって、他国の歴史に詳しい。元々他国の文化や芸術に興味があったからこそ、外交官になったのだ。
「そういう子供向けのものを知っておくと、社交でちょっとした時の会話の接ぎ穂に困らないんですよ」
本当は彼女の心を奪う原因を知っておきたいのだが、それを言うのはあまりにも子供っぽいかと考えなおして、テオドロスは別の理由を口にした。
寝そべる夫の体に乗っかって、ロザリアは手遊びに彼の長い黒髪をいじりだす。
こちらも外交官という職業上テオドロスは、清潔感があって見目良く映るように容姿には気遣っている。
実際美男子なのだろうけれど、ロザリアからすればこの長い黒髪も藍色の瞳も、どうにも胡散臭く見えるのだ。
「まったく、キャーキャー言われてるんじゃないわよ。胡散臭いし、とりあえずこの髪、切る?」
「それは嫉妬ですか? ねぇ、嫉妬ですね?」
嬉々としたテオドロスの声に、ロザリアは意識して鼻白む。
「聞こえてないの? 胡散臭いって言ったんだけど?」
「嫉妬は否定しないんですね?」
「しーつーこーいー」
自分から乗っかっている癖に、ロザリアがテオドロスの顔を平手でぐいぐいと押した。しかし彼は上機嫌だ。
「もう! お前は、馬鹿ね」
「ロザリアに比べたら、大抵の者は馬鹿ですよ」
「それはそう」
ロザリアの体が安定するように、テオドロスは長い腕を伸ばして彼女の体を抱きしめた。安心しきってロザリアがくたりと体から力を抜くのも、可愛い。
「やや自惚れの強いところも、好きですよ」
「あら、私はお前のそういうちょっと馬鹿なところを……愛しているわ」
ふふん、とロザリアは勝ち誇って笑う。
ああ、本当にたまらない。
テオドロスはすっかり嬉しくなって、噛み付くように妻の唇を奪うと、どれほど『趣味』に夢中なのかを証明した。
読んだいただいて、ありがとうございました!