18.夫の願いと、先の予定
ロザリアの予想通り、それから程なくしてテオドロスが慌てた様子で帰宅した。
居間でフリュイに淹れてもらったお茶とベル厳選のお菓子を楽しんでいたロザリアは、部屋に飛び込んできた夫を見て顔を顰める。
「ああ……私ときたら。またお前に心配をかけてしまったわね」
「ロザリア……!」
ソファから立ち上がり、駆け寄ってきたテオドロスをこちらからも迎えに行って抱き合う。
「ごめんなさい」
「謝らないでください。貴女の心配をすることも、私の役目です」
「ふふ」
彼女のことならば何も譲りたくないらしい、テオドロスらしい言葉だ。宥めるように彼の背中を撫でて、ロザリアは彼が落ち着くようにぎゅうぎゅうと更にくっつく。
「ひったくりに遭ったと聞きました」
「ええ。私は無事、フリュイと護衛も無事よ。犯人は、通りすがりの変な男が捕まえたわ」
「変な男……」
テオドロスの表情が心配から嫉妬に切り替わるのを見て、ロザリアも真面目な表情になった。深刻な話ではないが、彼にとって楽しい話題ではないだろう。
だが今日の自分は我ながら見事な跳ね除けっぷりだったので、彼も話を聞けば感心してくれるに違いない。
結果。
包み隠さずイチから順を追って説明したというのに、ロザリアの望む賞賛は得られなった。
「あらら?」
場所は変わって、夕食も湯浴みも済ませた後の、夫婦の寝室。ベッドに座りロザリアを膝に横抱きにした姿勢で、テオドロスはここにはいない誰かに対して威嚇するように低く唸っている。
解せない彼女は、夫の髪を梳きながら首を傾げた。
「……いいカンジに断れたと思うんだけど?」
「本気で言ってるんですか? 貴女の素晴らしさをわざわざその男に知らしめただけではないですか!」
「何よそれ」
特殊な褒め方をされて、ロザリアは眉を顰める。
「あ、褒めてませんよ」
と思ったらすぐにテオドロスに否定されて、驚いて目を丸くした。
「お前が私を褒めないなんて……!」
「……自分でもこんな日がやってくるなんて驚きです」
テオドロス自身も驚いた様子で、戸惑いを口にする。ロザリアは彼を宥めるようによしよしと彼の頭を撫でた。
「……まぁ、彼が何者かなのかはおおよその見当がついているし、その内また会うことになると思うわ」
「嫌です」
「私も会いたいわけじゃないけど……」
ちゅっ、と音をたてキスをして、ロザリアはテオドロスに額をくっつける。
ロザリアの口ぶりで、相手が誰なのかテオドロスの方でも想像がついたのだろう。眉間に皺を寄せるので、そこにもキスをする。
そうしてしばらく彼を甘やかしていると、ようやく少し元気が出てきたらしい。
「……着任したばかりなので、私は二、三日休暇をもらっています」
「うん?」
テオドロスの言葉を聞いて、ロザリアはホッとして微笑んだ。
移動の所為で自分はくたくただったので、テオドロスの体調が心配だったのだ。仕事が休みで少しのんびり出来るのであれば、それに越したことはない。
「そう……じゃあ一緒にのんびりしましょう? 私も今日の件で疲れてしまったし……引越しの作業でここのところ慌ただしかったから、ゆっくりお前と過ごしたいわ」
テオドロスの黒髪を梳きながらロザリアが言うと、突然がしっ、と腕が掴まれた。
「では……あの、約束を叶えてもらっても……?」
テオドロスが期待に満ちた眼差しで言ってくるものだから、ロザリアは彼の青い瞳をじっと見つめる。彼女にしては珍しく察しが悪く、ようやく夫が例の『監禁ごっこ』をしたがっているのだと気づいた。
「お前……しょんぼりしているのだと思って、優しくして損したわ」
テオドロスの鼻をキュッと摘むと、彼は心外だとばかりに顔を顰める。
「しょんぼりはしておりましたとも」
「真面目な話をしていたのよ?」
「私とて、とても真面目です」
そう言って本当に真面目な表情を繕うものだから、ロザリアはきゃっきゃっと笑ってしまった。
リッカと話していた時は煙に巻かれているかのようで気持ち悪かったが、テオドロスと丁々発止に喋ることの、なんと心地よいことだろう。
やはりこの男のことが、好きだ、愛している、とロザリアは再確認してついニマニマと笑う。
「……その願いを叶えてあげるのは吝かではないけれど」
「ロザリア」
パッとテオドロスが嬉しそうに相好を崩す、だがロザリアはそこでぴんと伸びた人差し指を突きつけた。
愛しているけれど、今現在はそれだけで彼の願いを叶えてやるわけにはいかなかった。
「私達には、人と会う約束があったでしょう?」
「……それ、本当に行かねばなりませんか?」
眉を寄せ、テオドロスは唇を尖らせる。
そのいかにも拗ねた様子は、ロザリアにはとても可愛らしく感じられる。そして、ロザリア自身もさして会いたい相手というわけではなかった。
しかし約束してしまったものは仕方がない。今回ばかりはテオドロスの可愛らしさと愛おしさに流されてしまうわけにはいかなかった。
「テーオ」
念を押すようにして呼ぶと、彼は低く唸る。
「……分かっています。先に……アスター公爵に会わなければ」
「お利巧さん!」
耐えて頷くテオドロスに、思わずロザリアは彼の頭を抱きしめてキスを贈る。
そう。ロベルを出立する前にアスター国の外交官と約束した、オーケン・アスター公爵との面会の日が、近づいていた。




