9.アスター国の外交官
「オルブライト夫人、約束もなく急な訪問をして申し訳ありません」
彼は、アルシ・デガルと名乗った。
アスター国民に最も多い銀髪に紅い瞳を持ち、年齢は三十代半ば。外交官と名乗ったものの、着ているものはアスター外交官としての正装ではなく、かなり格の高い訪問着だ。
「構いません。ですが、先日の件でしたら私の方からはなにも……」
「いえ、その件ではなく……」
事件のことでロザリアの方から言うことはもう何もない。もし店主達の減刑などを望んでの訪問ならば、ここではなくロベル警察に行くべきだ。
しかし途中で口を挟まれて、ロザリアは首を傾げた。当たり前のように同席していたテオドロスは、最愛の妻の話を遮られて顔を顰める。
「申し訳ありません、オルブライト夫人。我らの王より、この書状を預かっております。事情は、中に」
テーブルに差し出されたのは、アスター王家の紋で封蝋がなされた書状だった。
「……元、国王陛下……アスター公爵から、ということかしら」
「は、はい」
ロザリアがデガルの言葉を訂正すると、彼は背筋を伸ばして首肯する。
現在のアスター国は、十年前に君主制を取りやめて共和制になった、王のいない国だ。
内乱が起きたわけではなく、当時の王と政治に携わる大臣達の話し合いで王政を廃止した、とても珍しいケースだ。
今は議会が政治を動かしていて、アスター王国の最後の王は、公爵として議会の一席を担っている。
名を、オーケン・アスター公爵。
発言権が強い訳ではなく、国を訪れる貴賓への対応が主な仕事らしい。元王様として、今は国の顔のような存在といったところだろうか。
何故王政を廃止したのか、王位を無くしたのに何故今も元王が議会にいるのか、その辺りは正確なことが公表されていない。
アシュバートンは同盟を組んでいて国交はあるものの、アスター自体が元々閉鎖的な国なのだ。
勿論ロザリアは興味津々だが、アシュバートンの王妃としての権力を使っても、真相は掴めなかった。
そんなわけで。
つまりこの封蝋の紋章は現在は王家のものではなく、アスター公爵家の紋、ということだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
テオドロスが封を切り、中身をロザリアに差し出す。箔押しのされた上質紙には、濃い藍色のインクで流麗なアシュバートン語が綴られていた。
「……」
三回読み直してから、手紙をテオドロスに渡す。内容は夫としてもアシュバートンの外交官としても把握しておいて欲しかった。
彼は手紙を読んで、眉を寄せる。
「ロザリア」
テオドロスの手が彷徨ったので、ロザリアはそれをぎゅっと握って自分の膝に乗せた。
「デガル殿、この手紙の内容はご存知かしら」
「はい」
「アスター公爵は、今回の事件のお詫びをしたいから私を賓客としてアスター国に招きたい、と書いているけれど?」
「その通りです。オルブライト夫人」
「私はただの外交官の妻です。アスター出身者が起こした事件の被害者だからといって、公爵にお招きされる理由にはならないと思うわ。……それとも貴国では都度こんなことをしているの?」
「まさか……それは、他ならぬあなただからです、ロザリア元アシュバートン王妃」
その言葉に、テオドロスが怒りの表情を浮かべた。ロザリアは王妃ではなく、自分の妻だ、と主張したいのだろう。
彼の手の甲をトントンと指で叩いて、ロザリアは宥める。
「今は違います、特別扱いは結構です。あの店の店主と息子も、ロベルの司法で然るべき裁きを受けたならばもう私には無関係です」
ロザリアがうんざりして言うと、デガルは困った様子で眉を下げた。
「この手紙は、ルイジャの店での事件があったその夜にアスター国に報せが行き、今朝返事が届いたものなのです」
「そう……」
ロベルからアスターまでは、陸路で行くとぐるっと迂回しなければならないが、海路ならばかなり早く行き来出来る。だとしても、この二日の間に報せが行き返事が戻ってきたというのは、異常なぐらい早い。
手紙の内容について、アスター国では話し合っていないのだろうか。まさか、オーケン・アスターの独断?
ロザリアが表情を険しくさせると、その肩をテオドロスが空いている方の腕で抱き寄せてくれた。
そのおかげで、肩からホッと力が抜ける。
「デガル殿。きちんと説明してくれないかしら。あの店の店主……ルイジャさんは私を見てギョッとしてたし、キジャさんは話もしていないのに襲い掛かってきたわ」
「はい……」
「何かわけがあるにしても、ただの外交官の妻である私は深追いするつもりはなかった」
ロザリアは好奇心旺盛だが、引き際は心得ている。今回の件は追求すれば、どう考えても面倒事になるのが目に見えていた。
王妃の座はとっくに返上したのだ。今はテオドロスの妻で、彼と楽しく暮らしたいだけなのに。
「……でも『元アスター国王』が、わざわざ急ぎの手紙を出してまで私と会おうとしている。その理由は、何?」
ルイジャとキジャがロザリアを襲った理由も、そこにあるのだ。そして、その元を辿れば当然、ロザリアが元王妃だったから、に戻ってくるのだろう。
間を繋ぐのは、オーケン・アスター。
「……ルイジャ達の供述を確認しました。あなたは、アスター国の歴史書に書かれていることについて、調べているんですよね?」
「ええ」
デガルは視線を彷徨わせていたが、やがて諦めた様子でロザリアをじっと見つめた。
「我が王は、稀代の才女であるあなたならば必ず隠された歴史の真実に辿り着くだろう、とお考えです」
「……そう」
ロザリアは怪訝な表情を浮かべて、テオドロスを見た。彼の方も少し困ったように眉を下げている。
古書店で見つけた、比較的新しい時代に書かれたアスターの歴史書。その中に書かれていた内容が、史実といわれていることと多少、違った。
確かにロザリアはそれが気になって調べようと思っていたが、それが拉致監禁事件に結びついたり元国王から招待される流れになるとはとても思えない。
本当に、些細な記述だったのだ。そしてロザリアは今のところ、その記述は創作である、と考えている。
彼女が調べたかったのは、内容の正誤ではなく動機。誰がなんの目的でそんなことを書いて発刊したのか、を知りたかったのだ。
「あなたが真実に辿り着き、世界におおやけにする前に、王は自ら説明したい、と仰せです」
「ふぅん?」
真実? 今度はロザリアの片眉がぎゅっ、と上がる。
せっかく自分で調べるつもりだったのに、正解を知る人が説明したくてしょうがないらしい。知りたがりを自覚しているロザリアからすれば、これほどつまらない幕引きはない。
誰が、謎の答えを他人から知らされたいものか。
ロザリアがガッカリしている気配に、テオドロスは苦笑する。
まったく、彼の可愛い人は本当に面白い。
「ロザリア」
「分かってる」
つまらない、と顔いっぱいに書かれていて、唇は尖っている。自分以外の男がいるところで、そんな可愛い顔をしないで欲しい。そう思ってもう一度名を呼ぶと、伝わったのかロザリアは唇をキュッと引き結んだ。
「その顔も可愛いからダメ」
「お面でも被っておこうかしら」
「いいですね」
「冗談よ」
即採用、とテオドロスは頷いたが、彼の最愛はつれない。
二人のやり取りに目を丸くしたり、顔を赤くしたりしているデガルにようやくロザリアは視線を向けた。
どうやら彼はオーケンの忠実な部下のようだ。
公爵と称するべきところを未だに彼を王と呼んでいるし、とても敬っている様子が見られる。この件に関して色よい返事を受け取らねば、帰ってくれそうになかった。
「……デガル殿。アスター公爵に、ロザリア・オルブライトは了承したとお伝えくださいな」
「では……!」
ぱっ、とデガルの顔に喜色が浮かぶ。
だがロザリアはそこで、しっかりと釘を刺した。
「でもご招待には乗りません。私は夫と、正式な理由でアスター国に参ります。その時に、お話いたしましょう」
「は……? あの、つまり?」
目を白黒させるデガルは少し気の毒だったが、ロザリアの楽しみを潰した罪は重いので、テオドロスは口を挟まず静観していた。
彼だって、可愛い妻と二人で冒険して謎を解いたり、デートしたり、真相に近づいたり、デートしたりしたかったのに。
「あら、勿論ご存知でしょう?」
挑発的にロザリアの唇が吊り上がる。
あの桃色の唇が驚くほど柔らかいことは、テオドロスだけしか知らないし、これからも他に知る者は現れないだろう。
「私の夫は外交官。そして次の赴任先は、アスター国なのよ」




