星を読む者、掴む者
「浪漫の探求者」本編 第二部「大海の克己獲星」
第一節「浪漫は大海に至る」の前日譚
海辺のクラーケの街。満天の星が空に輝く深夜、やらなあかん大仕事を前に、途方に暮れて黄昏れる私の後ろから、目深に頭巾を被った、真っ黒けのローブの女が話しかけてきた。
「あらあら、こんな夜更けにどうしたのです? 大王烏賊」
「姉御か。誰も居らんとはいえ、あんまその名前では呼ばんとって欲しいねんけどな」
『星読み』ステラガゼルの姉御。神出鬼没の、龍の同輩。随分前に、龍級生物『大王烏賊』として手酷くボコられてから、私は舎弟みたいなもんや。その二つ名の由来にあたる、えげつない洞察能力やら、神秘の力やらの色々で、姉御には未来そのものが見えとんとちゃうか、っちゅーくらいに全部見透かされんねよな。ってか、絶対いくらかは見えとんのよね、未来。
「これは失礼いたしました、クラゲン。おおかた、力を増し続ける『克己獲星』がいよいよ手に負えなくなってきて、今度ばかりはもう勝ち筋も見えず、塵芥のように負けて、無惨にも死体を晒す…… そんなのは嫌だ嫌だ、と焦燥感に溺れ、のたうち回っているのでしょう? 大層無様ですこと。うふふ」
「えぇ、えぇ。全くその通りでございます」
説明するまでもなく、よぉわかっとるやんけ。うふふ、やあらへんわ。毎度のことながら癇に障るのぉ。いつも通り、不気味に煌々光る目ぇかっ開いて、えらい愉しそぉに嘲笑ってくれるやんけ。別嬪さんではあんねんけど、そんなんやから、カレシの一つも出来ひんねんぞ。
姉御は私の胸ぐらを掴み、凄惨な笑みを浮かべた。目は全く笑っとらんな。怒気に満ちとるわ。
「そう。クラゲン。何発殴ってほしいか言いなさい?」
「ゼロ。何も言うとらへんやんけ。勘弁してや」
「伝わることを承知の上で、挑発する方が悪い。殴られたいのと同じ。それじゃ、百発ね」
そう言うとこやぞ。なんでも見通せるから言うたかて、内心まで勝手に読み取って激怒るとか、本当にどうかと思うわ。
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「相変わらず、タフで殴り心地の良い肉袋ですね、あなた。さて、ちゃんと反省しましたか?」
満足そうな声で、いつもの調子に戻った姉御が問いかけてくる。やぁっと終わったか。ちゃんと数えてへんけど、絶対百は軽く越えとったぞ。結構痛いし、止めてほしいねんけどな。別に余裕ではあんねんけどさ。
「せんよ。するわけあらへんがな。私、何も悪ないし」
「そうですか。では、また今度殴ってあげます。まぁ、そんなことはいいでしょう。わたくし、これでもあなたを心配して、わざわざ来てあげたのですよ?」
「本当かいな……」
暇潰しに殴りに来ただけ、とかのほうがまだ説得力あんぞ。
「随分と疑り深いですねぇ。本当に、あなたの事が気になったから来てあげたのに……。信じてくださらないなんて、悲しいです、わたくし」
少し目を伏せて、わかりやすく落ち込んだ、みたいに見せよるな。絶対ただの演技やんけ。……気になった、ねぇ。どうせいつも通り「何や面白そうやし」って傍観しに来たんやろがい。耳障りのええことばっか言いよるわ。
姉御は軽く肩を竦め、露骨に溜息ついてボヤいた。
「はぁ、まったく。あなたはいつも、些事ばかり気になさるのね。動機がなんであれ、難局に啓示を与え、切り拓く力を授けてあげるのですから、頭を地面に擦りつけ、肢体を天に掲げて感謝するのが筋でしょうに。本当に、嘆かわしいこと」
「三点倒立でもせえっちゅーんかい」
「いえ、もちろん頭だけで支えていただいて」
誰がやるか。そもそも、それ感謝のポーズやあらへんやろが。言うとることの半分はそうかもわからんが、後半はわけわからんぞ。てきとうほざくな。
「まあ、文句ばっかり。……とはいえ、別にそんな格好を見ても、特に面白くもなさそうですし。仕方がないので、無償で占ってさしあげましょうか」
どんな理屈じゃい。要求しときながら、えらい言いようやんけ。無償は無償で、なんか後が怖いねんけどなぁ。謝礼については、また考えとこ。
「成程、成程。……『遥か異界の彼方より来たるもの、浪漫を求めて大海に至る。仲間の冒険者たちとともに、星を掴む者の腕を抑え、あなたの命を守るでしょう』とのこと。死にたくなければ、その勝ち筋に賭けるのがよろしいかと。それ以外は全部死にます。勝敗に関係なく」
負けはともかく、相討ちの筋もあるんか。ま、どうせなら完全勝利したいわな。しかし、『星を掴む者』か。でっかいタコのバケモンの分際で、なかなか格好ええ異名やんけ。ちょっと嫉妬してまうな。
「異界の彼方より来たるもの、ねぇ。それって、どんなやつ?」
「そうですねぇ。理念的には、ボール、でしょうか。球に四肢が生えた生き物のようですが。二足歩行で、大きさは…… 子供くらいですかね。わたくしの地元では、見たことないタイプの生き物です」
なんやそれ、珍妙生物やんけ。一目でわかりそうな特徴やな。細部の解釈がブレやすい、姉御の星読みを辿る分には都合がええねんけど、都合が良過ぎて気味悪いくらいやな。
「ありがとさん。参考にさせてもらいます。謝礼については、また見繕わせてもらうわ。次に会うときまでにな」
「どういたしまして。ですが、謝礼など本当に必要ありませんよ? 感謝くらいはしていただきたいですけれど、あなたの言う通り、わたくしは面白そうだから、と傍観しにきただけなのですから。あなたの生死も、事の顛末も、どうなろうと唯愉しむだけですわ」
まぁ、せやろな。姉御はいつでも、より面白そうな結末を見たがっとるだけや。当事者が望むなら、有益な情報をくれたりはするけども、助力だけは絶対にせえへん。それでも。
「それでも、私が望む道への啓示をくれたんや。それに対して礼をしたいと思うんは、自然なことやろ?」
「……そう、ですか。それでは、期待しておりますね。クラゲン」
珍しく、目ぇ細めて柔和に笑うその表情は、元の美人さを最大限に発揮して、全てを魅了するような、魔性の笑顔やった。ドキッとしてまうやんけ。……普段からそんな風に柔らかぁに笑とりゃ、可愛げもあんねんけどな。本当もったいないわ。
目ぇ瞑ってしみじみそう思っとると、また胸ぐら掴まれた。案の定、いつもの目に戻っとるし。台無しやな、本当に。怖い顔せんときや。
「おい。調子乗んなよイカ野郎コラ」
「なんやねん、褒めたんやないかい。照れ隠し?」
「わかった。そんなに殴られたいんなら、もう百発ね」
今度は二百くらい殴られそうやな。
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「わたくし、スッキリいたしました。ありがとうございます」
あぁ、そう。そら何よりやな。ボッコボコにぶん殴られた甲斐があるわ。結局、三百くらい殴られた気がすんで。数もマトモに数えられへんよ、もう。
「総括いたしますと、啓示通りに上手くいけば勝てるでしょう。もしあなたが勝てなかったとしても、その後始末は『灯火の聖女』様がしてくださるかと思いますので、あまり気負わず。……つまり、この街を魔界の二の舞にしたくないのであれば、刺し違えてでも、あなたが始末なさるとよろしいかと存じます」
「おうよ。任せとけ」
「ええ。もちろん、わたくしといたしましては、どちらでも。故に、あなたの望みが叶うことを祈っておりますわ。それでは、ごきげんよう」
そう言うと、姉御は夜の闇に溶けるように消えた。居らんくなるときは毎回そんな感じやけど、どういう原理なんやろ。転移術とはまた違うんやろなぁ。とはいえ、見えんようになっとるってだけでもないやろし、不思議やわ。それにしても。
「殴られたいんか、か。まぁ…… そうなんかもなぁ」
姉御も本気で殴っとるわけやないし、本人の言を信じるんなら、私、殴り心地ええらしいしな。少なくとも、抵抗する気はあらへんのよね。本気で殴られたらちょっとわからへんけど、殺し合いは…… もう、無理かもなぁ。手ぇ出せんわ、なんか。
「謝礼の方も吟味せんとな。何がええかなぁ」
なんにせよ、『克己獲星』をぶっ殺さんことには、なんも始まらんな。きっちりトドメさしてもて、そしたら今度はこっちから、姉御に会いにいこか。素敵な手土産持って、な。