備前の国の鳥人 浮田幸吉
拙著「マイネル ダートンの功績」のマイネルのモデルとなる人物の紹介ですm(_ _)m
浮田幸吉をご存知だろうか。
こう聞いて、あー知ってる知ってる、という人は少ないと思う。
浮田幸吉は日本で始めて有人飛行を成功させた人物だ。
さて、有人飛行と言うと、ライト兄弟を思い浮かべると思う。
ライト兄弟が世界初の動力有人飛行を成功させたのは1903年、これに先だってグスターヴ・ホワイトヘッドが有人動力飛行を成功させたのは1901年。
世界初の有人飛行ということなら、1783年にモンゴルフィエ兄弟が気球による有人飛行に世界で初めて成功している。
こう書いてきて、「ならその浮田某はどのくらいに飛んだんだ随分と後何だろうな、知名度もないし」と思ったあなたに朗報だ。
浮田幸吉が有人飛行に成功したのは、
どーんっ!
なんと1785年、
それもグライダーで!!( ; ロ)゜ ゜
タッチの差で世界初の有人飛行はモンゴルフィエ兄弟に負けてはいるものの、羽根のある飛行装置での有人飛行という意味なら、記録がある中では最古なんですよ。
では何でこんなに知名度が低いのか。
違いとしてはライト兄弟やモンゴルフィエ兄弟などは公開実験をしていたり、その業績が偉業として讃えられた反面、浮田は単独で飛行実験をした末に、飛行が原因で処罰され、犯罪者として扱われ、その業績を生前讃えられる事が無かったからでしょうね。
浮田は備前(現在の岡山県)に産まれて、手先の器用さから、表具師として生計を立てていたそうです。
ある時、鳥を見ていて、人間だって飛べるのではと考えた浮田は、鳥を採寸、比率を計算し、鳥を観察して、全翼5間(約9メートル)のグライダーを自作、旭川の丘から飛び立ち、約数メートルに渡り滑空したそうです。
ただ、この時に浮田を目撃した者が、天狗が現れたと騒ぎ、大変な騒動となったために、岡山藩より、「騒乱罪」にかけられた浮田は「所払い」つまりは追放処分になってしまいます。
故郷を追われた浮田は駿河(現在の静岡県)に移住したんですが、その後のことは良くわかっていません。
91歳まで生きて天寿を全うしたとされる一方で、駿河国駿府でも飛行実験を繰り返し、処刑されたとも言われています。
ただ、明確に分かることは一つ、残念なことに生前は一切、彼の業績は評価されず、その研究は引き継がれ無かったということですね。
江戸時代の日本で自作のグライダーで、たった一人で空を飛んだ浮田幸吉。
彼の目には何が映っていたんでしょうね。
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宜しければ、上のリンクより「マイネル ダートンの功績」もお読み頂けたら幸いですm(_ _)m