5
「えっ、フラクタールって……」
その名に聞き覚えがあるのは、ハルトだけではなかった。
ここにいる二十四人の子ども全員が、どこかでその名を聞いていた。
でもでも、いつどこで聞いたんだっけ……。
『えっと、たしか……オハコビ隊の最高責任官さんの、お名前……』
と、スズカが言った。
「さよう!」
小さなオハコビ竜が意気揚々と叫んだ。
「このわしこそが、オハコビ隊の頂点の座をあずかる者、フラクタールじゃ!」
「「「えええぇぇーーええぇぇえ!?」」」
二十四人の叫び声が、爆発音のごとく夜にこだました。
「こっ、こんなっ――ちっこい――のが!?」
雲の妖精のように小さなオハコビ竜の姿を、
ケントが意外そうにしげしげと見つめながら言った。
「ケントよ、声と容姿で相手を判断してはいかんぞよ~?」
小さなオハコビ竜――いや、フラクタールが挑発するような口調で言い返した。
「あー、じつはその昔――」
フラップがおずおずとしながら説明した。
「事情により、元のお体が燃えてしまわれたことがありまして。
生命力を保つために、強力な秘術を行使された結果、このようなお姿に……」
「「「燃えた!?」」」
子どもたちは再び驚がくした。
むふふふ。フラクタールが、不敵で愛嬌のある笑い方をした。
「ちなみにじゃ! すでに聞きおよんだ者もおるかは知らんが、
ホレ、ターミナル全体を包む『酸素フィールド』、あるじゃろ。
毎年、地上人のためのツアーを開催するこの時期に、
エンジニア部が運用するのじゃが。じつを言って、あれはのう……
わしの秘術の力で発生させておるわけでな!
ふふん、どうじゃ。感謝するがよいわ~!」
ハルトは、そういえばフラップが話していたな! と目を丸くしたが、
スズカをふくめた他の子どもたちは、
まったくと言ってよいほどピンと来ないようだった。
信じがたい……というより、理解が追いつかない――。
「あなどるなかれ! わしはすごい、すごいはわしじゃ!」
フラクタールは、
すいーっと流れるような動作で、ハルトの肩の上へ乗っかってきた。
「ハルトよ~。わしはのう、おぬしのことがとても気に入ってしもうた!
あの時、眠れるスズカへむけた数々の言葉、まことに男前じゃった!
将来、スズカのよき花婿になること間違いなしじゃな~。この、このこの~!」
フラクタールは、小さなひじでハルトの耳の下を小突いてきた。
(なんだか知らないけど、なつかれちゃったぞ……)
複雑な顔で照れるハルトのそばで、スズカが恥ずかしそうにはにかんでいた――。
*
フラクタールが本当に偉大なるオハコビ隊のトップなのか――。
その答えは、ターミナルへの帰還を開始する直前にあった。
「整列!」
フラクタールの号令に合わせて、
ツアー参加者たちを各自のエッグポッドに収容した十二頭が、
城の上空で二列になって横ならびした。
「虹色の翼たちよ! あえて手短に言わせてほしい!」
粋な計らいか何かのためか、
フラクタールの体はまるで勝利を祝福する白い星のように光り輝き、
十二頭の部下たちの丸い瞳に光の粒を映しこんでいた。
彼の姿は小石のようにちっぽけだったが、
部下たちの静寂かつ熱い視線を集めていた。
「あらゆる重圧と混乱の中、よくぞ戦いぬいてくれた。……苦労をかけたな」
フラクタールが優しい声でそう言った。
直後、オハコビ竜たちの号泣が再び夜空を貫いた……
真の主の短い言葉は、若く勇敢な戦士たちにとって、
天使がもたらす最高の薬のようだった。
「では皆の者……凱旋じゃ!」
こうして、スズカ救出作戦と、それに伴う竜の戦場ツアーは、
大団円の中で幕を下ろしたのだった。
*
すでに夜中の三時過ぎだった。
灰色の雲海を渡る風は清々しく、
輝くような星空が帰路につく戦士たちを静かに祝福していた。
二十四人の子どもたちは、星空にむかってあおむけになった竜たちの胸の上で、
果てしない安らぎの世界に浸っていた。
虹色の翼の十二頭は、
流れ星のように光の尾をひいて飛んでいくフラクタールに続いて、
一路ターミナルを目指していた。
子どもたちはほぼ全員、疲労のあまりぐっすりと眠りに落ちていた。
各々のエンブレス・シートの、竜の体内のようにぬくぬくとした
全身エアパッドに抱かれて……。
しかし、ハルトとスズカは目を覚ましたままだった。
二人は、フラップと過ごす夜を何よりも大事にしていた。
忙しそうなのはスズカだった。
彼女は、頭からつま先まで包む過剰なまでのシートの抱擁に、
夢見ごこちの幸せな顔になったり、
フラップにリクエストした空中ジェットコースターで大はしゃぎしたり……
果てには、自分とハルトを最初に選んだ理由を尋ねたりしていた。
なぜなら、フラップが自分を救うために、
あれほどにまで必死に戦っていたわけが知りたかったからだ。
フラップは、ハルトにも話したとおり、
その昔はじめて運んだ人間客たちのことを話して聞かせた。
しかし、ハルトに話して聞かせた時よりも、
いくぶん誇らしげな話しぶりになっていた。
『そんなに似てたの? その人たちと、わたしたちが?』
『はい。じつはぼく、あなたがガオルに盗まれたと知った時、
あの日の思い出までもが奪われたような気がしちゃって……』
フラップは、ひどく恥じらうような声でそう答えた。
「それで、あんなに怒ってたんだね」
座席の左右にある長い手すりを両手でもみながら、ハルトが言った。
手すり全体に、やわらかいグリップカバーがついているために、
つい無意識にもんでしまうのだ。
『怖いところをお見せしてしまって、ごめんなさい……おわびに、
これからツアー終了まで、うんとサービスさせていただきますね』
『わたしたちのために怒ってくれたんだから、気にしないで。
ね、ハルトくん』
「うん」
ハルトは誇らしげにうなずいた。
「いろいろ考えたけど、
やっぱり、フラップがぼくらのオハコビ竜で、よかったよ」
くふふふ……フラップがくすぐったそうな声をもらしながら、
あおむけの体を右に左に何度も小刻みにゆらした。
ハルトとスズカの頬や胴体が、左右を固めるエアパッドに
ぷにぷにと気持ちよくもまれた。世界一の幸せを感じるゆりかごだった。
『ハルトくん、スズカさん。お二人はもう……ずっと仲よしですね』
その一言に、ハルトはふと首をもたげ、左側に座るスズカのほうを見た。
スズカも、同じように首をもたげてこちらを見ていた。
二人は、ニコリと笑い合った。
仲よしどころじゃない……ハルトは思った。
ぼくは、スズカちゃんが好きだ。その理由を考え続けていた……
その答えは今、この胸の中にある。
かわいいからでも、守ってあげたくなるからでもない。
あの最初のキャンプ場で――ツアー初日のターミナルで――
つねにスズカの心身のより所になっていた自分の姿が、
ありありと思い起こされる――。
(この子に、必要とされたのが嬉しかったからだ)




