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人間を愛する竜が、人間に牙をむいた――
引き裂かれた服の水色の生地が、乾いた血しぶきのように舞いあがり、
クロワキ氏はメイドともども階段から転げ落ちてしまった。
「主任―――っ!!」
フラップ、フリッタ、フレッドの三頭は、二人のそばに素早く駆けつけた。
クロワキ氏が重傷を負った――
ポッドの中からその光景を目の当たりにした子どもたちは、
恐ろしさで胸がよじれそうだった。
アカネがかん高い声で悲鳴を上げていた。
「主任、ああそんな! 主任、お気をたしかに!」
フラップが心配そうに何度も声をかけた。
クロワキ氏は苦痛のあまりうめきながらも、
力をふりしぼって少しずつ上半身を起こした。
「……キ、キミ。は、早く、逃げなさい」
床に崩れているメイドにむかって言っているのだ。
メイドは目の前で起きた惨劇に、
涙を浮かべながら哀れな石像のように硬直していたが、
その言葉を聞いたとたん、はっとわれに還ってこう言った。
「ごめんなさい、クロワキさん。ごめんなさい……!」
メイドはますます涙をあふれさせると、
一階左の扉の奥にむかって脱兎のごとく逃げていった。
『主任! 主任っ! ああ、なんてご無理を……』
空中モニターに映るモニカさんの顔が、ひどく動揺に満ちている。
彼女の声を聞いたクロワキ氏は、
ふいにニヤリと口元をゆがませてから、こう言った。
「ハハハ、なあに……
背中に、つけているのは、ギアだけでは、ないんですよ……
こんなことも、あろうかと、くうぅ……プロテクターを、着ておいて、よかった。
こいつは、ダイヤモンドなみの、頑丈さですからね――うぐっ!」
クロワキ氏は、背中の痛みに耐えきれず、再び腹ばいになって倒れた。
たしかに、彼の背中からは血が一滴も流れていなかった。
爪痕が刻まれた服の内側には、黒い厚手の防護服がのぞいていた。
フラップは、クロワキ氏の体を急いで両手で抱き起こした。
傷はないが、かなりの衝撃が体を襲ったらしい。
自分の罪とむきあい、身をていして部下を救い出したクロワキ氏は、
今やぼろ雑巾のように痛みに顔じゅうをこわばらせていた。
「おおお、おおおおぉぉぉおっ……!」
階段の上で、ガオルが両手をついたまま、おぞましい声を上げてうなっていた。
パラライズ銃の威力は、さすがのガオルにもこたえたようだ。
「なぜ、俺がメイドを抱いていた状態だったのに……銃を撃った!?
き、貴様は、自分の部下が巻きぞえを食っても、
なんとも思わなかったのか……!」
「ふふふ……人間を、大切にする、キミが、
わたしの部下を、盾に取ったのは……
絶対に、負けられない戦い、だったから、やむなく、だろう。
だからキミは、本当に人間に、危害がおよぶことを恐れ、
光線が、命中する直前に、わたしの部下を、解放してくれる……
そう信じていたから、ね――」
「主任、どうしてこんな……?」
フラップが瞳をうるませながら聞いた。
「どうしてと、聞きましたか、フラップ、くん?」
クロワキ氏は、いつもオハコビ竜たちにたいしてそうしていたように、
屈託のないおだやかな口ぶりでこう答えた。
「こんなに騒ぎが、大きくなったんですから。
こうしなければ、あの時、われわれの身を案じてくれた、ガアナさんが、
はぁ……浮かばれませんからね。
これは、オハコビ隊のためであり、ガアナさんのためでもあり、
ううっ、ガオルのためでもあるんですよ。
それに本来……人間を助けるのは、人間だ。
肝心なのは、そういうことですから」
その言葉に、フラップはまるで強い風を顔に受けたようにハッとした。
すると、クロワキ氏は、静かに上着のポケットに右手を入れると、
その中から黒い小さなリモコンのようなものを取りだした。
それを、ハルトたちのポッドが入れられたカートにむけると、
にんまりと不敵な笑みを浮かべながら、真ん中の黄色いボタンを押した。
ガコッ! カートのガラスケースの蓋が開いた。
そばに立ちつくしていた黒トカゲの執事が、ぎょっとして黄色い目を見開いた。
続いてクロワキ氏は、複数のボタンを順番に押していった。
すると、ハルトたちの三つのポッドが七色に発光をはじめた。
『ちょ、なな、なにこれ!』
五人の子どもたちは、まばゆい光に思わずぎゅっと目をつむった。
体じゅうが陽の光のような熱気をおび、光となってシートをぬけ出し、
外へ飛び出していくのが分かった。
気がついた時、
ハルトたちはエントランスの固く冷たい石畳の上に、腹ばいになって倒れていた。
「んなっ、ええっ!?」
「なーおい、これどーなってんの?」
まるで無理やり引っ張り出されたような感覚だったが、
五人の子どもたちの体にはどこも痛みはなかった。
さらに不思議なことに、ハルトたち五人の服装がハクリュウ島の時と同じく、
島探索用の温かいスーツに変わっていた。
真冬のスキーウェアのような、フードと耳当てつきのふかふかスーツに――。
「い、いったい何を!?」
フレッドが聞いた。
「ふふふっ、隊員人生最後の、いたずらってやつですよ……」
クロワキ氏は、やりたいことはすべてやったような満足げな顔で答えた。
『は、早く子どもたちをエッグポッドの中に!』
モニカさんが大慌てで指示を出すが、
フラップたちは、まるで足に太い杭が刺さったかのように、
クロワキ氏のまわりから動くことができなかった。
「おや、フラップくんたち。
どうやら、わたしの言葉の意味が、分かっているようですね」
クロワキ氏は、床に転がっているハルトたちにむかって、こう言った。
「参加者の、みなさん。
キミたちの声では、救うことができないかもしれない。
どんな行いも、ただの徒労に、終わってしまうかもしれない。
それでも、奇跡を信じる心があるのなら、スズカちゃんのもとへ行きなさい。
キミたちにはその権利がある。
そして、懸命に声をかけてあげなさい。
あの子は今、哀れな眠りの姫となっていますので――」
「ど、どういう意味ですか!?」
他の四人とよろよろと立ち上がりながら、ハルトは急きこむように聞いた。
「キミがこのツアーに参加した時と、同じですよ。
すべては、自分の目で、確かめるのがいい……いや、すみませんね、
わたしがあいつに手を貸してしまった、ばっかりに――」
「うおおおおっ! おのれ、クロワキィィ――!!」
ガオルの絶叫が空気を引き裂いた。
「どうせ子どもたちでは……スズカを救うことは、できない。
彼女の眠りは、ただの眠りじゃない――
どうすればいいか、だんだん分かってきたぞっ、この体のしびれ……ふんぬっ!」
ガオルは、強烈な重力を逆らうようにゆっくりと立ち上がると、
その場で全身に力をこめるような動きをした。
彼の体じゅうの筋肉が少しふくれ上がったとたん、
彼を苦しめていたオレンジ色の電流が消えてなくなり、再び自由の身となった。
「いいだろう……もう小細工はなしだ。
よく考えれば人間を盾に取るなど、
竜同士の戦いにおいては無礼極まりないことだ……。
来い、フラップ! 貴様を打ちのめし、
俺こそがスズカの導き手にふさわしい者であることを証明してやる!」
フラップの目に、激しい怒りの火が灯った。
彼の全身の赤い毛が、最後の戦いの時を今か今かと待ち望むように逆立ち、
真っ赤な針の海となっていた。
『――フラップくんたち』
モニカさんが言った。
『子どもたちを、その……
スズカさんのところに行かせてあげたいなら、もうそれでいい。
その代わり、フリッタちゃんか、フレッドくん。
キミたちふたりのどちらかが、子どもたちについていてあげること。
そしてフラップくん――ガオルは、キミにまかせる』
「ええ、まかせてください……」
この上ない臨戦態勢に入ったフラップが、
鼻の上に激しいしわをよせ、白い牙をむきだしにして、
瞳をギラギラさせながら言った。
「――フレッド、主任をお願い。
フリッタ、子どもたちについていてあげて。
もし何か危険がおよんだら、キミの手でみんなを守るんだ」
「あ、ウン。分かったヨ!」
フラップは、ぐったりと倒れたクロワキ氏の体をフレッドにたくし、
たった一頭で階段の一番下に進み出た。
「フラップ、ぼくたちはスズカちゃんを探すよ!」
ハルトはフラップの背中にむかってそう言った。
「クロワキさんの言うとおり、ぼくたちの手で取り戻すよ。
あの子がどんな状態になってるか分からないけどさ……」
「……ありがとう、ハルトくん」
フラップはふり返ることなく、おだやかな声で答えた。
しかしその体には、煮えたぎるようなエネルギーが満ちていた。
「こんな姿、キミたちに見せるべきじゃないけれど、
これがぼくのお仕事だから」
必ず勝つから。ぼくを信じて――。
その言葉の直後、強い風がほほに当たった。
ハルトの前に、フラップの姿はもうなかった。
ドガァァァンッ!!
フラップが目にもとまらぬ速さで、ガオルにぶつかっていた。
赤い両手と黒い両手がおたがいを捕らえあい、
はじめて出会う力同士が言葉を交わすように競り合っていた。




